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サイドバックとユーティリティ


いわゆるポジショナルプレーとやらが世界的に普及する以前、或いは少年サッカーレベルの話でいうと、サイドバックは最も凡庸…というか地味…というか余り者がやるようなポジション…というような印象が持たれていた。言葉を選ばずに言うと、誰もやりたがらなかった。

ガキの頃を思い出してみよう。友達とサッカーやろうぜ〜となる。ここで自らサイドバックを志願する変態はなかなかお目にかかれないだろう。それなりに人数が揃わなければ、そもそもサイドバックというポジションすら省かれる。

というのも、ひと昔前のサイドバックといえば、ゴールに直結するようなプレーも少ない、ドリブルで魅せようにも自陣での危険なドリブルに監督やチームメイトの野次が飛んでくる、プレスの嵌め所に設定されやすい、そしてとにかく華が無い。あるのは屈強な相手ドリブラーへの対応と義務付けられたオーバーラップ&クロスをひたすら往復する地獄のシャトルラン。さながらブラック企業のような環境が人気になるはずもない。

加えて、何かに突出した能力を求められるポジションでもないため、他ポジションからのコンバートが非常に多い。特にレフティーは、左利きというだけでLBをやらされることが多いので堪ったものではない。結局のところサイドバックは、ブラック環境に耐えられるスタミナお化けか、ポジション争いの末弾き出された器用貧乏タイプが務めることが多かった。走れるヤツは使い勝手が良いので前者は良いとして、問題は後者だ。ボールの扱いには長けているが相手を抜き去るスピードやフィジカルに劣る、抜かれない守備技術はあるもののボールを奪い切る強さに欠ける、といったようなプレーヤーが務める、そういったプレーヤーに務まるこのポジションは本当に必要なのか…?

このような、サイドバックというポジションのある種の曖昧さが、来たるポジショナル時代の根幹となる可変による配置的優位性の創出を可能にした。

偽SBは偽ではない

現代のサイドバックには、UT(ユーティリティ)性(=複数ポジションでの有用性)が必要不可欠だ。理由は単純明快。ボール保持局面においてフォーメーションという枠組みの中でのサイドバックは必要とされなくなったからだ([3-2-5]亜種としての[1-4-5]ビルドを除く)。保持志向のチームが揃いも揃って[3-2-5]を採用する現代、サイドバック然とした選手の需要は減少し、他ポジション(=可変先)におけるプレーのクオリティが求められる。

これより、簡略化のため以下のポジション番号と、inv(インバート=転化する)という単語を用いる。

初期配置[4-3-3]
保持陣形[3-2-5]

さて、「偽SB」という言葉を耳にしたことがあるだろう。当時は[2-3-5]配置での運用だったので若干の違いはあるものの、この図における2-6invを意味する。いわばサイドバック救済の第一歩目だ。ペップ・バイエルンでラームやアラバが体現したサイドバック像を源流とし、シティでカンセロが大成させた偽SBは、今や多くのクラブが実践する戦術となった。現在の最高峰は、アーセナルのジンチェンコ、リバプールのアーノルドといったところか。中盤からサイドバックへコンバートされた選手が、可変によって逆戻りする形で輝きを取り戻すことが多い。

CB化する2-3invは、主に攻撃的な可変をするサイドと逆のサイドバックが最終ラインの3バックを形成する際に発生する。シティのアケ、アーセナルのホワイト、バルサのクンデというように、元々センターバックだった選手が可変前提でサイドに置かれることが多い。

元々攻撃参加を強みとしていたサイドバックは2-7invでWG役をこなすことが多い。ただしオーバーラップとは異なり、最初からセットされたブロックを相手にするわけなので、ある程度の技術レベル・判断力が求められる。バルサのカンセロ、シティのウォーカー、マドリーのカルバハルなどが該当。

そして2-8inv。列・レーンを共に越境するコストの重い可変だが、ハーフスペースを攻略するのに非常に効果的。WGを大外に据えながら加勢ができる。パリのハキミ、ジローナのミゲル、シティのリコ・ルイスらがこれに当たる。ブロックの内部に侵入する役割なので、高度な技術レベル・判断力を要する。

このように、様々な可変先とそのタスクを有するサイドバックというポジションは、もはや最低限のUT性を内包しているといえるのではないだろうか。つまり、サイドバックのマルチタスクが一般化した現代フットボールにおいて、偽SBはもう偽ではないのだ。

