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【プロ野球 名場面第8回】鉄人 衣笠祥雄の世界新記録(1987年)

衣笠が平安高からプロ入りしたのは、1965年のこと。元々は捕手として入団しましたが、打撃を買われて一塁手へ転向。4年目に初めて規定打席に到達すると、プロ入り7年目には打率2位に食い込み、この頃からリーグを代表する打者としての評価が定着していきます。1975年には、三塁手へ転向しました。大卒で同い年の山本浩二とはクリーン・アップを形成し、実に86度の「アベック弾」を放っています。これは、王、長嶋の106度に次ぐ2位の記録です。

衣笠の打撃の特長は、「当てる」バッティングをせずに常にフル・スイングであること。ホームランも多いが、三振も多くファンには魅力的な選手として映りました。
そして、彼を語るうえで、避けて通れないのが頑丈であること。1970年10月9日からスタートした連続出場記録は、彼の代名詞でした。然し、そんな衣笠の連続出場試合記録も、途絶える危機があったのです。
1979年8月1日の巨人戦で、西本聖から死球を受け、左の肩甲骨を骨折する重傷を負ってしまいます※。流石の衣笠も出てこないのではないかとファンは心配しましたが、なんと翌日代打で登場しました。江川卓にフル・スイングで挑んだものの、「三球三振」に終わりましたが、衣笠は、「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のために」とコメントしています。まだ先発定着もこれからといった若き日の西本が「リーグを代表する打者の記録をつぶしてしまうかもしれない。しまった。」と気落ちしていたところ、本人を思ってのコメントに、「鉄人」の紳士ぶりがよく表れています。後に、西本は、「何かを感じなければいけないと思った」と述懐しており、以後強気のピッチングスタイルを磨き上げ、6年連続二けた勝利を挙げました。江川と共に巨人投手陣を引っ張る存在となっていくのです。
※鉄人の西本聖とのエピソード
https://www.youtube.com/watch?v=5A2qRItTsAg

また、同年の近鉄の日本シリーズでは、同僚の江夏豊が自身のリリーフという持ち場にモチベーションを上げられない中、「お前がやめるなら俺もやめてやる」といって江夏をなだめました。「江夏の21球」の秘話として語られています。鉄人の人間的魅力がよく分かるエピソードですよね。

連続出場試合記録は、1979年の危機を乗り越えたあと、続いていきますが、1986年からは衰えが顕著になっていきます。同年山本浩二はユニフォームを脱ぎましたが、衣笠にはターゲットにする記録がありました。元メジャーリーガーであるルー・ゲーリックの世界記録2130試合連続出場を目標に1987年も連続出場試合記録を続け、6月13日ついに新記録を樹立しました。同シーズン最終試合まで出場を続け、2215年試合連続出場を果たし、引退します。実に17年間途絶えることなく、試合に出続けたのです。

プロ入り引退後は、不思議なことに一度も現場に招聘されることはありませんでしたが、思いやりのある解説が印象的でした。そして、そんな鉄人も2018年4月に逝去しました。あれほどまでに頑丈だった男が早く逝ってしまうなんて。寂しさを感じずにはいられませんでした。天国から球界を見守って欲しいものです。

【生涯成績】
出場試合数:2677試合出場(内2215試合連続出場は現在は世界歴代2位)
安打数:2543(史上5位、日米通算では8位)※
本塁打数:504(史上7位、日米通算では8位)※
タイトル:打点王1回、盗塁王1回
表彰等:MVP1回、ベストナイン3回、Gグラブ賞3回
その他:国民栄誉賞(1987年)
*2020年4月4日時点

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