『アンドレ・デジール 最後の作品』エミールとジャンについて
はじめに
タイトルそのまま、リーディングミュージカル『アンドレ・デジール 最後の作品』における主人公エミールと、ジャンについての感想というか解釈というか妄想を千秋楽視聴後の勢いのままに書きなぐりました。
・長い
・まとまりがない
・がっつりネタバレ
・★チームのみ鑑賞
・髙橋颯くんと島太星くんの話はほぼしていない
・あくまで鑑賞して感じた・想像したこと、脚本の意図とは相違ある可能性大あり(なので何か問題があったらすぐに消します)
本文
エミールとジャン
エミールは紛れもない天才だった。人の話を聞いて絵を描くということを、彼は物心ついたときから、誰に教わるでもなくやっていた。(もちろん、そもそも誰かに教わってできることではない。)
そんなエミールが、ジャンとの出会いの中で様々な感情を抱くわけだけれど。
ジャンという青年が、心から絵を愛しているのだろうなということはよく伝わってきた。しかし彼は才能には恵まれなかった。だから、絵に愛されすぎたエミールのことは、ほんとうに羨ましかったはずだ。ジャンは誰にでも得られる才能じゃない、お前はすごいという言葉を何度もエミールに投げかけていた。それは心からの賞賛でもあり、そしてどこかに嫉妬心もまぎれていたのではないだろうかと私は思う。(演劇を通してそういった感情を受け取ったというより、単に私がジャンの立場だったならば…という妄想)
そして一方でエミールは、絵が好きとか絵を愛しているとか、そういう次元にはいないと思った。彼は絵を描かなければいけない。エミールの父が言うように、「描くことが生きること」。彼にとって、絵を描くことは目的ではなくて、手段だ。自分の心のうちにあふれる、一人では抱えきれない感情を、第三者の目にも見える形にすること。他の人であれば言葉で伝えたり、態度で示したりするようなことを、エミールはすべて絵にした。そうするしかなかった。本当にそうするしかなかったのだ。それが天から与えられた才ということだし、絵に愛されているということだ。彼は絵から離れられない。本人の意思には関わらず。
しかしジャンはそれを知らなかった。当たり前だと思う。彼は、一般よりも少し絵を愛する気持ちの強い、普通の人だ。天才にとっての芸術が、もうほとんど血肉や骨と同じレベルで彼の生命に強く影響していることを、本質から理解はできない。
そして、エミールもまた、自分にとっての絵がどれほどの存在なのか、わかっていなかったのではないだろうか。エミールは劇中で何度か「もうやめたいよ」「もう描かなくていいと言ってくれ」と言っていた。感情的になっての発言だったとはいえ、それもまた、彼の本心だったと思う。だけどエミールは、どう生きようと絵を描くことをやめられない。だって絵は、エミールにとって視力であり、声であり、酸素であり、水であり、もはや身体そのもの、生きる世界そのものだ。苦しくても、虚しくても、楽しくても、幸せでも、つらくても、エミールは絶対に筆を折れない。折らない。そういうふうに生まれてきた。
絵と一心同体のエミールは、孤独だった。自分の心の内を絵にしたところで、たしかにそれは人々の目に触れるかもしれないが、それでエミールの心情を本当に理解できる人が、この世にどれだけいるだろうか。
エミールの世界には、いた。ジャンがいた。彼もまた、絵の才能という面では平凡だったかもしれないが、絵の愛し方に関しては明らかにその他大勢とは一線を画す。そしておそらく、エミールのような孤独の中心にいる人間の愛し方も、普通より少し知っている人だったのではないだろうか。