時代はリレーショナルプレーへ

今季強く感じることが、ポジショナル時代の終焉である。終焉は言いすぎたかも。正確には、ポジショナルを含んだリレーショナルというべきか。時代は配置的優位から関係性優位へと傾いている。昨季のマドリーが"空白のレーン"を作り出したあたりから怪しいとは思っていたが、今季のレヴァークーゼンで現実味を帯び、ジローナにトドメを刺された気分。

具体的にどんなことが変わっているか。可変がもう一段階加わったと思っていいだろう。初期配置から保持陣形に可変した上で、変化する盤面に応じてリアルタイムでさらに立ち位置を変えていく。そこに配置的規則性は存在せず、ボールホルダーの身体の向き、マークの視野、スペース分布などからサポート位置が決まる。

このリレーショニズムが導入されることで、UT性と即時(=リアルタイム)可変の重要度が高まった。究極、いつでも誰でもどこでもサポートに入れるからだ。サイドバックに限った話ではないが、やはり可変の肝となる同ポジションには避けて通れないトピックだろう。

バックスのユーティリティ性でいうと、やはりシティの面々が思い浮かぶ。特にカイル・ウォーカーは2-3-7をカバーするUTプレイヤーだ。ただし、これは個人的な解釈だが彼の場合、局面ごとにタスクを使い分けられても、盤面に応じてリアルタイムでタスクを変え続ける器用さは持ち合わせていないように思う。それができればいつかの2-6inv実験に成功していたわけで。その点、即時可変を得意としながら2-6-8をカバーするリコ・ルイスには今後を担うUTプレイヤーとして期待できそうだ。

即時可変でいうと、他にも何人か達人を知っている。ナポリの両SBコンビ、ディ・ロレンツォとオリベラだ。基本的に双方2-8invで配置的規則性が存在するものの、「同サイドのWGにボールが展開される時」「相手プレスの目線が中央に集まった時」といったようなある決まった盤面になると可変が実行される。前者はチャンネルラン、後者はビルドアップの出口&WGコース開通という目的がそれぞれ設定されている。

そして、即時可変の配置的規則性から脱却するためには、あらゆるポジションでのプレーに対応出来るUT性と、それを許容できるチームとしてのバランス感覚が必要不可欠となる。それらを兼ね備えたサイドバックとして名を揚げたのがグリマルドであり、レヴァークーゼンの異常なバランス感覚がポジションレスなフットボールを可能にしているのではないだろうか。ヴィルツやボニフェイスの台頭も当然だが、今季のレヴァークーゼン大躍進の鍵はこういった点にあると見ている。

リレーショナルの強さは、そのバグの多さにある。[3-2-5]は列調整を取り入れ各列で数的・位置的優位を作り出すことでベーシックな[4-4-2]に対して猛威を振るった。最近は対応策として配置を完全に噛み合わせたり、プレスラインを下げることでそれなりにポジショナル封じが様になってきた。そこで噛み合わされた配置を崩すため、即興的なポジションタスクからの解放、つまり即時可変が流行した。ここで重要なのはプレースピードを上げすぎないこと。配置が崩れた状態でトランジションを引き起こす羽目になるからだ。

ポジショナルでは局面(保持・非保持)に応じたUT性が重宝されたが、リレーショナルではさらにもう一段階深いUT性が求められる。それは、自分たちが押し付ける設定されたアクションではなく、リアルタイムで起こるプレーに呼応するアクションである。可変の行先とタイミングに縛られないように、前述した2つの要素の重要性が高まったのだ。現在欧州サッカーを席巻し始めているリレーショナルプレーは、ジェイミー・ハミルトンが提唱するようなポジショナルに対するアンチテーゼではなく、むしろその延長線上に存在するものなのではないだろうか。


UTとは実に便利な性能であるが、GKやCFのような専門的なポジションの選手がその性能を発揮しようとすると、かえって仇になることがある。冒頭で述べたような戦術的余白を含むサイドバックこそが、UTという能力をフルに活用出来るポジションであり、サイドバックのUTがあって初めて他ポジションのそれが輝くといってもいい。ポジショナルプレーが理論体系化され、世界的に普及したことでサイドバックというポジションが日の目を見るようになった近年。かつてのブラック環境を抜け出し、他ポジションへの転職・出張を経て、チームの重要なピースとして働ける環境を手に入れたサイドバックが人気職になることを願っている。

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