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エッセイ ある指揮者の悪夢(指揮者はつらいよ)

Wiener コアラの会の行動開始まであと1日、今日は私の悪夢のお話をしましょう。私が最低の指揮者になった夢です。

ある悪夢の話

先日2月12日、いつものようによく眠れない夜の後、ついうとうとと眠った時の出来事です。私は自分の人生の中で非常に印象の残る夢を見ました。私自身がまた指揮者に復帰する夢なのです。鮮明に覚えているので皆様方にはお話しようと筆を取りました。読んで下さい。話は2022年2月のある日私があるきっかけで指揮者に復活するお話です。とにかく夢の中のお話なのであしからず。

まず頭に浮かんだ画面は指揮台から見たオーケストラ。どうも日本フィルの皆様らしい。4拍子の曲で新曲らしい。
曲が始まった後永年のブランクでオーケストラとの良いタイミングが掴めず、ややオーケストラは後退り気味、それに加えプローベの寸前まで曲の暗譜が上手くいかず頭に浮かぶ音楽も非常に消極的、ジリジリと焦りが始まった。どうしよう、こんな仕事受けるんじゃなかった。といっても既にプローべは始まったのだから後のまつりである。曲を直す事も出来ずただただ4拍子を振るだけで曲は過ぎていく。おいプローべだぞ、止めて何かを言わなくては。でも何を言うべきか全然浮かばない。そうこうするうちに1楽章は通し終わった。何か言わねば、オーケストラの印象が悪くなる、そんな事ばかりを考えて何をオーケストラに要求すべきか全く浮かばない。頭の中は真っ白になるばかりである。ひとまずその場を取り繕う意味で曲の構成をちょっとばかり説明して、全然今演奏をした事なんて一言も言えずに、また初めから曲を弾かせる最低のプローべパターンだ。2回目の繰り返しが始まって次の止めるまでに、良い事をオーケストラに言わなければならない、でも何を直せば良いのか浮かばない。曲目の理解が薄い為に手はただ4拍子を相変わらず振っているだけで何も変わらない。

実はこのプローべは公開でプローべ見学者だけで約100人ほどいて、当然私の弟子達やマスコミの方それに一般聴衆の皆様方、それに井上道義さん、弟子の下野竜也が、私のプローベがどんなに勉強になるか固唾を呑んで何を言うか待っている。日頃自分は偉そうにプローベの理想を箇条書きの様に教えているだけではないか、人前で良い例を示さなければ、とただただ焦るばかりである。

そして段々とオーケストラの連中の顔色ばかり伺って真にこの曲に対してのプローベをしていない自分に嫌気がさしてきてしまった。このまま1楽章のプローベはなんとなく意味もなく進み休憩時間がやってきました。この時すでにプローベは3分ほど伸びていましたが、オーケストラの団員は1人とせず文句を言わずに、休憩に入りました。休憩時にはマスコミを含めていろいろな方々が私に寄ってきてたくさんの質問を受け自分が嫌なほど繕っているのを感じながら2楽章の勉強不足を心配している自分がいました。残念ながら休憩時間にスコアを見ることができずまた次の練習に入りました。まずプローべの始まりに自分が5分ほど遅刻をして指揮台に上ったのですが楽員は誰も文句を言わずに次のプローベが始まりました。ただし彼らの色々な含みを持った冷たい視線を感じました。さぁ2楽章では変拍子が遅いながらも何度も続きます。暗譜が完全でない私はそれに目も悪い私はついに片手で楽譜を持って右手で変拍子を振るような様になってしまいました。