エミールはジャンに心を開いた。そのきっかけは、ジャンがエミールの描いた絵を褒めたからではない。エミールにとって特別な存在であるアンドレ・デジールについて語り合えたことが、エミールはきっと何よりもうれしかったはずだ。あのとき、エミールはジャンの話を聞いてデジールの描いた少女の絵を再現したけれど、ジャンと通じ合ったのはその絵を見せたからではなくて、それをきっかけに、自分の心を震わせた共通のものについて言葉で伝え合ったからだ。ジャンは、絵を通さずに、エミールの心を手に取るように理解してくれた。それが、何よりも、うれしかったのだろう。その後のシーンでエミールがジャンに「どうしてもイカが食べたくなって……」という生活感あふれる話題を投げかけているあたりからも、2人が本当に本当に仲が良かったということを感じた。
エミールとはどんな人物だったんだろう(ほぼ妄想)
人の話を聞いて絵を描くというエミールの特異な能力は、誰が相手でも良いわけではないことが強調されていた。エミール自身が「信じないと描けない」と言っているように、その人物にエミールが完全に心を開いていること、そして、その人物がエミールの理解者であることが、エミールが絵を描ける条件だったんじゃないだろうかと私は思う。(これはあくまで「どんな話でもエミールが絵を描く」ための条件であり、デジールの娘から話を聞いて絵を描いたときには当てはまらない。エミールは心が大きく動いたときにそれを絵にするという根底は変わらない。)
エミールの絵は、母親の話を聞くことから始まっていた。母親は、多くの場合、子どもが一番信頼できる存在であり、子どもにとって一番の理解者である。その母親がいなくなって以降、絵が描けなくなった。そして、次にエミールに絵を描かせた人物が、ジャンだった。エミールにとってのジャンがどれだけ特別で、奇跡のような存在だったか、それだけで十分にわかる。
そしてこれは完全に私の個人的解釈、というかもはや妄想なのだけれど、エミールがあのときジャンをゆるせなかったことについて。
母親についての悲しい記憶は、エミールには深く深く刻まれているはずだ。(ただでさえ感受性が豊かなのだから、耐えがたいほどだったことは想像がつく。)エミールの台詞に「絶望してる母さんと共鳴したんだ」「描くのなんかやめて助ければよかったんだ」とあった。おそらくその思いはどれだけ絵を描こうと、誰かと関わろうと消えない思いなんじゃないか。
エミールの心の中には、ずっと絶望がある。顔を出したり出さなかったりしたとしても、常に抱えている。エミールがデジールの絶望の絵を怖がっていたのも、ただ絵から感じるものがあったからというだけじゃなくて、それをきっかけに自分が抱える絶望が心を覆いつくしてしまうからだったのでは、と私は思う。
デジールの最後の作品を描く途中で、エミールは絶望に飲みこまれそうになる。ジャンなら助けてくれると信じていたのに、ジャンは完全に絵に心酔してしまって、エミールの気持ちを後回しにしてしまった。もしかしたら、エミールの目に、あのときのジャンは過去の無力な自分と重なって見えたのではないか、と私は思う。母親を救えなかったかつての自分を、おそらくエミールは心の奥底で最も憎んでいる。
だから、あのときジャンに対して冷静になれなかったのではないか。そして、自分が絵を描き続けていればおそらく必ずまた訪れる絶望の渦に、ジャンを巻き込んでしまうことを恐れたのではないか。(ただ、歌にも台詞にもあるように「ジャンが自分のことをただすごい絵を描く手段だと思っているならばしがみついてもつらいだけ」というようなことも本気で思っていて、私の妄想したような恐怖などがあったとしてもエミール自身がそれに気づいてはいなかったと思う。)
しかし実際には、ジャンはエミールの思うようなところではなかったわけだ。自分の態度の誤りにもすぐに気づいたし、岩ではなく船に描きかえた。エミールの父の話を聞いて、「俺はまずあいつを支えたいんだ、友達でいたい」というような発言をしているように、エミールへの愛情も伝わる。ジャンは絵が大好きで、エミールのことも大好きだから素晴らしい作品を前に思わず興奮してしまっただけで、エミールという人間のことを思っていないわけがなかった。おそらくあのとき仲直りをしてエミールと2人で絵を描き続けていたとしても、ジャンがエミールの恐れるような結末を辿ることは絶対になかっただろうとわたしは思う。
