誰よりも早い第97回箱根駅伝所感
新型コロナウイルスの感染が拡大する中、大会そのものの開催すら危ぶまれた今大会。割れんばかりの大歓声がそこにはなく、いつもなら帰りを待ってくれる仲間の姿もない異例の大会となった。
総合優勝は、かつて「平成の常勝軍団」とも呼ばれた駒沢大。名物監督の闘将大八木監督が鍛え上げて実績を出してきたが、ここ12年は優勝から遠ざかり、予選会から臨む年も経験するなど、苦い時代を過ごしてきた。9区を終わって3分19秒差の2位に位置し、優勝は絶望視されていたが、10区のアンカー石川が好走。大逆転のすえ、久方ぶりの栄冠を手にした。まさに「異例づくめ」となった今大会を振り返っていこうと思う。
■レース展開
戦前、前回王者の青学大、同じく2位の東海大、11月に開催された全日本大学駅伝を制した駒沢大が3強と呼ばれた今大会。
3強のうち青学大は2年生エース岸本が怪我でエントリーすら叶わず、この1年間走りでも精神的にもチームを引っ張ってきたキャプテンの神林が大会直前で疲労骨折が判明するなど、原監督が描くレースプランは大きく崩れた。花の2区で起用した中村はライバル校のエース達に遅れを取り、3回目の山登りとなった5区竹石も序盤から身体の動きが悪く、何度か足を攣って立ち止まるなど、往路を終わって12位と沈下。原監督は優勝狙いからシード権確保へと目標の修正を余儀なくされた。復路は、吹っ切れたのか復路優勝を獲得し、4位にまで順位を上げたのは立派。王者の意地を見せてくれた。
また、東海大は、1区から3区にエース級を惜しみなく投入し、3区を終わって首位に立つなど理想的な展開に思えたが、4区の1年生佐伯が区間19位とブレーキを起こしてしまい、往路を終わって首位に3分27秒差の5位と黄色信号が灯り、復路も思うように追い上げることは叶わず5位に終わった。
そのような中、「主役」に躍り出たのは創価大だった。箱根駅伝初出場は4年前の若いチームで、2年前にはかつて選手としても箱根路で活躍した中大OBの榎和貴氏が監督に就任。前回大会は初のシード権を確保するなど着実にチーム力の底上げを図るなどその手腕も密かに注目されている監督だ。今大会のレースぶりも各々が堅実な走りを見せ、4区で昨年も10区で好走した島津が首位を奪うと、後続の選手にも勢いが乗り移ったように、着実かつ積極的なレースを展開。優勝候補に挙げる解説者も恐らくいなかっただろうし、ダークホースとして注目した人もあまりいなかったのではないだろうか。チーム力を占うデータとしてよく使われる10000mのタイムを見てもシード権を確保できるかの当落選上と私も分析していた。然し、派手さこそないが自分のペースをしっかり守り大崩れしない走法は、「高速駅伝化」が進む中で新しい示唆を各チームに与えたのではないだろうか。往路が終わった段階で2位に2分16秒ある差を9区が終わって時点で3分19秒にまで広げ、多くの関係者が優勝を手にしたと思っただろう。9区の石津が会心の走りで小野寺に襷を渡したそのときの両者の笑顔は、まさしく優勝チームのそれのように見え、私自身も勝負ありと思ったことを自白しておく。
最終的には、アンカー小野寺が脱水症状と起こしてしまったのか終盤足が完全に止まってしまい、駒沢大のアンカー石川に首位交代を許すことになってしまった。ここまで創価大はノンミスで、まさに駅伝のセオリーを証明するような走りをしてくれていたが、最後の最後に大ブレーキを起こしてしまった。自分がきっちり走れば初優勝できる、という思いが精神的にプレッシャーになったかもしれず、ゴール後は倒れこみ、心身の疲弊を感じさせた。そのショックたるや想像すらつかないが、まだ3年生。榎監督やチームメイトが心のケアを行い、心身を休めたらまたゆっくりと走り出して欲しい。チームとしても悔しさの残る2位からのリスタートにも注目だ。