もう究極の状態ですね。どこにも逃げられないどうにも収拾がつかない、最恐のパニック状態になってしまったときに目が覚めました。ああよかった夢だった。

私は何か大きいことが始まる時にこのような夢を見ます。同じような夢を見た記憶は小澤先生が一緒の時で、サイトウキネンオーケストラの公演が始まる直前に、リヒャルトシュトラウスのナクソス島のアリアドネの公演指揮者がキャンセルのために急に私にその代理に指揮をしろと言われ急遽公演を指揮する事となり、殆ど予習もできなく指揮台に上がったところで目が覚めるという夢です。日頃からこのぐらいのレパートリーはすぐにスタンバイ出来なければいけません。
私が日頃教えている事の全てがダメダメ、全部が悪い見本となっていてそれを自分がごまかそうとしている悪夢です。

まあプローベとは自分の信じる事を自分の言葉で伝統を踏まえながら音楽のことだけを考えて行うのが理想ですが、とにかく前勉強が大事ですね。
要は人前に出すだけの準備が完璧か。何も世間体を気にせず正しい目的に進めるか。

私は自分の勉強が曖昧な時、この様な夢を見ます。今回はWienerコアラの会の旗揚げの事で毎日の勉強が疎かになっている事。それにWiener コアラの会の運営上の問題を考えて、要するに私の頭の中で起こっている事は自分がこれから行う一事業の為に正しく準備ができているか。そして自分のこれから行う事に対して自信と責任がが持てるかと言う戒めの結果だと思います。本当に世界中の音楽界を変えようとするからにはその覚悟を持って全力を投入しろと私の脳が私の体に命じているのです。 

私湯浅勇治は、どんな事にもめげずにクラシック音楽界の発展に毎日全力を注ぐ事をここに誓います。

2022年2月14日 ウィーンにて 湯浅勇治

得意のまた追伸

もう一つお話したい事があります。それは、男はつらいよのお話です。直接今回の話とは関係がないのですが、ちょうど指揮者はつらいよという題材で文章を書いたついでに、男はつらいよの映画チームと知り合いになれたお話をしましょう。

寅さんの話

私は寅さんの人生観に憧れています。
1988年私の友人であるウィーン観光局の日本担当の課長から明日暇かという電話があり、空港へ付き合ってくれないかと言われその時にいつものジーパンでなく背広を着てこいと言われ空港に着くと、男はつらいよと書いたネクタイピンを渡され、なんと憧れの山田洋次先生がこれから来るから君にも手伝って欲しいとの話でした。
その1年前に、男はつらいよの映画の内容と私がファンであるかを聞かれていた事が実際に実現する最終段階でした。
山田洋次先生は気さくに寅さんをどうしてもウィーンに連れて来たいので色々と私に手伝って欲しい、先ず台本を読んで下さい。とその台本を読ませて頂いたのですが、その寅さんのマドンナ役(竹下景子)のモデルになる音楽学生で何らコンクールも入賞出来なく仕送りもなくなってしまった女子学生を探してくれないかと言われました。私は、寅さんの映画は人を喜ばせたり、考えさせたりする娯楽人情映画なのにこんなマドンナを作ったらウィーンに留学した殆どの学生が自分も同じ運命だったと言ってこの映画を嫌いになるからそれに寅さんファンとして私はお手伝いできかねると言ったら早速ヒロインの生い立ちを全く違う内容にしてくださったのです。そして私を映画に参加させて下さいました。シェーンブルン宮殿のカットで助監督の方に山本直純さんに言ってこのシーンはバックに皇帝円舞曲をとお願いしたら心良くそうして頂きました。私の昔のアパートもモデルとして出ていますし、山田洋次先生から寅さんを紹介されてスタッフのジャンパーも頂きました。
この撮影の時に起こった事は鮮明に覚えています。台本は存在しますが、これは山田洋次先生の執筆ですから、彼は作曲家であり、監督であるので指揮者でもあります。
ここで興味深かったのは、寅さんは台本の大筋は守りますが、いつもインスピレーションで即興性のある動きをします。監督はその都度その都度その寅さんの行動にあった他の役者さんの動きを演出し、撮影していく。まるで山田洋次先生の動きは優れた指揮者と同じでした。さしづめ寅さんはプラシード・ドミンゴといったところでしょうか。たいへん興味がありました。わたしにも、先生好きにやってみて、但し、ああ寅さんだ、サインして、だけはダメだと言われ、なんか緊張した覚えがあります。