ふたりについて
ジャンがエミールの父に会った直後の2人の会話シーンを見ていると、明らかにエミールは感情的になっていて、ジャンの伝えたいことが全然伝わっていないなというように私は感じる。
「他の奴と組めっていうのか?」と言われたときのジャンの表情、「だって才能あるじゃないか!」と言われたときのエミールの表情があまりにも苦しい。(役者さんってすごすぎる。)
またその後の、「それで俺がわかった気になったわけ?」という台詞も辛い。本当は誰よりもジャンにわかってほしいはずなのに、お前には俺のことなんてわかるわけがないとも取れるようなことをジャンに向かって口にしてしまう。それでジャンも「わかったなんて言えない」と返している。それもつらい。そう言える時点でジャンはエミールのことをわかっている。でもジャンにもエミールをわかっていることがわからないし、エミールもジャンがわかってくれていることをわかっているはずなのにわからない。
エミールがジャンに言ってほしかった言葉も、ジャンがエミールに伝えたかった気持ちも、等しく「お前と描けるようになるまでそばにいるから、これからも一緒にいたい」だったと思うのに、どうにもうまく通じ合えない。あんなに心が一つになった瞬間もあったはずなのに。
老人になってからのエミールも気づくように、あのときジャンが言った「お前に幸せになってほしいんだ」という言葉たちはすべて真実だった。でもエミールはそれを冷静に受け取れなかった。あのときエミールがジャンにぶつけた怒りの中には自分自身への怒りも含まれていて(というか、それの割合が多いように私は感じる)、エミールは絶対にそれを許すことができなかった。でもジャンはそんなことは知らないから、自分がエミールにしたことをひたすらに悔やむ。あまりにも苦しい展開だ。
ジャンは、画家として活躍するエミールを見て、何を思ったのだろう。おそらく、エミールにも言った(伝わってはいない)ように、エミールが生きて、世界とつながって、みんなに知ってもらって、思い切り絵を描きまくって幸せになっていることを心から喜んでいたんじゃないかと私は思う。自分がエミールから離れたのは正解だったとすら思っていたかもしれない。でも決してそんなことはなかった。エミールはやがて苦悩を抱え、ジャンを思って自分自身を激しく後悔する。そしてそれが絵にも表れている。胡散臭い評論家でさえ苦悩が表れているというくらいだから、ジャンが見たら一瞬でエミールの苦しみが伝わったはずだ。
ジャンはどんな気持ちになったんだろう。エミールが、デジールの娘の話を聞いた後に「お前の話を聞いて描いたときよりももっと鮮明に。わかったよ、デジールもきっとこんな風に絵を描いてたんだな」と言ったのを彼は聞いているから、エミールにも「救いの船」となる人物がまた現れることを祈りながら死んでいったのだろうか。
最後のシーンで、エミールはジャンが出していた救いの船に気が付いた。そしてまた絵を描けるようになった。あれは、エミールにとっての救いのシーンだろうし、物語としても一種の救いになる結末だと思ったけれど、それと同時に、やはりエミールに絵を描かせることができるのは彼の一生涯をかけてもジャンのほかにいなかったのだということを強調しているようで切なくもあった。
こんなことを言うのはナンセンスかもしれないけれど、来世ではどうか、アンドレ・デジールも、エミール・マルタンも超える素晴らしい作品が、2人のサインが入った絵が、美術館に飾られてほしいと願ってしまう。
おわりに
髙橋颯くんのファンなので、彼の演じるエミールについて、そしてエミールとのシーンが多いジャンについての印象が強く2人についての感想を書いたけれど、他にも役者さんの演技や歌唱、音楽、演出などなど見どころが多い舞台でした。(正直エミールとジャンというテーマについてもまだまだ語れる)
大切にしたいと思える感情をたくさんいただいた素晴らしい作品でしたので、配信の見逃し期間めいっぱい観返してまた感想などまとめられたらいいなと思います。