「ある幽霊狩人達の追想」

あらすじ
心霊写真家の島貫湊は家に幽霊が現れたのでお祓いをして欲しいという知り合いの超常現象研究家佐藤陽翔に誘われ霊媒師の野添陽菜と共に山岳地帯にある片川村の上口茜の屋敷を訪れ、浄霊をする為に交霊会を行う。そこに殺人犯だと名乗る死者の悪霊が現れ、年を重ねてこの汚辱にまみれた地に隠された暗い秘めごとを知る。家に戻り暗室で、撮影した写真を現像していると、霊障にあい彼は逃げ出したが水神大橋から落ちて霊道の領域に迷い込んでしまう。現世に戻ることはできたが湊は霊障に悩まされ続ける。湊と陽菜は土地の汚れを浄化して、悪霊を退治する方法、怪異を黒い悪魔の鬼門に食わせる方法を使い悪しき存在を退治することができたが・・・。

本文

緑色のモッズコートを着込んだロマンスグレーの長身で痩せ型の島貫湊にとって、普段はタクシーを拾うのに何の不自由もなかった。しかし、その夜、彼は遅くまで車を停めるのに苦労していた。結局、水神大橋へ向かうのに三十分ほどかかってしまった。そもそもマンションを出て水銀灯の光で冷え冷えと照らされた大通りに出た時点で、先ほど目撃した不気味な霊障による現象の恐怖は、島貫の意識から薄れようとしていた。彼はジャケットのポケットから強いジタンのタバコを取り出し、火をつけた瞬間、ライターの小さな炎が照らすその揺らめきは、心の闇にも一筋の希望の光を投げかけた。彼の目には力強さが宿り、内なる強さと決意の象徴であるかのようだった。タバコの炎がゆらゆらと踊る中、湊は深く呼吸をし、高鳴る鼓動を落ち着かせようとした。ほんの数分間の出来事だったが、永遠のようにも感じられた。結局、親切な制帽をかぶった女性運転手が「ちょうど帰り道だから」と愛想よく車を停めてくれたのは、夜明け近くの頃だった。車内のラジオからは深夜の懐メロが流れていたが、湊の凍った心を解きほぐすことはなかった。島貫が車窓に顔を近づけたとき、青い街灯に照らされていた水神大橋がガラスに繊細に映り込んでいた。その反射の中には幽霊の顔も不思議な形で重なって見えた。窓越しに見える過ぎ去る景色は、彼の心の奥底に隠されたふかい不安を彼の表情にも映し出していた。その映り込んだ風景と彼の表情からは、現世に生きる者と黄泉の国との狭間にある微妙なバランスについて、彼が思いを馳せていることが伺えた。湊はその風景を見つめつつ、わずかに冷たい空気を感じ「乗せてしまったか」と呟いた。女の妖艶な幽霊が、湊の両膝の上に置いた黒革のバッグにそっと触れようとすると、彼は必死にその持ち手を握りしめた。しばらくすると、運転手がバックミラーを見ながら優しい声で「お客さん、水神大橋の真ん中あたりですよ」と声をかけてきた。湊は額から滲み出た冷や汗を拭きながら、「ちょっと待っていてくれますか?」と運転手に頼み、タクシーから降りた。彼はあさぎ色のかかった乳白色の霧に包まれた樹海に足を踏み入れると、やはり恐怖を感じてしまった。まだ悪霊に憑依されているのではないかという不安に駆られていたからだ。彼の蒼ざめた顔色は霧の中で見分けがつかなくなり、ぼんやりとした輪郭だけが見えるようになった。その時、幻聴とは違う深い悲しみを感じさせる慟哭が霧の中から聞こえてきた。彼が持っていた黒いバッグを開き、中をたしかめると、そこには身の毛もよだつ死体の写真が何枚も収められていた。それらを眺めていると、かつて事件現場でカメラマンとして活動していた時の、底気味悪く暗い記憶が蘇り始めた。湊はドキュメンタリー風の写真が専門であったが、監察医務院での殺人や自殺の記録を担当するなど、地味で芸術性にとぼしいが重要な仕事に従事していた。しかし、ある陰惨な事件の捜査が彼の人生を一変させ、最終的には捜査一課からの辞職に追い込まれた。現在は心霊写真家としての道を歩んでおり、地縛霊となった故人たちの写真が彼をこの橋へと導いたかのように感じられ、その奇妙な縁を否応なく意識していた。

地縛霊の黒い影と思われる得体の知れないものが湊の視界に入り込み、擦り寄ってくるのにはっと気がついた。黒い影と化したその死者の霊は彼の袖を掴んだ。湊が握りしめていた黒いバッグを奪い取ろうとするかのように見えた。「お客さん、そんなに乗り出したら危ないですよ!」と運転手の声が聞こえた瞬間、湊は突然橋の上から強い力によって冷たい水面へと突き落とされてしまった。湊の助けを求める叫び声が、濃い霧の中で反響し、まるで異世界へと引き込まれるかのような音響だった。黒いバッグからこぼれ落ちた死体のおぞましい写真が空宙に舞った。それらは、街灯の光の中、転落する彼の視界に飛び込みながら舞い上がっていた。これらの写真は、彼の運命を暗示するかのように、最後の記憶に深く刻まれた。他に落下を止める手段もなく、彼の体は水面に激しく叩きつけられ、意識を失いつつ霊道へと落ちていった。その時、彼は死が人生で最も忘れがたい経験であることを悟り、魂を深く揺さぶられた。霊道は冷たい真実へ魂を導く序章であり、煩悩を解脱することで存在が永遠に変わると彼は思いながら深淵に飲み込まれて意識を失った。


目が覚めると、島貫湊は見知らぬ街を歩いていた。人通りはまばらで、時折、薄明かりの中を孤独な影が行き交っていた。次第に、これまで体験してきた霊障の記憶がゆっくりと脳裏に浮かんできた。確かに、自分は橋から転落して死んだはずだ。自宅の暗室で心霊写真を現像していた際に遭遇した憑依現象から逃れるために外へ飛び出したことも、鮮明に彼の記憶に残っていた。

遠くの交通の雑音が冷たい夜風に乗って耳元で囁いていることに湊は気がついた。街灯のぼんやりとした光が、静かな夜の哀愁をさらに深めているように感じられた。涼しい幹線道路に足を踏み入れると、現実の全てがかすかな霧の中に溶けて消えていくような感覚に襲われ、一歩ごとに冥界へと誘われるような雰囲気が湊の周辺に漂い始めていた。やがて、暗黒に包まれた幽玄な異界への門が静かにゆっくりと開いていく様子が、はっきりと見えてきた。その暗闇の中に見え隠れする幽霊の影は、まるで心の病を患う患者の悪夢から這い出したかのような深みのある漆黒の怪異がうごめいているようだと彼は想像せざるを得なかった。

湊が霊街を歩き続けるうちに、閑散とした深夜の街頭を見守るようにそびえ立つ古い大時計が静かな鐘の音で午前3時を告げた。その瞬間、空はさらに深い闇をまとい、空気は一層冷たくなっていた。湊はコートの襟を立て、凍りつくような寒さに耐えながら辺りを見渡した。そこには暗闇の中でカラスが群がり、青白い月光を反射する翼が不吉な輝きを放ちながら羽ばたいていた。湊に気づいたカラスたちのおぞましい鳴き声が、静けさを切り裂くように響き渡った。カラスたちは微かな月明かりに照らされた霊妙な闇に包まれた夜空へと、まるで荘厳な儀式のような陣形で飛び立っていった。

この静かで幻怪な時刻にもかかわらず、眠ることを知らない男女の物の気が、幻想のような古びた街並みを彷徨っていることに湊は気づいた。薄暗い月明かりの下、霧煙る通りを徘徊し、その姿はまるで遠い昔から瞬間的に時を越えて具現化したようで、時折ぼんやりと現れたり消えたりしており、寒々とした感触を与えていた。死霊達が通り過ぎるところには、周囲の景色が一瞬にして色褪せ、物悲しい雰囲気を漂わせていた。湊は闇に身を潜めて、自然色をもつ亡者たちの姿をじっと見つめていた。彼は自分が気づかれないと確信していたが、すれ違いざまの男の幽霊が突然、深みのある声で「俺たちはただの自縛霊の追体験なんかじゃないぜ。我々にはちゃんとした常世の自己意識がある。現世の光に照らされて生きている人間達には、我々の存在の真実は理解できないんだ」と言い捨て、その場を後にした。男の霊に同行していた妖艶な女の霊が甲高い笑い声をあげた。その笑い声は夜の空気に不穏な気配を運んできた。彼らの姿は闇に溶けていくと同時に、湊の心にも深い謎が広がっていった。彼は、その幽霊たちの突然の物言いと、深淵を覗き込むような暗く、空虚な眼差しに、内心深く動揺していた。さらに、彼らの周囲に時折現れる血の色を帯びた赤い頭蓋骨の幻影は恐ろしい霊現象を生み出し、この世のものとは思えないほど異質であり、湊は言葉を失うほどの衝撃を受けていた。霊体の存在感は、現実と幻想の境界を曖昧にし、彼にとって霊障の恐怖を体現していた。彼の霊感によって見えるこの幻は、言葉では表せない深い不安を彼に抱かせた。通りを静かに歩み続ける幽霊が放つ足音が、この場所に宿っていた不成仏霊の既存を告げるようだった。

カラスは神からの導きであるという迷信を信じている湊は、カラスの群れが飛んでいった方向へと歩き続けた。すると、まるでセピア色の写真のような古い屋敷が目の前に現れた。彼は扉を開き、薄暗い廊下の奥へと歩いていった。木造りの古い屋敷は弁柄色の壁とカビの臭いが漂い、実世界の感覚が伝わってきた。急に廊下の奥の方から重い物が床に落ちる音がドンと聞こえた。不安に駆られながらも、湊は落下音がした方向へと戦々恐々と進んだ。輪廻の部屋と文字が描かれた大きな扉の前で立ち止まり、その向こうに待ち受けるものに彼は興味を惹かれた。

彼が息をひそめて扉を押し開いた瞬間、目の前に突然現れた光景に衝撃を受けた。70年代に島貫湊が殺人分析班のカメラマンとして働いていた頃に撮った写真の死体が部屋に横たわっていた。過去に撮影した死者の霊が成仏できずに煉獄をさまよっているというやるせない思いを拭い去ることができないまま、島貫は死者の領域に足を踏み入れていたのだ。

湊が輪廻の部屋の中で最初に目にしたのは恋に落ち、自宅で首を括って死んだ青年、マコトの縊死体だった。「僕が自殺した理由を知りたいかい?一人で寝る寂しさに耐えられなかったからかな。ああ、今も彼女に会いたいなんて、思いどおりにならなかった人生に悔いが残るよ。ねえ、僕はまだ転生できないのだろうか?」と、蝋より白い死に顔が恨めしい嘆きを湊に伝えてきた。

ドサッとまた頭上の暗闇から、かつてナイトクラブで働いていた水色の半透明のネグリジェを着た腐乱した女、シノの亡骸が落ちてきた。湊は今も彼女のことを覚えていた。彼女は高利貸しから金を借りて人生を棒に振ったことを悔いて、睡眠薬を大量に飲んで自殺したのだ。「本当は死ぬつもりはなかったのよ。ちょっと睡眠薬を飲み過ぎちゃってさ、此様を見てちょうだい。醜いでしょう。あの高利貸しが憎いわ。私まだ転生できないのかしら?」と浮かばれない気持ちを島貫に伝えてきた。彼女の死体は借金返済の督促状の山に埋もれて見つかったのだ。

そしてさらにもう一人、ドサッといかつい顔をした若いヤクザ、タカシの死体が暗い天井から落ちてきた。この男は抗争中に大勢の敵に囲まれ、射殺されたのだ。死体には苦闘の色は見えなかった。「俺は親分の為に命を捨てた。けれど見てくれ、頭にこんな穴が空いてしまった。今は惨めだぜ。あんたが俺たちを転生さしてくれるんだろう?」と死して未練を残す無念の気持ちを島貫に伝えてきた。どの死骸も、写真に撮ったとおりの姿で倒れていたはずなのだが、今の死者の表情に唯一違っていたのは、グロテスクに歪んだ笑みを浮かべていたことだった。何とかして死者達を安らかに転生させたいと湊は思ったが、故人の怨念が耳鳴りと混じり合って自我意識に入り込んでくるのが苦痛で堪らなかった。

島貫湊は煉獄をさ迷う死霊達を古い屋敷に残し、外に出ると、初めてこの屋敷に辿りついた時には気づかなかった暗い森への入り口が彼の目の前に浮かび上がっていた。輪廻の部屋にいる間に外の様子が異常に変化したのだろうか?湊は木の枝でできた緑のトンネルに這い込み、森の奥へと歩み進んでいった。濡れた落ち葉が幾重にも重なり、地面を歩く靴は柔らかい絨毯のように沈み込んだ。葉のざわめきや小枝がパキッと折れる音が響き渡った。


日暮れの濃い下草の中を進むと、外気が冷えてきた。寒気を感じた湊はコートの襟を立てた。森蔭が醸し出す重苦しい闇が四方から押し寄せ、彼を包み込んで息を呑むほど神経を尖らせた。月の光に命を吹き込まれたかのように、木々が風に乗せて死者にしか聞こえない秘めごとを囁いているような心地悪さを湊は感じていた。さらに森の奥へと進むと、島貫は周囲に幻の存在を感じるようになった。「木々の間に半透明の人影が浮かんでいるのが見える」と彼はつぶやき、森の心霊現象の脅威を感じた。「恐らくこの土地に縛られている地縛霊だろう」と独り言をつぶやいた。彼はそれ以上何も言わずに、森の獣道を人影を追って歩き続けた。そのとき、島貫湊にとって最も不安だったのは、何かに心を操作されているような不穏な気配を感じたことだった。

どこを向いても、彼は闇から送られてくる視線を感じていた。それは、複数の意識を持たない地縛霊のエネルギーを、支配力を持つ悪霊が利用して悪い霊的磁場を作り出しているに違いないと湊は推測した。彼は途中で人影を見失ってしまったが、諦めずに獣道を進み続けると、川にかかる古い廊下橋を見つけた。この橋は老朽化していたが、眼下の川の上に堂々とそびえ立っていた。風化した灰色の石造りの土台はツタやコケで覆われていた。橋は廃墟のようで、人の気配も感じられなかった。橋の下の水は暗く濁っており、流れる川の音が微かに聞こえるだけだった。橋の周りは鬱蒼とした森で、高い木々がそびえ立ち、橋に暗い影を落としていた。空には星ひとつなく、橋の周りには赤い霧が立ち込め、月明かりを通して異様な雰囲気が漂っていた。


霊感の強い島貫は違和感を感じ、橋を渡るのを躊躇した。夜気が迫り暗くなると涙雨が降ってきた。湊が橋の向こうの丘に面した古い墓地に気づくと、遠くから微かな囁き声が聞こえてきた。彼がその囁きを無視しようとすると、声はますます大きくなり、しつこく重々しく聞こえてきた。顔を上げると、墓の中に一人の老婆が立っているのが見えた。老婆は冷たい目で湊を見つめ、「お前はここにいてはいけない」とでも言いたげに唇を動かしていた。島貫は突然沸き上がる恐怖感で心臓の鼓動が激しくなるのを感じた。老婆の霊姿がどんどん近づいてきたので彼は驚愕したが、間もなく老婆は視界からスッと消え去った。そのとき、川の中から先ほどの人影が浮かび上がり、川岸に上っていった。その光景は異様で、一度川に飛び込んだ人影が逆に水から川岸に飛び出すようだった。その霊姿は対岸の密林に入り込んで消えていった。

既に死亡しているにも拘らず、勇気を奮い立たせて湊は、軋む廊下橋を渡りながら、誰とも分からぬ人影を追った。屋根の付いた橋に一歩足を踏み入れると、骨の髄まで染み込むようなカビ臭さと湿気が漂った。低い天井から吊るされた数個のオイルランプの明かりが中を薄暗く照らしていた。橋の足元を支える木の梁がギシギシと音を立て、不気味な雰囲気を醸し出していた。橋は狭く窮屈で、人が二人並んで歩くのがやっとの幅だった。床は苔や藻でぬめり、壁は蜘蛛の巣と厚い汚れで覆われていた。天井から滴り落ちる水滴のポタリという音だけが、孤独感や放心状態をさらに深めた。湊は橋を渡り一歩ずつ恐る恐る森の奥へと進み続けた。邪悪な気配が濃厚になっていた。だがそのとき突然、森が開け、先ほどの古い屋敷の外観が現れた。空間移動させられた島貫の常識感は圧倒的な不安で覆われた。彼は黙って屋敷の扉を開き、また中に入ったが、今まで反対方向に進んでいたはずだった。その異変について、彼は今幾つもの霊体が集まる霊磁場の中にいると理解していた。

古い屋敷の廊下をまた歩いていると、島貫湊は突然、自分が赤いランプに照らされた自宅の暗室に閉じこもっていることに気づいた。それは錯覚のように見えたが意識ははっきりとしていた。彼はフィルムを現像していた。慣れた手つきで薬品を混ぜ、タンクを攪拌し、透明の現像液に入れたフィルムの溶液を洗い流しながらプリントを乾燥させていた。しかし、なぜか彼は奇妙な気配に襲われ、手を止めた。視界の先にこの世のものとは思えない超現実的な何かが潜んでおり、見張られているような気がしてならなかった。それは、死んでいる島貫にとって既に体験したことのある現象のように感じられた。最初は暗室の丹色の灯りが物を黒く見せ、不気味な雰囲気を醸し出しているのかと湊は感じた。しかし、先日の水神大橋から落ちて霊道を彷徨っていたことを思い返すと、疑問が頭から離れず、何が起こっても不思議ではないと不吉な影が意識を過ぎっていた。そう感じていると、いつもは白いモヤの形で現れるはずの霊の姿とは違う紙焼き写真が仕上がった。

直感では現像の誤りかとも思った。しかし、湊は紙焼き写真を見直して息を呑むほど驚いた。そこには地獄から這い出たような切迫した危機意識を与える危険な浮遊霊が写っていたからだ。撮影したどの写真にも見知らぬ霊姿が写り、赤い現像室のランプの灯りの中で湊に死者の冷たい目線を向けていたのを感じると、彼の血の気が引いた。得体の知れない写真には風景が全く写っておらず、それは肖像写真とも言えないものだった。そこにはただ宙に浮かぶ非常におどろおどろしい浮遊霊の顔が写っているだけだった。ベテランカメラマンの島貫でさえ、その変形した顔の表情からは良心の欠片さえも見出すことができず、悪意を感じて心の落ち着きを失ってしまった。

島貫には心霊写真に題名をつける癖があった。敢えてこの写真に名をつけるとしたら、「神を知らぬ悪鬼」だろう。その様子はエーテルから浮かび上がってくるかのように、かろうじて肉眼で見えるものだった。彼は不自然なほど手を震わせ、プリントをランプの赤い光にかざし、改めてその苦々しい表情を観察した。そこには、蒼白の顔をゆがめ、目を見開いた無数の霊魂の形相が、刻々と鮮明になっていく様子が確認できた。身がすくむ思いを誘う冷たく鋭い霊的な視線を感じ、彼はまるで魂を見透かされているような嫌な気分がした。「消えろ!」と風の立つような勢いで叫んだが、その思いは暗室のカビ臭い空気に消され、浮遊霊が自分の錯覚ではないことに気づき寒気がした。

そのとき、島貫は腐臭を漂わせる冷たい息を首の後ろに感じ、慌てて暗室から逃げ出そうとした。しかし、既に憑依された霊の放つ黒い影は至る所に広がり、逃げ場を塞いでいた。彼は薬品のボトルが入ったダンボール箱につまずき、床に倒れ込んだ。かろうじて這って暗室から出ると、魂が磨り減って空無となりかけた浮遊霊の姿が窓ガラスに反射して見えた。夜景を見渡す高層マンションの大きな窓に映った蒼白く強張った自分の顔が、危害を与える悪意の表情と重なって写り、よどんだ空気に彼は飲み込まれた。暗い部屋に酢酸臭が広がり、彼は恐れながら口と鼻を手で覆った。霊気に操られた照明がちらつき、耳鳴りがした。思いのほか奇妙な音が響き、彼の耳に届いた。それはまさに彼が既に経験した霊障現象であった。

不安が次第に増長し、脈拍が速まるのを湊は感じた。部屋の暗い隅の影の中から肉が腐り剥がれ落ちた霊姿が物質化したのを見て、彼は心臓が止まる思いをした。その霊姿が島貫に近づき、腐った手で彼の頬にぬるりと触れると、耳元で意味不明の狂気じみた呪文のような言葉を何度も囁いた。じわりじわりと押し寄せる恐怖に、湊にはもう余裕が残されていなかった。「このままでは死霊に取り込まれてしまう」と呟いた瞬間、意識の中に「水神大橋」という名が心の声のように響いた。島貫はその幻聴を信じ、急いで保管していた写真を大きな黒いバッグに乱雑に詰め込み、水神大橋へと薄氷を踏む思いでひた走った。


気がつくと、湊はまた古い屋敷の廊下に立っていた。奥の方にある扉が静かに開き、明かりが開いた扉から溢れていた。彼は招かれるように廊下を進み、部屋の入り口の前で立ち止まった。古く朽ち果てた部屋の奥には、亡霊のような精神科医が棲みつき、永遠にゾッとするような領域に縛られていた。白衣を着た若々しい山岸リクの姿と半透明の老婆の姿が重なりちらちらと見え隠れしていた。老婆は汚れた白衣の残骸をまとい、妖艶な存在感を放っていた。彼女の瞳はくぼんでいて、不気味で冷たい光を放ち、青白く、ほとんど骸骨のような手は、ひび割れた長い爪で飾られていたが、逆に若々しい山岸リクの姿は美しいとも言えた。「これは貴方が水神大橋から転落してから数週間後の出来事だと理解してください」と話す老婆の声は、背筋をゾッとさせた。湿ったかび臭い空気の中に反響する実体のないささやき声で、音色はなだめるような山岸リクのものへと移り変わった。老婆の催眠術のような調子が血を凍らせるような慟哭へとまた変わる。その音は部屋の隅々から発せられているようで、心を寒々とさせ、精神を不穏にさせる悲歌で満ちていた。

超常現象写真家の島貫湊は、精神科に勤務するセラピストの山岸リクの姿の前に、疲れ果てた様子で椅子に座り込んでいた。「あなたには意識があるものの、死ぬ前の記憶ははっきりとは覚えていないようですね。どうですか?」と、白衣を着た若々しい山岸リクが彼に尋ねた。彼女と他の生きる人との唯一の違いは、彼女の周りに白いモヤが浮かんでいることだった。島貫は自分が体験したことをリクに説明し始めた。彼女は注意深く彼の話を聞き、「悪夢障害は、時に記憶喪失を引き起こすことがあります」と考え込むように話し続けた。「しかし、島貫さんの場合、霊道を通ってここに辿り着いたことをはっきりと覚えているので、もしかしたら自分が死んでいることを自覚しているのではありませんか?」湊はゆっくりと頷いた。「このような種類の夢は明晰夢と呼ばれ、死後でも見ることがあります」と山岸リクの霊魂は説明した。「それが習慣になってこの世に居座るようになると、成仏することよりも明晰夢の方が重要な意味を持つようになり、貴方の魂の価値が失われることもあります」と彼女は老婆の声で湊に注意した。その時、島貫はリクの言葉に恐怖を感じずにはいられなかった。「貴方はいったい誰なのですか?」と湊が問うと「私は貴方の背後霊であり守護霊でもあります。私は貴方を転生させる為にここにいます」しばらく無言のままの湊に「明晰夢はあまりにリアルで、想像以上に恐ろしい体験になるかも知れません」と山岸は話を続けた。「なので、しばらくの間は精神的に不安定な状態で、この世と後の世の間を彷徨ってしまう可能性もあります。」「私は現実逃避しているわけでもなく、死を受け入れています」と湊が口を開くと、山岸はうなずきながら彼を興味深げに見つめた。山岸はセラピーを続けた。「そうですね、どうして水神大橋から落ちることになったのか、詳しく教えてもらえませんか?」と、彼女は湊に若いリクの声で優しく尋ねた。湊はゆっくりと山岸リクに心霊調査の真相を語り始めた。

あの運命の日の午後の太陽は眠気を誘うように弱まり、賑やかな東京の街に細長い影を落としていた。佐藤陽翔の風変わりな先住民族の仮面のコレクションで装飾が施された居住の空間にヤナーチェクのオペラが流れ、絶え間なく続くモダンな都会の摩天楼の中にある古風な雰囲気を漂わせていた。旧知の同胞の番号に電話をかけ、「もしもし、佐藤ですが」と緊張した面持ちで、発する声は気だるい午後の沈黙を破った。普段の陽気な態度とは裏腹にその時の彼の声は、超自然の神秘を暗示するかのような根底にある目的を持って、受話器の中に響き渡った。通話中、既に空になったビール瓶の数々が、その日の飲み過ぎを示すように静かに物語っていた。「僕はこのところ、かなり興味深い超常現象の調査に取り組んでいるんだ」と彼は語り始めた。電話が鳴ったとき、島貫湊は高層マンションの一室で外の景色に目を奪われながら、愛用の一眼レフ・ライカM3カメラのズマリットM F2.4/50mmレンズをぼんやりと磨いていた。陽翔は、湊の写真に写り込んだ心霊現象に関心を寄せながら、語り続けた。湊は以前から、陽翔をどこか謎めいたところのある人物だと思っていた。社会通念から逸脱し、長年の地道な研究によって重荷を背負わされ、自尊心を肥大化させたような人物だとも言えた。陽翔は紛れもなく要求が多かったが、彼の特異性には否めない魅力もあった。「昨晩、予知夢を見なかったかい? 眠っている間に映し出される幽霊のお告げのような・・・」と彼は尋ねた。湊は謙遜しながらもこう答えた。「確かに僕も、不可解な夢にうなされた。鏡の奥から、幻の自分の姿がじっと見つめていた」。湊の低い声の中には、好奇心のきらめきが宿っていた。「湊君、興味をそそられるよね?片川村に古い屋敷があるんだ。その奇怪な館は悪霊が取り憑いていると噂されている。僕と一緒に未知の世界に飛び込んでみないかい?陽翔は謎めいた魅力を漂わせながら、湊を不気味な探検の旅へと手招きした。佐藤陽翔は、上口茜というある中年の女性から、この幽霊調査の依頼を受けていた。茜は、人気オカルト番組に出演していた彼に見覚えがあり、彼のマネージャーを通じてお祓いを依頼してきたのだった。研究に没頭していた陽翔は実のところテレビ出演にうんざりしていたので、この依頼を引き受け、霊媒師の野添陽奈と心霊写真家の島貫湊の協力を得ることにした。奇妙な試みで一致団結した面々は、彼らを待ち受ける謎めいた呪いの館への道のりを探っていた。

山岸リクは湊に向かって、「その佐藤陽翔さんも既に亡くなっていますね。まずは私たちが知っている鏡についての話を貴方に教えましょう」と伝えた。陽翔を凍りつかせた悪夢は、湊が見た夢とは微妙に異なっていた。その違いは、特殊な才能に恵まれた陽翔が予知能力により呼び起こした、差し迫った未来の予言の洞察によるものだろうと自分でも思っていた。昨晩の幻覚のなかで、陽翔はアンティーク・アイボリーのゴシック調の鏡の前に座っていたが、自分自身の姿は不気味なほど透明のままだった。鏡の面は硝子のように透明で、夢の中には満ち溢れる輝きがあったのだが、銀鏡膜の鏡を直視していたにも拘わらず、彼の姿は浮かび上がってくることはなかった。陽翔と鏡の間にはくしき物が存在していて、その謎めいた透明な物質が介在し、彼の姿をまるで幻覚によって生ずる影像のように歪めていた。徐々に、鏡の底から渦巻く亡霊のような蒸気の中に彼の姿が現れ始め、日食の終わりのような光景のなかで、彼の姿は全体的に限りなく半透明になっていった。この幻想的な現象は、一種の独特の不透明な透明感を誇っていた。陽翔は、夢という制約のなかで、この霊的視覚が、絶え間ない生命という革命的な枠組み、つまり肉体を精神的なものへと解体し、物質を無体なものへと還元する、永遠の命という連続性をめぐる新たな言説に共鳴する概念と呼応するのではないかと夢の中で推測していた。だが、その時彼は自分が気づかないうちに既に憑依され霊障を受け、超自然的な存在の器と化していたのだ。


陽翔はうっとりとした夢想から覚めると、ナイトテーブルに置かれたボイスレコーダーに手を伸ばし、録音機能を作動させ、自分の思いを語り始めた。「いずれ人の肉体は霊魂の永続性とは別のかたちで死に包摂されることなく永遠に生き続けるだろう。その肉体の殻は、永遠に存続するように進化し、霊魂の性質をも凌駕する形で死を超越するだろう。その新たな形は人という主体とそれを取り巻く全ての境界が解消されることで実現する。この哲学的視点は、肉眼では見えない幽霊、流体の発散や、その他の非物質的存在をとらえることに特化した最先端の念力技術の出現によって示唆されていると、僕は固く信じている」。

「僕は島貫湊との共同作業を心待ちにしている」。陽翔は不気味な笑いを浮かべ、不穏な目の輝きを放ちながら言った。「しかし、この試みは僕にとって危険なものになるかも知れない」と最後の文句を録音から削除しながら付け加えた。その時「お前と鏡の間にいた見えない存在は俺だったんだよ」と悪霊の化身が囁いた言葉は、陽翔の意識に刻み込まれることはなかった。


上口茜の森の中の屋敷で超常現象の調査に参加しないかという陽翔からの不吉な誘いがあり、陽奈は昨晩夢に見た、不可解な鏡に映し出された不気味な反映について考え込んでいた。その不安は、夢の内容に根ざしたものではあったが、それよりも何かが彼女の心の隙間に夢を植え付け、潜在意識を操っているような不穏な予感によって醸成されたものであった。悩みを断ち切るために、彼女はジョギングしながら近くの公園に出かけることにした。そこは生命が満ち溢れ、日の光が柔らかく輝き、心地よいそよ風がそよぐ場所だった。

ところが、陽奈がジョギングのペースに身を任せていると、奇妙な光景が目に飛び込んできた。鼓動を高鳴らせながら、彼女はお喋りに花を咲かせる人ごみの中を通り抜けるとやがて彼女の耳に蜃気楼のように屈折された聴覚が襲いかかってきた。「夢を見たか?」という問いかけがしつこく繰り返される、見知らぬ人たちの囁くような声が、彼女を悩ませた。正気の淵に追いやられた彼女は、公園内の人里離れた場所へと逃げ込んだが、そのとき異様な光景に出くわした。暗い古木から切り出された懺悔室が、葉の茂みの中に不釣り合いに佇んでいた。薄暗い小間の中で、若い少女の邪悪な霊が突然浮かび上がり彼女を見つめた。だが、陽奈が少女と目を合わせるやいなや、その霊と懺悔室は忽然と消え去ってしまった。その一瞬の出来事が彼女に差し迫った心霊調査に不吉な暗雲を投げかけた。「この執拗な幻覚が、私を狂気へと駆り立てる。こういう幻覚は本当に嫌だわ」と、彼女は空虚な沈黙の中でつぶやいた。


その日の朝、湊の住まいに陽翔と陽奈が迎えにきた。車のハンドルを握っていたのは、ショートの髪型で大学生を装ったミニスカート姿の陽奈だった。車内からは、クラシック音楽の優美なメロディが流れ出ていた。それは、ヴィヴァルディの「四季」協奏曲の中でも特に感情豊かな第4番「冬」のヴァイオリンの音色だった。陽奈の姿を見て、まさに彼女は陽翔好みのスリム体形の女性だと湊は思わざるを得なかった。彼女のクールでありながらもどこか温かみを感じさせる外見、そしてその内面からにじみ出るような知性と感性の融合に、湊は深く心を打たれた。陽奈の選んだ音楽が、彼女の繊細かつ力強い性格を象徴しているように感じられ、湊は彼女の魅力にますます引き込まれていった。この出会いは、湊にとって新たな感動をもたらし、陽翔と陽奈とのこれから始まる冒険への期待を一層高めるものとなった。

