6人のおばあ

昭和18年、19年生まれの3人と、戦後生まれの3人、何とも奇妙な狛江6人のおばあ会だが、私たちが定期的に会ってご飯を食べるようになったきっかけは何だったのか。会うたびに繰り返し、当時の話で盛り上がる。
小田急線高架と狛江駅前の再開発に伴い、駅前にあった小学校の移転が決まっていた。引っ越し先の敷地は従来よりも狭いにもかかわらず、プールを校庭に置くなど、学校全体の設計にはなんの工夫もみられない。しかも、保護者への相談や説明が全くないまま、どんどん進められていることを知った当時のPTAの役員たちが、待ったを掛けた。学校や市を相手に、まず保護者への説明会を要望、その中心にいた当時のPTA役員が私たちだった。
説明会は、低学年、中学年、高学年と3回に分けて行われ、3人の子持ちの私は全部の会に出席して素朴な疑問質問をぶつけたものだ。さらに他市のケース見学、勉強会、陳情などなど…、エネルギーあふれる若い親たちが頑張った結果、プールは屋上に、教室の配置なども子ども中心の導線に工夫するなど、今でも誇れる小学校になった。バックに団体が付いているわけでもなく、何の利害関係もない個人個人の考えと動きが一致した素晴らしい経験だった。
6人はそれ以来のお付き合い。つかず離れず、いまでもつながっている最大の要因は、実に個性的で面白い人たちだということ。平凡ではない、平均的ではない。自分で声を掛けたのに、約束の店になかなかあらわれないから心配して電話すれば「キャッ 忘れてた」という人、長年「ただの同居人」と言い張っていた旦那が、実は一年前に病死していたことを初めて私たちに告白した人ー、まだまだウオッチし続けますわよ。


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