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【ぼっち・ざ・ろっく!】人類最後の問題

バント活動に憧れ一人ギターを始めた陰キャな少女・後藤ひとり。

https://www.netflix.com/browse?jbv=81641170

これはネトフリに掲載されているぼっち・ざ・ろっく!の紹介文である。一行でズバッと切り捨てられており、ある意味この作品を的確に表現していると言える。主人公がぼっちの陰キャであることそれ自体がこの作品の個性であり、テーマだ。私が見た限り他の作品紹介もここまで短くはない。5W(1H)を抑えた、おおよその世界観やあらすじがもう少し詳しく書かれている。

この短さよ。(左下がぼっち・ざ・ろっく!)

しかしこの作品にそういった説明は不要。というかできない。なぜなら悪魔もテロリストも隕石もない、平和な世界が舞台で外的要因による問題がほぼ存在しないから。ゆるキャン△でさえ迷子や冬季キャンプの大変さについて触れているのに。一応、作中において学生のバンド活動においてチケットノルマや機材の金がかかるというお約束は残っているものの、基本的に牧歌的な世界観で突如興奮して金切り声を上げる後藤ひとりは主人公なのにまるで異物に見える。そんな希少種となったクソザコツチノコである後藤ひとりの奇行と被害妄想に苦しむさまを見守ることがこの作品のキモとなる。

「きららキャラにも陰キャはたくさんいるよ!多いぐらいだよ!」とは思うかもしれないが後藤ひとりのそれは群を抜いている。まず会話ができないどころか話を聞いていない。相手が一言喋るだけで突然ネガティブになり独白と妄想が始まる。そのまま現実をシャットアウトして自嘲自虐自傷を繰り返し最後に会話と関係のない返事を返す。いや、発声があるのはまだマシな方で、最悪の場合は気絶したり、勝手にアニメを終わらせようとする。このアニメにおける後藤ひとりのまともな会話だけを集めてもおそらく1話あたり5分にも満たないだろう。

(アニメ4話時点で)この作品における明確な敵はいない。いじわるなライバルもいない。日常や趣味の尊さを謳うからいないのではなく、ライブハウスに入るだけの日常動作や親身なバンドメンバーとの会話でさえ、後藤ひとりにとってすでに最大の障害になっているから不要なのである。

なんならその障害に直面させる必要すらなく、バイトしよう、SNSやろうと勧告するだけで十分である。それだけで不安を掻き立て自身に向ける圧倒的な暴虐性が目を覚まし被害妄想に陥って死をもたらす。その妄想は実際にバイトで接客をしているときより遥かに死の危険が高い。

戦争、病気、環境問題、飢餓、Fコードが弾けない、ドリンクチケット頼んでないのになくした etc..。この世界が、現実が、あらゆる問題を解決したとしても必ず最後にぼっちは取り残される。それはぼっちだから。初期ステータスがクッソ低いからもう勝手に苦しむほかないのである。

人類最後の問題「ぼっち」から彼女は革命を成し遂げられるのか?見届けたいと思います。

見出し画像はウィキダさんに描いてもらいました!いいねくれー!いいねくれー!


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