撮影後寅さんと連れションをし、自分がウィーン音大で指揮を教えていると言ったらあのジャジャジャ ジャーーンかい。と言われた事を連れションとともに鮮明に覚えています。とにかく良い想い出がいっぱいで非常によくウィーンが描かれておりますので是非ご観賞下さい。男はつらいよ 寅次郎心の旅路 と言う映画です。

あの頃の寅さん映画が国民に与えた影響は大したものでした。スタッフの方の話ですと、たった数秒で視聴者、俳優、スタッフを彼の世界へ導きます。俳優の渥美清さんか寅さんか一緒になってどちらがどちらか解らなくなるそうです。

クラシック音楽界もあの様に国民にもっと定着する事を望みます。要は指揮者が作曲家の生まれ変わりのようになった状態にオーケストラ、聴衆がが呼応出来れば寅さんと同じ事になると思います。ちなみに小澤征爾さんとコバケンさんも大の寅さんファンで、私が、寅さんファンで有名人のお二人に寅さんと同じように連れションをして欲しいと言ったら、心良く受けて下さいました。コレも寅さんの力だと思います。

この文章を書いた後に、今までWiener コアラの会の事で硬派な事ばかり考えていましたが、寅さんを思い出したら、急に軟派なアイデアが浮かんで本来のもう一つの私のキャラクターにあった考えが浮かびました。そうそう私は双子座の二重人格者なのです。ハハハハー。

ウィーン会議

Wienerコアラの会の会員交流の場所として、全国至る所で会員の幹事企画による懇親会(飲み会)を毎日のように全国至る所で開催し、その折にクラシック音楽界の将来の為のお話と色々な分野の方との交流をして頂くのです。今この文章を書いているとこの一年の中で一番ハツラツとして明るい自分がいます(笑)
内容はこういう風にして下さい。まず飲み会を企画される方がそのまま幹事を務めて、飲み会の場所、日時食事内容、費用などを、ウィーン会議(飲み会)のら欄に掲載をお願いします。飲み会の規模ですが開催最低人数が3人、最高人数が15人、これは厳守でお願いします。さもないと飲み会がまとまらないので。開催までに参加人数が不足の場合、2日前に会員になる希望の方の補充は認めますが原則として会員のみの参加として下さい。なお幹事は閉会後Webサイト上で報告をし写真等の貼り付けもお願いします。

ウィーン会議は踊るとよく言われる事ですが、歴史的にはナポレオン戦争の後ヨーロッパの平和と統一を図った会議があったのですが、各国のお互いのエゴで会議は全く進まず毎日行った舞踏会ばかりが目についた会議でした。(たいへん有名な映画がありますのでご覧になると良いと思います。)

まあ私は毎日飲み会があちらこちらで開かれるのは大歓迎ですが、アイデアもたくさん出し合ってもらいたいものです。コレを軟派な行事として行なっていきましょう。なお飲み会の名前はウィーン会議 in 東京、ウィーン会議 in 大阪なんて言うのはどうでしょうか、ああ面白くなってきた。コレですよ。企画には楽しみと喜びがなくては。寅さん本当にありがとう。私の指揮セミナーはいつも飲み会が付き物でした。コレでこそ湯浅の企画する会なのです。私は色々なウィーン会議へ寅さんのようにお邪魔をしたいですね。早くコロナ禍が終わらないかなあ。これでようやく自分らしさが出てきました。飲み会中の大事なルールは人の意見はちゃんと聞く。そして年配の方を敬う年功序列思考です。お忘れなく。

今日は2月の13日、良い考え(夢)は夜開くですね。太一、夜中の3時、4時に電話で起こしてすまん。でもこれは大事な事だからこの後皆様にうまく伝える事を考え即実行して欲しいのです。最後に、 湯浅弟子は一生つらいよ かな。


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