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#06 自分のHISTORY~1991年音楽と美容について

皆さん、こんにちは。
ビューティークリエイティブエバンジェリスト(美容家)、美容師、ヘアメイクアップアーティスト、の柳 延人(やなぎ のぶと)です。
今回は、#05に続き、自分の会社に初めて悲劇が起きた1991年の音楽と美容について書きました。

1.HISTORY

法人を設立して社長になったわけだが、フリーの時と同じように、ヘアメイク現場の日々が続いていた。
もう仕事が趣味のようになっていて、呑みに行くのも殆どが仕事関係、おまけに経理的な時間も有するので、プライベートはほぼ無し。

でも、仕事人間でいられるで、余計な事を考えずに日々を過ごせて充実し、これが幸せだと実感していた。毎日があっという間に過ぎ、もっと時間が欲しいと切に願っていた(これは今も)。

法人を持っている事で、クライアントへの信頼も少しずつ増え、予算の大きな仕事も任されるようになっていた。
舞台のヘアメイクプラン、ウィッグ製作や小道具製作、衣装製作などが主だったが、グラフィックデザイナーと組み、印刷物やノベルティー製作も行う。
またこの頃から、音楽系の仕事も少しずつ増えていた。
アーティストのヘアメイク、スタイリスト、
ジャケット撮影やMV撮影のコーディネイト、合わせて、レコード会社のノベルティーの製作、コンサートグッズなどのマーチャンダイザーとして、、
気がつけば、何屋かよくわからなくなっていた(これは今も)。

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『初年度から売り上げ順調ですねー』
銀行の融資担当には、事業計画を練って追加融資を勧められる。
アメリカにいた時に日本に送った特殊メイク用品を、さらに輸入して販売する事を企画した。
また、ウィッグを製作するにあたり、予算を抑えるために、当時、中国にあったアデランス社のウィッグ工場の下請けを調べ、取引を直接交渉したりした。
とにかく、考えつく事を全て事業計画書にまとめて銀行に提出、企画は荒削りだったものの、法人立ち上げからの快進撃のような売り上げが評価され、2000万の融資実行がきまった。

事業計画書だけで融資が下りる、これに味をしめた僕は、さらなる事業計画書(企画書)の作成の仕方を学ぼうと、麻雀仲間だった広告代理店のディレクターに、企画書の作り方を教わった。
自社だけでなく、他社の事業計画を作り、製作を任されてコミッションをもらう。
麻雀や呑みでできた人脈をフルに使い、お節介にプレゼンしまくる。

ほぼ、企画通りに事が運んでいった。勢いもあったが、時代も良かったのだと思う。

小劇場での舞台公演や、ライブハウスでのコンサートなどの興行企画、それらに付随する製作全般の仕切り、また、マーチャンダイザーとして、グッズ関係の仕切りも行った。
いわゆるプロデューサーとなったのだった。

また、特殊メイク化粧品を輸入し、日本未発売コスメとして販売した。中国のウィッグ製作工場と取引も順調で、そこそこの質の良いウィッグを輸入し、ヘアメイクデザイン料を乗せて販売し、これも大成功。

もちろん、いろいろなトラブルにも見舞われたのだが、ノッてる時の勢いも手伝ってが、幸いにして、自分自身が被害を受ける事は少なかったのだった。

しかし、いわゆるこういう調子にノッている時ほど、足元すくわれやすいという事を、この時に知ることになる。

アメリカにオーダーしていた化粧品が、手違いで届かない事があった。
結構な量の輸入取引だったが、卸先からはすでに入金してもらっていたので(当時、前金でないと海外取引ができなかったため、全て前金処理で販売を行なっていた)、しばらく待ってもらうか、返金すれば良いくらいに軽く考えていた。
ところが化粧品達は、税関で止まっている事が発覚した。インボイスの提出を求められたが、特に注文書のような書類はなく、電話での口約束のような契約だったので、そのことに対して厳重な注意を受け、結果、荷物を受け取る事ができなかった。
この事を卸先の購入者に説明をしたところ、卸先は、いわゆる転売事業を行っていて、商品が納品されない事は非常に困ると攻め寄られた。さらに、うちに商品が届かない事に対して、貿易管理制度(輸入に関する制度)を元に販売をしているのかとツッこまれる。
制度の事は良く知らずに、個人輸入でアメリカとやり取りをしていたので、正直に謝ってその事を伝えると、違法なのでこのままだと訴えられるから、海外との取引をやめた方が良いとのアドバイスを受けた。
さらに『うちは元々、貿易管理制度を元に、輸入を行なっているから、うちが窓口で進めてあげる事ができますよ』と言われ、訴えられたら大変だし、他が順調だった事も考えて、この事業の窓口になってもらう事にした。
挙句にそのお客様の会社に今までの取引情報を全て教えて、うちの会社が下請けのような形で事業を続けようとしたが、これが失敗だった。

アメリカと取引を行っていたうちの口座は、他の法人が新たに契約を行ったという事で、直接取引ができなくなり、また、うちの会社が卸販売していた商流の一部は、気付けばその会社が直接取引を進めていて、うちのアメリカの特殊メイク用化粧品の輸入販売という事業が、事実上乗っ取られてしまっていたのだ。

