「価値観の違い」を無理に合わせる愚
今のところ、モノが少ない生活をやっています。わたしとしてはこれで十分、満足のいく生活ができているので、あまりモノを増やそうとは思いません。ただ、周りから見ると、「こんなんで生活できるの?」とか「(頭)大丈夫?」とか「お前は非常識だ!」とか色々なご意見をいただきます。
まぁ、最初は色々悲しい思いもしました。けど今はもう気にしてません。
おひとりさま、誰に気兼ねすることなく、悠々自適な生活が実践できていれば、外野から何を言われようと、気になりません。というか、気にならなくなりました。
何かをとやかく言ってくる人から物理的に離れてみることは、一番効果があります。離れて暮らすのが一番ベスト👍
まぁ、わたしの場合は、約9000kmという途方もない遠いところに、自ら離れていったということもあるわけですが。
ちょっと横道にそれました。
まだモノをたくさん持っていた頃は、とにかく「相手の価値観に合わせることが、何よりも重要である」というスタンスで生きていました。まぁ、恋愛につながっていく話になるのですが。
相手の言うがままに、欲しいがままに、わがままに。それに合わせることが、相手にとっての至上の喜び。それを叶えるのが使命だ!くらいなもんです。えぇ、バカ真面目だったんですよ(どちらかと言うとバカですよねw)。
でもですね。
そんな生活を続けていたら、やっぱりうまくいかないこともあるし、叶えられないこともある。気がついたときには「あんたなんか、口ほどにもないわ」って感じで、相手は離れていきました。
苦い思い出ではあるけれど、でもそれも自分の当時の実力。
あと自分の実力もよくわかっていなかった、と言うのもあります。背伸びをすることもときには必要だと思うし、否定はしません。若いときなら、多少、背伸びした方が伸びシロがあるんだから、チャレンジしてもいい。
そうやって価値観を合わせる、自分の中の価値観を育てていくのにはいいチャンスだと思います。だけど「無条件に、無限に価値観を合わせていく」のは無理があるし、限界がある。
それに気づけなかったのが敗因です。
齢40を超えて、もうそう言うのはやめようと思います。価値観というのは所詮、合わせることはできない。それだったら、出来るだけ似たような価値観を持った人を見つける努力をした方が、有意義です。
そう思って、価値観を磨いていますけど、現実は厳しいということです。まぁ、一生をかけて、自分の価値観を磨いていくしかないんですけどね。どなたかのお眼鏡にかなう価値観があれば、合うかもしれませんけど。
その時は、そのとき。
それでは、また。
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