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感謝は与えるものであって、求めるものではありません😊

盛夫の朝の備忘録#667

おはようございます😊

昨日は、弟からの依頼で、特注の台をガレージで製作してました。
無事に出来上がったので、今日鹿児島に納品に行ってきます😊

なんやかんやと毎日色々とやる事があるので、良いんですが、本当にこんな事で、生活出来ていると想うと不思議な想いです。

相変わらず、お金はギリギリですが、少しずつ余裕が生まれ出したのには驚いています。

3月に「1日もりお利用権」を始めて、6月に松合garageを始めて、この2つの活動で生活が出来るなんて思いもしませんでした。

マジでどっかにバイトに行こうとしてました😅

ですが、何となしに依頼の連絡が来るようになって、週に1〜2回はコンスタントに出向く様になって来ました。

本当に皆さんありがとうございます😊

とはいえですが、地図創りの準備を始めたり、母の和服リメイクの活動サポートを始めたりと、次の打ち手も考えていますが、今のところ焦らず丁寧にボチボチやっています。

私の悪い癖は、直ぐにMAXで抱え込み過ぎることなので、そこは抱え込み過ぎない様に、出来る事をコツコツとやっていきます。

あと、もう一つ活動が増えるかもしれませんが、それは決まったらこちらの方で報告します😊

本当に皆さんには感謝しかありません。
ありがとうございます😊

さて、そこで今日は感謝の想いの循環について書いてみようと想います。

先ず、注意しないといけないのは、感謝の想いは、与えるものであって、求めるものではないという事を認識しないといけません。

これは凄い重要です。

もう一度書きます。
「感謝の想いは、与えるものであって、求めるものではありません。」

感謝の想いを相手に求めても無駄です。
相手は、自分が思っているほど行為に対して感謝してません。

自分と相手とでは、感謝の想いを感じる量に必ず誤差が生じます。

なので、感謝の想いを伝え与える分には何も問題ありませんが、相手から感謝の想いを求めると、大体恨みに発展します。

感謝の想いを相手から求めてると、ほぼ間違いなく自分の想っている量より少ないです。

これに関しては、皆さんも心当たりあると想います。

大体、感謝の想いは求めるものではないという事を認識しておかないといけません。

感謝の想いが循環するには、感謝の想いを自分から与え続ける必要があります。

先ずは、自分から感謝の想いを発する事です。

自分から感謝の想いを与える事で、始めて他人からの行為に氣付き、感謝の種となる他力の想いを感じる事で、初めて感謝の想いの循環が自分の中で発動します。

これが感謝の想いの循環なんですが、ここで注意が必要なのは、その行為に見返りを期待しない事です。

感謝の循環は、あくまで自分の中での事ですので、他者に感謝を要求すると、それは感謝にはなりません。

それは、感謝ではなく見返りを求める行為になってしまいます。

感謝の想いは、あくまで無償の愛なのです。

なので、相手が返そうが返すまいが感謝の想いを伝える事には、何も関係ありません。

感謝の想いは尊いのですが、見返りを求めた瞬間から、想いは別物に変容してしまい、別の作用を起こします。

それが恨みや争いです。

ガッカリしても仕方ありませんが、感謝の想いを与えるだけでしたら、何も問題ありませんし、むしろ良い現象が訪れます。

私の過去の備忘録を読んで頂けると理解出来ると想いますが、この備忘録でも沢山のエピソードを書いてきました。

1つ言える事は、感謝の想いは、求めても良い事は起きないという事。

しかし、感謝の想いを伝え続けると、自分の中で感謝の想いの循環が始まり、感謝の想いに沢山氣付く様になります。

この世界は、無償の愛に溢れている事に氣付きます。

皆さんが仕事しているという事は、そういう事なんです。

あらゆる仕事がある事は尊いのですが、仕事があるという事は、そこに困っている人が存在している事を意味しています。

道路を創っている人、ビルを建てる人、山を管理する人、物を売る人、沢山の仕事があります。

全ての出発点は、人の想いです。
それが仕事になり、商売になって循環していても、最初は想いからの発想でした。

与えたい。
解消したい。
解決したい。
そういう想いを汲取り、アイディアが閃いて仕事になっている訳です。

ところが、ここで仕事だと対価としてお金と交換できますが、想いの対価というのは、感じるものなので見えません。

そこで誤差が生じます。
お金だと量が見えますが、想いの量は見えません。

だから想いを求めると誤差が生まれ、恨みや争いに発展する事が多々あります。

もう一度書きますが、感謝の想いは与えるものであって、求めるものではありません。
感謝の想いはあくまで、無償の愛なのです。

感謝の想いの「ありがとう」が循環するのは、自分の中の事であって、外の世界は、また別なんです。

ですが、感謝の想いが自分の中で循環してると、倖せを感じます😊

割とルンルンで生きれます😊
何故かといえば、自分の中で感謝の想いの循環が始まると、沢山の感謝の想いを感じる事が出来るからです。

それを私は、「感謝の種」と呼んでいます。

ややこしいですが、誰に対しても、恋人や家族に対しても感謝の想いを求めると、そこに溝が生まれます。

例えば、基本的に母親は、子供に対して無償の愛で接しますが、子供に見返りを求めません。
逆に子供は、母親に見返りを求めてしまう事はありますがね。

この様に、見返りを求める行為は歪になり、溝を生み、恨みや争いに発展してしまいますので、感謝の想いは与えるものだと認識しておいてください。

そこを踏まえて、自分に置き換えてみると、相手から与えられた想いを汲み取る力は向上しましたが、残念ながら、まだまだ応えられていない事の方が多いです。

私も残念ながら、他者からの想いに応えられてはいない事の方が多いと想います。

そう言った意味では、私もまだまだ未熟者ですので、精進しています。

ギリギリのその日暮らしの私が書くのもなんですが、今はサラリーマン時代より収入は少ないですが、感謝の想いの循環に氣付いたおかげさまで倖せに生きています😊

私も沢山の人に、ご迷惑をおかけしたり、傷付けたりしてきました。
反省しております。
そして、これからも誤ちや怪我を沢山すると想います。

だから精進しています。

その上で、感謝の想いの循環に氣付けたのは、本当に良かったです。

まだまだ未熟な文章ですが、こうして書けるところまで、自分の中で言語化できて良かったです。

毎朝書き続けてきて良かったです😊

最後まで読んで頂きありがとうございました😊

皆さんに感謝しています😊
皆さん御自愛ください😊
良い1日を😊

日日是好日😊
2023年9月29日(金)
長月、秋分、蟄虫坏戸。
松合より😊

写真は、昨日松合garageで製作が終わった特注の台です😊

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