家に何も無くなった日
引っ越しをさっさと済ませて、寝袋生活。
あるのは、
着替え
歯ブラシ
水筒
筆記用具
本
ぐらいだ。
照明もないから、暗くなったら自動的に活動範囲が狭くなる。
この生活感がない状態が新鮮で、
最初は興味深々だったし、楽しく思えていた。
気がついたといえば、
カーテンがなくても、苦じゃないこと。
ガス電気水道さえ有れば申し分ない。
でもあったかいもの飲みたいよ。
ポットがないぜ。。苦笑
しかし寝袋には苦戦した。
睡眠の大事さを思い知らされる。
一日目、敷物が薄すぎて体冷やす。てか硬い。
二日目、敷物がの下に洋服でかさまし。反り腰になる。
三日目、タオルでさらにかさまし。
3日目でようやく良い睡眠状態まで、持って行けた。
さすが人間、適応能力高し。
きっとこうやって人間は成長してきたのだろう。
最初から良い状態を与えると、頭も体も使わない。
少し不便な方が人間成長する。
起きても寝ても一人というのは、かなり贅沢な時間であった。
時間がたくさんあると人間何していいか分からなくなる。
東京も遠い存在になるからと、東京追憶の旅に出かけたり、お世話になった人達に会う以外は基本何も無い。
そうすると、忙しさにかまけて、忘れていた虚無感が顔を出してくる。
「やあ、君って何で生きてるの?」
ああ、また来た。
みぞおちの吐き気がますから、消えてくれ。
そうして、毎日。
朝起きた時、死にたくなる。
映画や本や用事で外界の刺激を求めても、
何もしないと言う時間が来れば、奴は、顕在化する。
それにお金だけが飛んでいく。
これが競争社会、物質主義社会の奴隷化した人間だと思った。
外に求めないと自分がわからなくなる。
自分の軸を持て。とかかっこよく世間は言うけど。
本当の軸を探したこともないくせに、適当な外界の価値観を自分の軸にして生きてることが露呈する。
ありのままの自分を受け入れることもできず。
周りと比較して敗北感に苛まれる。
誰とも繋がっていない感覚はかなり危険だ。
猿ってものもの社会動物だから、それは遺伝子的に違和感を感じてしまうのだろう。
現代社会では尚更危険だ。
自然と離れている分、大地とに繋がりが皆無。
草木のにおいも、なびく音も。
動物たちの鳴き声も。
自然からくる刺激はほぼない。
家がただの箱化した時。
ここは精神病棟と変わらないと気がつく。
生きる術を知らない現代人は、お金がないと生きていけない。
だから逼迫していけば、精神的に不安定になる。
そして誰にも頼れなく、底尽きた時、人は簡単にも飛んでしまうのだ。
私たちが、生き物としてなくしてはいけないこと。
自分たちで食べものを自分の手で作ること。
日々大地に触れ、今と繋がること。
自分の五感を使い生きる。
そうすれば、生きる意味を探さなくたって。
生きるために、心も体も使っているから満たされるのでは?
自分は何かを何し遂げるために生まれてきたとか洗脳されていないで。
人間以外の生きとし生けるものと同じく。
この世に生み落とされ、ただ命を全うする。
理想ばっかり追いかけて落ち込んでる時は、幸せなんて見つからない。
幸せは見つけるもんじゃないし、今生きてる中で、感じるもの。
そして無理のない範囲で自分がやれる事で、みんなに貢献していく。
それが身の丈にあった生き方なのではと思った。
しかし一人時間贅沢だ。
今の自分を内観して、
今に満たされることを、感じられたら、
「幸せを探す」なんて言葉は消えるのだろう。
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