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第一回 橋本ハム太郎の逆にきゃりーぱみゅぱみゅがあの芸風で自民党支持者だったらそっちの方が驚かね?あと指原莉乃が自民党支持者ってのはすげーしっくりくるの巻

 渋谷のスクランブル交差点のTSUTAYAの前で、誰かと待ち合わせ風に突っ立っているという、ものすごくベタな待ち合わせ方をしている野生のきゃりーぱみゅぱみゅを3年くらい前に見たことがある。
 周囲も結構ざわついていてバレバレだったのですが、そこは東京、誰も声をかけたりはしなくて、でもわたしは田舎者なのですいませんよければ握手してくださいと勇気をふりしぼって声をかけた。声をかけたら気さくに応じてくれたのですが、本物のきゃりーぱみゅぱみゅは、相当やばかった。
 どうやばかったというか、そのとき彼女は髪の毛が真っ赤で派手な柄のワンピースを着て相当目立つ格好をしていながら(一応マスクをしていたが)、同時にものすごい殺気を放っていて、誰も近づいてくるな、近づいたら即殺す、というたまにそういう殺気オーラを出している子が繁華街にいると思いますが、きゃりーぱみゅぱみゅの殺気オーラは尋常じゃなく凄まじく、その手の「わたしは今ムカついている」というような生ぬるいオーラではない、本気で世界を呪い殺している人間だけが発せる殺気を出していた。今まで見た女性の中でいちばん怖かった。異様な人間だった。
 それで前よりもっと好きになったんだけど、握手してもらったあとにサインも書いてもらえますかと聞いたら快諾してもらえて、でもサインを書いてもらえるようなものが手元になく、仕方なくそのとき読んでいた車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』の文庫本にサインをしてもらった。サインを書いてもらうときに「車谷長吉って知ってますか?」ときいたら「知りません」と返された。そして「髪型素敵ですね」と言ったら無視されてしまった。
 同じような珍サイン本シリーズでいえば、天竺鼠・川原にサインしてもらった柄谷行人・蓮實重彦の『闘争のエチカ』などがある。今後もこういったサイン本を順次増やしていく予定である。

 それから月日が経ち、この度彼女がツイッターでハッシュタグ検察庁法案改定案の強行に反対しますを呟き、世間で賛否両論が巻き起こったのは皆さんご存知だと思います。
 このブログでは法案の改定の是非や芸能人が政治的発言をすることの是非は問いません。わたしが言いたいのはタイトルに書いてある通りで、きゃりーぱみゅぱみゅはあの世界観で商売してたらそりゃ保守政党とは意見あわないでしょって話で、いや彼女は中田ヤスタカプロデュースのサウンドで美術面では増田セバスチャンのプロデュース下にあるので単なるアイコン、操り人形に過ぎないと穿った見方をしたとしても、それでもそういった環境下に何年も身を置いて諸外国と関わっていれば、きゃりーぱみゅぱみゅが自民党のおじさんたちとは価値観が合わなくなるのは容易に想像がつくし、逆に秋元康プロデュースで世に出てきた指原莉乃が自民党と相性がいいってのもあまりに当たり前すぎてなんの驚きもない話、ってわけです。

