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【プロ野球 名場面第25回】炎のストッパーに魅せられて(1991年)

1991年の広島カープは山本浩二監督就任3年目を迎えていた。80年代から投手王国と言われ、先発陣に北別府学、川口和久のベテラン陣に前年新人として中日の与田と熾烈な新人王争いを展開した佐々岡真司(現広島カープ監督)、そしてこれまで先発としてチームを支えてきた大野豊が救援に回り、不動の抑えだった津田恒実とのダブルストッパー構想を掲げてスタートを切った。

この年、津田は登板2試合目、4/14 の対巨人戦では、先発北別府のあとを受けてリリーフした。だが、この日の津田は明らかにおかしかった。無死二三塁のピンチを招くと、原にタイムリーを浴びる大乱調であり、わずか9球で降板。この試合を落としてしまった。北別府の勝ちを消してしまった津田は自身に相当に失望したという。津田はこの日登録を抹消された。実は前年オフより頭痛と身体の痺れがあり、年が改まっても体調は優れず、91年シーズンを迎えていたのだ。流石に身体の異変を感じた津田は検査入院したところ、なんと悪性の脳腫瘍におかされており、もう摘出困難な状況であった。津田の病を知った、当時キャプテンだった山﨑隆三は「津田のためにも優勝しよう!津田を優勝旅行に連れて行こう」と涙ながらに呼びかけたと言われる。津田と広島カープの91年シーズンの新たな戦いが始まったのだ。

さて、一旦津田について語ろう。津田は、南陽工、協和発酵を経て1980年秋のドラフト会議でドラフト一位指名を受け入団。1981年のルーキーイヤーに先発で11勝を挙げ、新人王に輝く。翌年も前半戦は9勝と活躍したが、後半血行障害を発症し、1983年‐85年は満足に一軍で投げることは叶わなかった。津田が復活したのは、1986年。先発ではなく、ストッパーとしてだ。殆どがストレートであり、その威力は凄まじいものだった。常時145キロ~150キロ、調子がいいときは150キロを超えた。「名勝負製造機」としても知られ、1986年の阪神戦では9回裏同点一死満塁の場面で登板し、一人三球三振に仕留めるとランディ・バースにも3球勝負を挑んで三振に切って取った。当時、絶頂期だったバースも「津田はクレイジーだ」とコメントし、当時のアナウンサーは「津田、スピード違反」と実況した。また、同年9月の巨人戦では、津田の速球に負けまいとフルスイングで挑んだ原は、手の骨が砕けてしまい、シーズン終了まで残り試合の欠場を余儀なくされた。
https://www.youtube.com/watch?v=ge07KK-rLD0
よく時代を超えて誰のボールが一番速いかという議論を野球ファンは好んでするが、中日や楽天で活躍した山﨑武司は、「色んな投手を見てきたけど、津田さん。津田さんのストレートはミサイルのようなもの」とそのストレートの威力を形容している。ストッパーとしての確かな能力と闘志剥き出しに投げるその姿は、いつしか「炎のストッパー」と異名をつけられた。
1989年シーズンは、津田にとってのキャリアハイで、40セーブポイントを挙げ、最優秀救援投手に選ばれている。
だが、ストレートが最大の魅力である一方で、投球の組み立ては単調なところがあり、1988年シーズンは、実に9度サヨナラ負けを経験している。この津田の危うさも魅力であり、打たれた姿も絵になる投手にはそうはお目にかかれない。私の中では同じく抑え投手として活躍した馬原孝浩(ダイエー、ソフトバンク)や現役の藤川球児ぐらいだ。「これで打たれたらごめんなさい。答えはボールに聞いてくれ」といった潔さを感じるのだ。日本史上最強の抑え投手であり、「大魔神」と命名された佐々木主浩にもこの手の色気はない。ずる賢く、非情に打ち取るのが佐々木流だ。この完璧でないところが津田の魅力でもあるのだ。

さて、1991年シーズンに戻ろう。津田が戦列から離脱した広島カープは粘り強い戦いを見せ、6月には首位中日から6ゲーム差をつけられながら、9月に逆転し、ペナントレースを制した。津田が結束させたのか、取り分け投手陣は素晴らしく、佐々岡が最優秀防御率、最多勝を獲得のうえ、沢村賞を受賞し、川口和久は最多奪三振、北別府学は最高勝率、大野豊は最優秀救援とタイトルを独占した。シーズン終了後、球団は本当の病名を周囲につげず、病気のために津田が引退したことが静かに発表された。

そして、私たちが津田の訃報を知ることになったのは、1993年7月20日のオールスターの日であった。華やかな祭典をのんびり見ている最中、津田の訃報が球場でアナウンスされた。32歳の若さであった。脳腫瘍の病魔におかされていたことさえ知らなかった当時の筆者は心に穴が空いてしまったかのような感覚を覚えた。
遊び球のない3球勝負が、生き急ぐような3球勝負に思えてしまう。人生まで潔よいことなかったんじゃないか。津田のことを思い出すとき、そんな無意味な問いを繰り返してしまうのだ。

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