1991年会社設立から初めての決算を迎える、約一年後の出来事だった。

しかし、まだまだ襲い掛かる悲劇、乗り越えたから今があるわけだが、思い出しても寒気がするな、、、(-_-)

#06へ続く


2.MUSIC JAM

ここでは、僕の記事の内容の年代に流行っていた洋楽の中から、柳レコメンド曲を僕なりのライナーノーツとしてご紹介していきたいと思います。

僕の会社が初めて危機に巻き込まれた1991年、この年の僕のレコメンド曲は、マイケルジャクソンのデンジャラスです。

アルバム『デンジャラス』は、プロデューサーが、クインシージョーンズからテディーライリーに変わって制作されたアルバムで、ヒップホップとR&Bを融合したテディーライリーが生み出した音楽ジャンル「ニュー・ジャック・スウィング」を融合させて独自の音楽を築いたと言われています。

アルバムからは、『ブラック&ホワイト』がシングルカットされてヒットしましたご、タイトル曲のデンジャラスは、マイケルがカッコいいダンスを踊りながら『女性って危険だから気をつけな!』って歌っていて、本気に、女の子との付き合い方をいろいろ考えさせられたきっかけになった曲ですw


『She's so dangerous 
The girl is dangerous 
Take away my money 
Throw away my time 
You can call me honey 
But you're no damn good for me 
(和訳)
彼女はとても危険で、女は危険なものなのさ
僕の財産を奪い、時間も奪う
君は、ぼくのことをハニーなんて呼ぶけど
僕にはいいことなんてない』

そして、1991年のビルボード年間シングル・チャートはこちら

1. アイ・ドゥ・イット・フォー・ユー / ブライアン・アダムス  
2. アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ / カラー・ミー・バッド  
3. エヴリバディ・ダンス・ナウ! / C+Cミュージック・ファクトリー  
4. あふれる想い / ポーラ・アブドゥル  
5. ワン・モア・トライ / ティミーT  
6. アンビリーヴァボウ / EMF  
7. モア・ザン・ワーズ / エクストリーム  
8. アイ・ライク・ザ・ウェイ / ハイ・ファイヴ  
9. ザ・ファースト・タイム / サーフィス  
10. ベイビー・ベイビー / エイミー・グラント  
11. モータウンフィリー / ボーイズIIメン  
12. ビコーズ・アイ・ラヴ・ユー / スティーヴィー・B  
13. サムデイ / マライア・キャリー  
14. ハイ・イナフ / ダム・ヤンキース  
15. ディスタンス / ベット・ミドラー  
16. この愛にかけて / ホイットニー・ヒューストン  
17. ライト・ヒア、ライト・ナウ / ジーザス・ジョーンズ  
18. アイ・アドア・ミ・アモーレ / カラー・ミー・バッド  
19. ラヴ・ウィル・ネヴァー・ドゥー / ジャネット・ジャクソン  
20. グッド・ヴァイブレーション / マーキー・マーク&ザ・ファンキー・バンチ・フィーチャリング・ロレッタ・ハロウェイ  

3.BEAUTY

ここでは、僕の記事の内容の年代に流行っていたビューティーに纏わる内容をご紹介していきたいと思います。

1991年は、東京・伊勢丹新宿本店の化粧品店「クリニーク」が、百貨店 化粧品コーナーにいらっしゃるお客様を『一見客(見知らぬ客)』として迎え、「一見接客」の店舗であることを明確に訴求した年です。また、他の化粧品ブランドを抜いて、月商1億円を達成した年です。

1980年代の百貨店の化粧品コーナーは、すべての化粧品ブランド店が、店員空間の狭い接触型店で、激しい常連接客を競い合い、百貨店の中で最も恐い場所として有名でした。

クリニークは、店の規模をより大きくして受付カウンターをつくる事で、店員の存在をお客様が気にしないという店作りに徹底しました。

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出典:http://ugoki.cocolog-nifty.com/hairiyasui/2016/07/post-c115.html

受付越しの店員の接客は、お客様は気軽にスルーできます。
お客様が声をかける前から接客を開始する「常連接客」の場合は、店員のちょっとしたしぐさ=身振り手振りが気になりますが、一見接客の場合は、お客様が店員の案内や説明を聞く気になって、カウンターに近付くため、店員が多少問題のあるしぐさ=身振り手振をしたとしても、お客様はほとんど気になりません。

当時の日本経済新聞社のリサーチによると、店員空間が広い接触型店の構造をしていたとして、当時のクリニークの店舗は、群を抜いてひやかしやすい店だと感じられたと記しています。

現在は、この時代のクリニークのような一見接客が多く見られるようになってきました。
化粧品は、人の外見を美しくして、心も豊かにするための物です。
過激な営業はかえって結果を生まない、その事を改めて感じさせてくれた1991年クリニークの「一見接客」、見習おうと思います。

ちなみに、数量限定発売の、クリニークのパウダリーチーク「バレリーナポップ」がとても可愛いです。

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タイトル写真出典
https://www.waxpend.com/items/12397
http://clinic.jp

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