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来拒去追〜だけど寂しい

スタンスとしては「来るもの拒まず、去るもの追わず」なんです。交流をしてくれる方がいらっしゃったら、「いらっしゃい」。離れていく人がいたら「あっそう。それでは。」って感じです。


近づいてくる人は、わたしに対して「何か」を感じて、近づこうと思って来てくれていると感じたら、「これは生半可な対応をしちゃダメだな」と意気に感じて、対応をします。


もちろんこちらが近づいて行こうとする時だって、相手に「何か」を感じて、お近づきになろう、そういう思いはどこかにあるはず。


綺麗事だけでは済みませんからね。打算もあるし、欲もあるでしょう。私心が全くない人っているでしょうか。いたらすごいなぁって思いますけど。


そう考えると、持ちつ持たれつお互い様なはずなんですよね。だから頼ってこられたら、なんとかしたい、力になりたいと思うのは、必然ですよね。


聖人君子ではないので、時と場合によっては「嫌だな」と思うこともありますけど、それって、わたしの中では「普通」です。


去るもの追わず」というのもまた然り。


わざわざ、わたしの元から「去ろう」としている人に対して「なんでだよ!」「去るなよ」なんていう言葉を相手にかけるのはいかがなものかと。


振り向いて、「そんな決定権がお前にあるのか!」


そう言われても仕方ないですよね。それはそれで悲しいけど。


決定権はわたしにあるんじゃなくて、もちろん相手にあるわけで。わたしがいくら「行かないで!」と泣き叫んで引き留めたって、相手の中にはもう「わたし」という存在はいない。


それをいつまでもウジウジ、引き留めようとしても、無駄です。


相手が振り向いてくれるとはとても思えない。覆水盆に返らずとはこのことです。だから、引き留めることはしない。


ここまで「来るもの拒まず、去る者追わず」のスタンスに立っていると書いてきましたが、タイトルにもあるように「なんだか寂しいな」と思った人は正解です。


なんか、人間味がないですよね。


もっとこう、情熱的に「嫌な奴は接近してきたら蹴飛ばす、自分の元から去ろうとする奴は、嫌がられてでも追って追って押し倒す」くらいの方が、客観的に見ると好かれるのかもしれないです。


恋をしているときは、そっちの方がいいのかもしれませんけどねw

「あいつはウザい、だけどほっとけないよね」と思われるような存在。そういうのは、こっちの方がいいのかもしれません。


そういう風な存在になれない自分にも寂しさを感じたり、感じなかったり。


まぁ、でも人それぞれ、十人十色。


そういう人がいい場合もあれば、そういう人が苦手ということもある。まぁ、あまり深く考えすぎず、結局は「自分のやりたいようにやればいい」というのが、結論になってしまいますけど、それでいいですよね。


それでは、また。


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