見出し画像

「悟り」を得たら😊

盛夫の朝の備忘録#788

おはようございます😊

夕方、氣持ち良く寝落ちしてました😅

まぁ〜なんと言いますか。
連日の疲れが溜まっている時に、夕食を食べ、ご機嫌で父と共に晩酌なんかしちゃうと、もうバタンキューなわけで、18時過ぎには布団を敷いて寝てました😅

ご機嫌で、布団を敷いて布団に入ったら、秒で寝たみたいで、、、今深夜の2時です😅

まぁ〜目が覚めちゃったので、原稿書いてます😅

案の定、夕方以降に連絡が色々と入っていたので、深夜に返信するのもなんなので、仕方ないので明日連絡します😅

何と言いますか、、、
寝るのが好きな私としては、酔ってご機嫌で布団に入るともうね〜。
ダメね〜😅
氣持ち良すぎ😅

最近、偉そうに自分の氣付きなんか書いてた私なんですが、まだまだこの程度なんですよね〜😅

どんなに「氣付き」や「悟り」を得たとて、日常からは逃れる事は出来ないし、死ぬまで生きるしかないので、私は私として「暮らし」を愛して、日常を営んでいます。

もしも「悟り」を得たとて、生きてる限りは、掃除、洗濯、炊事、食事、入浴、排泄、祈り、仕事、人付き合いの日常の暮らしから逃れる事は出来ないのです。

だから、「悟り」は「日常の暮らし」の中にこそあるのです😊

何やかんや書きながらも、「悟り」とは、その程度のもので、悟りを追求したとて、「悟り」を手にしても「日常の暮らし」の部分は何も変わりません。

しかし、自分の状態は違うので樂は樂ですが、「悟り」を得たとて、周りからの理解は得られないし、「悟り」を得たとは言い難い状況ではあります。

私が、どの程度の「悟り」を得たのか、実は自分でもわからないし、言語化も出来ていないけど、なんか書いちゃえ!って感じで、今ノリで書いてます😅

「悟り」を得たとて、日常の暮らしからは逃れられない。

「悟り」を得たとて、そこには優位性や正当性は存在せず、ただただこの世の理が感じられるだけの事。

「悟り」を得たとて、直ぐには何も起きないし、ただこの世の理を感じ、日常の暮らしに対し、全てに愛を感じながら、生活を営むことしかできません。

「悟り」を得たとて、ただ視界が広がり、感じる幅が広がるだけで、後は日常の暮らしを死ぬまで生きるしかないのです。

これが、私が氣付きを積み重ねて、ある程度の「悟り」を得て、わかった事です。

この世界は緻密で精密に設計され、何億年もかけて奇跡的に誕生した世界であり、生物の生態系が存在し、人類が生きて歴史を積み重ねているだけの時間です。

そんな世界において、人に順位をつけてしまう様な、優位性も正当性もありゃしませんし、優位性も正当性も、それこそ人が創り出した幻想でしかありません。

ただこの世界の理の渦の中に、天の計らいで、奇跡的に存在しただけの話なんです。

結局は、日頃の行いを積み重ねて、最後は「運」と「ご縁」に委ねるしか、何かを得る事は出来ません。

偶然手にしたとて、価値がわからない人は、直ぐに手放してしまうのが、世の常です。

例えて言うなら、お金の価値を理解していない者が、宝くじで高額当選しても、数年でお金を散財してしまう様もんです。

私が感じている「悟り」とは、価値を理解する幅が極端に広くなり、感じる能力が向上するだけで、超能力が使えたりとか特別な能力が開花するとかは、ほぼありません。

「悟り」を得たら、全ての存在に感謝出来るだけです。

それはそれで素晴らしいですが、特別な能力を期待している人がいたら、それは「悟り」とは違うことは確かです。

「悟り」とは、「日常の暮らし」を全て愛する事が出来る状態であり、周りの全ての存在に愛を感じる事が出来る状態の事で、「悟り」を得たら超能力が使えるとかではありません😅

