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創世記1章3節 原語解説

ויאמר אלהים יהי־אור ויהי אור

そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰られた。すると光ができた。(新改訳)

Then God said, “Let there be light”; and then there was light. (NASB)

וַיֹּ֥אמֶר (ヴァ ヨメル) そして言った/then … said

אֱלֹהִ֖ים (エロヒーム) 神/God

יְהִי (イェヒー) 〜あれ/let there be

א֑וֹר (オール) 光/light

וַֽיְהִי (ヴェ イェヒー) すると〜あった/then there was

אֽוֹר (オール) 光/オール

וַיֹּ֥אמֶר (ヴァ ヨメル)

ו (ヴァ)は、もう馴染みになったと思います。「そして」等を意味する接続詞です。NASB(New American Standard Bible)では、thenと訳されています。

אמר(アマル)は、動詞として使われるとき、「言う」や「話す」という意味になります。

אמר(アマル)にו (ヴァ)とי(ユッド)が付くと、男性形単数完了となります。したがって、וַיֹּ֥אמֶר (ヴァ ヨメル)は、「彼は言う」という意味になります。

新改訳は、「仰せられた」と訳しています。「仰せられた」とは、「命ずる」の尊敬語です。英語ではsaidとしか訳せませんが、日本語のこの訳は適訳といえるでしょう。

創世記では、創造のわざが、神が口から言葉を発せられることにより行われると明言しています。この宇宙で何かが存在するということは、単なる偶然の重なりの産物ではなく、確実な意思が介在することを示しているのです。

であるからこそ、私たち人間は、神の言葉に真剣に耳を傾けることも大事だと思います。

これは、決して「宗教」に嵌まるということではありません。キリスト教会では、純粋に神の言葉を取り次ぐ誠実な説教者もいますが、残念ながらそうではない「宗教家」もいます。

特に日本人は「偉そうに見える人」の言葉に弱いため、カルト的な団体に嵌まってしまうことが少なくありません。最近は大きな社会問題にも発展しました。

私はあくまでも一人の「信仰者」として本稿を書いていますが、「宗教」や「信仰」を一旦横に置いて、教養として聖書に向き合うのもよいと思います。「信仰」は決して強制されるものではありませんから。

何よりも、まずは「一人で」原典と向き合い、格闘することが大事だと思います。

אֱלֹהִ֖ים(エロヒーム)

1節でに登場しました。創造主である唯一の神を意味します。

なお、新約聖書では、イエスは神をいつも「父」と呼んでいました。「父」のヘブライ語は、אב(アバ)です。これは、イエスがいつも天の父と親しい関係にあったことを示しています。

יְהִי (イェヒー)

この単語の語根は、היה(ハヤ―)で、「存在する」という意味です。

א֑וֹר (オール)

「光」を意味します。

そもそも「光」とはなんでしょうか。現代の物理学では、空間を伝わっていく「波」の一種であり、それと同時に人間の目ではとても見えない、小さな「粒子」であると理解されています。

光の本質が波であるのか、それとも微小な粒子の流れであるのかについては、ずっと科学者の頭を悩ませてきたようです。波と粒子は、本来並存できるものではありません。しかし、アインシュタインは、光に「粒子でもあり波でもある」という二面性があると主張したのです。光は、その現象においても神秘的な面があります。

物理的現象としての光については、これからも多くの研究がなされると思います。創世記で言及されている「(א֑וֹר)」は、このような人間の目に見える光ではないという説もあります。

私は神学者でもなく、物理学者でもないので、正しいかどうかわかりませんが、ここでの「光(א֑וֹר)」は、物理的な現象として光を指すと同時に、より初源的で広大なエネルギーを表し、なおかつ霊的な息吹のようなものも包含しているように感じます。

ヨハネの福音書の1章2-5節には、以下のような驚くべき言葉があります。

すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずできたものは一つもない。
この方にいのちがあった。
このいのちは人の光であった。
光は闇の中に輝いている。
やみはこれに打ち勝たなかった。

ヨハネの福音書1章2-5節(新改訳)

つまり、創世記1章3節の創造の瞬間にキリストがおられたことをヨハネは語っているのです。そして、キリストの本質のうちの一つが「光」であることも示しています。

וַֽיְהִי אֽוֹר (ヴァ イェヒー オール)

先ほど出て来た動詞と同じ動詞が出てきますが、ו(ヴァヴ)が最初に付くことにより、時制が未来完了形から過去完了に変わります。「そして光が存在した」という意味になります。

感想:

ヘブライ文字たった23文字の文ですが、こうして解説を書いてみると、まだ書き切れない論点が沢山残っているような気がします。それだけに宇宙的な意味がこの短い一文に詰まっています。

この初源的な「光」とは一体何だろうか、と人類はこれまで追い求めてきたのではないでしょうか。物理学者も必死に目に見える光の特性を突き止めようとしてきました。

残念ながら、人は「光」より「闇」を愛する性質があります。また、現在は、世界で大きな戦争も勃発して出口の見えない状況となり、政治も不安定です。まさにイザヤがいうように、世界が闇に覆われているように感じるときがあります。

地を見ると、見よ、苦難とやみ、苦悩の暗やみ、暗黒、追放された者。

イザヤ書8章22節(新改訳)

私たちの生活も、突如として闇に覆われるときがあります。

しかし、この一節で登場する創造主は、何もないところから「光」を創造できる方なのです。ですので、苦難にあるときは、単純に「あなたの光(א֑וֹר )で照らしてください」と祈ればよいのです。

参考元:

・青木偉作著「はじめての聖書ヘブライ語」(国際語学社)
・デレク・キドナー著「ティンデル聖書註解 創世記」(いのちのことば社)
・The Complete Tanakh (Tanach) - Hebrew Bible
https://www.chabad.org/library/bible_cdo/aid/63255/jewish/The-Bible-with-Rashi.htm
・牧師の書斎「創世記1章3節」
1章3節 - 牧師の書斎 (meigata-bokushin.secret.jp)
キヤノン:技術のご紹介 | サイエンスラボ 光って、波なの?粒子なの? (global.canon)











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־א֑וֹר
וַֽיְהִי
־אֽוֹר


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