大逆転優勝を果たした駒沢大の大八木監督も試合後のインタビューで語っていたように「諦めなければ、何かが起こる」という日頃私たちも普遍的に言葉にしたり、耳にしたりする言葉が改めて私の胸に刻まれた。そして終わってみれば、やはり駒沢大はミスらしいミスがなかったと言える。駒沢大の選手たち、関係者の皆さんおめでとうございます。
前回大会は首位から10位まで14分あった差は、今大会は9分台にまで収まり、また総合優勝は駒沢大、往路優勝は創価大、復路優勝は青学大と全て異なるチームであることも特徴的でまさに戦国駅伝を象徴する大会となった。各チームの実力が伯仲する中で、「ブレーキは命取り」をまさに感じた大会であった。
■注目選手たちの明暗
前回大会はNIKEの厚底シューズを履いて区間新や好記録を連発することも印象深かったが、今大会は2区のヴィンセント(東京国際大)が区間記録を更新した。前年相沢晃(東洋大→旭化成)が打ち立てた記録を僅か1年で更新し、格の違いを見せつけたところだ。上り坂は苦手のようだがそれでも前半の貯金を活かし、更新していくあたり、流石と言わざるを得ない。箱根駅伝に留まるスケールではなく、世界を見据えて、母国ケニアを代表するような選手へと成長を遂げて欲しい。まだ2年生で今後もどんな記録を達成してくれるのか、日本人云々の水準ではなく、アスリートとして非常に楽しみな存在だ。
また、この秋のシーズンで学生ながら10000mで27分台をマークし注目された田澤(駒沢大)、中谷(早大)、太田(早大)らは、圧倒的な強さを示すに至れなかった。トラック、ロードの違い、距離の違い、襷をもらう順位、温度等、様々な要素によってパフォーマンスが左右されてしまうなと感じた。かつての渡辺康幸(早大→ヱスビー食品。現住友電工監督)や相沢晃のような絶対的なエースとはまだまだ隔たりがあると言えよう。だが、彼らも各々2年、3年、3年とまだ箱根路を走るチャンスがあり、オリンピックイヤーを跨って、どれだけ強くなっていくか注目していきたい。
更に、今大会の見どころとして、ルーキーが史上空前の大豊作であることも盛んに話題となっていた。その代表格が順大の三浦、中央大の吉居だったが、二人とも力を発揮できず、駅伝の難しさを体感したことだろう。三浦は一区に起用されたが、スローペースから終盤の急激なペースチェンジに対応できず、区間11位に終わった。また、吉居は3区に起用されたが、平塚の熱さにダメージを奪われ区間17位と不振を極めた。一方、東海大の石原は同区間の吉井が苦労する中、湘南を気持ちよく走り切り、区間賞を獲得した。
3人とも上記の先輩たちとも切磋琢磨し、2024年のパリ五輪、2028年のロス五輪を目指す存在へと成長し、この1年で本当の強さを身に着けて欲しいと切に願う。
■終わりに
静寂に包まれた大手町が気づかせてくれた選手達の力強い足音。難しい時代ではあるが、その力強さは明るい未来に踏み出していく足音に聴こえたのは私が脳天気だからだろうか。
多くの方の支えがあって、無事に「継走」され、新たな歴史を築くことができた今大会。1987年の全国中継開始以来、ずっと魅了されてきた箱根駅伝の中でも一際印象に残る大会となった。選手達から元気をもらい、2021年がスタートした。「やってやるぞ」という気持ちが漲っている。この気持ちを実行に移すべく、また新しい1年を引っ張る箱根駅伝の監督のように緻密な目標へと落とし込んでいく。目標がその日その日を支配するのだ。
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