助手席に腰掛けた陽翔が、彼女の霊媒としての役柄、交霊術を伴う心霊との接触、死者の肉体から飛び離れた魂が怨霊となる原因を根拠づける熱い思いを二人に話始めるのを湊は後部座席に座って物静かに聴き入っていた。「とは言え、この旅はそれだけではなく、湊君の心霊写真や奇怪な念写術を記録することで、心霊主義の視野を広げ、さらに現象の理解を深めるつもりです」と、太めの陽翔にはシートベルトがちょっときついのか、苦しそうに書き留めたノートのページをめくりながら語った。陽奈は、カーナビを操作しながら、「霊界への出入り口や目に見えない意識を持つ物質の存在についての陽翔さんの論文を読みましたよ」と思わせぶりに感想を述べると湊はすかさず「これは、我々三人が見た鏡の夢と関連がありそうだと思っています」と湊は付け加え、コートのポケットからポラロイド写真を取り出して、二人に見せた。それは鏡と被写体との間に何か透明な物質が存在し、写っているはずの人物が隠されていた写真だった。「この写真は夢を見た後に念写をした物で、実際に僕が見た夢は鏡に映った人影が僕を見つめているという奇妙なものでした」と湊が言うと、バックミラーに映る彼のニヤけた顔を見ながら、「湊さん、ドリームウォーカーとドリームスティーラーという言葉を知っていますか?」と彼女は聞いた。湊も陽翔も、そのとき、彼女がバックミラーに映る彼を見ていることに気づいた。「ドリームウォーカーは、人の夢の中に入って映像や物語を仕込む能力で、ドリームスティーラーは、特定の人の夢を盗む力だと思います」と湊は答え、鏡の中の彼女の視線を受け止めた。陽翔は苦笑いを浮かべながらポラロイド写真を手に取り、ちらっと見て「これ、僕が見た夢の場面と同じですね。これは確かにデジャヴだ」と陽翔は笑いを含んだ声で言った。 「彷徨える浮遊霊、復讐に燃える霊鬼と化した死者、祟りを誘発する悪霊の存在は、亡くなった時の怨念や未練の感情が強かった、この世に取り残されている死者だ」と、ノートを脇に置きながら陽翔は説明した。「依頼のあったお祓いを行うには、幽霊屋敷の周辺で過去に起きた霊的活性の歴史を解き明かす必要もありますね。」と湊が付け加えた。「私もそう思います」と陽奈が言った。「この土地の過去を知るには、サイコメトリー能力を駆使して、その残留思念を読み解く必要があります。土地の歴史は、不穏な霊の出現と頻繁に絡み合っていることが多いですからね」と彼女はそう言いながら、バックミラーに映る湊の姿に微笑んだ。その表情に、湊は思わず「美しい」と思った。「心霊現象の調査には常に危険が伴う。復讐に燃える邪悪な霊がその心的エネルギーを武器にして襲ってくることさえある。」と陽翔は注意を促した。「カトリックの悪魔祓いでは、祓う側と祓われる側の両方が死んでしまったケースも多い。除霊は人の命にも関わり、一筋縄ではいかないものなので視野を広く持ち、状況を観察しながら調査にあたるべきだと僕は思う」と、彼はグループのリーダーらしく話を締め括った。陽奈は目的地に着くまで、車のハンドルを切りながら曲がりくねった山道を走らせた。上口茜の暮らすゴシック風の屋敷は森の奥深くに佇んでいた。周囲にはそびえ立つ松の木が鬱蒼と茂り、屋敷を取り囲む木々の枝に絡みつく濃霧のように、不吉な気配を重く漂わせ、灰色の空に黒いシルエットを浮かべていた。風化した石造りの建物の外壁には、異様な形相の彫像があしらわれ、近寄ろうとする者を見下ろしていた。蔦が這い登り、まるで自然そのものが屋敷を取り戻そうとしているかのように、周囲を取り囲んでいた。重い木造の扉は不吉にきしみ、開こうとする力を渋々受け止めるようだった。すると扉を開き、美しい中年女性の上口茜が顔を出してきた。「お待ちしておりました」と茜が挨拶をした。絵に描いたような風景とは裏腹に、この辺りには違和感が感じられ、彼らの心を揺さぶった。邸宅の中は、薄暗い廊下と広くて響く部屋が迷路のように入り組んでいた。空気は古い本や湿った木のかび臭い香りが濃く、かすかに金属的な何か、まるで血液のような匂いが漂っていた。高い吹き抜けの天井には埃と蜘蛛の巣が張り巡らされ、壁内をうろつく得体の知れない物音が背筋を凍らせた。どの部屋も恐ろしい物語を語っているようだった。節目のある松の壁には厳格な外国人の先祖の肖像画が並び、その目は非難の眼差しでこちらを見つめているようにも感じさせた。その中の6号の油絵にはアガレスと言うサインが入れてあった。かつてのこの屋敷の主人の自画像だろうかと湊は思った。壮大なチューダー・ゴシック様式の暖炉は冷たく、今は使われることなく、過去の囁きだけで、満たされているようだ。暖炉の前には黒い毛皮の絨毯が敷かれ、長い山歩きの後に座って足を温めるのには適しているようにも見えた。その毛皮が一瞬動いたように思え陽奈は震えを感じた。その動きは動物霊ではなくもっと強い存在のもので、一同は警戒を強めた。陽翔は茜に 「それは熊の毛皮ですか?」と質問した。すると、茜は「祖父が猟師だったので」と懐かしそうに答えた。しかし何故かそれが演技の台詞のようにも感じられ彼らを不安にさせた。屋敷のゴシック調の家具のデザインはその魅力をさらに高めてはいたが、彼らはその調度品から暴力的な感情の痕跡を不気味に感じとった。豪華な食堂のシャンデリアは斜めに吊るされ、拷問を受けた魂のように奇妙な影を落として踊っていた。その一角には、薪ストーブとガスボンベ、調理器具を備えた小さなキッチンがあった。それを一瞥して陽奈は茜に「素敵な台所だわ」と話かけた。茜は声を少し震わせながら「ありがとう」と答え、温かい紅茶と、バターがたっぷり塗られたベリーやナッツの入ったパンを三人にもてなした。灰掻き棒をストーブに突っ込み灰を掃除する茜の神経質なしぐさに陽奈は悪意の感情を読み取った。彼女はコンロの近くの物陰に潜む悪意のある生霊を見つけた。この屋敷には一体どれだけの霊が潜んでいるのだろうかと気になってしかたがなかった。食事を済ませた後に一行は屋敷の中を見て歩いた。屋敷の奥の窓ガラスはところどころ割れていたり、固く閉ざされていたりして、かすかな光しか差し込まず、いつまでも薄暗い雰囲気を醸し出していた。外の暗くねじれた木々は風に揺れ、呻き、その葉は死者のざわめきのようにそよいだ。時折稲妻が走り、手入れの行き届いていない庭が垣間見える。そこには彫像が半ば落ち葉に埋もれており、かつては美しかったはずの薔薇の茂みも、今では荒々しく棘だらけで、自らの腐敗に窒息してしまっていた。邸宅の書斎には、忘れ去られた言語で秘密を囁く古代の書物で満たされた図書室や、ひび割れ、汚れた鉢の中で枯れた植物が命をつないでいる温室があった。かつては笑い声と音楽に包まれていた社交場には大きな鏡があったが、今は静かに眠っているようだった。その床には遠い昔に踊っていた人達の亡霊のような痕跡が残っていた。きっと夜になると、この邸宅は不穏な雰囲気に包まれるのだろう。風が暗い通路を吹き抜け、扉は人の手が加わっていないのにパタンと閉まり、遠くから聞こえてくる足音が廊下を響かせていた。心を凍らせるような子守唄を歌う、やわらかく悲しげな声が聞こえるような錯覚さえした。この空間は生者と死者の境界が薄くなっていると彼らには感じられた。影には秘密が隠されていて、隅々にまで恐怖が漂うような、人が去った後も長く残るような次元に足を踏み入れているのかも知れない。茜の寝室は二階にあり、ベッドにはキルトや格子縞の毛布が敷かれ、簡素ながら快適な空間となっていた。「キルトはご自身で編んだのですか?」と聞くと「いいえ、母が」と茜は初めて彼女に返事をした。そのとき陽奈は窓の外に幼い少女の復讐に燃える地縛霊を見つけたが、その顔は大人の女で、不気味な印象を残した。梯子で上がると、居間を見下ろすロフトがあった。独り暮らしの茜が静かで穏やかな時間を楽しむには広すぎるようにも見えた作りだが、夜になると話は別かもしれない。茜の幻影恐怖症は、その可能性を示唆していた。陽翔たちは、邸宅を探索するうちに、この一見のどかな山奥の屋敷が、何かおかしいと感じざるを得なくなった。ここにしばらく過ごしていると、部屋の中のあらゆるものに重苦しい空気が漂ってくるのを感じずにはいられなかった。


午後5時をまわると交霊会を行う為一行は書斎に集まった。霊媒体質の野添陽菜を筆頭に、会席者はテーブルを囲んだ。「交霊会は死者との交信を行うことで真実を解明するのが目的です。」と佐藤が静粛な黒いブラウスに着替えた茜に説明をした。テーブルの上には陽菜が持ってきた金の蝋燭立てが置かれていた。「この家に取り憑いている霊よ、今この場に貴方を呼び出す」と、陽奈は霊降ろしを始めた。陽菜がトランス状態に入ると書斎の中は痛いほどの緊張と静寂に包まれた。蝋燭の炎の揺らぎは、壁に不気味な影絵を描き、霊の顔を浮かび上がらせた。この部屋には既に無数の地縛霊が集まっていた。降霊術が最高潮に達した時、どこからともなくトンと叩打音が聞こえた。すると室内の気温が下がりまるで異世界に入り込んだような怪しげな雰囲気に包まれた。蝋燭の炎が奇妙に揺らめきパッと消えたとき、突然ドアをドスンと叩く大きな音がして、一同は恐る恐る立ち上がった。そのとき、連続殺人犯だと名乗る死者の魂が室内に現れた。一行はこの出来事に唖然とし、霊的危機を引き起こすかも知れない危険な存在と接触したことに気づき、一抹の不安を覚えていた。

「貴方は誰ですか?」と陽奈が聞いた。すると居間の方から壁を叩く大きな音がした。会席者達は霊妙な力を感じて居間へと火を灯した蝋燭を持って進んでいった。居間に入ると、驚くべきことに彼らの目の前で先ほどの熊の毛皮の下から盛り上がるという半透明の布に飾られた霊の物質化現象が起こった。皆は鮮明に固形化する肖像画の男の霊の姿を見極めることができたのだ。

「どうして、ここに憑依しているのか、教えてください」と陽奈が問うと突然蝋燭の火が消えた。この霊界からの旅人は百年前からこの村に宿っていて孤独でか弱い女達を欺き、死なせてしまったことを皆なに告白じみた口調で語った。「なぜ、そんなことをしたのですか?」と問いかけとも返事はなかった。それでも陽奈は、「貴方はそれを悔いているのですか?」と聞くと、その霊は涙を浮かべながらこう語った、「少年期に起きた事故が原因だった。ある少女の交通事故死を目撃した俺は、後に、その少女の霊に取り憑かれ、その娘の夢を繰り返し見るようになった。未練を残した幼い少女は地縛霊と化し、事故の執拗な連鎖から逃れることができなくなった。その表情は、いまも残骸の記憶の中に刻み込まれたままだ。少女の魂は事故の永久のループから解放されることは無かった。そのうちに俺にはその光景が美しく見えてならなかった」とその霊は会席者に伝えた。蝋燭の炎が消えた闇の中で誰もが気づかなかったが、意外なことに霊の声で喋っていたのは霊媒の陽菜ではなく、憑き物に憑依され支配された依頼人の中年女性、上口茜だった。その支配霊は自らを「悪魔アガレス」の化身だと名乗り先ほどの涙が偽りに思えるように豪快に笑いながら「俺はそんな小物じゃないぜ。ここは俺の屋敷だ。まあ座りたまえ」とそれは言った。「お前は私達に嘘をついた!欺瞞に満ちた、二枚舌の幽霊め!」と霊媒師の陽奈が叫んだ。島貫がカメラのライトで茜を照らすと、彼女の表情が恐怖で歪んでいたのが見えた。茜を通したアガレスの化身の霊言はその後も続いた。すると何と闇の中で茜は空中浮揚した。彼女は天井の近くまで浮き上がった、指先からエクトプラズムが伸びて、まるでハエが蜘蛛の巣にかかるように、この不気味な物質が霊の影を誘い込んだ。すると暖炉に突然火がついた。湊は、この異常な現象を一瞬たりとも見逃すことなく、室内に起こっている物恐ろしげな雰囲気をフィルムに収めた。すると暖炉から炎の手が湊を襲った。「お前何をしているのだよ!」と悪魔アガレスが椅子ごと空中に怪しげに浮かんでいる茜を通して大声で叫んだ。茜を媒介にして、アガレスは邪悪な意思を実行に移した。陽菜は首筋から背中にかけて、ある感触を覚えた。それは、心霊捜査隊員達からエネルギーを奪い、人に触れる能力を得たアガレスが引き起こしたものだった。危惧の念を抱いた霊媒師の陽菜は、いち早くお札をバンとテーブルの上に叩きつけた。そして、浄化された一握りの散米を行いながら、祈祷を大声で唱え始めた。「出て行け、ここはお前のいるべき場所ではない」と、陽菜は言い切った。

その声と同時に茜は宙に浮いたまま震え始めた。言霊の力の効果があったのか、アガレスと称する霊は血の気が引くような悲鳴を上げながら、茜の体から離れていった。そして茜の座っていた椅子が突然床にドンと落ちて皆を驚かせた。瞬間的に懺悔室の影像が一瞬会席者達の脳裏に植え付けられ、「これは、お嬢さんへのおくり物だよ」と陽菜にアガレスが語りかける声が聞こえた束の間、悪魔は闇に消えていった。そのとき一行はまるで異次元にいたような違和感から解き放たれた安堵を感じた。浄霊の後、茜は恐怖と混乱でぐったりと生気を失っていた。湊達は茜を少し休ませて、夜に交霊会を続けることを提案した。


心霊調査隊の一行は衝撃を受けながらも、交信していた支配霊が殺人鬼の化身であり、悪魔の憑依という特異的な存在であったことを気にかけながらも事実を受け入れなければならなかった。今回の交霊会では、年を重ねてこの汚辱にまみれた地に隠されていた暗い秘めごとが暴かれ、その重い罪深さに彼らは直面することになった。「不浄な霊を祓う行為は、時によって除霊が呪い返しされることもあるのです」と陽奈は疲労した様子で警告した。「アガレスのような怪物的な存在と対峙する場合は特にそうです」。

彼女はまさか茜が霊媒体質だとは感づいていなかった。そしてアガレスのような強く危険な怨霊に立ち向かう心支度も無かった。さらにアガレスは既に不思議な触覚の能力も発揮していた。そしてアガレスのテレパシーによって植え付けられた「霊的カニバリズムを覚えておけ、お前らは後に互いを貪り合うようになる」という言霊を無視することは決してできなかった。

「この交信では死に際に宿っていた人の恨みや未練の感情から出現する地縛霊と必ずしも言えない怨霊もしくは悪霊の現出が起こりました」と佐藤は白髪混じりの頭をかきながら仲間に説明した。もし自分が死んだら未練に駆られるのかと何故か気掛かりになった。「そう解釈すると悪魔アガレスの化身が生きている人間の生き霊である可能性もありえる」と驚くべき考えを彼は解説した。だが佐藤の研究である、死後生存の世界の本質と因果の概念について言えば、新たな疑問を心霊調査隊に抱かせていた。死が必ずしも魂の終結を齎すとは限らないこと、暴力と怒りの連鎖に囚われる霊的存在もいることを今回冷徹なまでに佐藤は思い知らされたのであった。

彼がそんなことを考えていたとき、「茜さんがずっと邪悪なアガレスに取り憑かれていたなんて信じられない」と陽菜が辛い気持ちを明かした。「そうだね、意識の変容状態にあった彼女は悪魔アガレスの行動の理由と、この怨霊が連続殺人犯になったトラウマを感情的に共有していたのかも知れないからね」とカメラを手に取りながら島貫は陽奈を慰めるように言った。「そして茜がアガレスの被害者と強い精神的な絆で結ばれていたとしたら化身が付いて回るという副作用が起こる危険性さえある」と佐藤は重い腰を上げて付け加えた。

透視能力者の佐藤陽翔は口には出さなかったが、上口茜が強い呪術による呪詛ができる霊能力者ではないかと疑っていた。また彼女が霊媒師の野添陽奈の能力を利用することができて、アガレスを呼び出し、家に憑依させていたのではないかとも推測していた。そう考えると道理が通らないこともあると思いながら「茜さんの安らぎと終結を手助けしなければならないが、この体験は我々に様々な違和感を残した」と佐藤は言い「私は悪魔アガレスの怨霊がこの世に存在する神を勝る唯一無二の力を持つものだとは思わないが、決して怨霊の祟りを甘く見てはならないと思う。だから我々は注意深く対処しなければならない」と佐藤が話を締め括った時、何故自分が自身の死を連想したのかという理由を意識の中で探し求めていた。


「上口茜は実際にはアガレスだったのでしょうか?でもまだ島貫さんがどうして橋に行って落ちたかがよく分かりません」と湊の背後霊で守護霊でもあるセラピストのリクは話を切り出した。「まず初めに、物質の世界と人の意識は、共に一つの神聖な実在の現れであると私達は思っています」とリクは静かに座っている島貫に語った。「人はこの神の実在を推論によって知ることができるだけでなく、直接的な直感によっても、その存在を実感することができます。それは死者にとっても同じことです」とリクは自分の意見を述べた。「心理学的には人は二重の性質を持っており、自我と永遠のわが身、あるいは魂と呼ぶものを持っています」。「最も重要なことは、人の地上での生涯の目的はエゴを手放し、内なる神聖な輝きに同化することです。ちょっと宗教色が強い考え方ではありますが」とリクは情熱的に語った。「本音で言いますと、今の貴方の頭の中がどうなっているかなんて実際に私達霊には分からない。 貴方の魂が病んでいることは分かっています。でも、既に亡くなっている湊さんの場合は、自分自身の意識があるうちに亡霊と戦うほか術はないのだと思います」と無言の島貫の表情を見ながらリクは説明した。「何て言ったらいいのだろう。複雑な時代では、強い魂を持っていても孤独感から逃れられないのです」。

その後、上口茜を屋敷に残し、佐藤、陽奈と湊の三人の心霊調査隊は、霊障が起こり得る場所を近辺に求めて、ゾッとするような探索を始めた。陽翔を先頭に、木々の枝が織りなす密林を抜け、森の奥へと進んでいった。濡れた落ち葉が幾重にも重なり、地面を歩く靴を柔らかい絨毯のようにめり込ませた。既に死んでいた湊はこの感触を覚えていた。薄明かりの中、鬱蒼とした下草を踏みしめながら歩き続けると、薄気味悪い嫌な風の音が葉や小枝を揺らし、その余韻が彼らの不安な気持ちを呼び起こした。そんな動揺の表れか、道化師のように白い顔をした少年の精霊が、森を歩く三人を見張っているのに湊は築いた。だが、その不安感を佐藤と陽奈には共有しなかった。島貫湊は自分がこの森を歩いたのは3回目になると意識の中で思った。木の葉が震え、枝がうごめくたびに、三人はたじろぎ、神経をすり減らしていた。さらに森の奥へと進んだとき、陽奈は周囲に幻の存在を感じるようになった。「木々の間に半透明の人影が浮かんでいるのが見えたわ」と、彼女が森の心霊現象の脅威を囁やくと。陽翔は「この辺りの地縛霊かもしれませんね」と淡々とした口調で言って、彼はそれ以上何も言わずに森の獣道を陽奈が言う人影を追って歩き続けた。湊は死後に同じ場所で陽翔が今言ったことと同じことを自分も呟いていたのを思い出した。山崎リクから佐藤陽翔が死んでいる事は聞いていたのだが、この次元での佐藤はまだ生きていた。死者の自分には精霊は見えたのに佐藤には見えなかったからだ。死とはまさにパラドックスだと島貫は思った。湊は、また何かに心理を操作されているような陰湿な感覚にとらわれていることに気づいたが、今回は微妙に違っていた。地縛霊を追っていること事態が悪魔アガレスが企てた罠と分かってはいたが、アガレスが死後の自分さえ操作しているという疑念を捨てきれないでいた。紆余曲折するたびに、影の奥から不吉な眼差しが突き刺さるのを感じていた。「意識体を持たない霊魂の存在を感じる」陽翔はそう呟きながら、その場に漂う違和感を鎮めようとした。彼はこの不気味な霊的感覚は支配力を持つ悪霊が複数の地縛霊のエネルギーを使い悪い霊的磁場を作っているに違いないと思った。既に死んでいる湊はその霊的磁場を起こしているのは悪魔アガレスの化身だということを知っていた。そして自分と同期している佐藤の死が近づいていることも悟っていた。彼らが途中で人影を見失いながらも、諦めずに曲がりくねった道を進むと、静かな川に架かる古い廊下橋に出くわした。老朽化した蔦と苔に覆われた橋から鬼気迫るものを彼らは感じた。湊は橋の屋根の上に、巨大な男の幽霊の頭が浮いているのが見えた。それは彼に超現実的な印象を与え、肝を冷やすような光景は畏怖と不信の念を抱かせた。橋の下には濁った水が静かに流れ、周囲の森の木の葉が擦れ合うサラサラという音だけが聞こえる。人里離れた廃墟のようなこの橋は、近くに人の気配も感じられなかった。森は鬱蒼としていて、橋に不吉な影を落とし、さらに月明かりの下で赤い霧が橋を包んでいた。その霧の中に、もう一人血に濡れたような赤い顔をして怒った表情を見せる女の霊がゆっくりと湊の前に現れた。この橋には、土地の呪いという霊がもたらす、誰も予想さえしなかった想像を絶する生命の危機が潜んでいることを島貫は理解していた。陽奈は、もしかしたら、先ほどの人影は悪魔アガレスの化身だったのかも知れないと感じて橋の入り口の前で立ち止まった。霊感の強い陽翔も違和感を感じたのか橋を渡るのをためらっていた。夜気が迫り暗くなると、哀愁を帯びた涙雨が降り始めた。橋の向こうの丘に面した古い墓地に気づいた湊が写真を撮り始めると、遠くから見える墓地から微かな囁き声がまた聞こえてきた。彼が囁きを無視しようとすると、やはりその声は次第に大きくなり、不気味さを増していった。カメラのファインダーから目を離し、顔を上げると、墓の中に一人の老婆が立っていることに感づいた。それは湊が異なった次元で出会った老婆の霊と同じだった。その老婆は冷たい目で湊を見つめていた。まるで「お前はここにいてはいけない」とでも言いたげに唇を動かしているのを見極めた。突然沸き上がる恐怖感で心臓の鼓動が激しくなるのを感じた。前回の記憶と異なっていたのはカメラがひとりでにシャッターを切り始めていたことだった。その度に、老婆の霊姿がどんどん近づいてきたので彼は驚愕してしまった。ところが、間もなく老婆は視界からスッと消え去った。一眼レフSLRカメラのミラーに老婆の霊体が封じ込められたのだろうか?彼は別次元の中で自分が行動を起こすことができると知り、めげずに周囲の風景を撮影し続けた。そのとき、森の中で遭遇したあの異世界の存在が川から現れ、土手を乗り越えるその光景はなんとも異様なもので、一度川に飛び込んだ人影が、一瞬のうちに逆に水から川岸に飛び出すという夢のような出来事だった。その霊姿は対岸の密林に入り込んで消えていった。勇気をふるい陽翔たちは、軋む廊下橋を渡りながら、誰とも分からぬ人影を追った。屋根の付いた橋の中に一歩足を踏み入れると、また骨の髄まで染み込むようなカビ臭さと湿気が漂った。橋の足元を支える木の梁がギシギシと音を立て気味悪い雰囲気を醸し出し、背筋がゾクゾクした。床は苔や藻でぬめり、壁は蜘蛛の巣と厚い汚れで覆われていた。天井から滴り落ちる水滴のポタリという音だけが、孤独感や放心状態をさらに深めるばかりであった。

彼らは橋を渡り一歩ずつ恐る恐る森の奥へと進み続けた。邪悪な気配が漂い、不安は頂点に達した。だがそのとき突然に森が開け、見慣れた上口茜の屋敷の外観が見えてきた。屋敷に足を踏み入れたとき、心霊調査隊は理屈では説明できない不安で覆された。まるで彼らは今まで反対方向に進んで歩いていたはずだという、空間的な違和感を覚えたのだ。その異変について、誰も何も語ろうとはしなかったが、彼らは自分達が今、多くの霊が集う超常的な霊磁場の中にいることを把握していたがまだそれが悪魔アガレスの仕業だとは推測できずにいた。

屋敷に入ると、彼らは茜がいないことに気がついた。寝室のドアをノックして中に入ると、タンスの扉が開いていて、床には女性用の髪のカツラが捨てられていた。陽奈がそのカツラを手にしたとき、即座にサイコメトリー、予知能力が働き割れるような頭痛を体感した。一方、陽翔はタンスの中身を調べているうちに、多数の男性用の服を見つけた。上口は一人暮らしだったので男性服など無いはずだったのに、この発見は怪しげに思えた。湊は、もしかしたら茜は実は男で女に化けていて、悪魔アガレスの実の正体は上口茜ではないかという間違った推測が彼の脳裏をよぎったのに気がついた。しかし、何かがおかしい事に島貫は直ぐに気がついた。陽翔は「ドッペルゲンガー(二重人格の幽霊)である可能性も残るし、生霊だったとも考えられる」と説明したとき湊は陽翔が明らかにアガレスに操り始められていると感じた。そして、「そもそも、なぜ彼女が調査を依頼したのかという謎が残る」と陽翔は続けた。「だが、なぜ上口茜は、このかつらを残して姿を消したのだろうか?」とアガレスに誘導されていると知る湊は問いかけた。さらに、「霊的カニバリズムの呪文について何か知っていますか?」と陽奈は二人に尋ねた。「それは古代アジアの呪文で、悪霊に互いを貪らせ、究極の悪霊を作り出すものだ」と陽翔は彼女に説明をした。「でも、なぜそんなことを聞くの?」と陽翔に質問され「悪魔アガレスがテレパシーでそう言っていたのです」と陽奈は答えた。それを聞いた湊は恐れを感じた。死を超えるアガレスの悪意が自分に近づいていることを察知できたからだ。午前0時、嵐が吹き荒れる中、その夜もまた交霊会が開かれた。今度は茜の姿はなかった。強い風が窓ガラスをガタガタと鳴らした。陽奈は霊界との接触を図ろうとしていたが、今回の儀式はこれまでのものとは一線を画していた。暗闇の中から、氷のように冷たく澄んだ不快音が聞こえた。それは、かつてこの屋敷で謎の死を遂げた若い女性のかぼそい声だったのか?陽奈の表情はますます不安げになり、「よからぬことが起こる前触れを感じます」と不吉な予感を告げた。

するとまた幻影は再び姿を現した。子守唄が聞こえてくると屋敷の社交場から茜の母の千明が幼い男装をした茜を連れて居間に入ってきた。母と娘は心霊調査隊の存在に気づかないようだった。「亡霊は過去の出来事をループしているだけだ」と、陽翔は皆の荒立つ気持ちを鎮めようとして説明した。だがそのとき、屋敷の扉が蹴り開けれ、もう一つ空間の穴が開き、全裸の悪魔アガレスが中から飛び出すように現れた。「今度は単なる過去の出来事のループを超えたものですね」と湊は恐怖に震えながら呟いた。アガレスは千明の地縛霊を捕らえ、別空間へのポータルに引っ張り込み、完全に異次元にその姿を消した。血液のような匂いが漂いドンと音を立てて扉はまたしまった。

室内には幼い茜が一人取り残されていた。彼女は心霊調査隊に、まるで自分達が勝ったかのようなフッフッと奇妙な笑みを浮かべていた。その表情はまるでこの少女の中にはアガレスと同じ意識が実在しているようにも感じさせた。ループの時間の流れは途切れ、こんどは警察が母親の千明を攫った犯人の正体を探るべく捜査を家でしている様子が見えてきた。警察の姿も土地に縛られている地縛霊の残像にしか過ぎなかった。陽翔達の目の前では次第に全裸の殺人鬼が行ったおぞましい過去の犯罪が再現され、別の時間軸で流れる警察の動きと重なりながら映し出されていった。陽翔が幼い茜の霊に「お母さんは連れ去られてしまったんだね」と呼びかけると、居間は大きく揺れ動き、目に見えない力に操られたように部屋の中の物が飛び交った。頭上のシャンデリアが爆発してクリスタルの雨が湊たちに降り注いだ。強力なポルターガイスト現象が発生し、陽翔たちは屋敷から逃げ出さなければならないことを悟った。

しかし、分厚く重い扉を開けようとしても開かず、自分達が閉じ込められていることに気づいた。周囲の次元空間が収縮し、まるで隠された力に窒息させられているような感覚に陥った。慌てた陽翔は、椅子を投げつけて窓を壊そうとしたが、効果はなく、窓は無傷のままだった。 陽奈も超能力で鍵を開けようとするが、うまくいかなかった。湊は窒息しそうな気配を感じ、「今逃げないと、ここで死んでしまう!」と叫んだ。その口調には悪霊への怒りがこもっていた。

ポータルに宿る見えない力に突き動かされるように、陽翔は空間の裂け目の中に身を投じた。陽奈と湊には、彼の必死に警告する声が聞こえた「手遅れになる前にここから出るんだ。そうだ書斎の部屋の窓が割れていた」。二人の前に再び現れた陽翔は、荒涼とした表情を浮かべながら、「今のうちに逃げろ」と言った。最後の力を振り絞り、陽奈と湊は割れた窓から蔦を足場に石造の壁を降りていった。すると異様な庭の彫像の口が動き出し「お前たち逃げられると思うなよ」というアガレスの声が聞こえた。二人は棘だらけの庭に飛び降り、稲妻が走る嵐の夜に飛び出すと陽翔の顔がもう一度現れ風に飛ばされた火の粉のように消えてしまった。

陽奈と湊は、嵐が激しくなり、突風が轟音を立てて森を貫く中、じっと耐えていた。心配が募る中、取り残された二人は、自分達の安全を確保するために、東京への避難を決意した。「ここから一度離れないと僕らも危ない。この地に宿る悪魔アガレスの化身はあまりにも強すぎる」と湊は言い放った。不思議なことに家の前には彼らが乗ってきた車が鍵を刺したまま停められていた。だが、車の窓には無数の霊の顔が映っていて二人を驚かせた。車に乗り込み湊がエンジンをかけると、帰りに実家に立ち寄りたいという陽奈の願いを聞き入れ、島貫は彼女を横浜の実家まで送っていった。別れ際に、彼は行方不明になった陽翔の捜索を陽奈に約束した。そのとき湊は自分達が既に悪霊の罠にはまっているような気がしてならなかった。


島貫湊が悪夢にうなされて体を痙攣させながら必死に呼吸を整えるのを見守る看護師はその凄まじさに思わず後ずさりしてしまった。「よっぽど怖い夢を見ているのね」と彼女は囁いた。だが、徐々に意識が戻ってくると、全てが明晰夢であったかのように島貫には感じられた。小さな診療所の看護師が、「タクシーの運転手から通報があったのですよ。貴方は診察と経過観察のためにここに運ばれてきたのです」と説明した。明晰夢の中から抜け出した湊は、安堵感に包まれた。彼は自分が別の次元にいることは忘れていなかった。この次元での肉体の回復には時間と労力がかかることを理解しながらも、しばし生き続けられることに感謝した。

退院後、湊は長く暗い隧道を輝く光に向かって振動しながら加速して進んでいた。光が差し込むと、トンネルを走る地下鉄に自分が乗っていることに彼は気がついた。別次元の島貫はセラピストの山岸リクに会いに行く途中だった。ひび割れた車窓に悪霊の気配を感じ、霊がトンネルの壁から湧き出て自分に憑依しようとしているのが感じられた。それは、単なる空想の産物とは一線を画していた。なぜなら地下鉄の車両の中には悪魔アガレスの化身も乗っていたからだ。この時、アガレスは既に変幻自在の力を身につけ、湊のことを車両の奥から見つめながら、悪霊や魑魅魍魎の領域へ通じる黒い悪魔の鬼門と繋がる屋敷に辿り着いたのは、湊一人だったと懸念していた。悪魔は、「早く湊の存在を消さなければ」と思いながら、憎悪で赤く燃えたぎる瞳で彼を釘付けにしていた。そして、「陽翔の方は簡単に操つれそうだ、陽奈は後でゆっくりと憑依しよう」と囁きながら、邪悪な笑みを浮かべていた。

心療内科に到着した湊は、混み合っていた南千住病院心療内科の受付で予約していたセラピストの山岸リクはここには勤務していないと知らされた。「そんなことは無いはずだ。先週予約は入れてある」と、彼は若い受付の女性に抗議し、しばらく待たされた後に、「山岸リクという人は二十年前にここに勤めていた女性で、既に亡くなっているそうですよ」そう告げられ、言葉をなくした湊は、この次元には山岸リクが存在していないことを混乱しながらも受け入れた。


東京都新宿区東口の繁華街にある雑居ビルの中で、上口茜は長い間、黒魔術の修行に励んでいた。彼女はカリスマ的な指導者で、様ざまな教団を一つの旗の下にまとめ、個人の変貌を約束し、永遠の成就の秘訣を明らかにしていた。彼女の霊媒としての能力は、多くの信奉者を惹きつけていた。だが、彼女を本当に恐ろしい存在にしていたのは、怪異でありアンデッドである悪魔アガレスとの繋がりだった。茜の祖先の上口家はアガレスと契約を結び、人の魂と引き換えに悪魔は一族に仕えることになっていた。この取引は茜の運命を決定づけ、強力な悪の力としての地位を確固たるものにし続けていた。山の屋敷から姿を消した茜は東京に戻り、秘密の集会で信者達を前に計画の報告をしていた。彼女は永遠の存在についてのイデオロギーと、霊的危機を引き起こす霊的カニバリズムの力について信者達に語った。それは悪意ある感情の総合的な実体のエネルギーを利用する古代の神秘的な実践であった。これらの実体を互いに食い合わせることで、盟約は人の強力な憑依体を作り出し、魂を奴隷と化し、意のままに操ることができた。この死霊術は彼らの信仰の中核をなすものであった。茜は、心霊調査隊が彼女の欺瞞に満ちた呪いの計画の中心についての謎を深く掘り下げていることに気づいていた。アガレスは既に、日を追うごとに調査隊が彼女の隠された過去の真相に近づいていることを茜に伝えていた。そこで、彼女は館内にある木彫りの懺悔室に入り、悪魔と心霊捜査隊員達との心霊戦争の戦略を話し合うことにした。茜は歌いながら、アガレスからテレパシーで戦略の内容を受け取った。互いの繋がりが強まるにつれ、懺悔室は独自の生命を持ち始めた。木の表面に血管が浮かび上がり、まるで心臓が動いているかのように脈を打ち始めた。心霊調査隊が探索を続ける中、茜はすでに邪悪な計画を立てていた。呪文を強化し、力を強固にするために霊能者達を欺き、罠にはめ、魂を奪い取ろうと考えていたのだ。そのためには、死の予兆であるドッペルゲンガーの実体化を召喚するよう、信者達に命じなければならなかった。

湊は同じ頃、不吉な力に取り憑かれ、今も明晰夢を見続けているのかと薄気味悪さを感じながら、南千住の繁華街を彷徨っていると、タクシーが通りかかり、その運転手は以前、水神大橋まで彼を送ってくれた女性であることに気づいた。必死で走ってタクシーを追いかけると、車は信号待ちで停車し、運転手がドアを開けてくれた。ほっと胸をなでおろした。彼女は「すみません、貴方は水神大橋から川に落ちた方ですか?」と聞いてきた。「橋から落ちたかどうかはよく思い出せません。」と混乱して湊は答えた。彼女はバックミラーで後ろを見ながらこう聞いた「湊さんはまだ私が誰だか分からないのですか?降霊術師の野添陽奈ですよ」と彼女は帽子を取りながら言った。バックミラーで彼女と湊の視線が合うと、彼は驚きの表情で陽奈を見つめた。「何てことだ、水神大橋まで僕を乗せてくれたのは陽奈、君なのか?」と意表を突かれた湊が彼女に聞くと「湊さん、悪魔アガレスは私達の意識や夢の中に侵入して、あらゆる角度から私達を観察しています。」と陽奈は説明し始めた。「直ぐには分かってもらえないかと思うけど、アガレスを欺く為には貴方は水神大橋から転落する必要があったのよ」と彼女は説明を続けた。どう答えて良いのか湊には言葉が見つからなかった。自分が死ぬ必要があったのかと聞くべきか彼は躊躇した。「橋からの落下はアガレスを欺くのに不可欠でした。そうすることで貴方は悪魔を倒せる力を霊力の源、黒い悪魔の鬼門で得ることができたのです。」と陽奈は語ったが、彼女は既に島貫湊が死んでいることに気づいてはいなかった。「私達はこれから茜の屋敷へ向かい、その後帰らずの橋をまた渡ります」と彼女は湊に伝えた。陽奈はしばらくの間無言で車を走らせた。じっと窓に顔を寄せて冷たい空気を感じながら流れる風景を見ていた湊が沈黙を破った。「常識では考えられない奇妙な出来事ばかりが僕の周りで起こっている」と重い声で彼は彼女に説明した。「分かりますよ、貴方が体験したことは並大抵なことではありません。貴方にとって異常なことばかりが続いたと思います」と答えた陽奈の声は彼に山崎リクを思い起こさせた。「僕は心霊調査以来長い間悪霊に取り憑かれた感覚から逃れられないでいた。あの夜からの記憶の流れも混乱している」と彼は身の上を明かした。

