『すずめの戸締まり』を見るべき理由(ネタバレあり)
(コチラの記事は2023年blogに掲載していましたが、先日TVでも放送され少しトピックでしたので、noteに一部更新したうえで移築しました。)
新海誠監督の『すずめの戸締まり』を2022年末に映画館で観てきた感想です。
私は常々、過去・現在・未来という時間の流れが宇宙の中で存在しているのか、そんなことを考えています。
そのような問題意識の中で、新海誠監督は一つのパラダイムを提示していて、個人的には興味深いのです。
なお、この問いに「正しさ」は当然ながら不要。
どんなパラダイムに、自分の人生観が共鳴するのか。
それが、私にとっては全てです。
■ 「戸締まり」とは何か
平凡な高校生でありながら、母を震災で亡くす過去を負う「すずめ」が、「閉じ師」として成長しながら、過去と向き合いつつ、前に進んでいくストーリーには、様々な解釈の余地を残す複雑さも持っています。
その解釈の部分については、私がビジネスを学んだ新田祐士さんのストーリー解釈が大変共感でき、参考になりました。
新海誠監督自身も造詣の深い「神道」への理解があるほど、この映画を深く理解できると思いますが、私はそのあたりの理解も新田祐士さんの動画をベースに参考にさせていただいております。
ずずめは、日本各地の廃墟にある後ろ戸を戸締まりして、人々の負の感情の集合の象徴であるミミズを封じ込めながら、大震災を回避していきます。
その中で、震災による母親の喪失という過去と心の奥底にある感情に向き合いながら、すずめ自身の「心の中の後ろ戸」を戸締まりをしていくのです。
主人公のすずめの場合、震災による母親の喪失というものでしたが、誰しもが、心の奥底に封じたい感情や過去、別の自分や人格が存在していると思うのです。
そうしたものと向き合いながら、一つずつケリをつけながら前に進んでいくという意識や行為が、「戸締まり」として描かれているように思うのです。
■「常世」とは何か
過去も現在も未来も溶け合った空間であるという「常世」での体験が、すずめが真っすぐに生きていくことを支えています。
この、過去も現在も未来も溶け合う「常世」という世界が、非現実的のような設定のように思えるかもしれないのですが、
実は、現代量子物理学の最前線では、宇宙の謎を解き明かす過程の中で、「時間」というものを否定する論調があり、あらゆる可能性の宇宙がパラレルに存在していると考える学者が多くいます。
私自身も難しくて細かくは説明できないのですが、時間という軸ではなく、人々の「意識」によって世界が構築されるという考え方がここにはあります。
もともと私はこの考え方には非常に関心を持っており、『すずめの戸締まり』における「常世」の世界観には共感を持ちました。
この「常世」とは人の意識が作り出した世界のすべてであり、そこに通じる入口としての「後ろ戸」が描かれていると思うのです。
新年の神社参拝や初詣で、鳥居や門(山門)をくぐるとき、ある種の「後ろ戸」をくぐる疑似体験をしながら、心の戸締まりをしていくような感覚を覚えるのです。
そして、そのことが、新年の新しい自分と世界を作り上げていく気持ちを高めてくれるような映画だったと、私は思うのです。
新たにした気持ちを少しでも忘れないために、この『すずめの戸締まり』と年始の体験をリンクさせておくことはとても良い実践ではないかと思いました。
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