「悟り」を得て、この世界の理の理解が深まれば、全てが一体で繋がっている事が理解出来るし、存在するには、概念の両極が必要になるこの世界の理を理解できるだけです。

「悟り」を得たら、存在を理解出来ることは確かです。

存在とは両極であり、何かが存在した時点で、真逆の存在も産まれる仕組みだという事を理解出来るだけです。

男だけの世界は無く、また女だけの世界は無い事の理解が深まる。

存在したら、必ず対極も存在する事になり、両者は互いにバランスを保ち存在しています。

なので、どちらか片方だけになるとこの世界では、消滅してしまいます。

どちらか片方だけでは、存在出来ない仕組みで成り立っているのが、この地球の世界観の理です。

また、現在の地球は、食物連鎖がある様に、どれか1つだけが生き残る事も不可能な世界なので、多生物、多種族、多様性で成り立っているので、その理を知らずに消費し続けると、この宇宙と地球は存在しますが、地球からは人類は消滅してしまいます。

火星や木星や金星に人類が存在出来ない様に、人類も他の生物も植物も地球にしか今のところ存在できません。

存在してる事は、既に奇跡なのです。

後は、氣付いて悟れるかだけの問題だけですが、悟りを得たとて「日常の暮らし」そのものは、そんなに変りゃしません。

「悟り」を得ると、全てを愛おしく感じ、全てに感謝の想いが湧き、善悪同一の幻想に氣付き、愚かさを感じ、未熟さを感じ、それでも生きて精進し、巡ってきた仕事に励み、日常の暮らしの生活を営む事が「愛」そのものだと理解し、あとは存在している事が奇跡だと氣付くだけの話なんです。

なので、「悟り」を得ても、最初は特に何も起こりません。

要するに「悟り」を得たら、誰でも知ってる事の理解の深さが増す程度の事なんですが、それでも「悟り」にも、小悟、中悟、大悟と段階がある様でして、私の場合は、正直まだ小悟にも至っていない大分手前の状態だという認識です。

「悟り」の段階が進むと、だんだん視界が広がり、理が理解出来てきて、身近な生活空間から状況が少しずつ変容し出してくるのは、確かに感じますが、それすら今の段階では、この先どうなるかなんてわかりません。

「悟り」を得たからといっても、この世界の理の渦は変わらないので、例えば野菜を得るには、畑が必要な様に、何かを得ようとするなら、ちゃんと体験して、実践して積み重ね無ければ、自分は何も得る事は出来ません。

「悟り」を得たら、スーパーに並んでいる商品が、何故存在出来ているかのかの理解が深まる程度の話で、「悟り」を得たら欲求が叶うという事とは違います。

また善も悪も、人の想いが創り出した都合の良い幻想でしかありません。

人の都合で出来た概念は、いずれ段階が進むと消滅してしまうのですが、今のところ私が生きている間は、その概念は存在しそうですが、それよりも早く、このままだと人類そのものが、この地球から消滅してしまうかもしれません。

これから先の未来に、何があるかわかりませんが、私は死ぬまで、體を大切にして、暮らしを愛して、仕事に励んで、生きるだけです。

私の今年の課題は、恩返しと精算と技能能力の向上です。
今年は、仕事に励げみます😊

日頃の行いの積み重ねを愛し、生きてる事に感謝の想いが芽生え、身近な人を大切に、仕事に励み、生活を営み、学び続けて、この世界の理に愛を感じるだけです😊

まだまだ、私は愚かで未熟なので、憎しみも苦しみも恐れも勝手に湧いてきます😅

それでも、私は生きてる事自体に感謝の想い湧いてくるので、手を合わせ御礼を祈ります。

私が今生きてる事に「ありがとう」と手を合わせ祈ります。

なんかノリで書いたものですから、こんな感じになりましたが、これからも宜しくお願いします😊

今日は、母とひとしずく朝市に出店します😊
お時間ある方は是非お越しください😊

最後まで読んで頂きありがとうございました😊

ご縁に感謝しております😊
御自愛ください😊
良き1日を😊

日日是好日😊
2024年1月28日(日)
睦月、大寒、水沢腹堅。
松合より😊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?