憂いを帯びた優しい口調で、「慰めになるか分からないけれど、私もアガレスに付き纏われ、熾烈な戦いで試練を受けました」と彼女は告白した。陽奈は湊が陽翔の行方の調査に出かけた後に実家で悪魔アガレスの霊的攻撃の的にされていた。奴は彼女の行動を監視してまるで猫がネズミで遊ぶように付き纏い彼女を翻弄させた。除霊を行った際に陽奈の霊魂がアガレスの波長に近づいて霊的な副作用が発症してしまったのだ。それは不気味な結果を招き、奴は彼女の夢の中に姿を現し、懺悔室を自分の霊的な乗り物として使い自分の力を彼女に見せつけたのだ。

アガレスはサイコキネシスの力で懺悔室をテレポートさせて移動していた。夢の中で陽奈は催眠術をかけられ、奴のもとに導かれた。顔を影に隠したまま、「俺はお前を世界一の霊媒師にすることができる」と陽奈に話しかけると「悪魔の誘惑なんて私は信じない」と彼女は強い意志を持って答えた。「俺の力を見せてやろう」とアガレスが言い、懺悔室を霊道にテレポートさせた。「ほら、ここに留まって来る大勢の浮遊霊達を見るがいい。彼らは皆、生者の領域への入り口を渡ることを切望しているんだよ」と自慢げに悪魔は言った。「私達生きた人間はどうなるの?」と彼女が尋ねると。「お前達は皆、影となり灰と化すだろう。だが、俺の下僕として生かしておいてやってもいいぞ」とアガレスは答えた。「貴方の世界を見せてくれれば考えてやってもいいわ 」と陽奈は答えた。人と契約した悪魔はダイモンとなり、人間の女性と親密になりたいという本能的な欲求を持つので、アガレスを欺くのは難しいことではないと彼女は思っていた。

陽奈が実家の部屋でまどろんでいるうちに、アガレスは時間の流れを乱し、過去、現在、そして未来までも予想できないほどに交錯させていることを彼女は知った。ダイモンという存在は、いくつもの時間層を自在に操り、異なる歴史を組み合わせ、刻々と移り変わる現在と未来を作り上げる力を持っていた。陽奈にとって重要だったのは、このような遭遇が、平行世界だけに止まらず、創造された異なる過去、現在、未来をゆがませて自然の法則に逆らっているということだった。それこそがアガレスが目指す真骨頂であったからだ。

悪魔と空間移動をしていた彼女は、冥界にある黒い悪魔の鬼門に対するダイモンの恐怖心を利用することが、アガレス討伐の鍵であることを見出した。そのためには、湊は水神大橋から飛び降りなければならなかった。だが、それを実現させるためには彼女はアガレスの精神的な拘束を解かなければならなかった。幸いにして、陽奈の母親は巫女の血筋を引き、霊的な障壁を作る能力を持っていた。それで彼女はなんとか悪魔の拘束から脱却することができた。それが、山の屋敷でのセアンスの一件の後に、汚れを落とすために彼女が母のいる実家に戻ることになった理由だった。

島貫湊と野添陽奈は車を上口茜の家の前に停め、あの薄ら恐ろしい森の中を帰らずの橋が架けられている川へと向かって歩いた。「またこの森に入ると思わなかったよ」と島貫が呟くと陽奈が「島貫さん、この暗い森が怖いのですか?」と笑みを浮かべながらからかった。「根深い土地の祟りのことを思うと嫌な予感がするだけだよ」と島貫は照れ隠しで言い繕う。「この調査のことを発表すればここは世界一の心霊スポットになりますよ」と陽奈がおどけて言い返すと彼は苦笑いを見せた。

死んでしまってはあまり意味はないと思いながらも、陽奈はやはり美しいと島貫はまた感じた。「命あっての物種ですかね?それにしても佐藤さんは大丈夫なのでしょうか?」と陽奈が心配そうに聞くと「無事である事を祈るよ」と島貫も心配そうな表情を作って答えた。二人は帰らずの橋を佐藤と三人で渡った時に方向が変わったという次元の変化の現象をいまだ記憶に留めていた。霊道だと思われる橋の入り口にたどり着くと肉眼でオーブが見えた。二人が一歩足を踏み入れた途端、水面にできる輪のような不思議なエネルギー波に襲われた。周囲が輪に沿って回転し始めた。彼らは別の時間と場所に突然移動したことを認識した。はたしてこれも悪魔アガレスの残した罠なのだろうか?

橋の出口で二人は墓地の掃除をしていた老婆と出会った。この時間空間の老婆は親切そうに「日暮れ過ぎにここに来たら駄目よ。早やくお帰り。それにしてもあんたら変な服装しとるな。外国人かい?」と老婆が怪訝そうな表情で聞いてきた。令和の服を着た二人が珍しく見えたのだろう「お婆さん、今何年ですか?」と陽奈が尋ねると「馬鹿なこと聞くな、大正十二年、八月二十九日に決まっとるは」と老婆が答えた。

「私は俊子というの。こないだこの村で初めての人殺しがあってね、その犯人は自分のことを悪魔アガレスと名乗っていた。熱り立った村人達がそいつをそこの川で殺してしまったのさ。最近こんな田舎でも物騒になってきたよ」。「そんな事件があったのですか?」と島貫は老婆に聞くと「それがさ、変な話なんだけど、そいつが殺された時に同じ顔をした男が楽しそうにその様子を見ていたというじゃないか、本当にやだね!その他にも見てはいけないものを私はぎょうさん見てしまったし」と老婆は心配そうに言った。

「今この村では上口千明と広幡茜の裁判の準備が行われているよ。千明が悪魔と関係を持っているということだが、怪しいものですわ」という俊子婆さんの方言は分かりにくかったが二人は何となく言葉の意味が理解できた。

島貫湊と野添陽奈が川を隔てた向こう側の森の道を進むと、どういうわけかこの時空では二人は村の入り口に辿り着いた。そこには細やかながら市場や村役所があった。二人は役所に行って上口千明と茜の裁判を傍聴することはできないかと尋ねた。「裁判と言ってもね、広幡さんの家でやっているのだよ。そこの坂を登った一番大きな家だから直接いって聞いてちょうだい」と年老いた役所の係の男が説明した。島貫と陽奈が広幡家の前に辿り着くと門は開いていて沢山の村の住民が集まって大きな庭から裁判が行われていた部屋の中の様子を見ていた。二人も人混みに紛れて中に入っていった。この時間の流れではどうやら上口茜は広幡の孫娘になっていた。茜は古い着物を着て貧乏くさそうに見える千明の前に座っていた。そして広幡と一緒に白髪混じりの島貫と野添に瓜二つの男女がそこには座っていた。

「あれは私の祖母よ」と陽奈が島貫に囁いた。「信じられないことだが男性の方は僕の祖父だよ」と周りに聞こえないように彼女に伝えた。陽奈が「アガレスがこんなことまでできるなんて」とため息まじりに答えると「家の孫娘の茜がそこに座っとる千明さんと言い争った後に体調を崩し喉と首が腫れて何も食べることができなかったと言うのや」と広幡の話声が聞こえてきた。「千明さんは何か反論はありますか?」と裁判官の島貫の祖父が聞いた。「違うのですよ。この娘が、私が変な歌を歌っていたと言いふらしよったから積極をしただけなのよ。それでなくともここに越してきて、私は山小屋の一人暮らしだから怪しまれているのに」と千明は反論した。

するとそのとき茜は発作を起こして、十四歳の少女というよりは声変わりしている少年みたいに、鼻の穴から聞こえるような声で「この女はウタの呪使いや、早く木から首を吊るせ!」と呟いた。「お前気味が悪いな!」と千明が叫んで割込んだ。「静粛に!」と白髪まじりの髪を後ろで束ねた野添の祖母の裁判官が言った。島貫と陽奈には薄化粧をした茜の顔は毒毒しく見えた。「家の孫の茜がこんなことになってしまったのが確かな証拠です。千明は確かに有罪ですよ、裁判官!魔女の千明を川に沈めて呪いを解かねばいけんよ!」と主張する広幡の大声で怯んでしまった裁判官達は何も言えなかった。

その時、物見の人混みの中から陽奈が声をあげた「私達は東京からきた新聞記者ですが、こんな具体的な証拠もなく人を有罪にして処刑するなど許されませんよ!」。そのとき後ろの方から俊子婆さんが「そうですよ、お宅の娘だって何だか変ですよ」と叫んだ。「黙れ 俊子!」と広幡が怒った。見ていられなくなった島貫湊が「少なくても僕達に少し事情を調べる猶予をください」と言うと祖父の島貫裁判官が「分かりました、そうしましょう」と答えたが千明は直ぐに広幡の家の者に連れ去られ座敷牢に閉じ込められてしまった。一回目の裁判が終わり、村人達が屋敷の外に出ると島貫と陽奈が彼らに何か知っていることがあったら教えて欲しいと頼むが、「あんたらは東京から来たからいいだろうが、私らは広幡家に逆らったらこの村では生きていけんのでの」と村人の一人が言った。

島貫と陽奈が村人の家を訪れ茜と広幡そして千明についての事情聞いて回っていたころ、思いも寄らない事件がこの小さな村で起こってしまった。そのとき、島貫と陽奈は村の医者の家を訪ねていた。村の若い男達が体調を悪くした人達を家の隣にある診療所に運び込んできたのだ。男達の話によると広幡が独断で交霊会を自宅で行ったらしい。そこで事故が起こり見物に行き体調を崩した何人かを連れてきたと彼らは説明した。広幡の家のお手伝いの話によるとブタンランタンの故障による偶発的窒息が原因であるという。

しかし担ぎ込まれた病人達の顔には切り傷や殴られた傷跡があったので理由は窒息だけでは無いと村医者は判断した。若い衆の一人が「家を締め切ってしまったので分かりませんが、怪我人がまだ残されていると思います」と伝えると「先生はここで検査と治療を続けてください、私達が広幡の家に行ってきます」と陽奈は言い、湊と陽奈は急いで診療所を後にした。

広幡の家に向かう途中二人は村の医者から聞いた昔話を思い出していた。村がまだ集落だった頃、現代の隅田川流域につながっていた、帰らずの橋の下を流れる川は大雨の為に水位が上がり、水がひくことはなかった。集落の住人達は旅の母娘を人柱として洪水寸前の川に二人を沈めてしまった。その後集落には疫病が流行り出した。その娘は長旅で熱を出していたと言われている。集落の人々は母娘の霊の供養の為に帰らずの橋を川に掛けたという。何と酷い話だろうか、不幸を齎す霊がこの村に集まってきても不思議はないと島貫と陽奈は思った。二人が広幡の家に着くと茜が玄関の前で立っていた。「ここはあなた達の来るところではないよ」と彼女は裸足で障子を蹴りながら言った。島貫と陽奈は無理矢理に交霊会が行われた部屋に入ろうとしたが茜が廊下を立ち塞いだ。

その時二人の後ろから老婆の俊子の声が聞こえた。「通してやりなよ」「婆さんがしゃしゃりでるな!」「なんてこわくさいこと言うか! 茜、私はあんたがあの悪魔の男と川で歌を一緒に歌っているのを見たよ」と俊子婆さんが言うと「酷い目に遭いたくなかったら黙っていろ」と茜は言い捨てて廊下の奥へと逃げていった。

「さあ、こっちが交霊会の部屋だよ」と俊子が島貫と陽奈を案内した。部屋の扉を開くと一酸化炭素やメタノールの匂いが充満していた。部屋の中心は十三の結び目のある大きなロープの輪で囲われていた。儀式用のコップが床の上に転がっていて、硫黄のような臭みが広がっていた。交霊会の参加者は毒薬を飲ませられたようだ。囲いの中に斃れていたのは主催者の広幡、裁判官をしていた島貫と陽奈の先祖、そして悪魔アガレスの化身だった。島貫と陽奈は直ぐに脈を測ったが既に彼らは息絶えていた。「みんな亡くなっているわ」「悪魔アガレスの化身も死んでいるかい?」「脈はない。でもこの交霊会を先導していたのはアガレスだったようね」と陽奈が言うと俊子婆さんが「この男だ、茜にきみ悪い歌を川で教えていたのは」と言うと部屋の奥から男のうめき声が聞こえた。

それは佐藤陽翔の声だった。島貫が声の聞こえた方に行くとそこには佐藤が倒れていた。「島貫さんこれは!」「佐藤さんだ。まだ生きている」と島貫は叫んだ。佐藤は顔に深い切り傷を負っていた。「早く診療所に運ぼう。若い衆を呼んでくるからこの人を屋敷の前まで運んでくれ。ここは本当に空気が悪いから」と俊子婆さんが言いながら外に向かった。湊と陽奈は佐藤を外に連れ出した。

外の空気は澄んでいた。「佐藤さん、大丈夫ですか?」と陽奈が聞くと「無理やり毒を飲まされた」と苦しそうに佐藤は答えた。「十六日の交霊会の後に私は悪魔アガレスを追ってこの次元にきて密かにアガレスの過去を探っていた。奴は何度も時間を行き来していて何を企んでいるかを知り尽くすのはとても難しかった」と彼は激しい息遣いで重要な事を二人に教えた。「佐藤さん、無理して喋ったら体に悪いわ」と陽奈が気遣うと「一つだけ大切なことを知らせておく、あの部屋で死んでいるのはアガレスのドッペルヘンガーだ。騙されるな。」

村の若い衆がやってきて佐藤を診療所へと運んだ。移動中に佐藤は何か陽奈に伝えようとしたが、毒が全身に回り話す事ができなくなっていた。彼は最後の力を振り絞り精神融合を陽奈と行い、テレパシーで「ここで調査をしている間に私は自分のドッペルヘンガーと遭遇した。私のドッペルヘンガーは川にアガレスが出現した際にできたポータルが閉じる前に飛び込んで現世に戻った。そいつは新しい心霊調査隊のチームを結成してこの次元に戻ってくるはずだ。断っておくがそいつを信用してはいけない。そいつが僕ではないことを覚えていて欲しい」と言い残し彼のテレパシーは切れた。「佐藤さん!」佐藤はそのとき事切れた。死後の島貫は長い付き合いの佐藤も自分と同じように霊道を通ってあの黄泉の国にある古い屋敷に行くのだろうかと自らに問いかけた。だが、彼は悪魔アガレスの企てが予想通りに進んでいくのを懸念せざるを得なかった。

佐藤の遺体は診療所の安置室のテーブルに白い布をかけて寝かされた。リーダーを無くしてしまった二人は途方に暮れた。陽奈は島貫に先ほど佐藤がテレパシーで送ってきた事柄を伝えた。「佐藤君が亡くなってしまったのは本当に残念なことだ」と島貫は呟いた。悪魔アガレスの化身がまだ存在しているのだとしたら、この悲劇は終わってはいないことを二人は痛いほど理解していた。「テレパシーを受けていた時にふと気づいたのだけど、佐藤さんのドッペルヘンガーは今夜帰らずの橋に現れる」と感じたことを陽奈は島貫に伝えた。二人は彼のドッペルヘンガーが知っていることを聞かなくてはと思った。

「夜が深まる時に帰らずの橋へ向かうのは危ない。私が案内するよ」と俊子婆さんが申し出ると「村の人は夜にあそこに行くのは禁じられているのでしょう?」と陽奈が聞くと「行かねばならんのだろう?仕方がない」と俊子婆さんは親切そうに答えてくれた。陽奈と島貫は暗い森の中を帰らずの橋へと向かって足早に歩く俊子婆さんの後を追った。

陽奈と湊は、暗い森の中を帰らずの橋へと進む俊子婆さんの後を、すたすたとついていった。森の奥から呪いの詠唱が聞こえ、彼らは茜のことを思い出した。森に存在する地縛霊はその詠唱に引き寄せられていた。木の枝が腕のように揺れ、彼らの進行を止めようとしているように見えた。狂信者の洋子と恵子は、湊を消滅させるべく、不吉な和声を奏でながら、死の詠唱を行った。危機を察知した三人は、橋に向かって急ぎ駆け出した。その時、陽奈が発動したのが「呪いの反射」だった。言葉の力を利用したこの神秘的な力は、盾の役割を果たし、致命的な呪文の詠唱を逸らすことができた。

橋が見えてきた時、川の中からアンデッドの妖怪が飛び出し、空に向かって吠えた。溶けている姿は、変身中の千明だった。その時突然、不気味なゴーという地鳴りが起こり、クレッシェンドで爆発して辺りに響いた。足元が激しく揺れ出した。「大正十二年の関東大地震だ!」と湊は大声で叫んだ。地震が激しくなると、目の前で橋がアンデッドの千明の上に崩れ落ちていくのが見えた。「あれは陽翔のドッペルヘンガーでは?」と崩落する橋から川に飛び込む陽翔の姿を見つけた陽奈が聞いた。

地震の揺れが収まると、彼らは川に駆けつけ、残骸の中から陽翔の不気味な複製を引き上げた。しかし、そこにはアンデッドの千明の死体は見つからなかった。陽翔を川岸まで運んだ時には、橋は完全に崩れていた。「私は大丈夫。だが時間移動のポータルは無くなってしまった」と、不安げな声で説明した。悪い予兆をもたらすことで知られるこのドッペルケンガーは、漆黒の髪を除けば佐藤陽翔と瓜二つであった。すると陽奈は橋の瓦礫の中に青く光るものに気づき、また川に入り、青く光る文字が刻まれた板を見つけた。川岸に持ち帰ってよく見ると「陽翔君、僕達は別のポータルからこの次元に入ってしまったようだ。村外れの宿にいる」。「村外れの宿は一軒しかない、私が案内するから早く行こう」と俊子婆さんが腰を上げながら言った。

宿に向かう途中、陽翔は「皆さんは私を疑っているのでしょう?」と尋ねた。ドッペルゲンガーがすべて不吉な予兆とは限らないし、私は君たちの敵ではないと断言できるよ。」「でもあなたは本当の陽翔ではない」と陽奈が口を挟んだ。「そうです、私は彼ではないですが、彼の記憶を持っています。アガレスと茜はうっかりして、モーツァルトの彷徨える魂から僕を作り出してしまったのですが、私は生者の世界に戻れたことを嬉しく思っています。そして、貴方達の役に立ちたいとも思っている」。「それでは、モーツァルトさん、これからは 「ハル」と呼ばせてもらうよ」と湊は頷きながら言った。宿に向かう途中、陽奈は湊に「モーツァルトさんの話、ちょっと突拍子もない気がしない?」湊は、「少なくとも、彼の話にはユーモアがある」と、微笑みながら囁き返した。死した湊にとってハルの存在は意想外に思え、その思い掛けない展開こそが悪魔アガレスを倒すきっかけになるのではと感じていた。

ドッペルヘンガーの佐藤は移動中の新心霊調査チームの車の中で心霊研究家の青木明と防井直美に時間を旅するという着想はその旅人が現在に存在しなくなる分けではなく、過去に移動することによってパラレルワールド、並行世界を発生させることだと説明していた。この時には既にハルも死した佐藤の永遠の意識を持ち続けることができる存在に強く依存していた。「私達は分岐して同時に両方の世界に存在する。それゆえ、ある世界で自分自身が死んだとしても、別の世界では死んではいない」と語った。

「悪魔アガレスは時空を旅しながら新たな悪霊を現代に連れ込んでいる恐れがあるので気を付ける必要がある」。ハルは「アガレスが地縛霊の負のエネルギーを利用して暗黒物質のポータルを開き過去や未来への次元に移動することを可能にしている。ある部屋に二つの鏡が向かい合っている場合、その場所でこの負のエネルギーを使いポータルを発生させることができるはずだ」。ハルが地縛霊の存在を暗黒物質のエネルギーとして考えていたことからすると当時の佐藤は正気を既に失いかけていたと言え、ハルもその記憶を引き継いでいたと考えられた。暗黒エネルギーは、背景進化においては標準宇宙論と基本的に同じものだと彼は祈るように信じ込んでいた。いわゆる偶然性問題を軽減することさえ可能であれば自分は死することなく霊の力を使った時間の旅で生き続けることができると確信していた。だがハル自身は別の考え方を持っていた。

上口の山荘の屋敷に到着すると超常現象機器担当の森田洋子と天海恵子が家の二階から降りてきた。彼らは先に上口宅に到着して調査用の機材を準備していた。心霊マニアの二人は早速テーブルの周りに集まってきた。「一応紹介をしておこう。心霊調査の機材を扱うチームの森田君と天海君だ」。「僕と防井直美さんは佐藤君から届いた映像を見て調査に参加する事にした」と青木は語った。「映像の中で佐藤君は帰らずの橋の上からある老婆が竹の籠に入れられ川に沈められるのを撮影していたのだ」。と青木明は付け加えた。しかし実のところそれは悪魔アガレスのドッペルヘンガーが念写した別次元のものだった。

というのも佐藤のドッペルヘンガーのハルがポータルに消えたのは老婆が川に沈められる前であったからだ。ハルはそれを青木達には明らかにしていなかった。「それが過去の次元で起こったことだと知った時、私達は信じられなかったが是非その世界を体験したい」と防井直美が言ったときはまるでテーマパークにでも行くような雰囲気が漂っていた。「この村で発生していた過去の事件は、この屋敷で起こった悪魔アガレスの賊害と繋がっていると私は思っている」とハルは言った。ハルはアガレスが帰らずの橋の川に出現した際に隙を見てポータルが閉じる前に飛び込んだおかげで今の時限に戻ることができたのだ。

青木明は茜が悪魔アガレスと名のる生きた人であり、ポータルを通り別の世界や次元へ出入りして悪事を行なっているのか、それともそもそも地縛霊が悪霊へと変化したものなのかという疑問に調査の焦点を置いていた。島貫湊は水神大橋からの落下の後に行方不明になっていた。もしアガレスの実の姿が茜であるとしたら、地縛霊である可能性は薄くなる。地縛霊であれば自分が死んだことに気づいていない可能性もあるので、生きた人の方が悪霊に変異した地縛霊という考え方がより正しいのではと防井直美は考えていた。

しかし、時間と次元の移動についてはドッペルゲンガー現象が起っていることを考えると、幾人ものアガレスが憑依した茜が複数の次元に存在しているので、茜が悪の権現ということは変わらないとハルは確信していた。だが、青木は土地の呪いが悪の権現である茜を生み出したのか、茜が土地に呪いをかけて怨霊を呼び起こしたのかがまだ定かでは無いと考えていた。土地の呪いは除霊できないと青木は知っていた。だが、今となっては災い起こす悪質な存在は複数の次元に拡大してしまっているので、完全な除霊や浄化は難しくなるだろうという考えを締め括っていた。

ドッペルゲンガーのハルの新チームはその夜、上口の屋敷で交霊会を開いた。「人類は技術と通信において驚くべき進歩を遂げている」と青木は説明しながら幾つかの仮想現実対応ヘッドセットを取り出した。「仮想現実を通して降霊術を行うことができる新しい機器が完成したと聞いたので是非今回の交霊会に使って見たいと思う」と青木は皆なに言った。

さっそく交霊会を始めると空気が電気を帯びているようで、何かが起こりそうな気配がした。その瞬間、ヘッドセットを装着した彼らは暗くてまがまがしい森の中に転送された。木々はどこまでも伸びているように見え、頭上には満月の光だけが差し込んでいた。一行は、物陰から自分達を何かが見ている気配を感じた。そして声が聞こえてきた。それは影に潜む巨大な悪の存在のことを告げ、予期せぬ時に彼らに襲いかかろうと待ち構えていると語った。それこそは、未知の世界に飛び込む勇気を持つ者への警告であり、訓話のようにも感じた。新チームは無言で何かが始まるのを待っていた。

彼らが瞬間的に目にしたのは老婆と化した上口千明がぼろ小屋へ戻る途中だった。物陰を通り抜けると、極度に老いて曲がった指と汚れた長い爪が、一瞬、小屋から漏れる火の明かりに照らされた。老婆の千明は小さな兎を粗末な卓袱台の真ん中に寝かせた。冷たい卓袱台に寝かされた兎は圧倒され、危険を察知していた。繊細な兎は、反射的に宙を探った。ちらちら光る灯りで見えたのは、土間に落ちている、汚れた赤いひざ掛けだけだった。羊毛の靴下からは、ギザギザの真菌性の爪が突き出ていた。老婆の千明は食卓から離れて、被っていた頭巾を脱ぎ捨て、薄汚れた灰色の髪が肩に落ち、曲がった背骨を横切って蛇行していた。彼女は残りの汚れた服を脱ぎ、一瞬、裸身があらわになる…それは島貫達が遭遇した悪魔アガレスがポータルを通って連れ去った千明の姿だった。

影の中に戻っていく千明は、二十年は歳をとっていた。千明の枝のような手は、兎の上にある低い葺き屋根に伸び、苔の塊を引きちぎる。土や葦、その他の自然物の小さな破片がウサギに降り注がれた。明るい月の光が穴から差し込み、その光で兎の目を照らす。老婆の千明は心に染みる歌を口ずさんだ。彼女のミイラのような手は兎の毛皮を優しく撫で、太ももあたりの脂肪をつまんでいた。

千明の手は大きな錆びたナイフを取り、それをキーキーと鳴く兎の胸にかざした。千明は歌を歌い続けていた。そのシルエットを通して、小さく燃える火のそばでナイフを繰り返し兎に振り下げているのが見えた。少しすると千明は「モルタルとペストレ」を石の器に入れてすりつぶしていた。その中身は容易に想像できた。老婆の千明の横には、土の瓶が乱雑に並べられていた。それはひどい悪臭を放っていた。火は消え、月明かりに照らされた千明の手には、血の滴るような脂が握られていた。彼女はこの液体を自分の裸体に塗りたくった。彼女の親指と人差し指のあたりで泡が立った。

しばらくすると裸の千明は囲炉裏の近くに立っていた。突然、老婆の頭が動き出した。最初はピクピクと、そしてゆっくりとなり、彼女の視線は上へ上へと向かった。彼女の目はグルリと白目に変わり、瞼は月明かりに照らされてひらひらと動いていた。千明は地面に倒れこみ大きく呼吸し、野獣のようなうめき声をあげながら、土と闇の中で震えた。するとゆっくりと、奇妙な幻のように、月夜に向かって彼女の身体は浮かんでいった。老婆の千明の裸体が森の枝にこすれ、カチカチ、カチカチと音を立てて上昇していった。

その時、現実の山の屋敷の空間の中に穴が開き、ハルの新チームはポータルの入り口に飛び込んだ。彼らの目の前でグロテスクな近代絵画のようなインパクトのある光景が繰り広げられた。骨と肉が新たな生命体、別世界の生物へと形を変えるような様子だった。彼らの目は月に向けられていた。空いっぱいに光の輪が輝きを放っていた。その光の輪は、彼らを前へ前へと引き寄せ、その強度は爽快な速度へと増していった。その勢いはストロボのように点滅し、まばゆいばかりの、官能的な色彩のうねりを生み出した。その光景は壮観であり、説得力があった。遠くから声が聞こえてきた。

突然、明滅する円環が具体的なイメージを描き始め、無限の次元へと上昇する、一種の立体的な階段のようなものに見えてきた。彼らがそこに向かって加速するにつれ、その光景はますます壮大になっていった。あまりの凄まじさに、何が見えているのかがよく分からない。遠くから歌声が聞こえてきた。そして、不意に、心臓の鼓動のようにしつこく続いた。後継が砕け散り、赤と青の強烈な閃光に変わった。雷鳴のような響き、音楽は次第に大きくなり、クレッシェンドに達した。そして静寂が訪れた。気がつくとドッペルヘンガーのハルは時空の移動中に青木達の一行とはぐれてしまった事を知った。タイムトラベルして来た村が直ぐに何かがおかしいことに気がついた。空気は不自然なエネルギーに満ちており、風景は荒涼とし、生命の気配があまりに薄かった。その時突然大きな地震の揺れを彼は感じた。

一方の青木達はポータルの出口であった老婆の千明のぼろ小屋を後にして村の外れの宿を見つけそこに部屋をとる事にした。途中彼らは帰らずの橋の入り口の柱に夜行ペンキで「佐藤君、僕達は別のポータルからこの次元に入ってしまったようだ。村外れの宿にいる」と書き残した。青木達は準備してきた最新鋭の機器を持って広い部屋に入った。取り敢えずノートパソコンを開き録画したセアンスのファイルを再生した。すると大きな地震の揺れを感じた。宿は左右にぐらぐらと揺れた。ノートパソコンからは突き刺すような青い光が発せられ、青木達は地震によって悪霊の力が増して自分達の技術を支配したことに恐怖を覚えた。佐藤は何処に行ってしまったのだろうか?


