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「誤用」という誤った価値観について──読んで良かった(2022年2月7日版)

最近読んで良かったものを徒然なるままに挙げてみます。どれも大変面白かったです。著作に関わられた皆さん、そして、これらの存在に気づかせてくれた皆さん、ありがとうございます!

■ tech

◎ 【石狩データセンター10周年-挑戦の軌跡-】データセンター見学会がもたらす価値とは

さくらインターネットの石狩データセンターが開所10周年を迎えたということで、

初めての自社データセンターの運用で苦労したことや、さくらインターネットのサービスの進化を支え、構築・運用におけるDXの礎となったチャレンジ、未曾有の災害を一致団結し乗り越えた経験など、石狩データセンターの建設が決定してから今日までを振り返ります。

(記事より)

という連載が行われています。今回読んだのは、その第6回目。

データセンターとは簡単に入ることのできない秘密の場所…という概念をくつがえし、必要な約束はしっかり守っていただきながら、できるだけオープンに、いろいろな人に見ていただこうというのがさくらインターネットの見学会スタイルとして定着しました。

(記事より)

データセンター見学会が、これだけオープンに、カジュアルに行われてるのは、他には例がないのではないでしょうか。だからこその苦労がたくさんあったようで、それを乗り越えて実現されたことは本当にすごいと思います。素晴らしい。

記事も読み応えがあって面白かったです。連載の続きも楽しみです。

■ Others

◎ 「恣意的」誤用扱いに国語辞典編さん者が反論 「俗説でことばが殺されないよう、どうか守って」

「恣意的」という言葉について、インターネット上で「誤用だ」とする俗説が広まってるそうで、それに対して、三省堂国語辞典の編纂者である飯間浩明さんが警鐘を鳴らしたことを伝える記事。「恣意的」という言葉について、そんなことになっていたとは知りませんでした。

この記事でも紹介されている、飯間さんのツイートは本当に切実だと思います。

これで思い出すのは、数年前に盛り上がった「献本の誤用」です。一般にはあまり使われないことから、あの誤用説を信じてしまった人も多く、以来、(誤用と指摘する人が、適切な表現として推奨した)「恵贈」という表現をよく見かけるようになりました。

献本という言葉は、出版業界では古くから使われていて(私が出版社に入った1990年にはすでに普通に使われていました)、「誤用」という指摘はまったく当たりません。「献本」というのは「新刊を、関係者に見本として贈呈すること、または、そうして贈られた書籍」という意味で使われています。これを「恵贈」と言ってしまうと、「新刊を、関係者に見本として」というニュアンスがごっそり抜け落ちてしまいます。恵贈という語は、「読者プレゼントで当選したことでもらった」や「たまたま親切な人から買ってもらった」場合にも使える汎用的な意味なので。これをひと言で言い表せる「献本」という言葉は、出版関係者にとっては他に代えがたい、非常に便利な表現なのです。

◆ ◆ ◆

そもそも、言葉には「正解」はないので、「誤用」という言い方は慎重になるべきでしょう。辞書の説明は「世の中で広く使われている用例を観察すると、こういう意味で使われている」という観察結果が記されているのであって、言葉の意味を正解として定義しているわけではありません。

「正解」はないとはいえ、共通理解がないと言葉によるコミュニケーションは難しくなるので、伝えたいことがあるときは、誤解が生じないような表現をすることは大事です。そうした共通理解のための拠り所として、国語辞典は大変役に立ちます。

もし「誤用」という指摘を見かけたら、そのような意味で他で使われている例がないかどうか探してみましょう。他にも(その意味での)利用例があれば、特定のドメインでは使われている意味があるのかもしれません。

「他で使われている例」を探す手段として、国語辞典を利用できます。ただし、普通の国語辞典では、最近(=その辞典が編纂された時期)の意味しか掲載してない場合があるので注意が必要です。「日本国語大辞典」のような国語辞典では、過去に使われていた意味が、古い順に用例とともに掲載されているので、このようなことを調べるときに重宝します。

また、そもそも国語辞典に掲載されていないことも普通にあります。国語辞典は、限られた紙数の中で取捨選択している関係から、特定のドメインでしか使われてない言葉や意味については割愛されてしまいます。国語辞典に掲載されていないからといって、「そういう意味はない」「そういう使い方はない」と言い切ることは難しい、ということは頭に入れておく必要があります。

◆ ◆ ◆

編集という仕事は、基本的に、他人が書いた文章を読んで、それが書き手本来の意図通りに伝わるかどうか神経を研ぎ澄ませる作業です。そのとき、見慣れない表現に出会ったとしても、「誤用」と決めつけて安易に直すのではなく、こういう言葉を選び、こういう表現をしたのはどういう意図なんだろうか、ということを考えます。そして、著者の意図を確認し、誤解の可能性があるなら、少しでも誤解されないような表現を提案し、一緒に検討します。その繰り返し。

編集作業というと、著者の原稿を「正しい文章」「洗練された文章」に「直す」ことだと誤解している人がいますが、そうではありません。著者にしか表現できないものが、できるだけ著者の意図通りに伝わるようお手伝いするのが編集者の役割です。

そういう編集者としては、「誤用」という決めつけがはびこるのは、本当に残念でなりません。「誤用」と決めつけるのではなく、「その人が、そういう表現を使って表したかったことは何だろう?」と考えてみる、そんな優しい世の中になってほしいと思います。「誤用」という正義を振り回すことは、コミュニケーションを殺してしまうことになりかねないので。


《Postscript》
コンテンツの黄金サイクル」が広がるといいな、の小さなステップとしてアウトプットを続けています。

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