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さびしさを想う

私は寂しいと思うことが、人より結構多いのかもしれないと半年くらい前に気づきました。

何人かの友人にも聞いてみたけれど、寂しいと思ったことはあまりないらしく、、
いつ寂しいと思うのかと聞かれ、どうだったかと考えるけれど、その時すぐにはでてこなくて、ここ半年くらいやんわりと寂しさについて考えています。

でもそう思うと、昔ほどさびしさは感じていないのかもしれません。
思春期を終えるくらいまで、自分の中にある小さい違和感にずっと悩んでいたなあと思います。

なんかね、本当に悪い意味で私だけなんか違うっていうのか違和感はずっとあって、それが少し寂しくて。
あれ、なんとなく噛み合ってないなみたいな。うーん、なんて言葉にしたらいいのかわらないけれど、、
まあ当時はみんながみんな、そう思っていたのかもしれないけれどね。

じゃあそのさびしさはなんなんだろうと

分かり合えない寂しさなのか

夜にふと思うさびしさは、人と繋がっていないことに寂しさを感じるのか、繋がっているのにお互いに歩み寄れない寂しさなのか
繋がっているようでつながっていないから寂しいのか

一人だから寂しいと思うのか、
それとも自分に大切な人がいるからこそ寂しいと思うのか

そう思うと、そこらへんに寂しさは結構転がっている気がするのだけれど、普段生活していて気づくことは少ないのかもしれない。

寂しいってどんな感情だろうと考えると、
「楽しい」も「嬉しい」も「悲しい」も「愛しい」もどんな時に、どう感じるときがその表現に合うんだろうかと思ってしまう

私の中で「さびしさ」は、結構重要で
なんだかその感情と向き合う時間はなくしたくないと思う


えみか

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