連載 猫(1)

 はじめまして。突然にこのようなお手紙を差し上げる無礼をお許しください。私は御宅から少し離れたところに住まう大学生です。大学に通う際に、御宅のそばを通ります。すてきな、立派なご邸宅ですから、通りかかるたびに、つい眺めてしまいます。
 早速、こうしたお手紙をお送りするに至った経緯について、お伝えしたいのですが、簡潔に言ってしまえば、それは、猫です。猫についてなのです。
 私は、ある野良猫の面倒を見ていました。いつからでしょうか。もう、去年の冬ごろには、来ていたと思います。はじめて餌をやったとき、肌寒かったのを覚えています。とてもやせていて、寒そうで、かわいそうだったので、拾い上げてうちに連れ込みました。私の借家は動物を持ち込むのが禁止ですから、随分ひやひやしました。あのとき、私はきっと寂しかったのだろうと思います。猫を持ち上げた手のひらから、いきものの温かさを感じて、つい、うれしくて。私も懐に余裕があるほうではまったくないのですが、その猫に人参を与えてやりました。
 それから、その野良猫が私のところにやってくるようになったのです。独身のうちに猫を飼い始めると、猫にばかり構うようになって結婚できなくなってしまうからよしたほうがいい、なんて、そんな話を聞いたことがありますが。曲がりなりにも猫の世話をしてみて、その意味がよくわかりましたよ。かわゆいの、なんのって。いつも、夕方ごろにふらっとやってくるんです。動物が入っているのに大家に気づかれたくないから、窓から入ってほしいんですが、言葉も通じませんし、私が正面から入るのについてきたりして。甘い声で鳴くたびに、私はぞっとしたものです。誰かにばれるから、というのもありますが、それより、あの鳴き声の、胸をぎゅっとさせるような切ない感じに、ぞっとするのです。
 しばらくして、私もいよいよ、虜になってしまって、猫って、気まぐれらしいですから、いつかぱたりと来なくなってしまうのではないかと心配して、やる食料のほうも凝り始めました。大学で図書を借りて、そこに載っていた、猫においしい食べ物を作ってやったのです。料理なんてろくにしたことがありませんから、苦労しながらやりました。そうするとなんだか、猫のほうもおいしそうに食べるのです。
 このように、私は猫にすっかり夢中でした。猫にやる食べ物のことばかり考えていました。しかし、一ヶ月前から、猫はすっかり顔を見せなくなったのです。
 私はしばらく、いても立ってもいられなくなって、涙さえ滲んだことがあったと思います。なにが、どうしてしまったのか、知る由もありませんから、どこかで死んでしまったのか、大家に見つかって処分されたのか、他の人に捕まったのか、そんなことを延々考えて、ぼうっとしていました。たかが猫一匹、しかも、飼っていたわけでもあるまいし、そんな存在の欠如に、ここまで落ち込むものかと、自分でも驚きました。私は、自分の生活に、なにか依り代を求めていたのかもしれません。
 ここまで、長々と私事を綴ってしまい申し訳ありません。書こうとすると、つい猫のことをいろいろと思い出してしまったもので。ですが、これで私がその猫にどれだけの思いを持っているかということを、一部でもお伝えできたのではないかと思います。
 猫を見かけなくなってから一ヶ月ですが、未だに気分は重く、道行く他の野良猫を見ては、思い出し、ため息をついています。今日も、そんな日でした。
 大学に通う道中で、御宅の庭先にふと目をやると、娘さんでしょうか、若い女性の方が椅子に腰かけているのが、大きな窓越しに見えました。そして私は見たのです、その、膝の上に、あの猫にそっくりなのがいて、撫でられているのを。遠くでしたし、はっきりと模様や色がわかったわけではありません。しかし、他の野良猫を見ても感じなかったものを仕草なんかから直感的に感じました。思わず、柵のところから、膝の上の猫をじっと見てしまい、そういう、盗み見のような真似をしたのは、本当に無礼で、申し訳ありませんでした。女性の方がふっとこちらに顔を向けたので、私は思わず顔を引っ込めてしまいました。
 無理を承知で、お願いごとがあります。今日、私がみたあの猫が、私の世話していた猫なのか、確認させてほしいのです。私としてもあの猫を飼っていたわけではありませんし、返してくれだとか、そんなことはつゆほども思っていません。ただ、確認できればいいのです。あの野良猫が、どこかで元気に生きているかもしれないという曖昧な希望を、そのままにしておこうかとも考えましたが、やはり私は、知れるものならば知っておきたいのです。御宅にお邪魔させていただかなくても結構です。玄関口でも、正門の前でも、ただ、私は、あの猫を近くで眺めて、確認したいだけなのです。そうして、もうひと月にも及ぶ私の憂いごとにけりをつけられたらと思っています。身勝手なお願いで、私のような貧乏学生が、あのような邸宅にお住まいになる方に、なにかの願いを聞き入れていただけるなどと、そんな甘い考えを持っているわけではありませんが、灰色の生活に蜘蛛の糸が垂らされたと思い、必死に、しがみついております。もしも、もしもご厚意を賜ることができましたら、幸甚です。
 それでは、暑くなって参りましたが、お体にお気をつけてお過ごしくださいませ。お返事をお待ちしております。


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