するとドアをノックする音が聞こえた。青木がドアを開けるとそこには島貫湊、野添陽奈、ドッペルヘンガーの佐藤陽翔、ハルと道案内の俊子婆さんの姿があった。「佐藤君、何処に行っていたのですか?私達は別のポータルからここに辿り着いたのです」と説明しながら俊子婆さんの方に青木は視線を向けた。「この人は村の案内をしてくれている俊子さんです。こちらが先にこの次元に来ている霊媒師の野添陽奈さんです。そして僕が心霊写真家の島貫湊です」と自己紹介をしたがあえて彼らが知っている佐藤陽翔がドッペルゲンガーであることは知らせなかった。「凄い地震だったね、帰らずの橋は崩壊してしまった。そして私が通ってきたポータルも消えてしまった」とハルは青木達に伝えると「もし消滅してなかったら私達が通ってきた時間移動のポータルが使えるかも知れません」と心霊研究家の防井直美が心配そうな佐藤達に知らせた。「とにかく部屋の中に入って座ってくれ、相談したいことが沢山ある」と青木は彼らを招いた。機材担当の森田洋子と天海恵子は地震の影響を受けた装置を点検する為に別の部屋に移動した。そのとき陽奈はそのよそよそしさに違和感を感じ、佐藤が息を引き取る前に言い残したドッペルヘンガーを信じるなという言葉を思い出していた。「これから私達はどうやって悪魔アガレスと戦っていくべきかを相談する必要がある」と青木が硬い表情で切り出した。「戦略を考える上で最初に必要になるのは霊障の発症の引き金となったのが土地から来たものなのか、霊体自身から来たものなのかを見分けることです」と島貫が少し具体的な話を始めた。すると直美が「私達もそのことについては随分考えました」と答えると青木が「アガレスの力が複数の次元に広がっているこの状況では完全な浄霊をするのは困難なことだ」と彼らの纏まった考えを島貫に話した。すると陽奈が「陽翔さん、湊さんと私で行った浄霊は既に失敗しているのです」と状況を青木と直美に説明した。「これまでの調査で分かった大切なことは悪魔アガレスが怪異だということです」と島貫は発言した。

「それではアガレスは除霊ができないというのかい?」と青木が聞くと今まで静かにしていたハルが話を始めた。「まずこの片川村の土地の悪しき鬼現象は山や木などの自然物に宿っている人智人力を超えた精霊悪鬼を基盤に存在している。最初の祟りはその昔、旅の母娘を、洪水をおさめる為に人柱にした罰と村人に起こった不可解な死至る騒動。次は村人達が手にかけたウタの屠殺場の乙女の呪いに対する罰と奇妙な、帰らずの橋の現象だ。そしてその墓を掘り起こすと発狂した鉄道の作業員の呪い。一番新しいのは人の霊魂を奪う茜の歌う呪いの歌がある」とハルは説明した。

「これを個々に浄化する必要がありますね。そして私達の体内に残った汚れを持ち帰らないように浄化の効果を持つ結界を展開する必要もあります」と陽奈が、自らが使命だと思うことを言った「それなら何とかできそうね」と直美は少し安心したように答えた。「だが悪霊から怨霊の変異の力を得て強力な怪異になった悪魔と戦う戦略を考えなければいけないね」と島貫は言うとハルが「アガレスの目的は何だと思う? 私はアガレスが霊道に霊障を持ち込み現世に悪霊を増やすのが目的なのだと思う」と考えを伝えると「私がもっとも気になるのは上口茜とアガレスの関係性についてだわ。茜の先祖は確か沖縄のウタだったわね?もしも茜がアガレスを作り上げたとしたらどうでしょう?」と直美が意見を述べると佐藤が「私は中年の上口茜は呪殺を専門とする呪術師ではないかと疑っていた」とハルが言うと別の部屋で装置の準備をしていた森田洋子と天海恵子が目線を合わせた。その表情には悪意が窺えた。

「アガレスはウタであった上口家が先祖代々使っていた祟り神かも知れないわ」と陽奈が加えて言うと島貫が「だが霊磁場に集まった浮遊霊が放つポルターガイストの力も侮れない。戦っている間アガレスが逃げないように霊道を通れなくする方法を考えるのが必要になる。これはお札などを場所にはる」と島貫が言いながら森田と天海恵がいた部屋のドアを開くと、二人は隠し持っていたアンプルから毒を飲み死んでいた。陽奈は二人の遺体に触れながら「彼らは装置を壊して、急いで指導者であるアガレスと呪術師の茜のもとに急いでいったようよ」と皆なに伝えた。「上口茜は悪魔アガレスを祭るオカルト教団の教祖で森田と天海はその信者だったのね」と陽奈は付け加えた。青木と直美は信じられないという様子で二人の遺体を見ていた。陽奈と島貫は黒い悪魔の鬼門については公表しないつもりだった。そのときじっと話を聞いていた俊子婆さんが「私にも一つ手伝うことができます、山精雑魅鬼神のお供えは私がします」と陽奈と島貫が戦いの後に出会えればよいなと祈りながら言った。

心霊調査隊についに戦いの瞬間が訪れた。彼らは崩壊した、帰らずの橋の跡地に結界を作る為に盛り塩を四角形になるように置いた。そして青木明チームの直美はクリスタルを同じように四角形になるように橋があったところに置いた。陽奈は護符を帰らずの橋の残骸に貼った。青木は対アガレスの為に用意した念動力を発生させレーザーのように発射するPSIブラスターを握りしめていた。彼らは神にこの瞬間に導かれたような感覚を覚え、恐怖と決意に満ちた雰囲気が空間に漂った。闇が渦を巻く中、悪しき霊の存在の気配が強くなるのを彼らは感じとった。皆が精神を集中して内なる力を呼び起こすと、周囲が自分達の意思に応えてくれるのを実感した。きっと勝と皆思った。

しかし風が強くなり、墓地の方で悪霊の化身が吠えたように聞こえた。吐き気で胃が痛くなるほどの圧力を彼らは感じた。呪術師の茜を筆頭に早くも霊体化した森田洋子と天海恵子が一緒に現れた。「お前達は今日ここで死ぬ」と中年女性の姿の茜は言った。悪魔アガレスは、心霊調査隊の追跡を察知し超常的な力の奔流を解き放ち、何十年もかけて奪い取った死者の魂を物質化して島貫達を囲ませた。未練を残す霊姿の叫び声には陰の雰囲気があり、苦悩を誘い、善の力を失禁させる心理的な影響力があった。島貫達は悪魔アガレスが呼び出した悪霊と化した死者の魂を成仏させることを決意した。

茜の呪術による呪詛の言霊が聞こえてきた。すると川の中から体が溶けかけた化け物が飛び出した。それは茜の母の千明だった。それを見たハルが川の岸から反対側の岸まで木に縛りつけた糸を通した。すると化け物の千明は動くことができなくなった。青木は自分達を囲んでいた霊体達にPSIブラスターを発射した。だが、悪魔アガレスは時間を操る能力で彼らの攻撃をかわし、回避してくる恐ろしい強敵だった。その一挙手一投足が宿敵に映し出され、残酷な死の舞踏が崩壊した、帰らずの橋の前で繰り広げられた。PSIブラスターの発射で空間は閃光で満たされ、悪霊の中に閉じ込められた魂達の苦悶の叫びが響いた。人類の運命は、島貫達の肩にかかっていたのだ。広がり続ける霊力はあまりにも大きく時間と空間の構造そのものが、戦場の周りで解けそうになっていた。すると霊達が消えていった。同時に呪術師の茜が苦しそうに膝をついた。森田と天海の霊体はそこに黒い悪魔の門が現れると恐れ慄き逃げ去った。

俊子婆さんが山精雑魅鬼神のお供えをしてくれたのだ。そして帰らずの橋のあったところに黒い悪魔の鬼門が現れた。悪魔アガレスの本質が引き裂かれるようとした時、奴は新たな次元移動のポータルに逃げ込もうとした。「アガレスが逃げる前に奴を黒い悪魔の鬼門に封印する!」と島貫は叫んだ。湊と悪魔アガレスが同時に苦しそうに跪く茜の方に走り出した。それを見て青木はアガレスの足元にブラスターを発射した。その波動でアガレスの動きが遅くなった。その隙に湊は茜を黒い門の中へと運んだ。島貫の推測どおりアガレスは彼を追ってきた。そして悪魔アガレスと島貫は屋敷の発する時間とエネルギーの渦に巻き込まれ、その中で茜の姿は大人から子供へと繰り返し変化した後に黒い悪魔の鬼門に喰われた。

茜が消滅して力を失った怪異である悪魔のアガレスは、島貫が悩まされた自殺者の写真の地縛霊、マコト、シノ、タカシ達に引きずられて燃える異界にゴーと響くもの凄い音と共に落ちていった。もう悪魔アガレスが現世に戻ることはないだろう。島貫の運命は定かではなかった。静寂が戦場を包んだ。墓は時の流れに逆らうことなく存在していた。悪魔が呼び出した霊魂は今は安らかに眠っているようだった。心霊調査隊は悪魔の化身アガレスとの戦いに勝利し、土地の悪しき呪いがもたらした闇が再び人を脅かすことがないように浄化して結界を張ったのだ。だが、その代償は大きく、死していた島貫湊の姿はアガレスと共に消え去っていた。そして島貫の存在は、彼が浄化しようとした力と永遠に結びついてしまったのだ。

数年後、超常現象調査隊は、悪魔アガレスを駆逐した時の喪失感を拭い去ることができないでいた。彼らにとって勝利の代償はあまりにも大きかった。大切な友人であり、調査隊の仲間でもあった島貫湊の失踪は辛く心苦しいことだった。しかし、陽奈にとって残された次元移動のポータルの入り口を見つけることが島貫を唯一異界から救出することができる最後の希望であった。だが努力も虚しくポータルの入り口はいまだに見つかっていなかった。

陽奈は夢を見た。島貫湊の後ろにはセラピストの山岸リクが微笑みながら立っていた。彼女は島貫の守護霊で背後霊でもあり彼をずっと精神的に守っていた霊力の持ち主であった。夢の中で湊と陽奈がしばらく話をしていると墓の方から俊子婆さんが歩いてきた。「あんたらまた再会できると私はずっと信じていたよ」と俊子はとても嬉しそうに言っていた。すると湊のカメラのシャッターを切る音が聞こえ、彼らの写真は次の世界の宙を舞っていった。

灰色の雲の影が東京を覆い、微かに日に照らされたテレビスタジオの高層ビルに不吉な青白い影を落としていた。不穏な雰囲気の中、突然、テレビカメラが一斉に点滅し、疲労の色濃い、やせ細った男の顔が画面に映し出された。その疲れた男とは、片川村超常現象調査チームの生き残った一人の青木明であった。謎めいた司会者、片瀬亮の声は不気味な魅力を発しながら、「国内で最もゾッとするような、暗黒の魔術と未知の領域への探検を誘う『ヴェールを越えて』へ、ようこそいらっしゃいました!」と語りかけた。「今夜は、身も凍るような独占映像を公開します。人里離れた片川村で、事実に基づく恐怖の暗い影を落とした悪意ある心霊事件の未公開映像を青木さんが紹介してくれます」。青木はゆっくりと息を吸い込み、まるで過去からの恐怖の影が魂に食い込むかのように、心から消し去れない記憶が彼の眼差しを暗くしていた。

「単なる出来事では済まされないことだった。冷酷な大虐殺だったんです」。青木の声は震え、邪悪な意思を持った心霊の力によって引き起こされた悪夢のような事件を語りながら、不吉な真実を明らかにし始めた。彼は、あの信じがたい呪われた儀式の邪悪な指揮者だった。闇の教団は、魔神的なアガレスの超越した力を持って、禁断の魔術に手を染めることで昔から噂され恐れられていた。不気味な名前の「帰らずの橋」は忘却の彼方へと崩れ落ち、血も凍るような悲鳴が虚空を埋め尽くし、悪夢のような光景が狂気を解き放った。

スタジオの照明が不気味な暗さに落ちると、不吉な影の姿がスタジオ内に忍び寄り、這いずり回り始めた。片川村の浅瀬の川で、幽霊のような幻影が蠢き、渦を巻くのを、観客は身も凍るような恐怖に襲われながらじっと見ていた。透明で光るぼろぼろのシュラフをまとった、影のような亡霊の姿が暗闇から浮かび上がった。静けさは突然、冷酷で突き刺すような悲鳴によって打ち砕かれた。スクリーンに映し出された映像は悪夢のように歪み、半透明の幽霊の姿を現し、その虚ろで怒りに満ちた眼がカメラを見つめた。息をつく間もなく、スタジオの電球が火花を散らして破裂し、空間を影の深淵に落とし込んだ。

冷たい突風が室内に吹き荒れ、氷の指があらゆるものに巻きついた。かつては冷静さを体現していた片瀬は、いまや苦しげに虚空を漂い、まるで邪悪な力に操られているかのように、手足はグロテスクに歪み、伸びていた。その悪意は瞬く間に広がり、スタジオのスタッフも観客もその悪夢のような恐怖の網に捕ら割れてしまった。青木は恐怖で麻痺したまま、まるで奈落の底に沈む最後の命綱のように、首にかけた護符を握りしめた。映像の中に映っていた亡霊は、一度は忘れ去られた記憶の記録と化していたが、この放送によって再びよみがえり、報復を渇望しているように見えた。「お前たちの罪の叫びが、この悲しみを呼び覚ましたのだ」苦悶に満ちた囁きが、苦悩と恐怖に歪んだ声で響いた。

そのときスタジオの薄暗い空間の奥の方から姿を現したのは、番組調査分析の専門家である夏美だった。極度の恐怖に目を見開いた彼女は、観客席に向かってこう叫んだ。「今夜、極悪非道な悪魔アガレス教団の信者が、私達の中に潜んでいたんです」。呪文はうねり、一音一音が憎悪で脈打ち、空間を圧迫的なオーラで包み込んだ。スタジオの基礎が地震のように揺れた。機材が倒れ、壁が不気味に締め付けられ、まるで空間を丸ごと飲み込もうとしているかのように感じさせた。息が詰まるような無音の中から、亡霊が放つ囁きが忍び寄り、人々の骨の髄まで凍りつかせた。テレビスタジオの外では突然、暗い嵐が吹き荒れ、室内は妖しい静けさに包まれた。照明が弱々しく明滅し、舞台美術の荒廃に不吉な影を落としていた。散乱したケーブルや瓦礫の中に、スタッフの無残な姿が横たわっていた。

悪霊の猛威の中心にいた片瀬は、不気味に横たわったまま、死者の怒りの静かな犠牲者と化していた。主要なニュースメディアはこぞってこの悲惨な事件を報じ、テレビのスタジオで繰り広げられた言いようのない恐怖を見出しに掲げた。警察は、深刻な表情を浮かべて、超常現象の謎の奥深くに時間を無駄にすることなく踏み込んでいった。ほんの数時間のうちに、闇に包まれた教団の隠れ家が発見され、上口茜の教団の信者があらわにされ、犯人達は直ちにまばゆいばかりの正義の光の中に引きずり出された。

冥界の邪悪な存在を解き放つ入り口として放送を利用するという彼らの邪悪な意図は阻止された。しかし、青木にとって、平穏はつかみどころのない夢のまま変わらなかった。周囲の世界が眠りの抱擁に屈するにつれ、彼の耳には冷たい囁きが忍び寄り、夜になるごとに呪いを増していった。それは、視界のすぐ向こうに潜み、常に目を光らせ、暗がりの中で彼に届くのを待っている亡霊の存在を、執拗に思い出させるものだった。

呪われた中継の陰で、南ハナ警部補は悪夢のような迷宮に突き落とされ、スタジオで繰り広げられた暗く呪わしい事件の裏に隠された不吉な真実を読み解くことになった。研ぎ澄まされた知性と、冷笑主義に近い硬直した懐疑主義を持つ彼女は、不可解なものや幽玄なものに対する分署の守護神であった。戦慄を誘う最初の手がかりは、番組調査分析員の夏美が不本意ながら教えてくれたものだった。夏美の声はほとんど震えているだけだったが、彼女を不安にさせたスタジオにいたある人物のことを話してくれた。その男の目は黒曜石の生気のない穴のようで、番組を楽しんで見ているようにはみえなかったが、不気味なまでに、彼が握りしめている謎めいたメダルに釘付けになっていた。

南ハナの決意は、捕らえられた教団員が収監されている拘置所での調査の必要性という核心へと彼女を導いた。冷たく湿った独房の壁から、嘆きとも呼びかけともとれる、骨の髄まで凍りつくような詠唱が染み渡った。黒々とした錆びた鉄格子の向こうで、教団員たちの目は生々しい悪意で輝いていた。まるで鉄そのものが、彼らの内に秘めた闇を抑えきれないかのようだった。

囚人の一人が口角を上げ、悪意に満ちた笑みを浮かべながら「お前達には、我々に与えられた深淵の力を理解することはできない」と怒鳴った。ハナは厳しい決意を胸に、呪われた放送の静止画を一人一人に見せながら話を進めた。しかし驚くべきことに、教団の信者達から一斉に反応を引き出したのは、幻影の姿であった。暗い儀式の繰り返しで硬化した信者たちでさえ、その光景には思わず尻込みした。彼らは恐怖に震え、ただその中で、ささやくような言葉、「影の監視者」が前兆のように響いた。

埃にまみれ、忘れ去られた古文書から、南ハナはかつてマラキという恐ろしい高僧が率いていた見捨てられた村の歴史を掘り起こした。何世紀も前に離島に追放された男の不可解な教えは、悪魔アガレス教団が醜悪な開花を遂げるきっかけとなった邪悪な根源だった。暗いささやきと謎めいた伝説が、彼の最後の安息の地、片川村のすぐ下に潜む禁断の地下墓地をほのめかしていた。ハナは、この見捨てられた領域の入り口に近づくにつれ、胸に重い不安を抱いていた。地元警察の協力を得て、彼女は冷え切った地下墓地の裂け目に降りていった。漆黒の闇を照らす唯一の明かりは、明滅する松明からで、オレンジ色のゆらゆらとした光を壁に放ち、石に深く刻まれた異様で難解な象徴を浮かび上がらせていた。

曲がりくねった危険な道のりを進むと、地下墓地の中心部にたどり着いた。そこには不吉な祭壇があり、影に包まれ、過ぎ去った時代の古代の儀式に浸されていた。中央には厳かな祭壇が陣取っていた。その上に浮かんでいたのは、以前見たものと双璧をなす不吉なメダルだったが、その表面には、ついさっき凝固したかのような古びた血痕が残っていた。ハナが邪悪な好奇心に引き寄せられるように近づいたとき、突然、氷のような突風が洞穴を駆け抜けた。一瞬にして松明の火は消され、真っ暗闇の淵に落とされた。探検隊はパニックに陥り、悲痛な叫び声と嗚咽を漏らした。「みんな、持ち場を離れるな!」とハナの鋼のような声が虚空を突き刺した。

しかし、彼女の指示は、あまりによく聞き覚えのある声によって遮られた。「お前達は神聖な影を踏みにじっている」という悪意に満ちた口調だった。氷のような握力が、肉体ではなく、より深く、心臓を締め付けているような感覚だった。息を切らしながら日の光を浴びて出てきた彼らの表情には、心に刻まれた傷跡が残されていた。地下墓地が単なる埋葬場所ではないことは明らかだった。そこは不敬な儀式のための聖域だった。地下の壁は、不穏な絵や意味のわからない聖句で飾られていた。それは、上口茜の教団の歪んだ野望の紛れもない証拠であり、生者の領域と呪われた死者の世界の隔たりを埋めようとするものだった。

それからの不快な数週間、村は熱狂的な活動の巣と化していった。地元の警察、ベテランの悪魔祓い師、超常現象の専門家の連合が、村を汚した亡霊の侵略者との絶え間ない戦いを繰り広げた。より多くの教団員が容赦ない光の中へと引きずり出されるにつれ、闇の組織の背骨は分裂し、崩れ始めた。疲れ果てた村人達は、傷ついた心を癒やそうとした。しかし、心の奥底では、村人の間に不安が蔓延していた。

南ハナ警部補が発掘した古代の経典には、地下墓地が網の目のように張り巡らされていることが記されていた。薄暗い警察署事務所で一人、呪われた放送の映像がハナの脳裏で延々とループし続けていた。アガレス教団は打ち負かされたかも知れないが、彼らが眠りから覚ました闇は広大で、狡猾で、いつまでも広がっていることを彼女は知っていた。そして、その深淵の広がりのどこかに隠れて、目に見えない存在が、裂け目を破る次の機会を待っていた。

悲惨な放送事故の余波の中で、青木の本質は取り返しのつかないほど変わってしまっていた。かつては活気に満ちた調査員であり、怪談を解体する才能に長けた不屈の懐疑論者であった彼が、今は悪意に満ちた呪いによって傷つけられ、道のりを歩いていた。夜が明け、眠りにつくと、あの運命の夜の恐怖が容赦なく鮮明に蘇り、彼を恐怖の連鎖に巻き込んだ。しかし、青木の心に取り憑いていたのは、恐ろしい幻影だけではなかった。不気味な囁きは、予測不可能で実体のないものだった。奈落の底から手を伸ばし、未知の運命に向かって彼を手招きしているように感じられた。冷ややかな邪悪な声の交響曲の中で、ひとつの指令が他の指令よりもはっきりと響いていた「影の監視者を探せ」と。

これらの霊的伝言を解読し、傷ついた正気を取り戻さなければという切実な思いに駆られた青木は、影の監視者の伝承に絡む不吉な謎を解き明かそうと決意した。片川村の忘れがたい記憶を心の奥底に押しやり、気がつくと、彼は世界で最も見放された場所へと足を踏み入れていた。カビまみれの書庫から、蜘蛛の巣が張り巡らされた陰気な地下室、忘却のかなたに佇む人里離れた修道院まで、青木の悟りへの渇望はとどまるところを知らなかった。しかし、彼が古代の知識の層を剥がすほど、その啓示はより不安に満ちたものになっていった。上口茜の教団は決して近年の異変ではなく、数千年前から続く邪悪な遺産を受け継ぐ、闇に染まった血統の新たな姿だったのだ。

緑豊かだが不気味なほど静寂に包まれた島の南部で、彼はアーニャという予知能力者と出会った。年季とパイプの煙で曇った目をしながらも、聡明で鋭い彼女は、影の監視者の真の姿を明らかにした。それは単なる単一的な存在ではなく、称号であり、時の流れの中で受け継がれてきたものだった。この歩哨は、生者の領域と死後の世界の深淵を隔てるもろい境界の門番として立っていた。片川村で起きた身も凍るような出来事は、決して偶然の災難ではなく、広大な邪悪な設計図の中の、悪意に満ちた一本の糸に過ぎなかった。

乳白色のアーニャの視線が、現実の根底を貫いた。あたかも彼女の視界が、彼の理解を超えた次元の深淵を探っているかのようだった。青木は愕然とし、自分の置かれた状況の深刻さを理解し始めた。片川村の大惨事に知らぬ間に巻き込まれたことで、彼は影の監視の複雑な織り目に織り込まれてしまったのだった。彼の正気を蝕むあの囁きは、単なる心的外傷の記憶の反響ではなかった。執拗で不吉な呼びかけであり、彼を人間界へのパイプ役として使おうとしていたのだ。

古代の予見の影を知るアーニャの指導のもとに、青木は難解な儀式を課せられた。そのすべてが、彼をこの世から引き離そうとする冷たい絆を断ち切ろうとする試みだった。古くから伝わる悪の力の儀式に飲み込まれた彼は、執拗な詠唱の渦に沈められ、自分を忘却の彼方へと引きずり込もうとする息苦しい力に立ち向かった。日々は数週間の重みを帯び、その一瞬一瞬が無限の苦悩の深淵へと続いていった。そして、かつてないほど荒涼とした不吉な夜、現実間のヴェールが最も薄い儀式の最中、青木は自分が二つの世界の崖の淵に立たされていることに気づいた。両世界の霧が渦巻くなか、彼の目の前に現れたのはアガレスの亡霊のような半透明の姿で、それは片川村の呪われた悲劇と呼応していた。

息が詰まるような暗闇が強まるにつれ、その実体は結晶化し、明白な悪意と呪いのオーラを発するようになった。その意図は恐ろしく明確で、彼の背筋に麻痺するような恐怖の波を走らせた。そのとき初めて、彼の窮状の大きさに、冷ややかな思いがこみ上げてきた。アーニャの呪文が彼の周囲に天蓋を作り、青木は衰えつつある体力を振り絞り、不吉な力を押し返し、奈落の底へと追いやった。一度は引き裂かれ、ほころびかけた現実という構図が丹念に修復され、青木はアーニャの保護された聖域の欺瞞に満ちた静けさに再び身を置いていることに気づいた。

夏美は常に合理性の岩盤であり、不気味で超自然的な話に対する防波堤でもあった。「ヴェールの彼方」の調査主任分析員としての彼女の生涯の仕事は、神話を解剖し、科学のメスで平凡なものにすることだった。しかし、放送事故の悲惨な余波は、彼女を論理の錨から解き放ってしまった。前兆は、アパートの明かりが呼吸をするように暗くなったり明るくなったりと、不安の囁きとして始まった。そして夜が更ける頃、彼女のテレビの電源が勝手に入り、画面には誰かの記憶の中の支離滅裂な画像が妖しく静止して映し出された。微かな囁きが彼女の聴覚の端で踊り、捕らえどころがないほど彼女を苦しめた。

不穏な出来事が起こるたびに、夏美は理性という鎧で身を覆おうとした。しかし、事態が激しさを増すにつれ、彼女の理性の糸はほころび、不可解な深淵が目の前に大きく口を開き始めた。薄暗い部屋の中で、夏美はしゃがんで、放送された事故映像の残りを丹念に調べていた。テレビのスクリーンから放たれる心霊的な光が、彼女の顔を不気味な色合いで反射させていた。夏美の意識が薄れ始めたとき、ゾッとするような光景が目に飛び込み、胸を高鳴らせた。そこには一瞬、番組のカリスマ司会者である長瀬の姿があった。その目は不自然なほど黒く影を落とし、笑みはグロテスクにゆがみ、悪意を漂わせていた。

オカルト番組の顔として、彼は生きたアンテナとなり、無意識のうちに敏感になっていた霊のおぞましい周波数を送っていたのだ。それから1週間後、恐怖に怯えながらも決意を胸に、夏美は長瀬の豪華な邸宅にやって来た。その立派な外観の向こうに潜む不吉な真実を暴きたいと彼女は願っていた。中に入ると、邸宅の豪華さはたちまち腐敗と絶望の重苦しい雰囲気に覆い隠された。彼女が知っている洗練されたホストではなく、不死者のグロテスクな模倣体が夏美を出迎えた。

大きな部屋は悪夢のような光景に変貌していた。家具はひっくり返り、壁には震える手で描かれたような、あるいはもっと邪悪な何かで塗りつぶされたような、暗号めいたシンボルが無秩序に渦巻いていた。その混乱の中心に長瀬は座っていた。かつては洗練され、気品があったが、今では古代の経典や不吉なお守りに囚われ、かつての面影はまったく残っていなかった。彼は絶え間なくつぶやき続け、その言葉は意味不明の呪文の羅列のようだった。夏美が近づくと、長瀬の首がピクリと跳ね上がり、正気を失った目線が彼女を覗き込んだ。「彼らは来ているよ」と彼は声を張り上げると、その声は悪意が煙のように立ち込めていた。「そして、その存在を明らかにしたがっている」と長瀬は言った。

神経の限界に達した夏美は、青木に助けを求めることにした。青木は、自分自身の苦悩の経験から、悪意に対する感受性を研ぎ澄ましていたのである。番組の大勢の視聴者は単なる受動的なファンではなく、知らぬ間にエネルギーの源泉となり、放送のたびに悪霊に餌を与え、その力と悪意ある影響力を増幅させていたのだ。啓示の重みが彼らの心に重く沈んでいった。自分たちが関わってきた媒体が、超自然的な悪意の伝導体となり、生きている人々の人生に影響を及ぼしていたのだから。夏美と青木は、この暗黒の共棲状態を打破するために、厳しい決意をもって対策を練った。彼らは、生きる者と支配を求める不穏な魂との間の陰湿なつながりを切り離すことを望み、特別な放送の企画に着手したのであった。

長瀬を霊界に繋ぎ止めている邪悪な繋がりを断ち切るため、彼らは幻影に力を与えているエネルギーそのものを制御しようと試みた。放送当日の夜、テレビスタジオは目に見えるほどの緊張の霧に覆われていた。長瀬に代わって司会を務めた夏美は、妖しい目つきで悪夢のような遭遇を語り、視聴者を魅了した。ところが、時が過ぎ、不吉な影が濃くなるにつれ、スタジオ内の現実の構造が揺らぎ始めた。

青木が、震える声で、それでいて毅然とした態度で、時が経つのを忘れさせるような難解な呪文を唱え始めると、雰囲気は一変した。照明が不規則に暗くなり、気温が急激に下がると、空気が凍りついた。青木が発する言葉の一つ一つが、まるで除霊しようとする悪霊を呼び起こすかのように、別世界の力と共鳴してしまった。夜が深まり、影は不気味に細長くなり、亡霊たちの奇妙な舞踏の中で、霊の姿は互いにゆがんだり融合したりし始めた。霊の影響を受けた光は単にちらつくだけではなく、その光は時折、闇に包まれて凍てつくような寒さを感じさせ、スタジオに集まったすべての不穏な魂をむしばみ、極寒の大気は呼吸を霧に変え、不安定な心臓の動悸を今にも止まりそうにさせた。

そのとき、何の前触れもなく、おぞましい幻影の一団が実体化し、異様な流動性と血も凍るような悲鳴の大合唱を伴って動き出した。ところが、この怪奇現象の渦の中心には、前司会者の長瀬の姿があった。彼の体は不規則に揺れ動き、見慣れた顔と、悪夢のような存在の狭間を行き来していた。この狂気の中で、青木の詠唱が力強くなるにつれて、夏美は自分の存在の縁がどうしようもない力で引っ張られ、意識が奈落の底に引きずり込まれ、二度と戻れないかも知れないと感じた。最初の放送で流れた呪いの、見捨てられた片川村の破滅的な体験談、あの忌まわしい放送のゾッとするような宣伝文句が、夏美の記憶の中に再びよみがえり、そのたびに恐ろしさが増していった。

自分を深淵の底に引きずり込もうとする悪の執拗な力と格闘しているうちに、彼女の中で希望の光が輝いた。過去の調査の名残である、忘れていた護符の詠唱が彼女の脳裏を駆けめぐった。最初は恐れおののきながら、やがて確信に満ちた声でつぶやき、彼女の声は闇に包まれた荒海を照らす光となった。彼女の奥底から、燃えるような純粋な光が湧き上がってきた。それはスタジオを照らし、迫り来る死の影を追いやり、そのまばゆい天使の輝きで悪意に満ちた力に立ち向かった。

まるでポルターガイストに取り憑かれたかのように、スタジオの機械がうなり声を上げ、エネルギーを増幅させ、夏美の呪術的な聖歌が全国に響き渡った。彼女の唇から発せられる一語一語が、青木の呪文と相まって、恐ろしいシンフォニーと化していった。二人が合わせる力は、闇夜を照らす烽火のようなもので、永瀬から霊的存在を引き離し、悲鳴を上げながら悪霊を奈落の底へと引きずり込んでいった。

悲痛な残響がようやく収まると、重く息苦しい沈黙がスタジオを覆った。残骸と歪んだ機材の影の中で、夏美と青木は、激しい精神戦のために体力を消耗し、ボロボロになっていた。放送はその目的を達成したが、その惨状は目に余るものがあった。魂は解放されたものの、長瀬の身体は無反応のまま、かつての自分の抜け殻のように横たわっていた。恐怖の後、『ヴェールを越えて』は放送を終了し、かつては隆盛を誇ったその電波は、今やそれが解き放った闇に潜む邪悪さの静かな証と化してしまった。

異界に遭遇した冷ややかな余波を受け、夏美は影に潜む邪悪な存在から身を守る必要に駆られた。彼女の人生の目的は一変した。研究者から、霊界の狡猾な魔手から生者を守る衛兵へと。しかし、その領域は絶えず移り変わる広大な闇の迷路であり、常に全容を理解することはできなかった。そしてまもなく夏美も知ることになるのだが、虚空の邪悪な力は粘り強いものであった。彼女が門扉を閉ざすたびに、別の門扉が遠くの隅で開かれるのだ。これらの門戸は時間を稼ぎ、次の罪のない犠牲者を待ち構えていた。

大都会の中心部では、日常のざわめきが一切絶えることがなく、常に活気に満ち溢れていた。大勢の人々が行き交う、途切れることの無い交通渋滞の流れは空から見るとまるで鉄の川のように見えた。それを見下ろす新に建設された高層ビル群は人々のリズムと共に、都市の生き生きとした鼓動を打ち続けているようにも思えたが、この賑やかな平穏の裏では借り手のいなくなった高層マンションの窓から幽霊が姿を見せていた。そういう廃ビルには霊の領域、見えない別の世界が存在し始めていた。鉄道を利用する通りすがりの通勤客の中には、時折、周囲の温度が急降下するのを感じたり、進路を変えるように促す信じ難い力を感じたりする者達が増えていた。

百年前の歴史的建造物を探検していた建築学校の学生達の何人かは、原因不明の足音の反響を聞いたり、孤独な階段の吹き抜けで目に見えない何かの感触を感じたりした者もいた。その中には瞬く間に現れては消える幻影の噂を広げ、写真をツイッターで共有する者もいた。日常の景色の中に、見え隠れするこのような超自然現象や世にも怪異な事件は、人々の想像力を刺激し、時には不安や興奮を引き起こしていた。これらの現象は、都市の日々の生活の一部として、人々の話題を賑わせ、時には都市伝説や神秘的な物語へと変化していった。東京のこの別の側面は、その複雑さと魅力の一部として、都市の不思議な一面を形作っていたのである。

片川村超常現象調査隊の唯一の生き残りである野添陽奈とハルは、この大都会東京で起こっている不可解な騒動の原因について深い疑念を抱いていた。二人は、青木が「ヴェールの向こう」で行った超常現象の放送事故が、この騒動の根源であると考えていたのだ。「片川村の映像を放送したのは、明らかに青木の重大なミスです」と陽奈は断言した。その言葉に対してハルは「青木はただ悪魔アガレスの教団に終止符を打ちたかっただけだ」と反論した。

「ですが、私にはあの番組がこの異変に火をつけたように思えてならないのです」と陽奈が続けると、ハルはしばし考え込んでからこう言った。「時々、アガレスが島貫湊君に呼び出されたのではないかと考えることがあります。湊君が今いるところで、何か大きなことが起こったのかも知れません」。ハルの言葉は、アガレスを暗黒の領域、黒い悪魔の鬼門に引きずり込んだ島貫湊の英雄的な犠牲について、陽奈の心に重い暗い記憶を呼び起こした。これらの出来事は、彼らにとって忘れることのできない過去であり、未だにその影響が彼らの心に深く残っていた。彼らは、この謎を解き明かし、東京で起こっている超常現象の背後に潜む真実を暴くために、さらなる調査を進める決意を新たにしていた。

東京の街の構造物は、普段見慣れた物質的な秩序に乱れを現し始めていた。公園のベンチは、母子が座っているときにも勝手に揺れ動き、階段の吹き抜けからは幽霊のささやきが聞こえ、古いビルの窓ガラスは理由もなく割れて、事務員たちを驚かせた。南ハナ警部補が発見した通り、悪霊は単に現れるだけではなく、街の一部となり、街の本質と絡み合い、深く影響を与えていたのだ。

この現象を解明するために、ハナ警部補が率いる警察の捜査チームは、地元の歴史家たちと協力し、この謎の原因を解き明かすためのパズルを組み立て始めた。東京は、幾重にも重なる悲劇的な物語と呪われた記憶に満ちた古都と化していた。しかし、その一角を取り憑いているのは歴史だけではなかった。すべての石、すべての窓ガラス、すべての路地に浸透しているのは、抑えがたいエネルギーと怪異の作り出す不可思議な力だった。

このような超常現象の高まりの中で、日本で最も物議を醸している若手政治家、井伊次郎が注目を集めていた。彼はメディアを巧みにコントロールし、彼の発言はすべて大衆の耳に入るようになっていた。ある日曜日の朝、人気のトーク番組に出演した彼は、独特の率直さで「なぜ首相は適切な行動をとらないのか?東京で起こっている悪霊の祟りは、歴史家だけの問題ではなく、権力の最高幹部の問題ではないかと私は考えています」とコメントした。さらに、井伊は片川村についての調査を進め、黒い悪魔の鬼門の屋敷で交霊会を行うことを提案した。このニュースは直ちに広まり、問題解決を約束する井伊に対して、人々は期待を寄せ始めていた。

国の力学者達が超常現象を受け入れるように変化する中、好奇心旺盛な市民や超常現象愛好家たちは、主に街で最も古く、悪名高い幽霊が出ると噂される建物の中で交霊会を組織し始めた。当初はマイナーな関心事であったこれらの集まりは、徐々に人々の関心を引きつけるようになり、次第に多くの人々を集める大規模な社交イベントへと変貌していった。懐疑論者と信奉者の双方にとって、これは待ち望んだ社交の場となっていた。

彼らはテーブルを囲み、手をつなぎ、向こう側の異世界からの返事を期待して耳を澄ませた。最初は単純な木の机に指をぶつける音が、やがて紛れもない合図へと変わっていった。特に話題となったのは、幽霊の領域と直接対話ができるとされる物議を醸す装置の出現で、これにより交信はより深遠なものへと発展した。幽霊達は自分たちの言葉を伝え始め、自分たちの存在や人間界に留まる理由を語り始めた。

やがて、技術的な介入により、これらの交信は単なるノックから目に見える形へと進化し、集会では人々が宙に浮いたり、実体のない手が接触する現象が起こったり、参加者の中に邪悪な幻影が現れるといった現象が目撃され始めた。この一連の出来事の中で、ゴーストハンターや霊媒師、そしてこの街のスピリチュアルな過去に深く関わる人物達の役割は極めて重要であり、彼らはこの新しい現象の理解と対応に中心的な役割を果たしていた。彼らの専門知識と経験は、超常現象と人間界との間の不可解で複雑な関係を解明する鍵となっていた。

霊媒師たちは、生者と死者の世界の隔たりを埋める役割を担い、迷える霊魂に声を与え、彼らがこの世に残した未解決の物語や願望、時には彼らの怒りを語らせることができた。霊媒師は亡霊の言葉を伝える器となり、その過程で驚くべき変貌を遂げた。彼らは目を丸くし、声を変え、自分とは異なる言語や方言で言葉を発し、霊魂のメッセージを伝えたのだ。

この街は、これら超自然的な話題で活気づき、新しい興奮の波に包まれていた。何十年も沈黙していた古い時計が突然時を告げることがあり、長い間失くしていたおもちゃが家の戸口に再び現れることもあった。ファンタズム、つまり幽霊や精霊たちは、もはや単なる受動的な観察者ではなく、積極的に交信を行い、影響を与え、時には人々の生活に干渉しようとする存在となっていた。

これらの現象は、日常生活の中で起こる不可解な出来事として認識され、人々の間で話題となり、恐怖や興奮、好奇心を引き起こしていた。超自然的な現象は、この街の日常の一部として定着し始め、人々の心に新たな感覚をもたらし、彼らの世界観を変えていった。街の歴史や文化の中に深く根ざしたこれらの現象は、街の新たな伝説として語り継がれていくことになるだろう。

