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もりお屋・開設の経緯😊

盛夫の朝の備忘録#815

おはようございます😊

樂しい時もあれば苦しい時もあって、豊かな時もあれば貧しい時もあるのが、人生なんでしょうが、苦しみの渦中にいる時は、1秒でも早く抜け出したいので、誤ちを犯す危険性が物凄く高まります。

というか、苦しみの渦中においては、殆どの人が誤ちを犯します。

あとは、その時の運です。

私の場合は、運が良かった様に感じます。

2021年の1月、ボロボロのメンタルに成り果てて、会社を鬱で退職してしまい、無職でどん底の状態でした。

あの時に松合の自宅に帰れた。
あの時に朝陽を見て感動出来た。
あの時に恕庵と出会えた。

・どん底で苦痛の時期に両親が側にいてくれた。
・松合の綺麗な朝陽を毎朝見れた。
・恕庵で行われた色々なワークショップとイベントに参加出来て、それから二見さんや皆さんとの会話。

あの時期は、不思議な流れだったなぁ〜と今でも感じています。

鬱で退職して、傷病手当や雇用保険の期間が2年程あったおかげで、療養出来たし、回復も出来ました。

チェーンソーや刈り払い機の講習や森づくりの講習まで受けれたし、そのおかげで竹切り現場にも通ったし、森に触れる事の大切さを学ばせてもらいました。

そして、「1日もりお利用権」を始めて、先日からは「もりお屋」になりました😊

私の人生は、どんな流れかわかりません😅

そんで氣付いたのが、身近な事からコツコツとやるしか道は拓けないという、どシンプルで誰もが知ってる事に、改めて氣付きました。

苦しみの渦中から抜け出したい一心で、必死に何でもやって、真実を追い求めて、辿り着いたのが、、、シンプルで誰もが知っていた「日頃の行いの積み重ね」でした😅

人生に近道も抜け道も最適解もないという事実を知った時、今までの私の人生は何だったんだろうかと、あの時は愕然としたし、マジで嘆きました。

日頃の行いの積み重ねからしか、信用も信頼も生まれないし、人生は行った分だけしか、積み重ねる事が出来ない真実。

誰でも知っていながら、地味でつまらない事過ぎて、近道や抜け道や最適解を追い求めてしまった、愚かな私の人生を振り返り、私は嘆きました。

あ〜なんてこったいとね😅

あの時からコツコツやる事を意識はするものの、氣持ちがコロコロ変わるもんだから、中々1人じゃやれない事が多い事に氣付くと、だったら手伝う人がいればいいんじゃないかと、恕庵にいた時に氣付き、始めたのが「1日もりお利用権」でした。

焼き芋広場や恕庵での体験や経験が糧になり、私の中で化学反応が起き、私に出来るお手伝いや手助けで、私の様に1人じゃ出来ない人の事をサポートする人に、私がなれば良いのかなと。

そんで、コケたり挫けたりしながら、ボチボチ歩んで「1日もりお利用権」を1年間積み重ねたら、今度は「もりお屋」になりました😅

いや〜我ながら面白い展開過ぎて、驚いています。

そんで、「もりお屋」として関わる第一弾のプロジェクトは、高千穂町にお住まいで、仲良くさせて頂いている日向時間舎の藤木哲朗さんが手掛ける高千穂米100俵運動で生産されたお米の販売です。

日本の棚田百選“栃又棚田”が広がる高千穂町上川登集落の美味しいお米「御心米」😊

こちらは、また別の投稿で詳しい情報をお届けしますので、その時は宜しくお願いします😊

それから、友人からの依頼で家系図用の額縁製作とまた別の友人からの依頼でアクセサリー用の飾り棚の製作を受けてます。

あと弟からの依頼で写真機材用の大型の収納棚の製作も受けております。

なので、やっぱりもうこれは、私はもりお業を営む「もりお屋」になるしかね〜なとなりました😅

身近な人を大切にして、コツコツと積み重ねてきたら、私は自分の生きる道に辿り着きました😊

そして、この奇跡の時間を毎朝書き残してきた記録が、この「盛夫の朝の備忘録」です😊

オッサンである私の成長記録😅

毎朝、2千文字程の文量でその時、その時の私の想いを切り取り書き残しています。

私が苦しみの渦中から抜け出した記録であり、現在進行形の私の人生再生中の奮闘記でもあります😊

全てひっくるめて、「もりお屋」の活動です。

もりお屋は、盛夫を知っている人達の暮らしの一助となれる様に私に出来る事を示しています。

身近な人を大切に喜ばれる「もりお屋」を目指して、日々励んでおります😊

今後とも宜しくお願いします😊

最後まで読んで頂きありがとうございました😊

ご縁に感謝しております😊
御自愛ください😊
良き1日を😊

日日是好日😊
2024年2月24日(土)
如月、雨水、霞始靆(かすみはじめてたなびく)
松合より😊

写真は、御心米の写真です😊


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