(自己啓発)現代麻雀、競技麻雀 → 現代人生、競技人生
麻雀を勉強していると「競技麻雀」と言った言葉や「現代麻雀」と言ったよな言葉と遭遇する。最初は「ふむ」という感じで読んでいた言葉だが、少し深い意味があるような感じがしてきた。そのあたりをまとめてみたい。
現代麻雀
現代麻雀ってなんだよ?
簡単にいうと理屈で戦うという麻雀。昔の麻雀はオカルトや流れや風を信じて打っていたらしい。どうやらネット麻雀が普及したり数学的に麻雀を扱うようになってから現代麻雀というものができてきたらしい。
競技麻雀
競技麻雀とは、ギャンブルではなく純粋なゲームとして遊ぶ麻雀である。
一昔前は賭け麻雀なんかが普通だったっぽい。まあ昔の麻雀マンガなんか読むとだいたいヤク◯みたいな怖い人が出てきて戦っている。
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つまり、ギャンブルはやめて、オカルトを信じることなく数学的に遊んでいるというのが現在だ。そうなってくるといよいよ麻雀AIが強くなってくるのも当然だ。麻雀AIは感情抜きに一番良い選択をし続ける。現代麻雀を学んでいる麻雀プレイヤーはAIを見本として勉強するためAIを先生とする。AIが最強の世界であり、AIには勝てないのだ。
それが良いか悪いかの話はしていない。とりあえず麻雀の世界で起こっていることである。
では、本題に入る。
*競技としての人生
いつからだろうか? 勝ち組、負け組という言葉が出てきている。人生に勝ち負けがあるというような話だ。まさに上で書いたような麻雀ではないか?
人生は競技であり勝ちと負けが存在する(?)
では、勝つためにはどうすればいいか? 麻雀と同じく期待値の高いことを毎日やり(選択)続ける必要がある。学校へ行き、卒業すれば真面目に働くのだ。良い人と結婚したり、良い仕事に就かなければだいたい負けになる。そういう価値観で生きて気持ちいい人もいるし「なんかちげーよな」と思ってニートになる人も出てくる。そして、人生は自由であり自己責任の世界である。そして、現在は個人主義の世界でもある。なかなか面白い。個人にとって何が「勝ち」なのかを定義しておかないと延々と死ぬまで振り回されることになるだろう。
また、競技として人生をやっている連中にとってニートは意味が分からないし、ニートにとって「働くことはそんなに偉いことか?」となってしまうのだ。
* 昭和人生 → 現代人生
現代人という言葉もあるが、現代はなにをしているのか?
やはり麻雀と同じく理屈である。タバコは体に悪いと聞けば吸わないし酒も飲まない。結婚をするにはリスクが高すぎると思えばしないし子供も作らない。
「老後に向けて投資をしなくちゃいけないよ」と政府がいうとNISA口座を作り出すのだ。全ては期待値である。
スマホがあれば時計は不要だし、ラジオも電話もいらない、パソコンすら不要な人も多い。そうなってくると物が減る。自宅の断捨離が進む。「物が少ない方が逆に豊かである」ということを真に受ける。
行動のすべてが論理的である。正しいことをとにかく好む。リスクのあることはしない。
それで幸せになれる人も大勢いるし私もその一人だ。しかし、親世代はどうだろう? 昭和の人生をまだ送っている。ITの普及によって世界がすべて変わってしまったのだが、まだITがないような世界観(価値観)だ。
だから親と子で戦うこともよくある。そりゃ同じ家に暮らしていて価値観が違うのだから血がつながっているとはいえ、争いになるに決まっている。
都会ほど現代人生になる
都会=現代であるから当たり前だ。一部の人たちは都会の生活にストレスを感じて田舎で農業がしたいとか言って田舎に引っ越す人もいるらしい。もちろんそれはそれでいい。自分で自分の幸せを決めないかぎり幸せは訪れない。
まとめ
いつものようにざっくり書いてきた。何が正しいかなんか知ったことではない。しかし、人生を競技と思っている人がいる一方で戦いではないと思っている。この人たちは共存できない。
競争しまくった結果お坊さんになった人もいる。(下記事)
何がどうなろうが結局最後全員死ぬことになる。毎日満足はできないにしろ、納得いく生活ができていないのであれば何かを変えるべきだ。