遥か遠い並行世界においては、より大きな力がこの霊的なものと物質的なものの融合に対する懸念を持ちながら、地上の出来事を静かに観察していた。「黒い悪魔の鬼門」と呼ばれる、現世と幽世の境界としてそびえ立つ建造物は、影の管理者たちによって厳重に守られていた。これら古代から続く歩哨たちの主な任務は、二つの世界間の微妙なバランスを保つことにあり、彼らの目に映る現代の動向は、しばしば憂慮の種となっていた。

特に、悪魔のアガレス教団が配布した「ゴースト・テック」と呼ばれる機器の使用は、進化ではなく、許されない違反と見なされていた。そのメカニズムは、幽霊の記憶の豊かな存在につながるものではなく、現在の生きている記憶に基づいて幽霊の体験を再構築しようとするものであり、この技術的な異常は、幽霊の出現の自然な秩序を逆転させることとなった。霊的な領域において、これは現在から過去へと遡る危険な連鎖を引き起こし、幽霊の自然な存在形態に混乱をもたらしていた。

このような干渉は、生者の超自然現象に対する理解を歪めるだけでなく、死者の霊魂の中にも影響を与え、生者と共に存在したいという危険な願望を呼び起こしていた。この事態は、両世界のバランスを崩す可能性があり、それに対処するため、古代の歩哨たちは新たな対策を講じる必要に迫られていた。彼らは、生者と死者の世界の安定を保つために、未知の対応策を模索し続けることとなるだろう。

これは、影の監視者達が長い間守り続けてきたバランスそのものを脅かす事態であり、彼らは介入が不可欠であると判断した。彼らは異界に敏感な選ばれた人々を選出し、幽霊現象の本質と「ゴースト・テック」の潜在的な危険性について、情報が詰まった夢を通して真実を伝え、彼らに手を差し伸べた。選ばれた者たちは、この重要な使命を帯びて目覚め、バランスを取り戻し、幽霊現象の本質を広く教育し、「ゴースト・テック」の使用を廃止させるために動き始めた。

この技術の傲慢さと古代の知恵がぶつかり合う戦いは、両世界の運命を決定づける重大なものであった。周辺の世界から影の監視者に導かれた選ばれた者たちは、最前線で立ち、生と死の間のもろい境界線が乱されないように最大限の努力をすることが期待された。彼らの行動は、現世の自然な秩序を保つために不可欠であり、彼らはこの重大な責任を背負い、生者と死者の世界が共存するバランスを取り戻すために奮闘していた。

この出来事は、人間と超自然の関係に新たな視点をもたらし、両世界の未来に影響を及ぼすこととなる。選ばれた者たちの行動は、これからの世界に大きな影響を与え、彼らの任務は人間界と霊界の両方にとって重要な意味を持つものとなるだろう。彼らは、この挑戦に直面し、両世界の安定と調和を守るために尽力することとなる。

影の監視者達が送り込んだ夢は、野添陽奈、佐藤陽翔、ハル、陽翔のドッペルゲンガー、青木明、そして防井直美のそれぞれの意識の中に届けられた。夢の中で彼らは、黒い悪魔の鬼門の奥深くにある空間に、島貫湊が居間でくつろいでいる様子を目の当たりにした。不思議なことに、湊は同時に二つの異なる次元に存在しているかのように見えた。それぞれの次元では時間の流れが異なっており、一方では静かに時が流れ、もう一方では急激な変化が見られた。しかし、夢を見ている彼らにとっては、湊の姿は現実世界にいるときと同じくらい具体的でリアルに感じられた。彼らは、この夢がただの幻ではなく、何らかの重要なメッセージを伝えるために送られてきたことを直感的に理解していた。この夢は、島貫湊という人物が二つの次元をまたにかけた存在であり、彼が何らかの重要な役割を担っていることを示唆していた。彼らにとって、この夢は、彼らが抱える謎を解く手がかりとなり、また、彼ら自身がこの超常現象とどのように関わっていくべきかを考えさせる契機となった。夢の中で見た島貫湊の存在は、彼らにとって新たな探究の旅の始まりを告げるものであり、彼らはこの不可解な現象の真実に迫るため、さらなる調査と行動を開始することになる。この夢は、彼らの人生に新たな方向を示すものとなり、彼らはこの超自然の謎に立ち向かうため、新たな決意を固めていた。島貫湊の声は、平行次元と幽霊の理論に共鳴し、彼は深い洞察を持ってこのように語り始めた。「我々の宇宙は、無数の平行次元から成る広大な多元宇宙のほんの一部に過ぎない。これらの次元は様々な別世界を生み出し、その多様性は想像を絶する。中には我々の世界と酷似しているものもあれば、我々の理解を超えるほど異なるものも存在している。私達が普段「幽霊目撃談」と呼んでいる現象は、必ずしも落ち着きのない霊ではないのかも知れない。それらは実際には異次元からの存在が一瞬こちらの世界に現れたものかもしれないのだ。特定の条件が整えば、あるいはまだ我々が知らない未知のメカニズムによって、これらの異次元の実体が短い時間だけ姿を現し、私たちに彼らの存在の一端を垣間見せてくれることもある」。彼のこの言葉は、超常現象に対する新たな視点を提供し、我々の世界とそれを取り巻く複雑な宇宙の関係について深く考えさせられるものだった。島貫湊の説明は、私たちがこれまでに理解していた幽霊現象の概念を根本から変える可能性を秘めており、この新しい理論は科学界や超常現象研究者たちにとって、新たな研究の道を開くものとなるかもしれない。彼の言葉は、私たちが知る宇宙の理解を深め、未知の領域への探究心を刺激するものであった。湊の言葉に、陽奈、陽翔、ハル、明、直美の顔が、まるで電波に乗せられた信号のように微妙に揺れ動き、彼の言葉に対して微妙なうねりを伴いながら共鳴し始めた。「湊さん、いったいどこにいるんですか?」と、深淵に飲み込まれるような不安を感じさせる陽奈の声が響いた。湊は重々しい口調で、その質問に対してこう続けた。「本当の危険は、霊魂が生者と共存し始めるときに起こる。霊が多元宇宙とつながっていることを悪用し、人間がポータルを利用してさまざまな次元を行き来する者が現れる可能性がある。そのような干渉は、私たちの現実に迅速かつ激変的な変化をもたらす恐れがある」。湊の言葉に、ハルは湊の聞き覚えのある声に安堵しながらも、不安を隠せずに「私たちはどう対処すればいいんですか?」と訪ねた。湊の言葉は、彼らにとって深い意味を持ち、現実と超自然の間の緊張関係に新たな光を当てていた。彼の言葉は、彼らが直面する未知の脅威に対する重要な手がかりとなり、それぞれの行動に深く影響を与えることとなるだろう。湊のメッセージは、彼らが未来にどのように対応するべきか、新たな道を示すものであり、彼らはこの挑戦に直面し、新たな決意を固めていた。湊の返事は、彼の確固たる意志を反映していた。「片川村での戦いと同様に、私達はこの悪霊に立ち向かい、これに打ち勝つ必要がある」と彼は断固として宣言した。彼の言葉は、夢を見ていた陽奈、陽翔、ハル、明、直美に深い影響を与え、彼らが夢から目覚めた瞬間、彼らの現実は永遠に変わってしまった。この決意のある宣言は、彼らに新たな勇気と決意を与え、彼らはこれまでにない危機に立ち向かう準備を始めた。それは、単なる超自然現象への対処ではなく、彼ら自身の運命とこの世界の未来を左右する戦いであった。彼らは、片川村での経験を活かし、悪霊との新たな戦いに臨むことになった。湊の言葉は、彼らにとって方向性を示す光となり、これまでに見たことのないような挑戦に直面しても、前進し続ける力を与えた。彼らは、超自然現象の中に潜む脅威と戦いながら、自分たちの現実を守るために必死に戦うことになる。湊のメッセージは、彼ら一人一人の心に深く刻まれ、未来への道を照らす灯火となった。東京はすでに、世界的な心霊活動の震源地となっており、その影響は世界中に広がっていた。世界各国からの心霊学者、科学者、そして霊的好奇心の強い人々が、この不気味な現象を研究し、また急速に成長する降霊術文化や超常現象に深く没頭するために東京に集まっていた。彼らは、この現象の背後にある科学的な説明や、それを超える何かを探求しようと、この街を訪れていた。東京は、超自然現象の研究の中心地として、新たな文化の発信地となっていた。街のあちこちで、超自然現象に関するセミナーやワークショップ、交霊会が開かれ、多くの人々がこれらのイベントに参加していた。心霊現象に関する最新の研究や理論が共有され、新たな発見が日々報告されていた。このような現象の中で、東京は超自然の力と現代科学の交差点となり、そこには未知の領域への挑戦と、知識の探求の熱気が溢れていた。この街は、心霊現象に興味を持つ者たちにとって、新たな可能性を探る場となり、彼らは自らの理解を深め、超常現象に対する新たな視点を得るために東京に集い続けていた。東京の街は、この種の活動に対する世界的なハブとしての地位を確立し、超自然現象に関する深い探求の場としての役割を果たしていた。歴史的な建物での過去と現在が交錯する空間では、多くの人々が「幽霊とは何か?」という問いに深く思いを馳せていた。ある者は、幽霊とは繰り返される悲劇の連鎖であり、時を超えて繰り返し演じられる運命だと考えた。また、別の者は、幽霊とは閉じ込められた感情や苦悩の中で凍りついた瞬間のことであり、時間の中で失われた写真や琥珀に閉じ込められた生物のような存在だと捉えていた。これらの歴史的な建物を訪れる人々は、その中に潜む謎を解き明かそうと、しばしば交霊会に積極的に参加していた。そうしたセッションの間には、薄暗い雰囲気の中で幽霊の光が舞い、部屋の片隅で実体のない声がささやきを漏らしていた。交霊会が進むにつれて、参加者達はエーテルのような物体が自分の顔に触れる感覚を覚え、神秘的な力が座っている人の手のひらに繊細な花を静かに置く様子を目撃した。目に見える干渉なしに、小さなテーブルが浮遊し始め、驚いた女性に押し付けられた。その女性は、自分のハンドバッグが何故かそのテーブルの上に不思議と運ばれているのを驚きと共に目撃した。これらの出来事は、訪れる者たちに、歴史の深みと超自然現象の不思議さを同時に体験させ、彼らの心に深い印象を残し、交霊会への興味をさらに強めることとなった。これらの体験は、彼らの日常生活に神秘的な要素をもたらし、彼らが世界を見る視点に新たな次元を加えることとなった。絶え間ない世界の融合は、危険と無縁ではなかった。霊的な領域との絶え間ない交流は、街の住民に次第に大きな負担をかけ始め、不眠症、幻覚、謎めいた病気が日常茶飯事となっていた。この街は重大な岐路に立たされており、生者と霊的なものとの間のバランスを保つ方法を模索する必要に迫られていた。この問題に対処するために、専門家、歴史家、霊媒師、科学者などのグループが結集し、彼らの使命は、現象を深く理解し、霊との交信を通じて均衡を取り戻すことにあった。彼らは一連の儀式、供物、交信を通じて、霊との間に合意に達し、新たな対策を打ち出した。その結果、街の特定の地域は「交流ゾーン」として指定され、そこでは生者が死者と交流できるようになり、またその逆も可能になった。これらの地域は、まるで巡礼の地のようになり、訪れる者たちに生者と霊的存在の共存というこの都市のユニークな側面を示していた。この新たな取り組みは、街に新たな魅力をもたらし、生者と死者が交流することで生まれる独特の文化や理解が育まれるようになった。こうして、街は超自然現象の中心地としてだけでなく、有形と無形の存在が共存し、互いに影響を与え合う独特の文化の発展地としても知られるようになり、多くの人々がこの現象を体験し、学び、新たな発見をするためにこの地を訪れるようになった。街の住民や訪問者たちは、超自然現象と共存する新しい生活様式を見つけ出し、この街の新しいアイデンティティを形成していった。この大都会は、単なる人々が生活する街ではなくなり、現世と来世、それぞれの物語が交錯する街へと変貌を遂げた。その通りや路地は、もはや単なる人々の往来のための通路にとどまらず、並行世界への神秘的な入り口となったのである。この街の歴史は、過去に埋もれた遺産ではなく、常に息づいて存在し、現代にも影響を与え続けるものであった。そして、この街の精神は、時間を超越した永遠の存在として、住む人々の心に深く根付いていた。この街の道々には、過去と現在、そして未来が融合し、多次元の物語が生き生きと織り成されていた。その建物、その通り、その風景は、ただの物理的な存在にとどまらず、時間と空間を超える神秘的なストーリーの一部となっていた。このように、大都会はその独自の歴史と文化を通じて、現世と来世をつなぐ重要な役割を果たし、人々にとってはただの居住地以上の意味を持つようになった。街を歩くことは、単なる移動ではなく、時間と空間を超越した旅となり、住民や訪問者たちは常に新しい発見と驚きに満ちた体験をしていた。この街の精神は、永遠に変わらぬものとして、世代を超えて受け継がれ、人々に新たなインスピレーションを与え続けることになった。

異世界の次元の地獄の底には、他とは違う牢獄があった。呪われた者と追放された者、両方のための特異な煉獄であった。そこは、悪意ある霊の幽体離脱した残骸が、その悪意を阻止しようとする者たちとともに送られる場所だった。この不気味な刑務所は、ネオンが絶え間なく明滅して眠気を誘うような荒廃したモーテルに見せかけられていた。島貫湊という名の超常現象写真家と、彼がかつて人間界で倒した極悪な怪異、悪魔アガレスという奇妙なコンビを受け入れていた。怪異の伝承と難解な知識の持ち主である湊は、魔界の盟約に縛られていた。悪霊とそのカルト集団との最後の戦い、アガレスとの知恵と意志の決闘で、湊は悪霊の最後の自暴自棄の行為、つまり黒の悪魔の鬼門の影のような幽閉の中で二人を結びつける呪いに捕らわれてしまったのだ。二人は呪われた限界の空間で共存することを余儀なくされ、それぞれが相手の永遠の看守であり同房者と化していた。監獄モーテルは果てしなく続く迷路のような部屋で、それぞれが絶望と腐敗の色合いを与えられていた。壁からは千の失われた魂の秘密が常にささやかれ、空気は硫黄とカビの匂いで濃かった。しかし、朽ち果てた中に、人間にも怪異にも許された奇妙な詩きたりがあった。地獄の番人たちの気まぐれによって決められた周期に一度、怪異とその狩人は並行世界への休暇を与えられた。もはや属することのできない世界の美しさは、希望と記憶で魂を苦める蜃気楼に過ぎなかったからだ。湊とアガレスは、人間の手で鍛えられたどんな鎖よりも強い鎖で縛られ、一緒に平行世界へ送られた。超常現象調査隊とかつて倒した怪異が協力し合って、不気味なほどなじみがありながら妖しく異質な社会に溶け込まなければならなかったのは、このつかの間の疑似自由の期間だった。この休暇は残酷な冗談にも感じられ、看守たちはしばしば彼らを嘲笑した。「日光を楽しめるうちに楽しんでおけ」と、彼らは囚人達に嫉妬を感じさせていた。時が経つにつれ、捕獲者と捕虜の境界線は曖昧になっていった。孤独な正義の人生を送ってきた湊は、アガレスに奇妙な親近感を覚えていた。怪異は逆に、自分を破滅に追いやった男を理解し始めた。かつては脅しと逆恨みで満ちていた二人の会話は、仲間意識に似たものに変わっていった。彼らが知っている世界について、善と悪の本質について、そして彼らの運命を絡めた奇妙な出来事について話し合った。ある日、太陽の光が差し込む並行世界の緑が映える公園の曲がりくねった道を歩きながら、湊は声に出してこうつぶやいた。「ある霊から別の霊へ変化するのではなく、過去の行いの重荷から自分自身を祓うんだ」。アガレスは暗い光を放ちながら、こう答えた。俺たちは永遠に、呪われた一つの片割れなのか?」湊は遠くを見つめた。水平線が、地獄の住人には耐えられないほど明るい空を見せていた。「これが我らの懺悔なのかも知れないな」と彼は言い「お互いを理解し、永遠の葛藤のヴェールの向こうにある真実を見抜くために」つけ加えた。看守は彼らをモーテルの監獄に呼び戻し、監禁と幻の救済の終わることのない連鎖へと戻した。しかし、並行世界を訪れるたびに、湊とアガレスは理解のかけらを持ち、地獄の炎の届かない場所で、救済の小さな炎を燃やすかもしれない、共通の旅の感覚を味わった。超常現象調査隊の湊と彼がかつて戦った怪異のアガレスは、その特異な幽閉の中で、思いがけない目的を発見したのであった。それは地獄の牢獄からの単に脱出するよりも遥かに深い自由を二人に与え、永遠に絡み合った狩人と怪異の不思議な信頼関係を育んでいた。地獄の季節が終わりのない連鎖によってねじれるにつれて、島貫湊と怪異のアガレスを収容していた牢獄は、その存在の地獄の論理を無視するような変貌を遂げ始めた。それはまるで、彼らの呪われた住まいの基盤そのものが、狩人と狩られる者の間に芽生えつつある贖罪に反応しているかのようであり、彼らの内的変化の物理的な現れでもあった。ある夕暮れ時、冥界の偽太陽の深紅の光が地平線に沈むと、牢獄は古代の力に震えた。壁が伸び、老朽化した床が融合し、改築され、まるで大蛇のような獣が長い眠りから目覚めたかのように、構造物全体がうめき声を上げていた。その帆は失われた魂のささやきで作られ、その船体は無数の呪われた不死の存在の後悔で造られていた。地獄の船は自らの意志を持ち次元の布を引き裂き、未知の世界の広大な大都市の空を横切って出航した。鋼鉄の歩哨のような高層ビルが街を見守り、そのガラスの瞳が上空に舞い上がる幽霊船のような黒い悪魔の鬼門を映し出していた。湊とアガレスは、かつては動くことのない独房の囚人だったが、今はこの幽霊船の舵取りに立ち、眼下に広がる世界を覗き込んでいた。眼下には大都会東京の上空から風景が広がっていたが、その郊外を見て湊とアガレスは息をのんだ。別の人生、別の時代に、湊がアガレスの怪異と初めて遭遇し、運命的な決闘をした片川村が見えたのである。幽霊船は静かに下降し、まるで運命の磁力に引き寄せられるかのようにその場所に到着した。闇のエネルギーの渦の中、湊とアガレスは甲板から落下した。彼らは夜空から追い出された星のように急降下し、その姿は風に溶け、破壊の音とともにではなく、雪片のような静寂とともに片川村の中心部に着地した。村は時を超越し、かつての対決の面影を残していた。古代の木々、曲がりくねった森の小道、戦いの記憶をとどめたその空気。しかし今、二人の間には戦いも、脈打つ敵意もなかった。その代わりに、奇妙な監禁状態の中で芽生えた無言の理解、目的意識の共有があった。二人は村を探索し、一歩一歩進むたびに、長い間閉ざされていた本のページのような思い出が浮かび上がった。湊はアガレスがかつてこの道で感じさせた怪異の恐怖を思い出し、アガレスは、容赦ない決意で自分を追ってきた狩人のことを思い出した。村の広場には、勝利でも敗北でもなく、光と闇、狩人と怪異の間の永遠の死のダンスの記念碑、帰らずの残骸が建っていた。それは、すべての終わりには新たな始まりがあるという象徴だった。村人たちは、この異界の訪問者の存在を察知し、恐怖ではなく、好奇心を持って家から出てきた。湊とアガレスが記念碑、帰らずの橋に近づくと、村人たちは彼らを恐怖の象徴としてではなく、深遠な教訓の前触れとして認識した。上空の船は目に見えない綱でこの世界に固定され、村に影を落としていた。それは、彼らの旅がまだ終わっていないこと、船が彼らを牢獄に連れ帰るのを待っていること、そしてその船が今や変容の器であることを彼らに思い起こさせた。しかしその瞬間、片川村の静寂の中で、湊とアガレスは静かに誓った。自分たちのためだけでなく、暗闇に迷い込んだすべての人のための道標として。絶望の淵にも変化の可能性があり、赦すという行為の中にこそ真の自由を見出すことができるのだと。こうして湊とアガレスは黒い悪魔の鬼門の船に戻り、もはや過去の囚人ではなく、運命の水先案内人として、幽玄の海を航海した。湊とアガレスは幽霊船に乗り込み、並行世界の地平線上に運命の糸が嵐を織り成すのが見えた。大都市東京の空を航行しながら、彼らは黄昏の領域を映し出すガラスの破片のような空気の裂け目に気づいた。この裂け目を霊道にして悪霊達は生者の領域に流れ込み、不和と混沌をまき散らしている。生と死のバランスは崩れはじめ、影の監視者は、霊的領域と人間の住む世界の間のヴェールを監視するエーテルの守護者であり、その亀裂を修復しようと奮闘していた。しかし、その数は少なく、裂け目ができるたびにその力は衰えていった。空飛ぶ幽霊船の船長室で、湊とアガレスは緊急会議を影の監視者と開くことになった。船の壁には湊の好きな古代の書物や遺物が並んでいた。「これを見てくれ」湊は古く風化した都と霊界の地図を広げた。「これがヴェールが薄く、両側からの暗い意図によって汚されている場所だ」と湊は言いた。アガレスは、その姿を陰鬱な光で揺らめかせながら、熱心に地図を調べた。「通過する霊魂はただ惨めな存在を続けることだけを求めていたが、その存在は生者の領域を動揺させてしまう」とアガレスは意見を言った。僕たちはこの裂け目を塞がなければならないが、それには二人の力を合わせて協力し合うことが必要だ」と湊が付け加えた。「霊と共謀している悪い人間たちは、魔力を求めているに違いない」と湊が言うと。「影の監視者と同盟を結ぶべきだ」とアガレスが冷たい風のように声を響かせた。「一緒になれば、均衡を取り戻せるかもしれない」。湊は同意してうなずいた。「導き戻さなければならないのは霊魂だけでなく、道を踏み外した生者も同じだ。僕たちは、彼らの行動の結果を世間に知らせ、闇に潜む姿を照らさなければならない」。古代の儀式を使って、湊は影の監視者に召喚の呼びかけをした。部屋は寒くなり、壁に沿って影が踊り、三人の監視者たちが彼らの前に現れた。「狩人よ、そして怪異よ、我らに呼びかけよ」監視者の先頭が、夜の木の葉のざわめきのような声で呼びかけた。「ヴェールは力をなくし、世界は危機に瀕している。これを修復して、生ける領域の破壊を防ぐのだ」。「僕たちの過去の罪への反省が、僕たちに洞察を与えてくれた。一緒になれば、亀裂を封印し、見当違いの生き霊やさまよう霊を導くことができると思っている」と湊は述べた。影の監視者たちは、まるで蛾の羽ばたきのようなささやき声で話し合った。最後に、彼らは湊とアガレスに同意した。「並行宇宙のバランスを保たなければならない」と彼らは言った。同盟を結んだ湊とアガレスは、影の監視者たちとともに計画を実行に移した。大都市東京の中心部に位置する最大の亀裂の現場、つまり精神的な混乱の結節点から浄化を始めるのだった。船が結節点がある新宿に近づくと、湊とアガレスはエネルギーを集中させ、湊の光と精霊の闇を融合させ、二元性の力を生み出した。影の監視者たちは古代の言葉で詠唱し、彼らの周囲に防護壁を張った。眼下には、堕落した人間や悪意ある精霊たちが、結節点で湧き上がる力に引き寄せられるように集まっていた。湊は難解な力によって増幅された声で彼らに語りかけ、彼らの行いの悲惨な真実と、それに続く破壊、そして救済の機会を明らかにした。アガレスはガイドの役割を担い、失われた魂に手を差し伸べ、慰めと死後の世界の平和に戻る霊道を提供した。それを受け入れた霊魂たちは、亀裂を閉じ始め、暗闇の中に修復の光が差し込んだ。ヴェールを修復する戦いは長くかかり、危険と隣り合わせになる作業になった。封印された亀裂の一つひとつが勝利であったが、彼らの仕事はまだ終わってはいなかった。湊とアガレス、そして影の監視者たちの協力関係は始まったばかりだった。大都会東京とその向こう側で、影の監視者たちとともに最善を尽く湊とアガレスの物語は希望の光となった。闇と絶望の淵からでさえ、団結と目的が生まれ、破滅に瀕した世界を救い、生と死の間のもろいバランスを取り戻すことができるという証しとなった。薄暗いオフィスの中で、南ハナ警部補は心霊ルネッサンスを間近で経験してきた二人のベテラン、青木明と野添陽奈と向かい合って座っていた。彼らの周囲には、大都市の広大な地図が壁一面に掲げられており、その上には超常現象のホットスポットを示す線や円が複雑に交差していた。警察署の空気は重く緊張に満ちており、その中で目に見えないエネルギーがまるで渦を巻いているようだった。南ハナの声は、その静かな調子にもかかわらず、明らかに緊急性を帯びていた。「この憑依事件の増加は、私たちの部署がこれまでに経験したことのない事態です。これはもはや幽霊たちだけの問題ではなく、私たちの社会全体に影響を及ぼす社会的な変化の問題になっているのです」と彼女は言った。その瞬間、オフィスは更なる重厚な空気に包まれ、三人はこの異常現象の解決策について深刻な議論を始めた。彼らの前には、社会を震撼させる超自然現象に対処し、その影響を最小限に抑えるための膨大な責任があった。南ハナ警部補とそのチームは、この新たな挑戦に対して、彼らの知識、経験、そして勇気を持って立ち向かう覚悟を固めていた。この会議は、彼らが直面する未知の危険に対処するための新たな戦略の始まりとなるだろう。白髪交じりの超常現象研究家で、数多くの謎を見つめてきた深い眼差しを持つ青木は、不機嫌そうにうなずきながら言った。「私たちはそれを目の当たりにしています。今、人々は霊体に手を差し伸べ、これまでにないほど向こう側とのつながりを深めているのです」。霊界との直感的なつながりを通じて数え切れないほどの事件を解決してきた物理現象霊媒師の陽奈は、重要な情報を付け加えた。「助けを求める霊魂だけではなく、暗い意図を持った霊の数も増えています。特に、片川村にいた教団の森田洋子と天海恵子の生き霊らしき存在の目撃証言が最近増えています。彼女たちが何らかの形で関与している可能性もあります」。南ハナは身を乗り出し、会話の一つひとつを熱心に分析しながら、深刻な声で聞いた。「除霊の状況はどうですか?除霊師たちの儀式は、この現象に追いついていますか?」。青木は陽奈と視線を交わし、真剣な表情で答えた。「儀式は状況に適応していますが、憑依された人たちの除霊は以前よりも難しく、激しさを増しています。今や、除霊師たちには単なる信仰だけではなく、この新しい精神的な風景を深く理解し対応することが重要になってきています」。彼らの会話からは、この異常現象がもたらす複雑な課題が浮き彫りになり、霊界との境界線があいまいになる中で、新たな対策と理解が必要であることが強調されていた。彼らは、この超自然現象との戦いにおいて、新たな段階に突入していることを痛感していた。「憑依者は精神疾患を模倣した徴候を示しつつも、医学的な説明が通用しない本物の憑依のケースも確認されています。微妙な線引きですが、死語を話したり、人間離れした力を発揮したりする人々を目の当たりにすると、その区別はなんとも言えません」と陽奈は深刻な表情で付け加えた。「憑依された者たちは神聖なものに激しく反応することもあり、従来の論理的な説明を覆すような事例が増えています」と明も報告を続けた。南ハナ警部補は、デスクの上に広げたさまざまな報告書や地図を二人に示しながら、状況の深刻さを強調した。「私たちの時間軸だけでなく、現実に対する私たちの理解も侵されています。除霊師たちの数を増やし、精神科医と緊密に協力して対応を急ぐしかありません。影の監視者たちが織りなすヴェールも急速に薄れてきており、その影響は計り知れません」。この深刻な状況は、彼らの前に未曾有の挑戦を突き付けていた。それは、憑依現象の真実に迫り、霊界と現実世界の緊張関係を解決するための新たな取り組みを必要としていた。南ハナ警部補とそのチームは、この問題に対応するために、伝統的な方法と現代の科学的アプローチを組み合わせた新しい戦略を模索し、超自然現象とその影響に立ち向かうために全力を尽くす覚悟を固めていた。「除霊師たちには確かに一定の権威があり、その役割は重要です。しかし、この世の中で、儀式だけでは対応が足りないことが明らかになっています。憑依現象への予防策や教育も同様に必要になります。領域の開門が始まる前に、それを阻止する必要があるのです」と陽奈は強調して伝えた。南ハナは厳粛な表情でうなずきながら、その重要性を認めて言った。「除霊師だけでなく、探偵や科学者、地域社会の協力も求められます。この心霊の時代には、従来の枠を超えた新しいパラダイムが必要なのです」。陽奈はその言葉に心を動かされ、決意を新たに立ち上がった。「では、私たち自身でその新しいパラダイムを作り出しましょう。科学的な並行世界と心霊現象の間のギャップを埋め、この現象を理解し、制御する方法を見つけましょう。手遅れになる前に」と彼女は力強く言った。その言葉に呼応するように、明も立ち上がり、その姿には決意が滲み出ていた。「私たちも貴方と共に行動します。今が、団結し、新たな対策を講じる時なのです」と彼は強調した。この会議は、超自然現象に対する新たなアプローチを模索し、多角的な視点でこの問題に立ち向かうための決意の場となった。彼らは、科学と超自然の境界を越えた協力体制を築くことで、この未曾有の危機に対応するための新たな道を開くことになる。彼らの決意は、この心霊時代における新しい挑戦への第一歩となることであった。三人が大都会の広大な地図を囲み、次の戦略を練る中で、彼らはそれぞれ自分たちの任務の重大さを深く理解していた。彼らは、啓蒙と混沌の狭間で揺れ動いている社会の魂のために戦う使命を担っていたのだ。この大都会での悪霊との戦いは、単なる伝統的な悪魔祓いをはるかに超え、想像を絶するほど拡大した並行宇宙における人類の居場所を取り戻すための闘いとなっていた。彼らは、この都市の街角ごとに隠された多元宇宙の秘密と、それに潜む様々な超自然的な存在に直面していた。彼らの前には、ただ霊を鎮めるだけでなく、人間と超自然の世界の間の調和を取り戻すという、前代未聞の大きな課題があった。この闘いは、人間の理解を超えた領域に踏み込むものであり、その結果は単に一都市の運命だけでなく、人類の未来にも影響を及ぼす可能性があった。南ハナ警部補、陽奈、そして明は、この重大な任務に全力を注ぎ、社会の安定と人類の存続のために、新たな方法と戦略を模索し続けた。彼らの行動は、この都市だけでなく、世界にとっても新たな方向を示すものとなるだろう。彼らの努力は、超自然現象の理解を深め、人類が多元宇宙と調和の中で共存する方法を見つけるための重要な一歩となることであった。

三日月のぼんやりとした光の下で、透視能力を持つ佐藤陽翔は、時を越えた異次元の黒い悪魔の鬼門の屋敷前に立っていた。その古風な屋敷の窓は、魂をのぞき見るような暗い瞳のように思えた。空気には古びた香りが漂い、石壁に這う蔦の囁きが彼に聞こえるかのようだった。ここはただの調査地点ではなかった。これは彼の存在が生きた証であり、失われた勇気の象徴であり、そして過去と現在を織り成す歴史そのものだった。彼のそばには、鏡に映ったかのようなそっくりな姿、肉体ではなく記憶と時間から生み出されたドッペルゲンガー、ハルが立っていた。今や陽翔の友であり、天使のようなドッペルゲンガー、ハルは黄昏時のさざ波のように現れた。彼は陽翔の特徴を映し出す姿を持ち、記憶そのもののような半透明の存在であった。生と死の境界を超えた共通の探究、真実を追求することで二人は結びついていた。陽翔はハルに目を向け、表情には深い悲しみと同時に強い好奇心が浮かんでいた。「君は何者なんだ?僕がずっと追い求めてきたもの、この祟りの中で見つけた答えが君なのか?君は単なる過去の名残ではなく、歴史、記憶、そして人格そのものを表しているんだ。」ハルは頷きながら、その目に幽霊のような光が宿っていた。「まさにその通りです。ここに宿るものは、私たちがこれまで聞かされてきたような単純な話よりもずっと複雑です。苦しみや死だけの反響ではなく、生きた証となる人生や、忘れ去られることを拒む記憶もここにはあります」。ハルは、陽翔の心の奥深くにある疑問を声に出して反映させた。陽翔は、かつて島貫湊がいたとされる屋敷のファサードに目を奪われながら深く考え込んだ。「ここに残るのは単なる死の亡霊ではなく、記憶そのものの死だ。私たちは忘れ去られた瞬間の大海原に立ち尽くしているんだ」。そして一歩を踏み出し、穏やかな声で言った。「君は生命中心の平等を体現しているね。人間の精神も、環境も、すべてが君にとって等しく意味を持つんだろう、ハル」。ハルは二人の間に流れる厳粛な理解と共感の感情を感じ取った。「私たちが出会う霊たちは、簡単に我々の理解や一般的なラベルに当てはめられてしまうだろう。今の心霊現象調査隊は便利なハイテク装置を駆使して、霊たちの存在を一方的に定義し、彼らを自分たちの作り話の中に閉じ込めようとしている」。陽翔は一歩踏み出し、足元の砂利が昔の人々の歩みを囁いているかのように感じた。「私たちの視点を変えるべきだ。全ての存在を公平に扱う生命中心的平等主義を取り入れなくてはならない。幽霊も人間も、そして心霊現象を経た後の環境も、全てはこの並行宇宙の舞台で共存している」と陽翔は語った。ハルは陽翔の動きを鏡のように映し出し、その存在が陽翔の実感として体現されていた。「まさにそうだ。そして、この場所は朽ち果てた壁が示すように、単なる建造物ではなく、過去が現在を形成し続ける舞台であり、感覚を刺激する場所だね?」と彼は問いかけた。ハルは軽く冗談を交えながら陽翔の周りを回り、その姿は周囲をぼんやりとさせた。「確かにそのとおりだよ、ハル。幽霊は、人間と環境の間の前衛的な表現者として存在し、どの心霊スポットでも繊細なダンスを繰り広げている。私たちの役割は混乱を招くことではなく、観察し、理解を深めることだ」と陽翔は答えた。屋敷に足を踏み入れると、陽翔は部屋の隅に影が落ち、剥がれかけたペンキやきしむ床板の中に、かつての生活の営みの名残を見出し、ほっとした。ハルが尋ねた。「私たちが祟りと感じるものは、このような遺物との相互作用なのでしょうか?昔なじみのものと新たに発見された存在との衝突かもしれませんね?」。「まさにその通りだ、ハル」と陽翔は答えた。「お前が探している幽霊は、この種の相互作用に対して脆弱で、我々の幽霊に対する解釈によって形作られる。超常現象を調査する際の真実は、幽霊に宿る人間性を理解することにあるんだ」。陽翔はゆっくりとうなずき、長い間解けなかったパズルのピースがはまったような満足感を覚えた。「私たちはハイテク・ガジェットや先入観を持った征服者としてではなく、謙虚な来訪者として、この壁に刻まれた物語を発見し、共鳴を求めながら、幽霊が現れる場所を探索すべきだ」。「私たちの役割を再定義する必要がありますね。私たちは単なる心霊調査隊ではなく、ここに宿る人々の永続的な記録の証人なのです」とハルは静かに言った。陽翔の視線は再び建築物を辿る。石一つひとつは、この邸宅の長い歴史の一節を形作っていた。「だからこそ、私たちはここで記憶の言葉を読み解くことを試みるべきなのだ。幽霊の背後にある人間性を感じ取り、私たちが恐れるよう教え込まれてきた無貌の物語に共感を見いだすために」と陽翔は考えた。ハルの存在感が増し、彼は暗闇の中の光となった。「陽翔さん、私たちは過去と現在が交わる場所に立っています。古びたシナリオを捨て、人間が侵略者ではなく、壮大な現代の物語へと招待された観客として過去を繋ぎ合わせる時が来たのです」。二人は静かに屋敷の中を歩き、その足音は屋敷の中心に響く静かな鼓動と調和していた。各部屋は物語の章のようであり、美術品は武勇伝を語る登場人物のようだった。「私たちの直面しているのは記憶の衝突だ」と陽翔は語った。「この壁に残された記憶と、私たちの持ち込む記憶との間で。話すことよりも聞くこと、侵入することよりも観察することが求められている」長い間陽翔と共にいたハルは、消えゆくロウソクの炎のようにゆらぎながら、静かな緊迫感を持って話し始めた。「私たちは心霊調査の脱植民地化を図り、単なる狩りを超えて、これらの神聖な空間の利用をやめるべき時が来たのだ。代わりに、浮かび上がる世界を地図に記し、感覚的な領域と交流し、過ぎ去ったすべてのものと共鳴するために、空間と時間への理解を再構築するのだ」とハルは囁いた。夜が深まるにつれて、陽翔とハルは自身の内なる変化を感じ取った。彼らはもはや侵入者ではなく、目に見えない存在の記録者として、そしてエーテルを紡ぐ記憶の守護者としての自覚を新たにしていた。幻影が消えゆくのを横目に、彼らは屋敷へと足を踏み入れた。神聖なホールに響く、存在そのもののこだまに耳を傾け、生命が遺した記憶に敬意を払う準備を整えていた。黒い悪魔の鬼門の深淵に潜む影の監視者たちは、生者と死者の間の薄いヴェールを静かに守る守護者であった。彼らは並行宇宙への入口を護り、生命の量子的な響きにしがみつこうとする亡魂を見守る存在でもあり、霊道を巡る動きを管理していた。心霊現象調査隊が使うポータルの監視も、彼らの長年の任務であった。

