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他人の目を気にしなくなったパート9 余命宣告2ヶ月を受けて

嬉しいこととは何か。

3クール目を終わる前に人とあまり関わりを無理にもたないようにしようと考えていたのですが年上の男性と女性患者の方と少し打ち解けるようになりました。




同じように味覚障害で悩み、カップ麺はこの味が食べれたよ。とか冷凍食品ならミートパスタは食べれなかったけどペペロンチーノなら食べれたよ、とか。







初めてちゃんと同じ患者同士で話をした。




気楽に構えて毎日を過ごす人もいれば
少し自己嫌悪気味の人もいた。



僕は時間があれば本を読み、1日1万歩以上を継続しながらどうしても体が動かない時以外は相変わらず点滴台を片手で持ちながら歩き続けた。



あまり邪魔にならないような場所で
床から天井までガラス張りのところがあったので
そこが「いつもの筋トレ場所」だった。



3クール目で一番苦しかったのは、味覚障害だが
カップ麺の「酸辣湯(サンラータン[スーランタン])」

これがとにかくめちゃくちゃ美味しく感じて、
親にはこればっかり買ってきてもらうように頼んだ。



母は当初毎日病院に来てくれていたが、
この頃には2日または3日に1回になった。
それは僕がそれだけ順調である証だ。



来てくれる度に5個以上、酸辣湯のカップ麺を買ってきてくれるようになった。





本当に助かります。




週末は父も来てくれる。



姉も僕に気を遣いながら、たまに顔を出してくれた。



うちの家族は「相手の時間を奪わない」そんな考え方を持っていると昔から感じていた。



しかし、とても心配してくれているし、気にかけてくれているのは僕には透けて見えていた。



最高の家族にありがとう。



3クール目を終える頃には寝る前のお祈りもしなくなっていた。


「今日もありがとう。明日は今日よりも元気になっているよ。」

そうやって報告するようにしていた。


続きは後日

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