同時多発テロが起こった日
9月11日、アメリカで同時多発テロが起こった日だ。
あの年は4月から、妹の長男を預かっていた。東京の私立大学附属高校への編入試験に合格した甥っ子は、口うるさい父親・妹の旦那から逃れるようにわが家に転がり込んだ。
中野には、旦那の実家がある。でも妹はそっちで生活させるのはイヤだと、まず私の母に頼んでいた。でも母は、高校生の男の子の面倒は見切れないと断った。それまで妹が望むことはほとんど全部聞き入れてくれた母に、断られるとは思ってなかったらしい。最後に私の所にお鉢が回ってきたのだ。母は断った方がいいと、私にこっそり電話してきた。「中野があるんだから、そっちから通わせればいいのよ」
私はちょうど正式に離婚して、財産分与とか早期退職した夫の退職金の分割などは全部諦め、狛江の家だけは私の名義に変えることができたばかりのころだ。住むところさえ確保できれば心配ない。仕事も順調だし、肩の荷が下りてホッとしていた。そもそも甥っ子が高校生になるのも失念していた。お祝いすらあげていない。
泣きの涙で妹から頼まれて、私には断る理由などなかった。息子は3人とも独立したし、3男も大阪でのひとり暮らしがはじまっていたから、部屋はある。朝起こして、ご飯食べさせるだけなら、大丈夫。
4人目の男の子は優秀だけれどもシャイで、うちの息子たちとはタイプが全く違うのも面白かった。弓道部に入って、毎日大きな荷物を抱えて真面目に通っていた。
9月11日は、2学期がはじまったばかり。はじめは遠慮がちで、私の目を見て話せないような子だったけれど、この頃にはすっかり家族になっていた。2人でおしゃべりしながらご飯を食べ終わり、私は後ろを向いて洗い物をしていたときだ。「おばちゃん、おばちゃん大変だ」と彼が叫んだ。振り返って目に飛び込んできたテレビの画面、ゴジラ映画の宣伝かと思った。えっ、えっ…、言葉にならずに2人で画面を凝視していた。
幸い直接関わりがある人が巻き込まれたという知らせはなかったけれど、あの時のショックと、甥っ子と一緒の場面は、今でも鮮明に蘇る。世界史のいちシーンをリアルタイムで目撃した私たち。その時一緒にいた甥っ子は、今ではお嫁とひとり息子と3人で、インドで暮らしているが、私とは奇妙な絆が今でもあるのだ。
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