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#15 自分のHISTORY~2007年音楽と美容について

皆さん、こんにちは。
ビューティークリエイティブエバンジェリスト(美容家)、美容師、ヘアメイクアップアーティスト、の柳 延人(やなぎ のぶと)です。
今回は、#14に続き、ハリウッド美容専門学校で講師活動を続けてましたが、ある時、現在、学院長を務めるBLEA学園から、初めて講師の誘いがあった2007年の音楽と美容について書きました。

1.HISTORY

その後、ハリウッド美容専門学校にて、高度専門科という、美容師免許を取得して、高度専門士という資格を取得するための学生を対象に授業を行っていた。
美容を創作視点から見た授業は、学生からとても評判が良かった。

僕の授業の特徴として、創作した作品を必ず撮影し、自分たちのブックを作らせていた。
就活やプレゼンに役に立つ武器になることも伝えていたが、それよりも学生たちは、ただひたすら創作することに夢中で、僕自身授業を行いながら、学生たちの自由な感性から生まれてくる作品を見ることが、実はとても楽しみだった。

仕事で創作を行うことの大半は、ある意味自分のためではなく、誰かのために作ることが多く、満足度が得られないケースが多い。
自分自身、今も定期的に作品創作を行なっているが、自己表現を誰に理解してもらうかは二の次で、基本は自己満足のために行なっている。

当時の美容学生は、国家試験という乗り越えなければいけない大きな壁があり、この壁を乗り越えると、すぐに社会生活となるのが通常だったのだが、ハリウッド美容専門学校は、高度専門科という、社会に出るための準備期間でもありながら、社会に出たら体験できないカリキュラムで、学生の創作力を伸ばすという、未踏未知な教育方針で、僕はとても共感できた。

そして気がつけば、講師活動も7年目、ベテランではないものの、教育のノウハウなど、自分式なカリキュラムが出来上がってきた頃、ある日、PIERROTでスタイリストをしていたMさんから連絡をもらった。

僕がビジュアル系ヘアメイクとして活動している傍ら、美容学校で講師をしていることは、噂で聞いていたとのことで、是非とも講師として相談に乗ってもらいたいとのことだった。

彼女は、スタイリストとして活動している傍ら、ファッションに纏わる講師として、とある学校で活動しているとのことを聞き、ここにも教育的な活動をしているクリエイターがいたことが、僕にはとても嬉しかった。

そして、彼女が講師で活動している、とある学校とは

BLEA

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だった。

BLEAは、ギャルの聖地と言われていた渋谷にある学校で、学生はほぼ全員ギャル、少数だったが、ギャル男やギャルサーも通学するという、かなり個性的でぶっ飛んだ学校なのであった(現在は女子校です)。

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僕も名前くらいは聞いたことがあったが、正直、あまり興味もなく、全く無縁だと思っていたので、今まで特に関わりを持つことはなかった。

Mさんからの相談内容とは、BLEAでヘアメイクの講師をしてくれないかということだった。今までは、ギャル系にはあまり興味もなく、正直言ってあまり乗り気ではなかったのだが、Mさんの話を聞いているうちに、気付くと、とても興味津々となっていた。
渋谷系ファッション業界は、ヤングカルチャーの発信地である東京の渋谷を中心として、女子中高生~20代前半の女性の間で流行していたファッションジャンルの一つであり、。渋谷駅ハチ公口から見えるSHIBUYA109がシンボルタワーとなっていた。
SHIBUYA109は、1995年に女子中高生~20代前半の女性をターゲットとしたファッションビルに方向転換をし、そこから13期連続の増収増益で躍進、最高益を記録した2008年には、月坪当たり売上高が125万円/月坪を記録、一般のファッションビルの売上高が40万円/月坪程度なので、いかにこの業界の人気がすごかったかがわかる。
このSHIBUYA109から始まった渋谷系ファッションは「カリスマ店員」という爆発的な人気のショップ店員を生み出し、『ファッション販売員』という職業を女子高生の憧れの職業に押し上げた。
BLEAは、この渋谷系ファッション業界と深く共存していて、卒業生には、ファッションブランドプロデューサー、メイクアップアーティスト、ファッション雑誌専属モデルなど、数多くのオピニオンリーダーが存在していた。ビジュアル系色が強かった僕にとって、渋谷ファッションカルチャーに触れることは、新たな分野開拓となるチャンスであり、仕事幅も広がると考え、受諾することにした。

ほぼ初めてのギャルたちとの遭遇、一抹の不安もあったが、まあなんとかなるだろうと思いながら、BLEAでの初授業を迎えるが、それはそれは、カルチャーショックを受けることに。。。#16へ続く

2.MUSIC JAM

ここでは、僕の記事の内容の年代に流行っていた洋楽の中から、柳レコメンド曲を僕なりのライナーノーツとしてご紹介していきたいと思います。

運命のBLEAと出会った2007年、この年の僕のレコメンド曲は、『 ビヨンセ』の『インプレイスブル/Irreplaceable』です。

https://spur.hpplus.jp/beauty/biyouban/201605/19/IiEXdnE/amp/

極上のバラードです。
ビルボードでも年間ランキング1位ですが、BLEAのギャル達のレコメンド曲として、教室で良くかかっていました。
ソロデビューからアルバム連続6作品すべて初登場1位を獲得した史上初の女性アーティストになったビヨンセですが、これまでのCDトータルセールスは全世界で1億枚以上、原点である、「デスティニーズ・チャイルド」時代の売上枚数3,000万枚を含めると、全世界で1億3,000万枚を超えます。

Irreplaceable / Beyoncé


また、日本の2007年年間ランキングでは、ロック・ポップスによるミリオンヒットは生まれず、ミリオンセラーがこの年に発売した曲ではない、『秋川雅史』氏の『千の風になって』というクラシック楽曲のみという、史上初の現象が起こりました。

千の風になって / 秋川雅史

そして、今回はもう1曲。


テレビ東京『ハマラジャ』のドキュメンタリー企画「ロードオブメジャー」にてヘッドハンティングされ結成した『ロードオブメジャー』、「友情」をテーマにしたキャッチーなメロディで、多くの若者を魅了しましたが、2007年に解散。
最大のヒット作となる作品『大切なもの』は、累計90万枚の売り上げを記録し、インディーズとして、歴代1位の記録を樹立しました。

大切なもの / ロードオブメジャー

3.BEAUTY

ここでは、僕の記事の内容の年代に流行っていたビューティーに纏わる内容をご紹介していきたいと思います。

任天堂がWiiを発表、ビリーズブートキャンプがブーム、iPod touchがブレイク、そして東京ミッドタウンがオープンした2007年、美容界では、酸性染毛剤であるヘアカラーに泡状で染める、業界初の『泡カラー』が登場しました。

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https://www.kao.co.jp/liesecolor/lineup/awa/

2007年は、地毛よりも少し明るいくらいの髪色が流行り、リタッチがしやすくきれいに保ちやすいことから、単色でムラのない髪色が好まれる状態が続きました。

そして、泡カラーヘアカラーによって、より簡単に染められるという理由から、家庭用ホームカラーが注目されました。
ちなみに、おしゃれ染め『リーゼ プリティア』、白髪染め『ブローネ』、いずれも花王の開発商品で、メガヒット商品となりました。

が、同時に、美容室でのヘアカラー需要が減った年とも言われています。

今も需要が増え続ける泡カラー、美容師の監修により、よりクォリティーの高い仕上がりを家庭で味わえる、自宅美容室スタイルがブームになる日も近いのではないでしょうか。



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