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父、逝く

2024/3/30 長かった闘病生活の末、とうとう逝ってしまった。
とはいえ、それほど心にズシッと来るものが無かったのは、介護施設に入所していたところにコロナ禍で面会出来ない日が続き、解除された頃にはほぼ何も分からなくなっていたからだろう。
もちろん、そんな感情を抱いているのは私だけではなく、母も同様のようだ。

何とも可哀想な父である。

実は私が素直に悲しめない理由がもう1つある。
私が新たな進路に向かおうとすると、ほぼ毎回、怪我をしたり病気になったりして、素直に送り出してもらった記憶が無かったりする。
今回も私が何か新たなことを目標に進もうとし始めたタイミングといえば、そうなのかもしれない。なんて思ってしまったことも一因かもしれない。

スタートでブレーキをかけられたり、後ろめたい気持ちを抱えたままスタートを切らざるを得なかったりするのは精神衛生上良く無いのは皆一緒だろうと思う。

そんな軽口や冗談を言える状態なのは幸いなことで、そういうタイミングを見計らってくれたのは父ならではの優しさなのかもしれない。
(やりようはもっとあるだろうに、この手を選ぶところが父らしいとも言えるが)

とはいえ、亡くなったその日が展示初日でほぼ在廊出来ず。
4月1週目は葬儀準備もあるというのに、期末期初で大忙しなところに、自治会の役員も回って来るというおまけ付き。
おかげで1週間、平均睡眠時間が3時間を少し超える程度に忙しく、悲しいとか辛いなどと思ってる余裕は全く無かったのも幸いだったかもしれない。

落ち着いて来たら、この気持ちがどう変化するだろうか?

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