I Love Youの訳し方
何から伝えればいいんだ。僕らはもうずいぶん一緒にいた…わけではありませんが。
なによりもまずこれを言わなきゃ始まりません。
颯くん、お誕生日おめでとうございます!
本腰を入れて(?)お祝いするのは初めてということで、ここまであたためてきた思いの丈を綴ってみようと思います。
(※書いてみたら、颯くんの誕生日祝いというより本当にただただ気持ちを連ねただけの代物が完成しました。)
はじめに
これを書くにあたってまず、「颯くんのことが大好き」という気持ちを分解してみました。
せっかくの誕生日。一年に一回くらい、ちゃんとまとめておきたいなと思った次第です。
好きポイントをごく簡潔にまとめると、以下のようになります。
・ビジュアル
・スター性
・パフォーマンス
なんか身も蓋もない。そりゃそうだろうよみたいなことしか上げられない。私の気持ち、浅い!?と思いました(笑)。まあ、気持ちの浅い深いは個人の尺度ですし、この際そこまで重要ではありませんので気にせずに進むことにして。
三つ上げたうち、「ビジュアル」に関しては、日ごろから何かしらの画像や動画を見てはなけなしの語彙力でXにいそいそと書き込んでいます。
力強さと可憐さの黄金比率・最強美人な颯くんのお顔がめちゃくちゃ好きです。高身長ではないけれど、頭が小さく手足がすらっとしていて妖精っぽいスタイルも好きです。というようなことをいつも喋ってます。
「スター性」「パフォーマンス」の二点については、字数制限のあるポストにまとめるのが難しく、普段はあまり触れてこなかった気がするので、この文章で改めて書いてみようと思います。
「パフォーマンスが大好き」
WATWINGのライブは本当に素晴らしい。
私はありがたいことに何度もライブを見に行くことができているのですが、毎回毎回、言葉で表せないほど感動して帰っています。
私はとても飽き性という自覚があるのですが、WATWINGのライブは何度行っても飽きません。遠い会場で開催するとしても、日付が平日だとしても、できれば都合をつけて行きたい。このくらいの熱量があること、私にしては本当に珍しいんです。
WATWINGのライブが楽しいのは、メンバーそれぞれに半端ない長所があるからなのですが、今回はとにかく我が推し、颯様について語ります。
私は、颯くんのパフォーマンスの魅力の一つに、「再現不可能性」があると思っています。
その時その場で生み出される、唯一無二のライブパフォーマンス。これが、私が何度でもライブに行きたくなる、一番大きな理由なのではないかと最近気が付きました。
それを感じたのが、去年の冬にあったLet’s get on the beat tourです。
私は仙台公演に昼夜両部参加しました。私の記憶が正しければ、両部ともセトリはほとんど同じだったはずです。(間違っていたら本当にすみません。)
正直に言うと、同じものを短スパンで二回見たらさすがにちょっと飽きるかなと思っていました。ところがどっこい。ライブが終わってから、私はその考えを反省しました。
颯くんのパフォーマンスに、「同じもの」などありえない。これは、何かを大きく変えている、例えばアレンジを加えるとか変わったところに煽りを入れる、ということとは微妙に違って。
颯くんは、文字通りの「ライブパフォーマンス」を見せてくれると私は思います。
今そこで生きている髙橋颯というアーティストの、呼吸のリズムや感情の動き、心拍数の上昇などが、耳で聞き、目で見える形になったもの。だから、毎回違う。…無理やり言葉にしてみるなら、こんなところでしょうか。
私が思う”颯様”
完成された作品のようでありながら、たしかにそこにあるという実感を宿すパフォーマンス。そしてそこに、過剰な演出や、あざといサービスなどはあまりなく、生身で勝負しているような。
いきなり言葉が平たくなりますが、颯くんは天才だと思います。何の努力もなく輝けるということではなくて…
たとえば天才ではない人がいるとして、その人は持てる魅力を足し算や掛け算して最高到達点を目指すと思います。
しかし颯くんは、どんなコンピューターのプログラムにも存在しない独自の計算方式で、四則演算ではたどり着けない境地に向かって突き進んでいるというイメージです。
それでも、現状に甘んじることなく進化を求め続けるハングリー精神や、天才をさらに磨くという途方もない努力を、大仰に見せない軽やかさ。
これが、颯くんのスター性であるとも思います。
自分を強くアピールしようとしているわけではないのに、なぜか目を引く。
才能に恵まれているだけでなく、自分の魅力を発揮する方法を生まれながらに知っている感じ。
とまあ、これらはすべて私の勝手なイメージと解釈ですが、私は颯くんのことをそのように見ています。
颯くんという星
颯くんが常に変化し続けるのなら、私はそれをずっと見続けたいと思っています。天文学者が望遠鏡を覗いて夜空の星を観察するように、私は双眼鏡を通して大きなステージに立つ颯くんを見つめたい。それが私の、「颯くんのことが大好き」という気持ちです。
きれいな言葉を使ってみましたが、私はオタクです。双眼鏡を使わなくて済むならその方がいい。普通に肉眼で見れる距離で入りたい。いつだって当たり前に良席当選祈願です。
だからつまり何が言いたいかというと、颯くんにはもっと大きなステージで輝いてほしいという欲が私にあるという話です。
颯くんの歌声は広い会場の隅までよく響くし、颯くんのダンスの繊細な美しさはどんなに距離があっても伝わります。だから、たとえ双眼鏡が必要な距離になっても、それは大した問題にはなりません。
私の欲が、颯くんやWATWINGの目指すところと重なっているのはラッキーなことです。
「颯くんはたくさんの光に囲まれてる方がもっときれいだと思うから、私はそれを見たいんだよね」くらいの感覚ではありますが、私は私なりの応援をできればいいなと思っています。
おわりに
颯くんのことが大好きです。
颯くんがいつも元気で、なるべく悲しむことも傷つくこともなく、穏やかで、それでいて刺激的な、楽しい日々を過ごせることを祈っています。
私は颯くんのことを何も知りません。これからもたぶん、何もわかりません。それでいいです。颯くんが見せてくれるステージを全力で愛することで精いっぱいで、これ以上の気持ちは抱えきれそうにありません。
生まれ変わるなら何になりたいかという話題がたまにありますよね。
私はずっと猫になりたかったんですが(笑)、颯くんを好きになってから、たまに思うことがあります。
もし人間以外のものになるのなら、私はペンライトになって、颯くんのファンの手に渡り、ライブに連れて行ってもらいたい。そして、颯くんを照らす光の海の一部になるのです。
でも、ここまで書いて気が付きました。人間のままで、ペンライトを光らせるのだって同じこと、むしろ、意思がある分もっと良いですよね。
やっぱり私は、もし生まれ変わるのなら、来世でも人間になります。そしてまた、颯くんのファンになりたい。
だから颯くん、誰もが見惚れるその輝きで、僕だけを…いや、世界中を照らして!