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【プロ野球 名場面第7回】トレンディーエースの勃興(1987年)

第7回は、この年プロとしてのスタートを切った阿波野秀幸と西崎幸宏について語ろうと思います。

プロ野球の当時の定番のファッションと言えば、今は死後となっている「バンカラ」で、ゴルフウェア、パンチパーマに金のネックレスでした。そんな中、スリムで爽やかなルックスの阿波野(亜大→近鉄)、西崎(愛知工大→日本ハム)がドラフト一位で指名を受け、野球以外のことでも注目を浴びたのでした。西武の渡辺久信も併せて、テレビで流行真っただ中であったトレンディードラマから、彼らを「トレンディーエース」と周囲は呼んだのです。
確かに、当時「パ・リーグ」は、今よりも注目度はうんと低く、興味をひきたいというのは球団にも本人たちにもあったかもしれません。でも、きっと「俺たちは野球選手だぞ、見ておれ」という気持ちが本音だったでしょう。
阿波野と西崎は、ルーキーイヤー、パ・リーグ史上稀に見るハイレベルかつ熾烈な新人王争いを繰り広げます。阿波野が先行し、西崎が追いかける展開で、最終的には、阿波野が15勝12敗、防御率2.88、最多奪三振獲得、西崎が15勝7敗、防御率2.89と好成績でシーズンを終えました。
結局は、記者投票では阿波野に軍配が上がりましたが、惜しくも敗れた西崎も特別表彰を受け受けています。野茂英雄が現れるまで、彼らこそパ・リーグの代表的な投手でした。

https://www.youtube.com/watch?v=7xRMhEIxpjE

その後、プロ入り後5年の成績を整理すると下表のようになります。最近でも大卒選手でコンスタントにルーキーイヤーから成績を残す例は稀有な印象です。この後、阿波野はボークを厳しく取られるようになったことでフォームを崩すなど、先発投手としてローテーションを守ることも厳しくなりましたが、横浜に入団してからは中継ぎ投手として活路を見出しました。西崎は、阿波野よりも先発投手として寿命は長く、通算127勝をマークしました。
全盛期の145キロのキレ味鋭い速球と、コーナーを丹念につく両者のピッチングが脳裏に蘇ります。皆さんは、阿波野と西崎、どっちが好きでしたか?

阿波野と西崎


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