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インスタントな時代を生きる

AIにより人々の仕事は転換期を迎えつつある。AIは単純労働や繰り返し作業を効率的に処理してくれる。

工場や倉庫での組み立て作業、梱包作業、品質検査などは、AIとロボット技術によって自動化が進んでいる。

ホワイトカラーの仕事に目をやってもAIによる効率化が進んでいる。会計ソフトやデータ分析ツールにより、複雑な計算やデータ整理が手作業を挟まず、自動で迅速に行われるようになりつつある。

カスタマーサービスもまた、AIの進出が顕著な分野だ。チャットボットや音声認識システムにより、基本的な顧客対応はAIが行い、複雑な問い合わせだけを人間が処理するハイブリッドシステムが一般的になりつつある。

医療分野においてもAIは活用され、診断や画像解析、予防医学などで医師をサポートしている。

運輸や物流の分野でも自動運転技術の発展による変化が予想され、今後トラックドライバーやタクシードライバーの仕事が影響を受ける可能性がある。

そして、創造的な産業でもAIは影響を与えている。文章生成、音楽作曲、デザインなどの分野でAIが自動生成するコンテンツが増え、人間のクリエイターの仕事を補完または代替する例が見られる。

このようなAIによる仕事の変化は、多くの人々が抱く懸念にもなっており、私たちの未来に関する重要な議論の一部となっている。


AIによって仕事を奪われるということの意味を生成AIに聞いてみると、そんな感じの答えが返ってきた。

これだけの例を自分で挙げていこうと思うと中々に時間がかかりそうなものだが、サクッと返答を返してくれるあたり、さすが人々に「仕事を奪われる」と思わせるだけのポテンシャルの持ち主という感じだ。

ということで、生成AIを筆頭としたAIたちのお力により、私たちの生計を立てるための術というのは大きく変化していくことになりそうだ。単純労働や繰り返し作業が価値を持つ時代は、本当に終焉を迎えつつあるのかもしれない。


なんてことは言いつつも、心のどこかでは本当にそうなのだろうかと、ひねくれものな自分なんかは思ってしまう。

そう、便利なインスタント食品が出来たからといって料理人という職業が無くなっていないように、AIがあったところで、意外と求められる仕事なんてものは変わらないんじゃないだろうか。


インスタント食品は手軽で便利だ。安価に短時間で、おいしい食事と十分な栄養を供給してくれる忙しい現代人にとっての生活の必須アイテムとなっている。

自分も週の半分くらいは、昼食がカップ麺の人間だ。300円もしないお値段で、お湯をいれて5分もまたずにおいしい麺類が食べられる。

この時代に生まれて良かったと思う瞬間である。

が、「週の半分くらいは、昼食が」と書いた通り、毎日毎食インスタント食品を食べているわけではない。安価に短時間で、おいしい食事と十分な栄養を供給してくれるインスタント食品といえど、毎日毎食それで良いかというとそんなことはない。

夕食には家で手料理を食べたいし、残り週の半分くらいの昼食には外食だったり弁当の類だったりも食べたくなる。

いくら効率的で破壊的なイノベーションが生まれようとも、非効率さの中に付加価値を感じてしまうのが人間なのだという話なのかもしれない。インスタント食品だけを食べ続けることで食への欲求を満たせる人間は、おそらくいないのではないだろうか。

インスタント食品がいくら手軽で美味しいくなろうとも、時間と労力がつぎ込まれた手の込んだ手料理なんてものも食べたいし、日々の研究と長年磨いた腕に裏打ちされた料理人仕込みの料理なんてものも味わってみたくなる、それが人間なのだ。

そう、人間とは多分わがままなのである。効率化の先にある単一化は種の滅亡に繋がる、なんて人間の本能が、もしかすると、そうさせているのかもしれない。

進化し過ぎたAIが人間の手に負えなくなり人類に滅亡の危機が訪れるなんて話はSFでよくある話だけれど、その危険を回避するための機能が人間の本能には備わっているということだ。

火なんてコンロのつまみをひねれば使える時代に、わざわざ野山に繰り出して、自分で火起こしからして料理を作るなんて行動がブームになったりするのも好例だろう。どれだけ、技術の進歩によって便利な手段を得ようとも、どこかで昔ながらの不便でアナログな手段を求めてしまうのが人間なのだ。

ということで、いくらAIが進化しようとも、単純労働や繰り返し作業なんてものを人が行う価値というものは意外と失われないのではないか、なんてことを思ってしまう。

どれだけ効率化が叫ばれる自由経済の競争社会になろうとも、アナログチックな行動から生じる、温もりやホスピタリティなんてものを人間は本能的に強く求めてしまうのだから。


では、AIの進歩による仕事の変化をどのように捉えるべきだろうか。

AI活用が進む時代、大事になってくるのは先に書いたような、温もりやホスピタリティといった効率化とは無縁の部分になってくるのではないかと考える。

AI時代にAIを使いこなそう、なんてことで無理に技術を取得するようなことは考えなくて良いと自分は思っている。自分にはインスタント食品を使いこなすために、わざわざ無理にインスタント食品についての知識を身に着けようとした記憶が無いからだ。

便利なものは企業間のパイの奪い合いという競争により、より安価で便利に発展していく。それが自由経済の良いところだ。AIはインスタント食品と同じように、どんどん安価で簡単に大きなリターンを得られる方向に進んでいくに違いない。

そんな日進月歩で便利になっていく時代に、AIの技術取得なんてものは、それを好きな人が今後の技術発展のために打ち込んでいけば十分な話ではないだろうか。

もちろん一般教養として個人が身に着けておくべきことも多分にはあるだろう。しかし、そこは読み書きそろばんなんてものと同じレベルの話で、成熟した今の日本社会で真面目に過ごしていれば勝手に身についてくるようなレベルで十分な話だと考える。

AIの力であらゆる物が安価で簡単になろうとしている時代において大事なことは、そんな付け焼刃な技術取得なんてものではなく、自分が熱量を持って打ち込める「何か」に注ぐ時間にこそあると考える。

自分が熱量を持って打ち込める好きな「何か」に対して、コスパやタイパなんて効率を最優先に考える人間はそうはいないだろう。だからこそ、そこには効率とは無縁のホスピタリティや温もりといったものが生まれてくるはずだ。

コスパやタイパなんてものは、進化するAIが良い感じ向上させてくれるに違いない、これからの時代。個々の人々が効率なんてものを度返しにして熱量を注げる「何か」に打ち込むことこそが、真の価値を発揮するようになるのではないだろうか。

コスパやタイパなんてものを追い求め、日々入る様々な情報に振り回されて疲弊するインスタントなこの時代から、効率化の申し子たるAIが、すべてを奪い去り、解き放ってくれることに期待したい。

そして、自由に自分の打ち込みたい「何か」に対して純粋に熱量を注げる、そんな時代がやって来ると自分は願いたいのです。


ということで、AIがこの殺伐とした自由経済の時代を個々が輝く優しい時代に作り替えてくれないかな、なんていうSFチックな妄想をしながら、結局、冒頭部分くらいしかAIを活用出来なかったこの文章は終わるのでした。

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