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(メモ)「センスを良くする」に焦点を当てて生活してみるか?

絵がうまい人って普通に文字を書かせても、なんだかうまい。文字が絵に見えるような。なんか独特な文字だ。

きっとそれはもう変更不可能な能力になってしまったのだと思う。「文字を下手に書いてくれ」とお願いし、わざと下手に書かないとうまくなってしまうのではないか?

そして、それは生活のあらゆることに共通するのではないかと思うようになった。文字だけではない。部屋も服も話し方も友達作りも、仕事も、なんでもかんでもセンスが良いのではないだろうか。
逆に、文字がめちゃくちゃ綺麗なのに、ゴミ屋敷に住んでいる可能性はあるのだろうか? 
きっと生活のすべてに意識を持って挑んでいるような気がする。靴の履き方から歯磨きですら。昔からそれが習慣になっており、センスよく細かいところまで気にして生きているのだ。それが文字に現れ、姿勢にも現れる。言葉遣いも丁寧であり、食べ方も丁寧なのだ。
それを一言でいうと「育ちが良い」というになるのかもしれない。

最近とある料理系のyoutuberにハマってしまった。なんともセンスの良い動画が並んでいる。うっかり作業しながら全部見てしまった。料理をしているのだが、それ以上にセンスを感じる。キッチン周りから部屋全体。雑貨、本棚にある書籍すらセンスの良い本に見えてくる。
いわゆる「丁寧な暮らし系」と言えばそうなのかもしれない。ただセンスの良い物を買い漁ったとしても、それをセンスよく並べることは結構難しいと思う。動画の作り方も他の料理系youtuberとは全然違っている。

「こりゃ再生数伸びるわ」と思っていたら案の定すでに96万弱の登録者がいた。

他の料理系youtuberとは全くレベルが違っているので当然の結果である。

(ちなみにどのyoutuberがきになる方も多いと思うので、「1人前食堂」というチャンネルであるとバラしておく)

* これからの時代

毎日、AIの話が盛り上がっている。便利な道具はこれからもどんどん出てくるだろう。しかし、例えばどれだけお絵かきソフトが便利になったとしても、センスの悪い人がそれを使っても大した絵は描けないだろうと思う。道具は便利になるが使う側のセンスがなければどうしようもないのだ。

そう考えていたら、これからはセンスの時代なのかもしれないと思うようになった。
例えば、今からyoutuberになっても埋もれるだけと思っていたが、センスの良い動画さえたくさん作ることができれば必ず頭1つ抜けることができるだろう。映画でも漫画でも音楽でも結局全部センスやんけと感じるのだ。

みんな消費者 はセンスが良い物を求めている。

* センスを磨く

センスをよくするにはどうしたらいいか?
結局それはセンスが良い物を見まくって吸収するしかないだろうと思う。
人間も何かインプットして、アウトプットしているだけに過ぎないので、インプットを変化するしかアウトプットは変更できないと思う。
逆に、センスの悪い物や、目に毒なものを見ないということも大事だ。

* まとめ

センスをよくすることに焦点を当てて行動すると人生が開けるような気がしてならない。なんとなくただ時間が過ぎていくだけでは意味がないのだ。特にクリエイターはセンスが命。大衆受けを狙うよりセンスが良い物をつくれるようになれば、良い人生になることは間違いない。

センスが良い=シンプルなものと考える人もいるかもしれない。それは、なんか違う気がする。「センスの良い散らかった部屋」というのも存在する気がする。センスは難しいのだ。

* 余談

世の中のほとんどの人は「センス」について考えていないと思う。ただ毎日をやり過ごしているだけに見える。私はただ生きるのではつまらないので、センスよく生きてみたいと思う。
では、センスよく生きるとはどういうことなのだろうか?
とりあえず、自分がセンスが良いと思う人を真似するところから少しずつ自分の物になっていくのではないかと思っている。

ということで、がむしゃらに努力してもなかなか結果がでそうにないので、センスをよくすることという視点で努力してみたら良いかもしれない。

(知らんけど)