心霊現象を量子力学で解明しようとするホーン博士は、日本に来て並行宇宙へのポータルの研究を続けていた。彼女は巨石遺跡の地下の秘密のカタコンベにある洞窟で、霊障の事故を防ぐための研究と、取り締まり組織の設立を進め、専門家たちを指導していた。そのメンバーには、警察省から派遣された南ハナ警部補も含まれていた。彼らは単なる神秘主義者に留まらず、知識豊かな量子ネクロダイナミクスのフロンティア研究者でもあった。影の監視者たちとの約束も守り、すべての霊体は記憶としての存在を尊重していた。最近、霊の増幅が波動関数を危険な数値まで高めており、彼らはその修正方法を研究していた。島貫湊、アガレス、そして影の監視者もヴェールの修正に同じ目的で取り組んでいた。しかしホーン博士は、超能力ではなく、政府の協力を得て量子力学の手法で作業を進めていた。量子力学者たちの多世界解釈は不朽の理論であり、影の監視者たちの人間界への訪問がきっかけとなり、その魅力的な研究はマッハの速さで進展していた。直面する多様な現象を理解するには、影の監視者たちの存在が不可欠となっていた。彼らは最近、この並行世界にある宇宙の鏡に亀裂が生じていることを発見した。平行世界のエネルギーが急激に上昇し、エーテルの嵐が発生したとき、その懸念は確信へと変わった。ホーン博士は、心霊現象の波動関数が多くの並行世界へと枝分かれすることを絶対に阻止しなければならなかった。なぜなら、その波動関数が私たちの世界に頑固に固定されており、それが崩れれば人間界も崩壊の危機に瀕するからである。これまでにない規模の保護対策が、ホーン博士と影の監視者たちによって始められた。彼らはエーテルの嵐を通じて一連の保護措置を施すことを目的に、量子ヴェール・プロジェクトを立ち上げた。その結果は明白で、多くの並行世界を示すものではなく、むしろ宇宙全体を映し出していた。対象の規模があまりにも巨大すぎたため、彼らは未解決の現実に対応するために継続的な努力を要する状況に直面していた。

この発見がなされた後、科学者たちの間で内部分裂が生じ始めた。分裂を主導する科学者たちの一部は、保護測定の数値を改ざんし、多世界解釈(MWI)を否定することで宇宙の破滅的な崩壊を防げると誤って信じ込んでいた。しかし、真実を明らかにしようとするホーン博士派の科学者たちは、自分たちが現状をほとんど理解していないにも関わらず、微妙なバランスに手を加えることの危険性を懸念し、声を上げ始めた。現実世界と死者の境界線が崩れ、悪霊が流入する現象は、数字の操作で解決できる問題ではない。南ハナ警部補はこの分裂のリスクを真剣に受け止め、早急に野添陽奈に連絡を取っていた。

前代未聞のスペクトル・エネルギー波がヴェールを完全に破壊しようとした際、哲学的な議論は意味を失った。ホーン博士は科学者としてではなく、人類の守護者として行動せざるを得なくなった。影の監視者たちと共に、彼女は大胆な計画を策定した。それは大規模な保護措置を施し、重ね合わされた波動関数を強化して、量子の糸でヴェールの裂け目を修復するというものであった。もし計算違いがあれば、生きている世界にとって計り知れない影響を及ぼす可能性があった。装置が作動すると、巨石遺跡は鮮やかな光で満たされた。大地に縛られていた影は揺らぎ、その波動関数はついに安定した。ホーン博士の計画は、見事に成功を収めたのである。

その影響を受けて、ホーン博士は人類のクォンタム・ガーディアンと称されるようになった。彼らに課された新たな任務は、保護してきた微妙な境界を深く理解し続けながら、それを守り抜くことであった。組織は科学とスピリチュアリティが未知の方法で絡み合っていることを認識し始めた。このすべての謎に満ちた宇宙は、もはや単なる分岐した霊道ではなく、彼ら全員にとって共有された一つの旅の象徴となった。

量子の守護者たちは、生と死が交錯し、それを織り成す量子の糸が絡み合う場所で、あらゆる困難に立ち向かえるよう警戒を怠らなかった。彼らは影の監視者でもあり、ヴェールの番人でもある。生きる世界の守り手として、宇宙の隠された流れを常に監視していた。しかし、その間に森田洋子と天海恵子を含む生き霊たちは、影の監視者たちの努力を無にする罠を計画していた。彼らは、科学を操る力が自分達にもあることを示すために行動を起こし始めたのであった。

数年後、超常現象調査隊は、アガレスを倒した後の喪失感と闘い続けていた。湊を失った悲しみと、東京が心霊現象の渦へと変貌したことがそれに拍車をかけた。勝利の代償は彼らに重くのしかかり、影の監視者たちの夢は、今も彼らを重く圧迫していた。しかし、テレビ放送で青木晃が片川村での調査で得た映像を公開したことで、森田洋子と天海恵子がカルト教団と降霊術に関与し、村民が死亡した事実が明るみに出た。その結果、教団の多くが逮捕され、組織は解体され、彼らの脅威は消滅した。にもかかわらず、洋子と恵子は見つからなかった。

親しい友人であり仲間でもあった湊の失踪は、陽奈の心に深い悲しみをもたらし、彼女は絶望の中で湊を救い出すことを決心し、異次元のポータルを探し続けた。希望を失いかけていたその時、ハルからの一本の電話が陽奈に新たな活力を与えた。「陽奈、ポータルを見つけたんだ!」とハルは興奮して伝えた。ハルは、佐藤陽翔がまだ生きており、並行世界から戻ってきた可能性を信じて、彼を見つけ出すために休むことなく探し続け、ついに発見し影の監視者と共に戦っていた。そして、湊を救出するために陽奈を導くかもしれないポータルが、カタコンベの中にあることを突き止めたのだった。

興奮と不安が交錯する中で、野添陽奈は遂に念願のポータルをくぐった。反対側に出た時、彼女は片川村の戦場に立っていることに気づいた。倒れた橋の残骸を見て、かつての激戦が蘇った。墓地を歩きながら、陽奈は「帰らずの橋」の端に座り、奈落を見つめる人影に目を奪われた。それは島貫湊だった。安堵の涙が彼女の頬を伝った。湊の唇には微かな笑みがあり、その疲れた目には長い戦いの重みが表れていた。黒い悪魔の鬼門の屋敷での苦悩と犠牲は彼の魂に深く刻まれており、決して忘れられないものだった。その瞬間、陽奈と湊は、自分たちを脅かした闇に打ち勝った純粋な充実感を共に感じていた。

湊の背後には、彼のセラピストであり守護霊でもある山岸リクが温かい微笑みを浮かべて立っていた。湊と陽奈が会話を交わしていると、墓地から俊子ばあさんが純粋な喜びを放つ笑顔で近づいてきた。「また会えるとずっと信じていたわ」と彼女は目を輝かせて言った。突如、カメラのシャッター音が鳴り響き、その写真は彼らの凱旋の瞬間を捉え、高く空へと舞い上がり、二人の苦闘と勝利の記憶を永遠に封じ込めた。「さあ、私たちの戦いはまだ始まったばかりだ」と湊が静かに呟いた。

古代の呪いが囁いていたあの頃、上口茜の山小屋を守るねじれた松の木々の間から、佐藤陽翔は幽玄な力と命の終焉のバランスに影響を及ぼす事態を予感していたかも知れない。しかし、その後に起こる大きな変動については、彼には予測することはできなかったに違いない。宇宙を構成する無限の領域には、多次元間の境界を蜘蛛の糸が紡ぎ出すかのようなヴェールで護られた場所が存在した。霧と古代の伝承に包まれた片川村も、そんな神秘的な場所の一つだった。

荘厳な「帰らずの橋」が見守る中で、光と闇が織りなす永遠の舞踏の音が再び響き始めていた。伝説によると、この橋は純粋な魂と汚れた魂の両方があの世へと渡るための門であった。その石の基礎は、多くの希望と絶望を吸収してきた。夜の静寂な時には、村に息づく超自然的な現象と、亡き者達の人生の証である幽玄な足音が聞こえてくるかのようだった。

島貫湊はこの限界空間において、自分の運命が超自然的な力と取り返しのつかない形で絡み合っていることを認識していた。不可解な現象を捉えることに生涯を捧げた写真家である湊は、論理を超えた事象に幾度となく直面してきた。しかし、彼のレンズを通じて捉えたものは、彼の個人的な運命や、懐疑のヴェールを破り去るような未来の予兆を示してはいなかった。

ヴェールの囁きを聞く能力を持つ霊媒師、野添陽奈は、常にその絹のような感触を意識の中で霊界の関門のように感じていた。それは彼女の夢の中や、木々の葉のさざめきに混じりながら、そして墓地を包む静けさの中でも彼女に語り掛ける自然な事象であった。陽奈はこの囁きを盟友とみなし始め、やがてその囁きは生者と死者の世界を繋ぐ架け橋として、陽奈を導く存在となっていた。

その影から、並行世界から回帰した真の佐藤陽翔はヴェールの向こうを見る眼で行方を静かに観察していた。彼の千里眼は暗闇の中の灯りであり、現在、過去、そして未来を照らす道しるべとなっていた。ヴェールの中に反響するその未知の音響は、迫り来る混沌の重みを帯び、現世の境界を超えた戦いの序曲であることを彼は悟っていた。好奇心に駆られた者達は、自らの存在がヴェールによるこだまに絡め取られていくのを察知し始めていた。熾烈なる戦いを繰り広げた悪魔アガレスや不滅を誇るダイモンの神々、そして救いの弧は見えざる霊界の年代記にその名を刻んでいた。

上口茜の冥界の闇への転落は、力と復讐の旋律と化してしまっていた。そして、千明の現下は娘の悲劇に黙して耐える哀しき母そのものであった。並行宇宙から現実の枠組みに挑戦する者達が現れ始めた。時間と空間の制約を超越する愛を貫く肩川村の茜の祖父・広幡、異世界の狭間を渡る賢者・親切な俊子婆さん、そして真実を追求し視認できない夜見の国の果てに至った警察省の刑事、南ハナ警部補。最後の戦いの舞台が整い、霊界戦士達が集結し始める中、ヴェールに反響するこだまが増幅するにつれ、光と影の新たな闘争の舞いが始まりつつあった。生と死、救済と破滅の境界を際立たせる闘諍は、意志がぶつかり合う交響曲のように展開されていくのだった。この壮大な物語の序章に幕が上がるとき、ヴェールの中のこだまは勇気と犠牲、さらにヴェールの向こうに広がる未知の領域に対する永遠の深い探究の招来を囁くのだった。島貫湊が生と死、現世とあの世の境界にある黒い悪魔の鬼門に消えてから1年が経過していた。霊媒師であり、異界の囁きを魂に宿す野添陽奈は、佐藤陽翔のドッペルゲンガーであるハル、超常現象の専門家である青木晃、そして防井直美と合流した。彼らは共に未知の境界に立ち、ヴェールの向こうから湊が送る思考の記録と自らの運命が交錯していることを自覚していた。片川村の中心部では、秋が深まり紅葉が金色の絨毯を敷き詰める頃、嵐の前のような不穏な空気が漂っていた。それは、視認できない領域の蠢動に敏感な者達の意識の片隅を引っかくような感覚だった。村の人々は、落ち着かない夢にうなされる夜や、見過ごそうとしても一瞬だけ見えてしまう霊妙な長い影について囁き合っていた。島貫湊はカメラのショルダーストラップ を肩にかけ、村を歩きながらこの不穏な空気を身に染みて感じていた。普段ならば地元の人々は何気ない会話を交わし、噂話を聞かせてくれるのだが、今は何かを警戒して沈黙を守り、川のせせらぎにアーチを描く廊下橋「帰らずの橋」の方に目線を向けていた。新たに建てられた、帰らずの橋は、今は村の中心にあり、ただの石と苔の構造物とは異なる、冥界と現世が交わる由緒正しい場所になっていた。湊が橋を渡るとき、水の流れの音に紛れたかのように、失われた無数の魂のささやきが耳に届くのを感じた。野添陽奈はその不穏な気配を察知し、湊がいると思われる橋にたどり着いた。彼女がそこにいると、周囲の空気がヴェールのようにざわめき、振動しているように感じられた。「霊たちが困難に直面している」と彼女は呟き、その声は微かなささやきであったが、それには確かな重みが宿っていた。佐藤陽翔は皆を手招きするかのような力に引き寄せられ、眉間にしわを寄せながら橋に近づいてきた。運命の糸が暗いつづれおりに結びついていくのが見えるかのような感覚に、彼の視線は遠くを捉えていた。「何かが近づいている。古くて飢えた何かが」と彼は呟いた。

夕暮れが迫り来る頃、彼らの足元を微かな地響きが通過していった。だが、そこに集まった人々にとって、それは不穏な出来事の予兆でしかなかった。奇妙な影は伸び、自然の光と闇の戯れを無視するかのように歪んでいた。そのうねる影の中から、ある人物が現れた。それは怪異の悪魔アガレスであり、その姿は人の不気味な反映であったが、不死の腐敗したグロテスクな証を思い起こさせるものだった。彼の登場は静かだったが、周囲の空気は死界の雰囲気を漂わせていた。「ようこそ、生者の守護神たち」とアガレスは墓石を砕くような声で、それでいてどこか社交的な最初の一言を発した。「奈落の底へ飛び込むのか、押し落とされるのか、どちらを選ぶ?」と彼は問いかけた。

上口茜は、自らの悪意のオーラに包まれつつ、周囲からこの状況を観察していた。彼女の邪悪な計画は着実に実を結びつつあった。集まる影は、彼女が細心の注意を払って振り付けた悪意の舞の序章にしか過ぎなかった。母である千明は、重苦しい心を抱えながら村の中を歩いていた。彼女にとって娘の闇が三千世界の汚点のように思え、その罪悪感は肉体的、精神的な痛みを伴っていた。しかし、千明の意識の中では決意は固まりつつあった。それは文字通りにも、比喩的にも深い意味を持っていた。俊子婆さんの魂は、現世とあの世の狭間を誰の目にも触れることなく飛び回り、彼女自身が橋渡し役となっていた。ヴェールの蠢く周期を何度も目の当たりにしてきた彼女は、現世に傷跡を残した古い戦いの香りを感じ取っていた。警部補の南ハナは最後に帰らずの橋に到着し、その鋭い眼差しで異端な人物達の集まりを観察していた。彼女は直感を信じることを学んでおり、それがこの集合が単なる偶然ではないことを告げていた。この瞬間は通常の捜査と霊界の戦いの境界をあいまいにする争いの序曲であり、彼女の中で霊的な装備への呼び水となっていた。

静かな合意のもと、彼らはお互いを認め合い、暗黙のうちに盟約を結んでいた。彼らは迫り来る闇の嵐の防波堤であり、生者と死者双方にとって最後の防衛線を形成していた。ヴェールは常に通過点であり、尊重され、敬意を払われるべき静けさの境界だった。しかしながら、今やそれは戦場と化し、彼らは懸念を抱きながらも霊界戦士となっていた。ヴェールの中の反響はさらに拡大し、過去の遺恨と差し迫った脅威の不協和音を生んでいた。影の監視者の集いは完了し、全ての者の運命は星々の光と虚空の闇との間の微妙なバランスにかかっていた。

南ハナ警部補は片川村の超常現象の謎を追求し、並行世界の時間軸で心霊調査隊を支援した慈悲深い心霊ガイド、俊子婆さんとすれ違った。俊子は、茜の邪悪な教団が時を超えて恐怖の領域をこの世に解き放ち、その広がる領域の力が憑依霊となっていた森田洋子と天海恵子の姿を悪霊と化し、地上を彷徨っていることをハナ警部補に明かした。夕暮れ時、ビロードのような暗闇が深まり、片川村の狭い路地を柔らかな光で照らす提灯が、その闇を際立たせていた。村人たちは夜空の外套に包まれながら、家での安らぎと闇を遠ざけるための熱心な祈りをささげていた。その暗闇の中心で、時間も死も無視する存在である怪異と化した茜が立っていた。彼女の存在は不吉であり、その来訪を告げる冷たい風が吹き抜けた。彼女は黒い悪魔の鬼門によって飲み込まれた魂の残骸であり、復讐と悪意によって歪められた怪異へと変貌していた。

しかし、悪魔アガレスは地獄の牢屋で育んだ湊との友情を重んじて、茜の邪悪な計画には加わらない決意を固めていた。島貫湊がカメラを構えると、レンズを通じて生者の世界にも死者の安息にも属さない霊魂の揺らめく姿を捉えることができた。骨の髄まで染みる寒さの中でも、彼の手は不動であった。カメラは彼にとって、暗闇よりも恐ろしい現実を世に示す道具だった。目を閉じた野添陽奈は、霊魂達の悲しみや怒りを感じ取っていた。打ち砕かれた夢や満たされざる欲望が不協和音となって彼女の周りに渦巻いていた。彼女の心持ちは彼らに平穏を提供したいと切望しながらも、いくつかの魂は自身の苦悩の迷宮に迷い込んでいて、怪異の茜に縛りつけられた鎖が陽奈には見えていた。これらの霊魂はかつて人間であり、今や死を操る者のグロテスクなマリオネットとなっていた。彼女は霊魂が真の敵ではなく、犠牲者であり、失われた魂から生み出された霊的な戦争の道具であることを悟っていた。

三日月の光の下、静かに集う霊魂達の中に、茜が手を上げて立っていた。彼女の笑い声は、墓地の木々の間を響く乾いたさざめきのようだった。「今宵、ヴェールは引き裂かれ、生者は失われた者達の苦悩を知ることになるだろう」と彼女は宣言した。上口茜は湊やアガレス達を歪んだ眼差しで見つめていた。彼女の暗黒の力は周囲に鼓動するようなオーラを放っていた。茜はこの混沌の元凶であり、彼女の野望はとどまるところを知らなかった。かつてアガレスとの間に結ばれた古の誓いはもはや意味を成さず、彼が彼女のそばに立つことはなかった。茜の視線は湊の仲間達、そして母、千明に向けられていた。千明の表情には後悔の影がちらついていた。これが茜が選んだ道だったのだ。

千明の悲しみは真実であったが、母親の愛という強固な決意がそれを和らげていた。彼女は娘に手を差し伸べ、崖から引き戻せればと願っていた。しかし今や、茜の姿を見るたびに、この戦いは単なる娘の魂の問題を超え、すべての魂と現実の構造そのものの問題であることが明らかになっていた。俊子婆さんの生霊は賢明で古風な存在であり、魔界を飛び回り、見えないが常にそこにいるようだった。彼女のささやきは、生きている者達の決意を固める聖歌であり、ヴェールを強化する力を持っていた。生前も死後も、彼女は守護者であることに変わりはなかった。

南ハナ警部補は他の捜査員達と共に、刑事バッジを胸に立ち尽くしていた。彼女は真実を追う戦士であったが、このような戦場には馴染みがあるわけではなかった。しかし、論理と証拠だけでは解決できない戦いだということを彼女は理解していた。夜の幻影に対してハナの銃は無力かもしれないが、彼女の決意は足元を固くする大地のように堅かった。復讐と悲しみの渦がささやきながら動き始めると、守護神達は身構えた。これは茜が地獄から呼び寄せた、成仏できない怨霊達だった。怨霊は怪異の茜の配下にある霊で、それぞれが抑えがたい力と欲望による暗黒の代償となった悲劇的な物語を持っていた。

人間界と霊界のヴェールが、怒りに満ちた怨霊や悪霊達の悪意の交響曲に揺れ動きながら迫ってくるにつれて片側村の大地が震え始めた。生者は肉体と意志の脆弱な障壁として敵に立ちはだかり、片川村の魂、そして現世そのものを巡る戦いが幕を開けようとしていた。浮遊霊が突撃し、俊子婆さんの魂が形成した目に見えない盾に衝突して消滅した。そのとき、空気はまるで千の嵐が力を持って割れたかのように震動した。茜の憑依霊が野放しにされ、ヴェールを巡る戦いが激化したのであった。

「ヴェールの彼方」の番組で放送事故を起こした司会者、片瀬亮は知らず知らずのうちに壮大な悪の計画の一部となり、彼の肉体は悪意に満ちた器と化していた。鋭敏なアナリストである夏美と、南の島から来た魔術師アーニャの古代魔法により癒された彼は、テレビの生放送で行う悪魔払いと電波を通した憑依からの解放に向けて準備を進めていた。夜明けの光が片川村を覆う暗闇を破ろうとする中、戦いの勢力が衝突し、ヴェールはインクが水中に拡散するように波打ち歪んだ。憑依霊達は、怪異の茜の本質的な保護のもと、新たな凶暴さで組織され、悪意を帯びて守護側を包囲した。

湊の隣で立っていた野添陽奈は、古代の霊媒師の典礼を唱え、その声が迫り来る寒さの中で温かな道しるべとなった。彼女は手を伸ばし、苦しむ霊達の境界に触れ、平穏と救いの機会を提供しようと努めた。生と死の狭間を繋ぐ彼女の言葉は、弱まりつつあるヴェールの織り目を確かに縫い合わせていた。湊はカメラを手にし、悪霊達の妖しい舞を捉えた。その画像は単なる証拠にとどまらず、戦いの真実を刻み込む武器となり、真実が闇に耐えうる光となることを彼は信じていた。

千里眼の力を持つ佐藤陽翔は、目を閉じて心で戦場の流れを感じ取り、先を読み解いていた。彼の声は断固としており、他の戦士達を導く灯台のようだった。「霊体は茜に縛られているが、それは彼ら自身の絶望にも由来している。我々はその絆を断ち切り、彼らを苦悩から解放しなければならない」と彼は言い放った。上口茜は、自らの周囲に放たれた力に変質的な喜びを覚え、残酷なほど冷徹に憑依霊達を操った。しかし、母の眼差しと交わった瞬間、彼女はためらいを覚えた。千明の眼には深い悲しみと、言葉にできない願いが宿っていた。茜の心は闇に覆われていたものの、その一瞬の迷いに、隣にいた不死の洋子や恵子は気づいていなかった。

千明は娘のためらいを察し、その一瞬を捉えた。母の愛と戦士の勇気を込めた声で、「こんなやり方は間違っている!あなたはヴェールを操る者であったはずなのに、今ではヴェールの奴隷となってしまった。別の道を選びなさい」と訴えた。しかし、その機会は一瞬で過ぎ去った。弱まりつつある怪異の茜は、自分の仲間内での亀裂を感じ取り、大気を揺るがすような咆哮を上げた。主の変化を感じ取った悪霊達は攻撃の手を強め、その姿はより具体化して見えた。

南ハナ刑事は銃をホルスターから抜いたが、この超自然的な戦いの中では子供のおもちゃのようにしか思えなかった。だが、彼女の決意は今も鋼のように固かった。「超能力者として戦えないなら、一人の人間として戦う!」と彼女は宣言し、戦略的な思考で秩序をみいだし、他の戦士達に指示を出し始めた。その時、俊子婆さんの魂は嵐の中のろうそくのように揺らめき、一行を護る呪文を紡ぎ続けていた。

影の監視者達、黒い悪魔の鬼門の守護者は自らの存在を現し、この闘争を見守っていた。彼らは均衡を保つ必要があると知り、大地の深い鼓動のような音と共に戦いに身を投じた。混乱の中で、かつて悪意に支配されていた片瀬亮は明晰さを取り戻した。戦いが贖罪の道を開き、憑依の深みを知る者としての必死さでその機会を掴み取った。彼の声はかつて恐怖を煽る道具だったが、今は明瞭な呼びかけとして響きわたり、迫り来る闇に立ち向かう合唱に加わった。

そして、最初の太陽の光が水平線を破ろうとする時、ヴェールを巡る戦いは絶頂に達した。野添陽奈から放たれる妖しい光が触れる空気を浄化し、輝きを放ちながら悪霊達を撃退した。その姿は末端から溶け始め、束縛していた呪いが解ける兆しを見せた。光に後押しされた一団は前進し、力を合わせてヴェールの呪いに対する最後の一撃を加えた。怪異の茜の霊力と陽奈の平和への呼びかけの間で、霊魂達は揺れ動いた。怒り狂った茜は、ヴェールを断ち切るべく、闇の波動を全力で解き放った。

黒い悪魔の鬼門の中で、湊は予想外の味方、アガレスを見つけた。カメラマンとダイモン神アガレスの間には、彼ら自身の過ちから生まれた鎖があり、新たな理解が生まれつつあった。彼らは霊道を守る影の監視者達と共に、崩壊しつつあるヴェールを修復するために立ち上がった。怪異の茜や不死の洋子と恵子が召喚した邪悪な霊霊達が、ヴェールの裂け目へと迫り、その力は不死の生物の心に根ざしたすべての絶望と悪意の暗黒の交響曲と化した。宇宙のつづれおりはその誤認識の重さで震え、真実は生者と死者のささやきの端で歪んで言った。

ヴェールが消滅の危機に瀕して震える中、島貫湊は霊障の嵐の中心に立っていた。彼はカメラを掲げた。それは単なる道具を超えた存在となり、彼の意志を象徴する戦士の剣のようであった。湊は現世の平和を求めすべての魂の希望の導管となっていた。深呼吸をしてカメラのシャッターを切った瞬間、暗闇を切り裂く浄化の閃光が放たれた。アガレスは嵐の中でそびえ立ち、得意の瞬間移動を駆使して暗い霊界の空間を移動させ、絶え間ない霊道を流れる霊魂の出口を閉じた。

呪われた存在である不死の洋子と恵子は、自らの消滅を痛感し始めた。彼らが発する咆哮は重なり合う現実層に響き渡り、世界が震えるかのようだった。しかし、その決定的な瞬間に、ヴェールの中から一人の人物が現れた。それは、千里眼を持つ佐藤陽翔のドッペルゲンガー、ハルだった。その姿はかすかな時の糸に包まれており、奈落の底から戻ってきた本物の陽翔とは兄弟のような関係を築いていた。今やハルは、死の予兆としてではなく、透視能力者として陽翔と共に戦っていた。

アガレスと視線を交わしたハルの目には、かつての大魔神の恐怖ではなく、思いやりが宿っていた。「アガレス」とハルは穏やかに呼びかけたが、その声は戦場に響き渡った。「悪の怒りによって曲げられた君が、別の道を選べたことは本当に良かった」とハルは付け加えた。アガレスの心はハルの言葉に打たれ、彼の名前が恐怖と死の代名詞となる前の時代が彼の心の中でちらついた。影の監視者達も、ダイモン神の本質の変化を察知し、黙って無言の同盟を申し出た。上口茜は、恐怖と畏怖が入り混じった感情でアガレスの変貌ぶりを見て、戦いの流れが変わることを感じ取っていた。

彼女の母、千明は堂々と片川の大地に立っていた。その存在は、どんな暗い心にも救済の兆しを見出せる確固たる安定の象徴だった。何世紀にもわたる苦痛に満ちた悲鳴が響き渡り、アガレスの姿は光と影の渦に包まれた。怪異が闇から退くのを察知した霊達は攻撃をやめ、その姿は風に乗って煙のように消え去った。その静寂の中で、ヴェールは再び編み直され、生者と安息を見つけた精霊達の努力によって現実の織り目が修復され始めた。アガレスの姿は老いたかのように見え、この新しい世界での居場所を見出せずに宙に浮かんでいるようだった。

湊はカメラを手にしてダイモン神に近づいた。「アガレス、君の選ぶ道がここにある。ヴェールの修復に力を貸してくれ。ヴェールを障壁ではなく、架け橋に変えるのを手伝ってくれ」と彼は頼んだ。内面に隠された怒りが消え去り、アガレスは厳粛に頷いた。彼の力は影の監視者と一体化し、二人は共にヴェールに新たな模様を織り込んで、霊魂達が苦しみの中ではなく、平和の中で霊道を通過できるようにした。ありえないような救済を感じ、心を高揚させたアガレスは影の監視者達と力を合わせた。野添陽奈の詠唱は癒しの歌となり、ハルの先見の明は調和の理想像となった。

南ハナ警部補は、ダイモン神のアガレスの心が復讐から美徳へと変わるという不可能を目撃し、この出来事が超自然現象に対する現世の理解を再定義する物語であると確信していた。新しい夜明けの光は、もはや暗闇との戦いではなく、片川村を優しく照らし出し、その光線は村人達を温かく包み込んでいた。かつて影の存在であったヴェールは、今や色とりどりのスペクトルで輝いていた。

その影響を受けて、アガレスは湊の隣に立っていた。ヴェールを巡る戦いは支配ではなく、団結によって終結を迎えたのだ。最終的に、運命を形作るのは悪の力ではなく、救済を求め、かつて溝があった場所に橋を架ける選択だった。変化の可能性、希望の力、そして精神の不滅の強さを証明する瞬間だった。

かつての悪意の灰から怪異に生まれ変わった茜は、今や迷える者や呪われた者達の意志を縛る力を振るう存在となった。彼女は憑依霊の洋子と恵子を従え、地獄の底から魂を生者の土地へ流し込み、憑依と混沌の種を蒔く闇の儀式を執り行っていた。夜明けが水平線から昇り、金色の光が鬱蒼とした森の樹冠を照らすと、片川村には儚い平和が訪れた。ほころびや裂け目があった境界のつづれおりは、今や優しく揺らめき、新しく修復されたヴェールがそれを焼き尽くそうとする混沌に対して力強く保たれていた。しかし、その平穏はナイフの刃の上で不安定に留まっていた。善の勢力が一息つく間も、闇の中で新たな嵐が渦巻いていたからだ。

怪異の神口茜は、アガレスの贖罪の挫折にもめげず、黒い悪魔の鬼門の境界線にある古い屋敷近くの洞窟の奥深くで力を集結させていた。洞窟は呪文の幽玄な光に包まれ、母千明は娘が狂信的ともいえる熱狂をもって自分の運命を受け入れるのを悄然と見守っていた。茜の声は時を超えた古い調子で上下し、彼女の言葉は存在の平面間を織りなし、屋敷の地下を流れる霊体のエネルギーの束を引き寄せた。茜の昇華は目前に迫っていた。自らの意志で縛り付けた人々の魂によって、彼女の権力への躍進が促進されていたのだ。洋子、恵子、そして彼女の魔術によって支配され、操られた半生状態で存在する無数の霊魂達が霊の兵士のように茜の目的発生の脇を固めていた。

島貫湊の守護霊で背後霊である山岸リクはこの騒動を察知し、その幽玄な姿はヴェールを守るために戦う者達の目印となっていた。「茜は比類なき力を持つ存在となろうとしている。彼女が成功すれば、私達が回復させたヴェールのバランスは崩れ去るだろう」と彼女は警告した。野添陽奈は霊的な動揺に同調する霊媒的な感覚を持ち、山崎リクからのメッセージの緊急性を感じ取っていた。彼女は湊と顔を見合わせ、彼の放浪の旅で得た最近の試練が決意をより固いものにしていたことを理解した。戦いはまだ終わっておらず、茜の野望が、彼らが成し遂げたすべてをほどきかねないことを二人は認識していた。