 で、さっしーこと指原莉乃さんが人気者足り得てるのは歌唱やダンスのスキルによってではなく現場でのファン、スタッフ、共演者への対応力、つまり人格が評価されているから、というのも視聴者は知ってることだけども、そういう気遣いや気配りができるのは非常に難しいことで凄いことではあるけれど(だいたいの人間は空気も読めないし気の利いたことも言えないので)、今、あまりにそれを重視しすぎてると思うんですが皆さんどう思いますか。一億総ホステス時代というか。
 お客さんもしくは目上の人を気持ちよくさせるホスピタリティの気持ちが求められすぎていて、そういった空気を読む能力、コミュ力ばかりが社会からは求められていて、これはサラリーマンの中でも特に営業職に言える話なのだけれど、本当に必要な能力・スキルというのが軽んじられている。かくいうわたしもやろうと思えばそういうホステスみたいなことが結構できる方の人間なんで、こう見えて社内で史上一、二のスピード出世を驀進しているのだけど、それがなぜかというと上司に媚び売る能力と周りに敵を作らないようにする能力が秀でてるだけに過ぎないと自己分析している。具体的にいうと社内飲み会、社内イベントに皆勤で参加してそつなくこなすこと。約束を守ること。それだけ。それ以外のスキルなんか何もなくて、だからこのコロナ禍で在宅勤務になるとすっかり仕事がなくなってしまって困ったよねー。今までそういう戦略でのし上がろうとしていたので。コロナのせいで実はたいして働いていないってことがバレちゃった。
 そのぼんやりとした「好感度」というものの取り扱いに失敗してしまったのがテラスハウスで、というよりテラスハウスは人間の隠している滑稽なすがたを暴いて面白がるという、世が好感度至上主義ゆえにその逆をついた在り方が商売になってしまっている番組だったように思いますが、そのせいで出演者がSNS上で大量の誹謗中傷にあい、自死を選んでしまったという痛ましいニュースが昨日流れました。
繰り返しになりますが、こういったリアリティショーだけに限らず、わたしのようなサラリーマンにも言えることであるのだけど、世の中は「コミュ力」を重視しすぎだと思います。今回のテラスハウスの事件には色々な問題があって、SNSの在り方やリアリティショーの在り方などまあ色々な問題がそこには眠っていますが、そもそもが容姿を含めたキャラクター、そしてコミュ力だけで人を評価してしまうから、リアリティショー番組の出演者は「性格が悪い」と追い込まれてしまい、わたしのような人間が出世するのである。何が出来るのかよりも、どういう人なのかで見られてしまう。そこだけで、評価されてしまう。
 テラスハウスの楽しみ方として出演者たちの人格を批評・批判するというのは絶対にあって、というかそれしか楽しむポイントがないんですが(基本的に美男美女がデートしているところ見るだけなんで)、テラスハウスに限らずそういう人間の舞台裏を楽しむのはもうやめましょうということです。アイドルもサラリーマンも「頑張ってる」とか「感じがいい」とかそんなのを評価軸に置くのは、評価される分にはいいけど、されなかった場合にはシンプルに人格否定にまっすぐ繋がってしまうので。
 ではどういう世界がいいのかというと、やはりネタで勝負する世の中がいいと思いますがそんな世界は来ないでしょう。
 きゃりーぱみゅぱみゅさんが「誹謗中傷を気にするななんて難しいよ。芸能人だって1人の人間だよ忘れないで」とツイートしたところ、「ここ数年で一番誹謗中傷を受けている人は安倍さんです」「自分達が政治家なりを憶測で誹謗中傷しておいて、自分らが批判されると攻撃されたと被害者ヅラ」「政治家を誹謗中傷するのはOKなんですか?」などと大量のリプライがつき話題に。
 これもキャラクター社会の弊害の一つだと思って、安倍晋三氏が実際にどういうポジションでどういった権力を持っているのかというのをこの人たちはすっ飛ばして、キャラクターとして安倍ちゃんが「いじめられている人」と支持者が(!)認識されているから「かわいそう」となるのである。
 思えば保守系だったりポピュリズムだったりする政治家というのは、具体的にいうと小泉純一郎や石原慎太郎、橋下徹に小池百合子などは、強烈なリーダーシップを発揮し民衆を扇動していくけれど、安倍ちゃんからはそういうのは全く感じない。みなさんは見たことありますか?橋下徹のように場をマウンティングする安倍ちゃんを。あるいは石原慎太郎みたいな老害的上から目線をかましてくる安倍ちゃんを。ないでしょ?笑。そういうのできないのよ、あの人は。
 そんな体育会系みたいなことは安倍ちゃんは一切しなくて、おどおどした態度で歯切れと滑舌の悪い答弁をして野党に攻められている姿がいちばんしっくりくるわけ。もしくは逆ギレ、あるいはやたらと油断した笑顔。だから、これほど「いじめられっ子」気質が漲っている大人も珍しくて、この「いじめられてかわいそうな男の人」という印象を与える稀有なキャラが、安倍人気を支えていたのではないかときゃりーぱみゅぱみゅへのリプライを見てやっと気がついた。
 人気歌手に政策を反対されてかわいそうな総理大臣とそれを庇う支持者、と、こうやって文字にすると非常に歪んだグロテスクと言ってもいい世界観でありますが、これを「若い女性に意見を反対された弱々しい中年男性」と書き直すとまさに現代日本の象徴というか、日本のマジョリティど真ん中といった趣さえある。
もちろん、安倍ちゃんがそういう属性のキャラクターであることと実際にやっていることというのは全く別に切り分けて考えないといけないのだけど、そんな難しいこといまの日本人のほとんどは考えられないので、稀代のいじめられっ子である安倍ちゃんを取り巻く言説は「虐めたい/庇いたい」のどちらかの欲求に支配されてしまい、両陣営とも<誹謗中傷>へとついつい取り込まれてしまう。
 中心の安倍ちゃんの強烈な引力によって、政治について語ると最終的に「安倍死ね」か「安倍総理愛してます or 反日は国から出ていけ」のどちらかにしか辿り着かない。ここまで死ねって言われる政治家もいないし、愛される政治家もいない。そして、この安倍ちゃんの「いじめられっ子」という印象が、戦後日本の自虐史観とそのまま重なっていき、日本=安倍という構図が支持者の中で出来上がる、だからネトウヨは安倍批判=反日と認識するのだ、なんつってこれは流石に詭弁でしょうか。結構いい線いったんじゃないかと思いますが。
 まあそんなことどーでもいいから、毎日楽しくやりましょう。楽しむこと、それが最大の復讐です。

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