佐藤陽翔は千里眼のように目を決意に燃やして前に進み出た。「私たちは迅速に行動しなければならない。このままでは茜が生命と精神を支配できるようになる。彼女にそのような力を行使させてはならない」と彼は超能力的な手段で仲間達に知らせた。かつて互いに敵対していた者達が共通の目的のために団結し、思わぬ同盟が結成された。超常現象に懐疑的だった南ハナ警部補が仲間に加わり、彼女の捜査能力は重要な戦力となった。難解な問題に対する知識が危機を通じて深まった研究者の夏美は、茜の儀式を阻止するための洞察を提供した。

茜の詠唱が最高潮に達しとき、敵の接近を感じ取った。彼女が手首を振ると、従者である不死の怨霊達を召喚した。茜が奪った魂を引き寄せると、空気はエネルギーで満ち、ひび割れ始め、彼女の姿から不吉な光が放たれた。「もう私を止めることはできない」と茜は宣言した。「私は運命を超えている。昇華しようとしているのだ!」茜が全力を解放すると、霊の戦闘が開始された。地面は揺れ、家々の壁は相互の力の緊張でうねった。湊の守護霊であり、光のために戦う者達の守護者である山崎リクは、一行に力を与え、彼らを飲み込もうとする闇に対する盾となった。

茜の従者達は、悲しみと怒りを織り交ぜた存在であり、浮遊霊、地縛霊、憑依霊、生霊までが茜の守護に動いていた。しかし、洋子と恵子は、人間性が消え失せそうな炎のようにちらつき、躊躇していた。彼らの目には、かつての人生の記憶が甦り、認識の光が輝いていた。湊達とその仲間達は、失敗が自分たちだけでなく、彼らがまたがる世界の破滅を意味することを知り、粘り強く戦った。混乱の中、一瞬の明晰さが訪れた。陽翔は先見の明を持って暗闇を切り抜け、嵐の中心を見つけた。

運命の重さを感じさせる声で、彼は茜の野望を覆うベールを打ち破る真実を語った。「茜、君の力は苦しみから生まれたものだ。しかし、それが君を定義するものではない。君の母親、千明は私達と共にいる。彼女は君が支配ではなく、真実を見出すことを望んでいるんだ。真の力は支配ではなく、団結にある」と陽翔は言った。彼の言葉は肥沃な土地に蒔かれた種のように根を下ろし、茜の上昇は停止し、彼女は母親の千明と目を合わせた。闇の魔術師である茜の母、千明に陽翔は手を差し伸べ、彼女の介入を懇願した。茜の祖父である広幡は、並行宇宙を隔てる壁を感じながら、立ち向かわなければならない力の蠢きを感じ取っていた。黒い悪魔の鬼門の屋敷を取り巻く並行宇宙の空気は、解き放たれたエネルギーの鼓動で震え、光と闇の力が混沌とした交響曲を奏でていた。屋敷の壁は大混乱を食い止めようと必死で、まるで屋敷自体が休息を求めて泣き叫ぶ知覚の持ち主であるかのように見えた。

この嵐の中心には、心と魂の傷を癒すことをライフワークとしてきた山岸リクが立っていた。彼女の人間の精神に対する理解は、超自然的な力に対抗する上で重要な要素であった。彼女の存在は堅固な警戒であり、闇の前でも揺らぐことはない、共に戦う者達への無言の約束であった。アガレスの周囲では、絶望と希望から生まれた熱狂の霊体と人間が闘っていた。湊のカメラはアガレスの贖罪の本質を捉えた後、次に茜に焦点を合わせた。

陽奈の声はリクの無言の祈りと調和し、平和のための連祷を捧げた。その言葉は茜の昇華の不協和音を和らげる薬となった。南ハナ刑事は、通常は論理と理性を武器としていたが、この魔法の領域ではそれらが無意味になっていた。しかし、彼女は揺るぎない勇気と正義を実現しようとする決意に新たな力を見出していた。夏美は分析的な頭脳を駆使して、混沌の中からパターンを読み解き、陽翔にその情報を伝えていた。そして、茜の母、千明は痛みと愛の坩堝になった心で前へと進み出た。彼女は娘の力の源泉に近づき、母の揺るぎない愛で自らの精神を照らし出した。千明が差し伸べたのは魔法ではなく、茜が無垢で、まだ闇に染まっていなかった頃の記憶だった。「茜、あなたは私の子供よ」と千明の声は優しく聞こえた。

陽翔の宣言に続く沈黙の中で、その言葉は否定できない重みを持っていた。「私を見て、私の目に映る真実を見て。あなたは愛されているのよ、悪の力を超えて、ヴェールを超えて、生と死を超えても」茜は潜在的な上昇を示す渦巻く霧に包まれ、立ち止まった。彼女の周りを渦巻いていた暗いエネルギーが弱まり、強風に煽られた炎のように揺らぎ始めた。かつては虚ろな力を宿していた彼女の目は、今では不安がゆらめく兆しを見せ、彼女の魂の中での激しい葛藤を示していた。山崎リクは千明の母性的な懇願によってもたらされたこの瞬間を捉え、オーラと治療的な洞察力を拡大させた。

不屈の真実探求心に突き動かされた南ハナ警部補は、ヴェールがもっとも脆弱な地下墓地に到着した。そこで彼女は影の監視者と出会い、その厳粛な目はすべての魂の糸を見ていることに気づいた。影の監視者は、最終戦争についてハナに語った。光と闇の勢力が茜の昇天の中心で集結すると、魔界の騒動は低い悲痛な叫び声となり、外界にも聞こえて来た。囁かれる秘密や語られざる物語が、屋敷を包む葛藤のつづれおりの糸となり、空気は緊張に包まれていった。そんな雰囲気の中で、南ハナ警部補は長年の人間の悪行を解きほぐす鋭い直感を用いて、計り知れない物語を読み解こうとしていた。ハナが屋敷の中を歩むたびに床板がきしみ、まるで屋敷自体が、闇と光の年代記を明かそうとする証人であるかのようだった。

この戦いでは通常の武器は通用しないことを理解していた南ハナは、超自然的な力のパターンを目の前で分析し、犯罪現場や容疑者のアリバイを読み解くのと同じ鋭さで捜査をしようとしていた。警部補であるハナの視線は影の監視者へと向けられた。屋敷の敷居に立つその存在は、堂々としておりながら謎めいてもいた。まるで歩哨のように立っているその姿は、古代から現世にその存在を解明させることから守る義務を果たしていた。警部補はこの存在に親近感を抱いた。彼らはともに守護者であり、それぞれの領域の秩序を保つ役割を担っていた。

次に、南ハナの視線は俊子婆さんの生霊に移った。超常現象の調査員達の友人であり、ガイドでもあるこの老婆は、今、ハナの指と自分の指を重ねていた。生者と死者の境界を超える静かなしぐさだった。この触れ合いを通じて、ハナは物理的な手がかりを読み取る能力と、普段見逃していた霊的な兆候を結びつける洞察力が自分の中に高まっていることを感じた。「導いてください」とハナは囁いた。彼女の声は、二人を取り囲む霊気の渦にもかかわらず、安定していた。俊子の生霊はうなずき、その幽玄な姿は内なる光で揺れ動き、屋敷の暗闇を切り裂いていた。二人は混沌の中を一緒に進み、欺瞞の中に隠された真実を見極めるために、感覚を合わせた。

俊子の指導のもと、南ハナは茜の闇の儀式の断片をつなぎ合わせ始めた。古代の遺物、天空のシンボル、難解な書物の配置など、パズルを形成するすべての要素を観察した。しかし、理解を深めようとしても、ハナの心はその中心にいる悲劇的な人物、茜に惹きつけられていた。彼女は茜をこの超自然的な危機の加害者でありながら、同時に制御不能な欲望と未癒の傷の被害者としても捉えていた。この視点こそがハナの才能の核であり、彼女を特異な警部補にしていた共感力だった。最も暗い心の中にも、救済への光を見出そうとしたのだ。

南ハナと俊子の精神が儀式の複雑な構造を解明しようとするにつれて、迫り来る闇との戦いは激しさを増していった。湊のカメラのフラッシュは散発的になり、光を放つたびに大きな努力が必要であるかのようだった。一方で、陽奈の詠唱はより情熱的になり、彼女の声は渦巻く嵐の中で他の仲間を結びつける綱となった。外では、片川村は静まり返り、住民達は自分たちの運命を決めかねる重大な闘争に気付いていなかった。夜明けの光が夜空の端を照らし始め、再生と希望の兆しが見え始めた。かつて隠された恐怖の場所だった屋敷は、今や新たな始まりの可能性を秘めた坩堝となっていた。その中心にいるのは、霊界警部補である南ハナだった。彼女のあらゆる推理と洞察が、救済と破滅の間にある力の均衡に重要な役割を果たしていた。

再び憑依の影に悩まされていた青木明は、魔術師アーニャが待つ南の島へ避難した。大地と海から授かった彼女の力によって、明の精神は浄化され、世界を飲み込む嵐の中で果たすべき役割に備えさせられた。黒い悪魔の鬼門の屋敷での戦いは、エネルギーの網を遥かにかき乱し、その影響は陸と海を越えて、南の島にまで及んでいた。古代の魔法が緑豊かな大地と深く骨に根ざした島でささやき続けていた。その中の一つで、アーニャは世界の震動を感じ取った。長年にわたり土地と調和し生活してきたアーニャは、古くからのやり方と自然の法則に深く根ざした力を持っていた。彼女の家は塩と土の香りに満ちた聖域で、精霊も人間も等しく安らぎを見出せる場所だった。しかし、最初の太陽光線が彼女の風化した肌に触れたとき、彼女は現世の聖域が脅威にさらされていることを感じ取った。彼女の目は、海のターコイズブルーと空の叡智を映し出していた。祭壇に置かれた古代のクリスタルを手にとると、彼女は展開する出来事の未来像を探求した。クリスタルはハミングし、光と影の調和を奏でた。

アーニャは、これまで何度も協力してきた超常現象の専門家、青木明がこの大混乱の中心にいることを知っていた。彼は超常現象に関する知識を追求し、数多くの道を辿ってきた。二人は友情と共通の目的によって結ばれ、運命が交錯していた。アーニャは緊張感を持ってこれから始まる旅に備えた。彼女は薬草、石、お守りを集め、それらを正確かつ慎重に用いた。宇宙の中で自分の居場所を知っているように優雅に動くと、元素そのものが彼女の意志に従うようだった。

本土への旅は、アーニャの呼びかけに従った風によって迅速に進んだ。太陽が空高く昇る中、彼女は本土に到着し、屋敷を覆っていた闇のヴェールを突き破ろうとする太陽の光と格闘した。彼女を待っていたのは、騒乱と魔法の香りが重く漂う、島の静けさとは対照的な光景だった。躊躇なく、アーニャは戦いに参加し、彼女の存在が苦境に立たされた仲間達に希望を与えた。青木明は、この魔術師の親しみやすく強力なオーラを感じ取り、うなずいて「アーニャ」と呼びかけた。

茜が召喚した混沌とした勢力とは対照的に、アーニャの魔法はバランスと修復を目指していた。彼女は乱れた力を支配するのではなく、調和を促進しようとしていた。大地の強さと海の回復力を借りた彼女の魔法は、一行の行動を強化し、努力を支えていた。魔術師は明確な目的を持って動き、流れるような動作で呪文を唱え、土地の精霊を呼び出した。屋敷の壁に這う蔓は不自然な速さで花を咲かせ、その花は暗がりに反して鮮やかに彩られた。蔓は不死の手下たちに絡みつき、優しく、しかし確固たる力で彼らの動きを制限した。

アーニャの存在は、影に潜む傷ついた魂に癒しをもたらし、彼女の声は彼らの痛みを和らげ、平和へ導くメロディーとなった。彼女の純粋で古風な魔法の光は、屋敷を覆う影を溶かし始め、権力と支配の場ではなく、交流と通路の場として屋敷の真の姿を明らかにした。詠唱と身振りを交えるたび、アーニャはヴェールを強化し、彼女の魔法は現実の織り成す布地を縫い合わせる黄金の糸となった。彼女の振るう南の魔術は古く、島と同じく時を超越しており、その効力は潮が岸から引くように闇を退け始めた。

戦いはまだ終わっていなかったが、アーニャの参加で局面は変わり始めた。一行は決意を新たにし、共に戦うことの力を実感し、気持ちを高めた。彼らは共に屋敷の敷居に立ち、ヴェールとそれが隔てる世界を守るために団結した。放送アナリストの夏美は、超自然現象に関する豊富な知識を駆使し、片瀬や、妖怪に憑依された多くの視聴者を解放するための悪魔払いを指揮した。これは彼らにとって救いであり、必要な措置であった。

彼女は原初の魔術のエッセンスと苦悩と復讐に満ちた霊の叫び声に囲まれながら、超常現象の研究者であり分析者としてその場に立っていた。夏美の頭の中はオカルトの迷宮のような図書館で、すべての書物や巻物は彼女の記憶に綿密にマッピングされていた。屋敷を取り巻く混沌は複雑なパズルであり、超自然的な言語で書かれた謎であった。彼女は分析的な視点でこの戦場を見渡し、この謎を解決することを誓った。知識は力であり、特にこのような戦いでは、状況を変える力に他ならない。

ストイックな表情の裏で、夏美の思考は点と点を結び、可能性と戦略の複雑な網を紡いでいた。グループの努力は勇敢であったが、茜が呼び起こした大嵐を真に鎮めるためには、混沌のエネルギーを均衡に導く鍵が必要だった。アーニャの魔術が屋敷の空気と地面の呪いを浄化し始めたとき、夏美の目は混沌の中に隠されたパターンを捉えた。魔法の衝突が生む轟音の中でも、彼女の声はかろうじて聞き取れる程度だった。

「それぞれの呪文には対抗策がある。それぞれには逆転策も存在する。茜の昇天は彼女自身の意志に縛られているが、その力の中心点を崩せば、儀式を内側から解体することが可能だ」と夏美は静かながらも強い意志を持って説明した。陽翔は千里眼から得る先見の明に目を輝かせ、彼女の考えになるほどとうなずいた。彼は夏美の策を残りの仲間に伝える準備をした。これは茜の儀式に対抗する呪文を織り込み、彼女の力を利用するというシンプルで大胆な戦略だった。湊はカメラが果たす重要な役割を認識し、夏美に同意の意を示した。彼はカメラの設定を調整し、茜の力の核心にレンズを合わせた。対抗呪文が効果を発揮する瞬間を捉え、勝敗を分ける決定的な場面を記録するために準備を整えた。

いつも懐疑的な態度を取る南ハナ警部補だが、今回は夏美の計画を実行するために必要な行動を鋭い頭脳で素早く把握し、積極的にその実行に加わった。取調室で見せる堂々とした態度と同様に、他のメンバーに明確な指示を与えていた。アーニャは行動と意図の共鳴を深く理解しており、夏美の呪文と調和するリズムで詠唱を始めた。彼女の声は潮の流れを司る月のように力強く、夜と昼の交替を彷彿とさせる舞のようだった。

千明は最前線に立ち、娘への安らぎの希望と恐怖で胸が高鳴りながら、繊細な作業に取り組んでいだ。彼女は光と闇の天秤を支える重要な役割を果たし、茜への愛が深淵に抗う錨となっていた。対抗呪文の効果を感じ始めた茜は、昇天しそうな影に身を震わせた。彼女の目は星々の間の空虚のように黒く、儀式の中で起きている変化に反応して大きく見開かれた。茜が丹念に集めてきたエネルギーが、予測不可能な流れの中で不安定になり始めていた。アーニャの言葉、湊のカメラのシャッター音、ハナの戦略的配置、そして陽翔と夏美のエーテルのような洞察力が結集し、茜の呪縛を解き始めた。屋敷はまるで安堵のため息をついているかのように、その重い雰囲気が和らいでいく様子が感じられた。

そして、夏美の知性と戦略の誓約により、一行は茜が織り上げた闇のつづれおりを解きほぐす糸を見つけた。戦いはまだ完全には終わっていないものの、様々な力の結集によって、夜明けの新しい光が徐々に姿を現し始めていた。ヴェールは茜の策略の重みで震え、その繊細な繊維は精霊の猛攻撃に対抗して緊張していた。不死の怨霊達が支配を求め暴れると、生ける世界は恐怖で痙攣した。かつては荒れ狂う空を背景にしたただのシルエットに過ぎなかった屋敷は、今や目に見えない戦いの震源地となっていた。運命に導かれ、迫り来る破滅を阻止しようという決意で結ばれた一行は、暗い太陽を周る星のように屋敷の周囲を巡っていた。

呪いのエネルギーが渦巻く中で、対抗呪文が複雑な舞を織り成すと、現世を隔てるヴェールが震えた。その存在が息を止めているかのようで、次の波紋がそれを修復するか、さらに引き裂くかを見守っているかのようだった。超常現象のスペシャリストである青木明は、ヴェールの崩壊の恐れを感じていた。彼の理論はしばしば本のページや管理された環境に限られていたが、今この、混沌の中心で、現実の坩堝の中で試されていた。両手を広げ、指を広げ、現世と冥土を隔てる障壁を思い描き、茜の魔術が作り出した亀裂を通過しようとする弱まりつつある障壁に圧力をかけていた。広幡は茜の祖父として、次元を超えた父娘のつながりを感じていた。それはヴェールを破壊しようとする茜の力と同じぐらい強い力で脈打つ絆だった。彼は茜に呼びかけ、世界間の広がりを越えて懇願し、まだ残っているかもしれない茜の人間性に届くことを願った。

最終戦争が迫る中、精霊、霊媒、透視能力者、探偵、セラピスト、魔術師達の同盟が結成されていた。彼らは均衡を取り戻すという緊急の必要性によって結ばれ、それぞれの能力が融合して茜が集めた大群の霊達に立ち向かう力となっていた。屋敷は運命の支点として立ちはだかり、その壁は現世を変える可能性、光と闇のバランスを変える可能性を秘めて響いていた。ヴェールの弱体化に備え、彼らは仲間となり、それぞれが迫り来る暗黒の中で希望のかけらを握りしめていた。

並行世界ではめったにお目にかかれないような仲間意識が、絶望の炎の中で育まれた。異なる人生を歩み、異なる重荷を背負いながらも、生存と現実の防衛という共通の糸で結ばれた、ありそうもない同盟だった。超常現象写真家である湊は、仲間達の中で新たな目的意識を見出した。かつて彼を苦しめた幻影が、レンズの焦点を通して捉えられるにつれ、遠い存在に思え始めた。彼の映像はもはや単なる記録ではなく、忘却の淵に立つ勇気の記録となった。

向こう側の囁きに耳を傾ける霊媒、陽奈は、彼らの大義に結集する霊魂達の声を代弁した。彼女は、かつて生き、互いに愛した無数の魂達がヴェールを強化するためにそのエッセンスを捧げているのを感じていた。彼女の心は導管となり、彼らの意志を結集し、それを生者と融合させ、闇の流れに立ち向かう砦を築いていた。千里眼の持ち主である佐藤陽翔は、目の前の混沌を超えて未来を見据えていた。彼のビジョンは、過去、現在、そして可能性のつづれおりであり、戦いの流れを洞察していた。彼はこの洞察力で仲間を導き、計算された一歩ごとに無数の可能性を導き出した。

セラピストの山崎リクは、壊れた心を癒す技術を持ちながら、今は壊れつつある世界を修復しようとしていた。彼女の対話と共感という通常の手段は、精神の揺るぎない強さに取って代わり、混沌の中に聖域を築いた。彼女の存在は、迷える魂を生者の岸へと導く灯台となっていた。

俊子婆さんは、その優しい知恵で仲間達の支えとなっていた。年齢を感じさせない激しい鼓動が彼女の中にあり、古代の祝福をささやき、その言葉のひとつひとつがヴェールを縫い合わせるように、何世代もの重みを持っていた。ありそうでない仲間達が団結すると、運命の収束によって空気が重くなった。かつて震えていたヴェールは、今や彼らの結集した力によって静かになっている。かつて生きた命と、家と家族を守るための熾烈な戦いを繰り広げた生者の魂が、そのエネルギーでうごめいた。彼らはそれぞれ、前途が苦難に満ちたものであること、暗闇が容赦ないものであることを知っていた。世界の戦いは血のように赤い月の下で始まった。陽奈とハルが前線を率いて、彼らの霊的な洞察力は茜の魔術が生み出した闇を突き抜けた。迫り来る暗黒に立ち向かい、彼らの強く純粋な意志のエネルギーが空気を浄化させた。

彼らが光の障壁を織りなす中、茜の笑い声が魂を分裂させるような音とともに夜に響き渡った。彼女は魔界の怪異達を召喚し、その姿は亡霊のように揺れ動いた。これは生きている防衛者たちの強固な決意と対照的であった。娘の堕落を長く恐れてきた上口千明は、今や毅然とした態度で立ち向かい、彼女自身の潜在的な力が影に灯り、生者を守る光を放った。山崎リクは、その治療的な洞察力で混乱に平静をもたらし、戦う人々の震える心を落ち着かせた。彼女のささやきは戦場を駆け巡り、各戦士の精神を強化し、怪異や怨霊の怒りの嵐の中で安息の場を提供した。

一方、南ハナ警部補は目に見えないものの鼓動に敏感に反応し、狩人のような集中力で茜の動きを追っていた。彼女の一歩一歩は慎重であり、片川村とその周辺を苦しめてきた呪いを終わらせるという静かな誓いであった。アーニャは島の魔法で自然の力を呼び起こし、地面から蔓を噴出させ、不死の手下を包み込み、彼らによって汚された大地を取り戻した。海は彼女の呼びかけに応え、波が現実の岸に打ち寄せ、茜の闇の儀式の基盤を弱めた。超常現象の専門家である青木明と保水尚美は、膨大な知識を駆使して魔術師の集中を妨げ、茜が支配し操作しようとする魔術の布地を縫うように呪文を唱えた。数々の謎を解き明かしてきた夏美は、今度はエーテルのパターンに注目し、茜の動きを予測し、超常現象研究の達人ならでわの戦略で対抗をした。

喧騒の上に立つ影の監視者は、恐ろしさと畏敬の念を同時に引き起こした。均衡の管理者である彼らは、湊とアガレスとのありえない休戦協定を結ばせて、二人に力を与えた。二人は監視者のエネルギーを結集し、団結するたびにヴェールのほころびを修復し、死後の世界からの逃亡者の流れを食い止めた。かつて破られた領域の混沌を楽しんでいた不死のダイモン神アガレスは、今や贖罪の怒りに燃えていた。彼はエーテルの刃を振るうたびに、茜の不死の亡霊に対し、生者の領域とのつながりを断ち切り、彼らを虚空の静寂へと追放した。

湊はカメラを手にし、戦いの本質をフィルムではなく、生き生きとしたスピリチュアルなエネルギーで捉えた。彼の装置は、その場にいるすべての魂の決意を伝える導管となり、影のヴェールを貫く希望の光と化した。俊子婆さんの魂は慰めと導きを提供し、その声は迷える魂を光へと誘う風のささやきとなり、その幽玄な触感は闇に対する癒しとなった。最後の対決が近づくにつれて、茜は邪悪な力を解き放ち、その姿はエルドリッチの炎に包まれた。その時、千明が前に出た。母親としての愛情が、茜の憎悪に対抗する強力な盾となった。母と娘は、血肉を超えた戦いに身を投じていた。最後の叫びと共に、同盟は闇の流れに立ち向かった。彼らの意志、愛、勇気の力が合わさり、茜の力の核心に打撃を与え、不死の存在の支配を打ち砕き、奈落との繋がりを断ち切った。沈黙が訪れたが、戦いはまだ終わっていなかった。

夕暮れが重苦しい夜の外套に包まれると、屋敷の周囲の空気が妖しく脈打ち、その鼓動は目に見えない戦争のリズムを響かせているように見えた。普段は天空の光を振りまいている星々が、今は静かな歩哨のように、眼下で繰り広げられるドラマを見守っているようであった。仲間達は、自分たちの探求の重大さを理解し、輪になって立ち、途切れることのない連帯の鎖で手をつないでいた。彼らの足元には領域間の戦いの残骸が散乱し、ヴェールの裂け目から放出された生のエネルギーが振動していた。

片川村の謎を解き明かしてきた警部補、南ハナは、これまでにない不可解なパズルを解き明かそうとしていた。彼女は茜の次の一手を予測し続けていた。南の島の魔術師アーニャは、彼女の家系に伝わる古代の魔術を呼び起こした。彼女の詠唱は叙情的なイントネーションで宙を舞い、俊子の祝福と絡み合って守護のシンフォニーを奏でた。銀と金の糸のような二人の力が合わさり、ヴェールの裂け目を修復し続けた。

放送アナリストである夏美は、超常現象の分析に費やした年月の集大成であるノートを握りしめていた。かつて机上の空論に過ぎなかった彼女の仕事も、今では防衛に欠かせない要素となっていた。彼女は、戦いの叫び声や侵略者の怒りに満ちた遠吠えのような不協和音の中で、パターンや弱点を伝え、その声が安定した道標となり続けていた。青木明と防井直美は、それぞれが専門分野のスペシャリストでしたが、今はその知識の限界を試される戦いの戦士となっていた。彼らは専門知識を行動に移し、正確な動きと鋭い呪文で、弱体化したヴェールを突破しようとする邪悪な存在に立ち向かっていた。

彼らの頭上では、影の監視者が静かに謎めいた様子で闘争を見守っていた。夜空にかろうじて見えるその姿は、領域間の均衡を現していた。監視者は均衡の裁定者であり、その存在はすべての存在を脅かす断絶の重要性を示していた。この大嵐の目の中で、善と悪の激しいぶつかり合いが宇宙の力と共鳴していた。仲間達は思いがけない味方を見つけた。不死のダイモン神アガレスは、湊とのありそうもない友情に救いをみいだし、かつての従者たちに立ち向かった。かつて悪意の武器として用いられた彼の闇の術の知識は、今や救済のための盾として振るわれていた。それぞれの糸は人生を象徴し、それぞれの色は物語をあらわにし、それぞれの模様は運命を示していた。この戦いは、存在の本質を巡る聖戦であり、二つの現実が衝突し、ヴェールがその重みで震える領域で繰り広げられていた。

夜明けの最初の光が地平線に差し込むと、血のように赤かった月が消え、夜の恐怖の名残を浄化するかのように穏やかな太陽が顔を出しました。ヴェールは修復され、バランスが回復した。茜は、自分を捻じ曲げた堕落から解放され、母の腕に抱かれながら横たわっていた。監視者はその役目を果たし、静かな警戒に退いた。洋子と惠子の魂は安らぎを見つけ、この世との絆は慈愛と敬意によって断ち切られた。霊媒師、透視能力者、セラピスト、探偵、魔術師といった生者の領域の戦士達は、新たな眼差しで互いを見つめ合った。彼らは死者や神々と肩を並べ、その団結によって勝利を収めたのだった。

湊のカメラは、今は静かに沈黙していた。夜が深まり、計り知れない暗闇が屋敷の中を支配していた。しかし、団結した仲間達から発せられる希望の光がその暗闇を照らしていた。絶望と魔力の不協和音が響く霊界と現世の大戦が、夜明けが近づくにつれて頂点に達し、終わりと新たな始まりの予兆となった。

朝の光はまだ見えないものの、その近づいている到来は、深淵に立ち向かう勇敢な魂たちに約束のように語りかけられていた。異なる道から集まった仲間達は、今やヴェールを取り戻すという共通の目的によって結ばれ、一丸となっていた。千里眼の持ち主である晴翔は、潮目が変わるのを察知した。周囲のエネルギーが結集し始め、屋敷がビーコンのように輝きを放った。夜明けが近づくにつれ、すべての闇がやがて光に溶け込むことを彼は感じ取った。

陽奈は、安らかな精霊達に囲まれながら、やがて訪れる太陽の暖かさを待っていた。彼女の声は慰めとなり、迷える魂達を夜明けの輝きへと導いた。一方、湊は疲れ切った手で重くなったカメラを握り、夜空に現れる最初のかすかな光を捉えた。彼のカメラが撮った一コマ一コマは、彼らの戦いの証であり、彼らが闘ったすべての現世のための感動的なオマージュだった。屋敷の中心で、俊子婆さんの歌声は、古代の力を呼び起こす聖歌として高まった。彼女の言葉は束縛の呪文となり、光の糸と絡み合い、争いの中心へと導いた。

セラピストの山崎リクは、恐怖と苦痛に満ちた精神的な風景の中で、強力な集団的な希望の波動を感じた。彼女の安定した存在が仲間達の防波堤となり、新しい日が再生を約束する中で、彼女は癒しの機会を受け入れた。夜通し沈黙を守っていた影の監視者が動き始めた。星々を背景に陰のような姿をしていたが、最初の光を浴びて、潮の変化を映し出す鏡のように変わった。これはヴェールが目撃者や挑戦者にも負けず、影に屈しないという前兆だった。水平線に太陽の上昇がほのめかされると、茜の邪悪な力は揺らぎ始めた。彼女を覆っていた闇は、生まれつつある夜明けに抵抗し、影が後退するにつれて彼女の支配力は弱まった。夜明けの光に引き寄せられた彼女の指揮下の迷える魂達は、朝が近づくにつれて霧のように消散した。

青木明、防井直美、そして魔術師アーニャは、それぞれの知識と力を結集した。日の光が差し込むと、彼らの防御力は強化された。かつて防御的であった彼らの呪文は、今では反撃の主張的な色合いを帯び、薄れゆく闇を押し返した。すると、夜明けの瞬間を利用した戦略の出現により、彼らは新しい見方を発見した。朝日に照らされた空にシルエットを刻む仲間達は、来るべき新しい日の前衛として堂々と立っていた。

彼らは夜明けのヴェールを先導し、この世と冥土の間のもろい境界を守る使命を担っていたのだ。地平線を突き刺す朝日が見えたとき、彼らの影が背後にそびえ立ち、それは暗闇の前兆ではなく、不屈の存在、忘れ去られる運命に立ち向かう不滅の光の証としてそこに残った。

東京都警視庁行方不明者捜査本部

行方不明者捜索 宣誓供述書・検証書

報告書の日付:2023年3月23日                          

状況の説明 :東京都警視庁行方不者捜査本部は、2023年3月8日午後3時頃、失踪した超常現象写真家、島貫湊の捜索を正式に開始した。島貫湊は以前から説明のつかない超常現象に遭遇しており、2023年1月19日に水神大橋から転落して入院していた。 2023年3月8日には精神科の病院を訪れ、セラピーを受けたと主張していたが、以前行ったセラピーに関する記録はまったく残ってはいなかった。島貫湊は、2023年1月16日、超常現象の調査するため、山中の小さな村、片川村に出かけていた。彼は説明のつかない超常現象の被害を受けて、2023年1月16日の未明に帰宅した。島貫湊の精神状態は低下しており、現実と幻覚の区別がつかなくなっていた可能性がある。

警察の取り調べで、超常現象調査員の一人である通称透視能力者の佐藤陽翔は、他の調査員一人と島貫ともに依頼者の山荘の山小屋を訪れ、依頼者が異次元を移動する強い悪霊に取り憑かれていることを確認したと報告している。そして、その悪霊を追いかけたが、途中で他の調査員と離れ離れになり、後に別の次元で再会して悪霊を退治したと説明している。物理現象霊媒師と名乗る別の超常現象調査員の野添陽奈は行方不明の調査員、島貫湊とともに依頼人を救うために時間空間を移動し、佐藤陽翔と彼の結成した新しいチームの青木明、防井直美と合流したと報告している。悪霊と戦っている間に、島貫湊は誤って別の次元に飛ばされてしまったが佐藤と野添は失踪後も彼からの録音テープを受け取り続けたと説明した。野添陽奈は島貫湊がまだ生きていると信じるようになったと信じている。                       
島貫湊と面談した精神科医の管理者は彼は精神的なバランスが低下しており、現実と幻覚の区別がつかなくなっている可能性があると指摘した。警視庁失踪者調査課は、超常現象写真家の島貫湊の失踪は、彼が体験した超常現象と精神状態の悪化が関係している可能性が高いと判断した。自殺の可能性も含め、身体の安全が脅かされている可能性があると考えられる。捜査は引き続き行われており、行方不明の島貫湊の居場所について情報をお持ちの方は、直ちに警視庁にご連絡下さいますようお願いしている。

東京都警察庁 行方不明者捜索報告書1298Aから抜粋

件名 :島貫湊 (江戸川区葛西、佐藤陽翔宅から発見された添付録音テープ1)

2024年9月20日午後4時江戸川区葛西

陽菜とハルは、人里離れた森の村で起きた不可解な出来事の真相を追求するため、果敢な再調査を行っていた。二人はコーヒーを飲みながら、島貫から送られてきた1本目のテープに熱心に耳を傾けていた。 島貫の声が聞こえてきた。

村人達は廊下橋を「帰らずの橋」と呼んでいた。それに纏わる不吉な伝え話しが繰り返し語られ続いていた。星のない夕闇が迫ると、森の奥にある古い風化した、帰らずの橋には赤々とした霧に包まれた物の怪が渡るという迷信がこの小さな村では子供から大人までに広く信じられていた。繰り返し発生する念力現象が起こる苦が充満する穢土に暮らす村人達は橋の向こう側に何が潜んでいるかは詮索せず、日が暮れてからは橋を渡らないようにと、互いに注意を促して暮らしていた。

不思議なことに誰一人その真相を探ろうとはしなかった。僕が霧のかかった川に隠された秘密を解明しようと決心した頃だったか、微かなうめき声と、暗く濁った水面を突き破って空中に飛び出す怪物が目撃されたという村人の証言が見受けられるようになった。山仕事からの帰りが遅くなった山師の野辺さんという男性が蒼白い肌と白い眼球をもった化け物と遭遇したという話だ。

本人は「びっくりしたよ、そいつの体はドロドロに溶けていた。そいつは夜空に向かって獣のように叫んでいた」と彼は言う。その化け物は陸に這い上がり、帰らずの橋を渡って向こう岸にさまよっていったとされていた。秘密めいた村人達は、「この川に近づく者は、永遠の孤独と絶望を味わうことになる」と掟の警告を発していた。彼らは怯えながらも事実を突き止めていたようにも僕には思えた。

この橋の探索が進むと一歩一歩、未知の心霊界に近づいた緊張感が漂い、胸が高鳴った。果たして、僕が求めていた答えは見つかるのだろうか?あるいは帰らざる橋の呪いにかけられてしまうのかと僕は一人で悩んだよ、佐藤君。真実を知るには、詰まるところ橋を渡ってみるしかないのだ。果たして僕は無事に恐ろしい夜を越えられるのだろうか?それとも村の伝説の一つになってしまうのか?この村で起こった奇怪な出来事の調査を続けていくと、ゾッとするような怪談話が次々と浮かび上がってきた。

例えばある朝、村のあちこちから、この世の物とは思えない歌声が響いて、村人達は目を覚ましたという。最初は微かな物音だったのだが、次第にそれは大きくなり言霊のような力を持った。村は不安と恐怖に支配された。ところが誰もその原因を突き止めることができず、その歌声の意味さえ理解することができなかった。日が経つにつれて悪い出来事が起こり始めた。村の人々が跡形もなく消え始めた。不吉な詠唱は行方不明者の失踪と何か繋がりがあるかように村人達の間では噂された。

その歌声を聞いた者は、自分達も前触れもなく姿を消す運命にあることを確信して恐れ慄いた。村人は恐怖と混乱の中で、呪詞「屠殺場の乙女の呪い」を囁き始めた。その昔、村人は屠殺場で働く娘達を忌み嫌い、憎み、迫害していた。その嫌がらせが始まったのは彼らが沖縄から移民したウタだと知ってからだった。村人達は彼女らを告発し、人身御供として水神様に差し出すために、不当な裁判を行い、有罪判決を下したという伝え話だった。彼女達は暴力の犠牲となり、もはや人とは思えない扱いをされた。僕は、この裁判の背景に、象徴的な強い含みを感じたのさ、野添さん。もはや人とは思えないほどの極端な暴力行為が、今も続く呪縛と関係しているように思えたのだよ。

この村の山や木などの自然には人知を超えた精霊や魔物がいると信じられていた。村の歴史によると、明治の初め頃、この地に鉄道を敷設する計画があり、殺された屠殺場の乙女達の墓を移動させた作業員が、墓を掘り起こすと発狂し、怒りのあまり奇怪な行動を取ったという歴史もこの村にはあった。謎が深まっていくうちに、この村が過去に根ざした暗く古い呪いに悩まされ、土地の霊や死者と繋がっていることが分かってきた。この祟りが村人全てを蝕む前に、この真相を突き止め、呪詛を止めなければならないと僕は思った。何故ならそれは全て悪魔アガレスが関与している企てだと僕は思ったからだ。君らなら僕の言うことが分かると思うよ。なぜなら僕は昔の記録写真に上口茜の姿を見つけてしまったからだよ。

東京都警察庁 行方不明者捜索報告書1298Aから抜。

件名 :島貫湊 (江戸川区葛西、佐藤陽翔宅から発見された添付録音テープ2)

2024年9月20日午後5時江戸川区葛西にて

野添陽奈とハルは引き続き2本目のテープを聞いていた。

島貫が念写して送ってきたこのテープは彼と陽奈が行った悪魔アガレスの調査をした次元とは分岐した別の並行世界からの物だった。

片川村は元来から多くの霊的な問題を抱えていたのだよ。この次元では村中に響き渡った人間離れした狂気の歌声は茜のものだと明確になっていた。誰も広幡の孫娘を訴えることができなかったからだね、陽奈さん。なおかつこの次元では茜は既に冥府に村人を誘う歌を悪魔アガレスから薫陶されていた。これはアガレスが幼い茜を時の流れのループから攫ったときに始まったことだった。村人達の消滅していく霊的エネルギーを鬼箱に集めたアガレスは複数の並行世界に存在を拡散していた。死んだ佐藤陽翔君のドッペルヘンガーはこのとき既にアガレスよって呱々ここの声をあげていた。故に佐藤君が見た予知夢の鏡には彼の姿が映らなかったのだよ。

彼の永遠の意識への依存症はこの時には既に死期を加速させ、結局茜の歌によって魂を誘われ、広幡家の交霊会に参加して命を失ってしまった。僕の調べた記録によるとこの現象は昔の祟りによるものであると推測されていた。根源的な村人の恐怖となった屠殺場の乙女の呪いから由来する娘達が耐え果てる前に村人に放ったウタの呪詛の歌と信じられている。 この奇妙な歌音を発していたのは村の屠殺場で働いていた娘達で、村人達と激しい言葉のやりとりをした後、体調を崩した複数の村人の喉と首は腫れ始め、十八日間も何も食べることができなかったとこの次元の記録には書かれていた。茜が老婆の千明が近くに来ると発作を起こしたということから推測すると悪魔アガレスは上口千明のドッペルヘンガーを作り出して屠殺場の乙女の呪いの時代に彼女を連れていき屠殺場の娘達に呪いの歌を教えさせていたと思われる。

ドッペルヘンガーのハルはテープを聴きながら森に暮らしていた老婆の千明は悪魔アガレスに連れ去られた上口千明、茜の母親のドッペルヘンガーだと推測していた。

この次元での広幡家でのこの民事裁判という見世物は多くの物見高い観衆を集めた。その裁判では茜の症状が超自然的なものかどうか、双方の立場で証言する医学専門家の証言が最も重要な証拠となる為に村の医者が出席した。だがこれは悪魔が茜を使って多くの村人達を集める計画の一つだった。

呪いの証明や反証のために、調査は決まった手順を体系的に行う必要があった。この手順はアガレスが過去に旅した時に見た魔女裁判と同じものだった。アガレス自身がこの裁判を演出していたのは明らかだったよ。最初の検査は、茜の叔父で村長であり元巡査の広幡清の家で行われた。茜と老婆の千明は、茜の健康への影響を調べるために対面させられることになった。時期は、茜が通常の酷い発作から回復した数時間後で、比較的症状の緩やかな時を選んで、慎重に行われた。茜は、この時ばかりは異常なまでに興奮していたよ。

僕は悪魔アガレスは果たして茜の記憶を持っていたかどうかが知りたかったがすぐに二度目、三度目の対面が繰り返された。二人に別々に真実を語るように警告した後、より精巧な形で、同じような実験が行なわれた。このとき既にアガレスに操られていた広幡は、老婆の千明に体格が似ている女性を選び、老婆がいつも着ている着物に着替えさせ、手順通り顔を隠すようにさせた。この女性は、茜が老婆に会うたびに症状を偽っていた可能性を排除するための対照となる実験だった。

しかし茜はもう一人の偽の女性には反応せず、布団に身を投げ出し、老婆の千明が部屋に連れてこられると、鼻の穴から声を出すようになった。この時点で、記録係はさらに彼女の適合性の真偽を確かめようとした。茜に熱した引っ掻き棒で触ったり、燃えている紙を手に持たせたりしたが、茜は動じなかった。次に、記録係は老婆の千明の手を熱した釘で焼いた。老婆は痛みで泣き叫び、その反応から彼女が村人を連れ去っていた事が確信された。次に、記録係は老婆の千明に正座をさせて村の寺の仏壇の前で祈りを唱えさせたが、千明は 「私たちを悪霊から救い出してください 」という言葉を祈りからはぶいた為に彼女の立場はさらに悪くなった。

千明はこの言葉を発音するように圧力をかけられ、茜の無感覚な体は、千明がこの祈りのこの部分を祈るたびにピクピクと動き「その女を橋から吊るせ」と言い微笑んだ。その後老婆の千明は牢屋に入れられた。悪魔アガレスは茜の言葉を通して村人の先祖の食人儀礼の歴史を皆に語った。アガレスはこの行為を喜びと殉教の源としての栄養、そして儀式化、さらに食べるという行為から染み出る聖体神秘主義に重点を置き、食べ物を真の精神の糧に変えて昔の村人達を洗脳した。その人肉を喜び食したのが悪魔アギレスだった。

2024年9月20日午後5時

東京都江戸川区葛西にある陽奈とハルの拠点で、彼らは湊が複製として送ってきた三本目のテープを再生し、その音声に熱心に耳を傾けていた。この録音テープには、彼らが以前、冷酷なフェンスキーと戦った次元とは全く異なる異世界からの思考回路が記録されていた。その内容は、彼らがこれまでに体験したことのない不思議な世界の知識と情報を含んでおり、陽奈とハルはその音声から伝わる情報を解読しようと、集中していた。

この重要な録音テープの内容は、彼らが追い求めている謎を解く鍵になるかもしれないと彼らは感じていた。彼らは、このテープが持つ情報を完全に理解するために、注意深く分析を進めていた。この一つのテープが、彼らの調査を大きく前進させる可能性を秘めていることを、彼らは確信していたのだ。

片川村は、その設立当初から、数々の超自然的な騒動に悩まされてきた歴史を持っている。この特殊な次元では、村中に響き渡る不穏な異世界の歌声が、次第に茜の仕業であることが明らかになってきた。その歌声は、村人たちにとって恐怖の源となり、不安と緊張を高めていた。

この並行世界において、村の有力者である広幡の孫娘である茜は、非常に大きな影響力を持っており、彼女を非難する勇気のある者はこの村には一人もいなかった。茜の存在は、村人たちにとって禁忌とも言える存在であり、彼女の行動には誰もが畏怖の念を抱いていた。

この異世界の茜に関する恐ろしい噂は、村中に広がり、その影響力は村人たちの生活に深く根を下ろしていた。彼女の存在は、村の平和と安定を脅かすものとして見なされており、しかし、彼女に逆らうことは誰にとってもあまりにも危険であった。この異世界の片川村は、茜という強力な存在によって支配され、その影響は村のすみずみにまで及んでいたのだ。

この特定の時間軸では、茜はアガレスから特殊な指導を受けており、その結果、村人たちを冥界に誘う死の歌を口ずさむようになっていた。この指導は、アガレスが時間のループから幼い茜を誘拐した時から始まっていたのだ。この謎多きカルト教団を率いる中年の茜と、広幡の孫娘であり、アガレスの弟子でもある十四歳の茜は、二つの並行世界で同時に存在していた。時間空間的な観点から見れば、一人は過去に、もう一人は未来に存在していることになる。

不死の怪異であり、並行世界を自由に旅することができるアガレスは、消えゆく村人たちの霊的エネルギーをダイモンの箱に集め、複数の並行宇宙に分散させることで、その力を拡大していた。同時に、この時期に、今は亡き佐藤陽翔のドッペルゲンガーであるハルが、モーツァルトの魂を宿し、この世に実体化した。陽翔の予知夢に彼の姿が映らなかったのは、この時点ですでにドッペルゲンガーのハルが存在していたからである。

しかし、アガレスの策略の背後に隠された真意は依然として不可解なままであり、この複雑な状況のさらなる解明が求められていた。アガレスの計画とその最終目的、そして彼がいかにしてこれらの並行宇宙を操っているのかについての謎は、解き明かされるべき重要な鍵であった。この複雑で神秘的な物語は、さらなる探求と理解を必要としていたのである。

この時、佐藤陽翔は自分の永遠の意識への飽くなき欲望が、実は自らの死期を早めていることを知らなかった。広幡家の屋敷で行われた不吉な召喚の際、茜が奏でる妖しい曲調によって、彼の魂は奪われてしまったのだ。調査記録によれば、この不気味な現象は古代の祟りに由来すると推測されている。この並行世界においても、「南の呪い歌」と呼ばれる恐ろしい現象は、村の屠殺場で働く神秘的な乙女たちによって村人に解き放たれ、根深い恐怖を育んでいたと信じられていた。

この特定の時間軸で発見された記録には、多数の不気味な光景が描かれており、それらは背筋が凍るような詠唱を発する乙女たちの姿を示していた。これらの乙女たちは、村人たちとの間で激しい争いに巻き込まれていた。その諍いの結果、何人かの村人たちの喉と首がグロテスクに腫れ上がり、食べ物を摂取することができない状態で十八日間を過ごしたという衝撃的な記録が残されていた。

この記録は、当時の村人たちが経験した苦痛と恐怖を生々しく伝えており、今日においてもその影響が色濃く残っていることを示していた。佐藤陽翔の運命とこの古い呪いの関連性は、さらなる深い探究を必要としており、その答えを見つけるための調査は続けられる必要があった。

重要な点は、別の並行世界で年長の千明が近づくと、茜が恐ろしい発作に見舞われたという事実である。これはアガレスが千明を屠殺場の巫女たちの呪われた時代に時間移動させ、屠殺に従事する乙女たちに悪霊の詠唱を教えさせるよう命じたことを示唆している。アガレスのこの策略は、かつて村の暗い過去に起こった呪いの詠唱事件の悲惨な物語を再現することを目的としていたのだ。

この計画により、アガレスは村の歴史における暗黒の章をもう一度体験させることに成功し、村の古い傷をえぐり出すことになった。彼の意図は、過去の出来事を利用して恐怖を植え付け、村人たちに深い精神的影響を与えることにあった。このようにしてアガレスは、乙女たちと千明を利用し、自らの恐るべき目的を達成しようとしたのである。

この事実の発覚は、並行世界で起こった出来事が、現実世界にどのような影響を及ぼすかを示唆しており、この複雑な状況を理解し解決するためには、さらなる調査と分析が必要であった。アガレスのこのような行動は、彼の危険性と悪意をさらに強調するものであり、彼の真の目的を探る鍵となり得る重要な情報であった。

湊の録音テープを注意深く聴いていたドッペルゲンガーのハルは、一つの重要な推理にたどり着いていた。森に暮らす老女である千明が、実は茜の母であり、上口千明と同一人物であるという仮説を立てていたのだ。彼は、アガレスが何らかの手段を用いて千明を連れ去り、死の予兆を示す別のドッペルゲンガーと入れ替え、この次元では茜の母親として存在させている可能性が高いと推測していた。この推測は、アガレスが行った複雑な時間的操作と次元間の移動の一環として考えられていた。アガレスは、自らの計画を実行するために、千明という重要な人物をこの世界の中で重要な役割を持たせ、彼の目的を達成するために利用しているのではないかとハルは考えていた。

このようにして、ドッペルゲンガーのハルは、アガレスの策略の一部を解き明かすことに近づいていた。彼のこの発見は、アガレスの計画の全貌を理解し、それに対抗するための重要な手がかりとなり得るものであった。ハルの推理により、この複雑な事態の中で起こっている出来事の背後にある真実に一歩近づくことができたのである。

この時間軸において、広幡家で開かれた民事裁判は、まるで大勢の聴衆を魅了する娯楽のようになっていた。村の医師の証言は特に重要視され、茜の苦悩が超自然的なものであるかどうかを見極めることが、裁判における両当事者にとって極めて重要な焦点となっていた。しかし、実際にはこの裁判は、村人たちには知られていないが、茜を操り、村人を扇動するアガレスの邪悪な計画の不可欠な要素だったのである。

民事裁判は、呪いの存在を認めるか否定するかについて、厳格な一連の手順に沿って系統的に行われた。この方法論は、アガレスが百年前の時の航海で目にした魔女裁判に非常に酷似していた。事件が進行するにつれ、アガレスがこの裁判を自分の悪意で画策し、それを通じて自らの目的を達成しようとしていることが次第に明らかになってきた。

この民事裁判の背後に潜むアガレスの真の意図は、彼の邪悪な計画の一部として、村人たちをその思惑の中に巻き込むことにあった。この裁判を通じて、アガレスは村人たちの心理を操作し、自分の影響力を拡大しようとしていたのである。彼の計画を完全に理解し、それに対抗するためには、裁判の背後に隠された真実を解き明かすことが不可欠であった。

最初の検査は、村の中心的な人物であり、かつて警察官を兼任していた茜の祖父、広幡清の屋敷で慎重に行われた。この検査は、茜と彼女の老いた母、千明を意図的に対面させることで、茜の健康状態にどのような影響があるかを計る目的で行われた。この重要なタイモンは、茜が痙攣発作から抜け出してわずか数時間後、彼女の症状が一時的に和らぎ、普段とは異なる落ち着きを見せている時間帯に綿密に選ばれた。

この検査の実施は、超自然的な力が茜の健康にどのような影響を及ぼしているかを明らかにするための重要なステップであり、それが広幡家の屋敷で行われることには特別な意味があった。広幡家は村における権力と影響力を持つ家系であり、この家で行われる検査は、村全体の注目を集めることになっていた。検査の結果は、茜の健康状態だけでなく、彼女とその家族、そして村にとっても重大な意味を持つものであった。この検査を通じて、茜と千明の関係、さらには広幡家の秘密が一部明らかになる可能性があったのだ。

彼女の反応の信憑性を確かめるため、記録係は二回目と三回目の面談でさらに検査を行った。茜と千明には別々に真実を聞くよう注意して進められた。さらにより複雑な方法で同等の実験が行われた。だが誰も気づかないうちに、広幡はこの時すでにアガレスの悪意ある影響下にあり、アガレスの指示通り老いた千明に酷似した女性を選び、その女性に千明が着ていた着物を着せた。千明と会うたびに茜が自分の症状をでっち上げた可能性を排除するためだったが、茜は囮の千明には無反応だったが、本物の千明が部屋に入った途端、布団の上に身を投げ出し、鼻の穴から血を吐くような悲鳴を茜は上げ始めた。

記録係は一連の追加検査を進めた。茜を灼熱のひっかき棒で突き、燃える紙片を彼女の手に握らせたが、彼女はまったく動かなかった。続いて、千明の手のひらを真っ赤に燃える引っ掻き棒で焼いた。彼女が苦悶の叫びを上げると、その反応から記録係は彼女が村人を呪いで罠にはめたのだと確信した。最後の検査では、村の寺の祭壇の前でひざまずかせ、祈りを唱えさせられた。千明の不快感は、祈りの言葉から「悪霊から私たちを救い出してください」という言葉を意図的に省いたことで強まった。精神的な圧力に押しつぶされそうになりながら、彼女はついにその言葉を口にした。不穏な笑みを浮かべながら、茜は「あの女を橋から吊るせ」と繰り返し要求した。

年老いた千明はその後、広幡の家の地下室に幽閉された。記録係に扮していたアガレスは、茜の狼狽した発話を通して、村人たちが先祖代々から受け継いできた食人儀礼の歴史を伝えた。アガレスはこの陰惨な行為を倒錯した殉教の祝典に変え、そこから得られる滋養と儀式化、そして人肉を食べる行為に内在する聖体神秘主義を強調した。そうすることで、彼は村人たちを洗脳し、この不気味な死霊術の実践こそが究極の精神的糧であると信じ込ませた。アガレス自身、人肉を食べることに喜びを感じていたことが明らかになった。この並行世界の時間軸には僕と陽奈の姿は見当たらなかった。だから僕は一人でこの民事裁判を見届けたことになる。別の並行宇宙の未来では帰らずの橋の戦いで、不死の人肉を喰う広幡と戦うことになるが、この魔物はこの世界で生まれたものだと僕は推測している


並行世界の時間軸の死した島貫湊はエドガー・デュマとして繰り返される輪廻転生に辿り着いていた。しかし、彼の意識と記憶は消え去ってしまっていた。その日の深夜、アメリカ・カリフォルニア州のロサンゼルス市にある映画の聖地、ハリウッドの都心は静寂に包まれていた。街灯のぼんやりとした光の下、時折通り過ぎる人影を除いて、通りはほぼ無人であった。エドガーは暗室で心霊写真を現像している最中に遭遇した恐怖から逃れるため、高層マンションから逃げ出していた。彼が街を歩きながら感じる冷たい夜風は、遠くの交通のざわめきと混じり合い、周囲の哀愁一層深めていた。夜の空気は言葉にできないほどの寂寥感を醸し出し、エドガーの心をさらに重くしていた。

「ハリウッドの真夜中に覆われたヴェールの中で、不運な最後を遂げた往年のスターたちがかつて住んでいたこの街には、逃れられない影が漂っているのだ。私はその中で立ち尽くし、陰鬱な街は私の動揺を鏡のように映し出す為、脳裏には暗室から私を追いやった忌まわしい霊障の幻影が満ちていた。歩を進めるにつれ、落ち着きのない魂たちの遠くのこだまが聞こえ、平穏が如何に捉えどころのないものであるかを絶えず思い知らされてしまう。闇は陰謀を企て、私の魂を包み込もうとしているのだ。まるで生者と死者の境界線が曖昧な世界の囚人となり、私が撮影した心霊写真に取り憑いた幽霊のように、私の存在そのものにも幻影が取り憑き始めているようで、この恐怖からどう逃れられるかを私は思いあぐねる。」

エドガー・デュマは、緑色のモッズコートとロマンスグレーの髪を持ち、スラリとした長身の姿であれば、通常はタクシーを拾うのに苦労はなかった。しかし今夜はハリウッド貯水池に向かうタクシーを見つけるのに、いつもより遥かに時間がかかった。彼が閑散とした幹線道路に足を踏み入れると、この世の全てが溶けて霧の中に消えていくような感覚に襲われた。一歩ごとに、エドガーは未知の世界に引き込まれ、現実から遠ざかっていくのを感じていた。先日、1927年に開業をしたハリウッド大通り7000番地にあるハリウッド・ルーズベルト・ホテルで行われた交霊会の悪霊が彼にまだ取り憑いているのではないかという恐怖を拭い去ることができなかった。この12階建てのホテルは多くの怪談話で知られ、特にマリリン・モンローの幽霊が鏡に映ることで有名な場所であった。

やがて幽玄な別世界への扉が目の前に現れた。暗闇と静寂に包まれながら、その扉はゆっくりと開かれた。暗闇に潜む影は、フランクリン精神病院の患者たちが語る悪夢を彷彿とさせるような、深く漆黒の怪物が群がっているように見えた。「どうして振り払えないのだろう?」エドガーは独り言のようにつぶやいた。「これほど邪悪なものが、どうしてこれほどまでに強烈に私を悩ますのか?」 彼は身震いし、内側から襲ってくる寒気を払うかのように腕をこすった。「逃げ出すどころか、見たものを理解することすらできない。エドガーはかつて、霊的に高められた者は夢の中で黄泉の国までの幽霊の通り道を通り抜け、死者の幽霊に遭遇し、そこでかなりの時間を過ごすことができると聞いたことがあった。生者の世界の水銀灯が死者の領域に青緑色の光を投げかけると、エドガーの視界には霊魂が移動の波紋を作り出した。まるで魂が幽霊の通り道を通ってこの世から永遠の領域へと静かに移行したかのようだ。この光は周囲の空間を歪め、現実と幻想の境界線を曖昧にした。

エドガーが周囲を見回したとき、現実とはかけ離れた幻想的な風景が広がっていた。その奇妙で妖しい雰囲気は、まるで並行世界に足を踏み入れたかのようだった。魂の本質、死後の世界、超常現象について理解を深めようとする彼の探求心は、古代の超常現象の知識に対する好奇心に駆り立てられていた。彼は、古代文明が現実世界と共存していると信じられている異次元の宇宙について著作を読んでいた。宗教の枠を超えるこれらの信仰によれば、遠い星々にも知的生命体が存在し得るとされ、私たちの世界と平行する多数の世界が存在するという理論であった。多くの宗教では、未熟な魂が寿命の長い並行世界へ転生し、悟りを開くための時間を確保すると考えられていた。人類は生と死を超えて進化しているという神聖な概念に打ちのめされ、エドガーは自分自身が深い影響を受けていることに気づいていた。暗いハリウッド大通りにそびえ立つ古時計が静かに午前3時を告げると、空はさらに暗くなり、空気は冷たくなっていった。凍えるような空気に襟を立て、彼は身構えた。暗闇の中でカラスが群れをなし、その翼は青白い月光を反射して不吉な輝きを放っていた。エドガーの存在に気づいたカラスたちの鳴き声が、静寂を切り裂いた。夜空に飛び立つカラスたちの隊列は、まるで厳粛な儀式のようであった。

不気味で幻想的な深夜にもかかわらず、エドガーは、落ち着かない男女の俳優たちの幽霊が、ハリウッドの街並み、古いヴァイン通りを、まるで妖しい見世物のように徘徊しているのを見て気づいた。霧がかった暗い月明かりの下、通りを徘徊するこれらの幻影たちは、遠い過去から一瞬実体化したかのようで、ぞっとするほどぼんやりと現れては消えていった。亡霊たちが通り過ぎた後、周囲の風景は一瞬にして色あせ、物悲しい雰囲気を残した。

エドガーは暗がりに身を隠し、自然な色彩で描かれた故人の姿を熱心に観察した。彼の目は、冷たく静かな空間をひとしきり見渡し、そこに漂う幽霊の声を耳にした。「この世の光の中で生きている者たちには、我々の存在の真実を決して理解することはできない」と、その幽霊は静かに語り、そして冷たい闇に消えていった。

彼と共にいた妖艶な女の霊は高らかに笑い、その笑い声が夜の空気に不穏な気配をまき散らした。二人の姿が闇に溶け込むにつれ、深い謎がエドガーの心を覆い尽くした。

幽霊たちが不意に発した言葉と、奈落の底を覗き込むような暗く虚ろな視線に、エドガーは心の底から震え上がってしまった。時折、血に染まった赤い頭蓋骨のような幻影が周囲に現れると、この世のものとは思えないほどの恐ろしい超常現象が起こり、エドガーは言葉を失い、驚愕した。

これらの幽霊の出現は現実と幻想の境界を曖昧にし、エドガーが最も恐れる祟りを具現化した。通りを静かに歩く幽霊の足音が、この地に不死の霊が宿っていることを告げるかのように響き渡った。この超常の出来事は、理性と狂気の間の微妙なバランスを描き出し、エドガーにとっては極めてリアルに感じられた。不安を鎮めるため、彼は上着の内ポケットからジタンの強いタバコを取り出し、火をつけると、その小さな炎がチラチラと揺らめいた。彼の目は、内に秘めた強さと決意を象徴するかのような力強さを放っていた。タバコの炎が舞い、揺らめきながら、エドガーは高鳴る心臓を鎮めようと深く息を吸った。ほんの数分の出来事であったが、それは永遠のようにも感じられた。

夜明け前の静寂に包まれながら、彼は遠くの通りを徐々に照らすタクシーのヘッドライトが近づいてくるのを静かに眺めていた。その光は暗闇を切り裂き、地平線から顔を出そうとする朝日の一瞬前に、その独特の空気を揺り動かした。明け方の空が徐々に明るくなりつつあり、エドガーは変わりゆく光景に深い感慨を覚えながら、静かに近づいてくるタクシーを待っていた。やがてタクシーは無音で彼の前に停まり、制帽をかぶった女性運転手が薄暗い笑顔で近づいてきた。彼女の温もりが、エドガーを先ほどの恐ろしい幻覚から一時的に解放し、彼の心は徐々に平穏を取り戻していった。

深いため息をつきながら、エドガーは静かに尋ねた。「ハリウッド貯水池まで乗せて頂けますか?」

運転手は穏やかな笑顔で振り返り、「実は、ちょうど帰り道です。一緒にどうですか?」と提案した。エドガーが座席に腰を下ろすと、ラジオから懐かしいメロディーが流れ始めた。しかし、その歌は彼の凍える心を温めるどころか、先日のフランクリン・ルーズベルト・ホテルでの超常現象調査中に感じた、時が止まったような無力感を思い起こさせた。夜道を走る車の窓から外を見つめると、エドガーは自分の孤独と向き合っていた。彼が窓に顔を近づけると、青い街灯に照らされたハリウッド貯水池がガラスに繊細に映り込んでいた。その反射には、先ほど出会った男女の幽霊が彼の顔に不気味に重なって映っていた。タクシーの窓から見える景色は、彼の心の中に隠された深い不安を映し出していた。

映し出された風景と彼自身の表情からは、エドガーがこの世と黄泉の国との微妙なバランスについて思いを巡らせていることが伺えた。その景色を眺めながら、彼はわずかな寒気を感じつつ、「君たちも乗せたのだろうか?」とつぶやいた。そけで、女性の幽霊が彼の膝の上に置かれた黒い革のバッグにそっと触れると、彼は必死にバッグの取っ手を握りしめた。その時、運転手がバックミラーを覗き込みながら親切に告げた。「お客様、私たちはハリウッド貯水池の中央に差し掛かっています」。

額の冷や汗を拭いながら、エドガーは運転手に少し待ってもらうよう頼み、ゆっくりとタクシーから降りた。外に出た瞬間、男女の幽霊はたちまち消え去ったように見えた。ハリウッド貯水池で、まだ夜の深い闇が支配している中で、エドガーは新たな悟りに身を委ねた。漂う霧が彼を未知の領域へと誘うような気がした。乳白色の霧が密に漂うこの空間で、エドガーは奇妙な既視感に襲われた。その感覚は彼の心を駆け巡り、極めて複雑で、解明することは不可能だった。彼にはこの場所に来た記憶はまったくなかったが、心の底では、この霧に覆われた風景をすでに知っているような気がしていた。

彼を取り巻く世界は、時間と空間があいまいに絡み合い、現実と記憶の境界がぼやけていた。突然、彼の耳に悲痛な嘆声が届いた。それは、迷い幽霊の幻聴とは異なり、より深い悲しみと絶望に彩られていた。この哀歌は生々しく感情的で、時代を超えて響き渡っていた。これは単なる幻聴ではなく、現実の境界を越えて魂の奥深くに響く執念だった。

風の音が一つ一つ狼の遠吠えを連想させ、この世のものとは思えないような息づかいが聞こえてきた。エドガーの心は、恐怖と畏怖が入り混じり合った死者の情念に取り憑かれていた。彼が持っていた黒いバッグを開けて中身を見ると、陰惨な遺体の写真が何枚も入っていた。それらを見ると、エドガーがかつて犯罪現場でカメラマンとして働いていた時の、ゾッとするような暗い記憶が蘇った。彼の専門分野はドキュメンタリー写真で、ハリウッドの検死官局で殺人や自殺を記録するという、地味で芸術的ではないが重要な職務に没頭していた。しかし、ある忌まわしい事件の捜査中に、彼自身が霊媒能力を持っていることに気づき、人生が一変した。やがて捜査一課を辞職し、写真家としてのキャリアを追求するようになったエドガーは、面識のない人々の亡霊を捉える特異な能力から、エドガー・アラン・ポーというニックネームで呼ばれるようになった。

霧に覆われた貯水池を前にして、エドガーは自分の選んだ道に疑問を抱いていた。静かに思いを巡らせながら、彼は語り始めた: 「今、私は自分が創り出した亡霊たちの中に立っている。選んだ道は果たして正しかったのかと、自問自答いるのだ。死後の世界の本質を捉え、この世とあの世の隔たりを埋めようとした結果、私にもたらされたのは平穏ではなく、絶え間ない呪縛であった。写真を撮るたび、交霊会に参加するたびに、幽霊に近づくだけでなく、自分自身の魂の安息からも遠ざかっている気がするのだ。理解を求めるあまり、亡くなった人々の影に永遠に覆われた人生を送ることになったのだろうか?死の謎を解明しようとするあまりに、生きる喜びを見失ってしまったのかもしれない。この幽霊界は、あの世の謎に満ちているが、冷たく、人間とのつながりの温もりが欠けている。今、私は視界の端で踊る霊しい影から離れた、もっと素朴な生活にどれほど憧れていることか。幽霊を追いかけるうちに、私自身が幽霊のようになり、自分の人生における実体のない影と化してしまったのではないか?ああ、死者が囁く前、ヴェールの向こうを見る前に戻りたい! しかし、私にとってはもう手遅れであることを恐れているのだ。私の唯一の慰めは、いつか私の研究が、私と同じように生と死の間をさまよう人々に理解や慰めをもたらすことなのだ。」

エドガー・デュマは、今は地縛霊と化した故人の写真がこの貯水池に彼を導いたと信じ、その奇妙な繋がりを否定することができなかった。過去と現在、そしてこの霞がかった幻想的な領域を結ぶ深い繋がりと未知の恐れを感じていた。乳白色の霧が、彼の心に潜む不可解な真実を隠しつつ、同時にあらわにしていた。彼はこの貯水池とその霧に隠された恐ろしい秘密に近づきつつあるのではないかと恐れた。やがて時が流れ、夜が徐々に明ける頃、エドガーはいまだにハリウッド貯水池の前に立っていた。この場所には不気味な雰囲気が漂い、どこか古代の、遠い昔に忘れ去られた力によって何度も建て直されたかのようだった!

一歩一歩進むたびにエドガーの足音が貯水池に響き渡り、近年増えた超常現象の重みを感じさせていた。まるで忌まわしい過去の呪いが彼自身の意識の中から召喚されたかのようであった。彼はこの怪現象の謎を解明しようと、記憶の糸にしがみつき、ほんの数日前に起こった複雑な出来事の絡み合いから解決策を必死に探し求めていた。その記憶を注意深く辿っていると、突如、彼の視界に影が飛び込んできた。それは、この古い貯水池に取り残された過去の亡霊であるかもしれず、エドガーが握りしめる黒いバッグを奪おうとしているかのようであった。その影は邪悪な雰囲気を漂わせつつも、何かおぞましいものに引き寄せられるような亡霊的存在を放っていた。

この異様な存在から写真を守り、悪用されないようにしようと決意したエドガーは、バッグを貯水池の底に投げ込むことに決めた。しかし、その行動が彼をさらに恐怖の淵へと導いているように見えた。彼の精神状態は混乱し、寒々としおり、未知の力に引き寄せられる感覚を払拭できなかった。不吉な予感に包まれたエドガーは、ハリウッド貯水池で間もなく起こる出来事が自身の運命を永遠に変えてしまうかもしれないと感じていた。

ちょうどその時、タクシー運転手の切迫した声が夜の静けさを切り裂いた。「お客さん、そんなに遠くまで身を乗り出すのは危険です!」その声はエドガーに心臓を凍らせる瞬間をもたらし、恐怖の前兆、未知の恐ろしい力の前触れのように思えた。目に見えない力に押されてバランスを崩したエドガーは、冷たい水面に向かって放り出された。彼の助けを求める叫び声が濃い霧の中で反響し、その音響が彼を異世界に引きずり込むようだった。バッグからこぼれ落ちた遺体のおぞましい写真は宙を舞い、急降下する彼の視界に飛び込んできた。これらの写真は、彼の運命を暗示するかのように、エドガーの最後の記憶に深く刻み込まれた。

何の抵抗もできずに転落した彼の体は激しく水面に叩きつけられ、意識を失いつつ霊道へと流れていった。その瞬間、彼は死が人生で最も忘れがたい体験であることを悟り、魂が深く揺さぶられた。霊道とは、魂を冷たい真実へと導く序曲であり、煩悩からの解放が存在を未来永劫に変えると感じながら、彼は奈落の底へと飲み込まれていった。最後の意識の瞬間、エドガーの心は後悔と反省で満たされていた。「未知の崖のふちに立つと、私の心は後悔で重苦しくなる。影を照らすために始めた探求は、結果として私を闇へと深く導いた。かつて嵐の中の灯台であった発見のスリルは薄れ、私の職務がもたらした孤独を痛感することに取って代わられた。私が追い求めた亡霊、理解しようとした幻影は、私を真実に近づけるどころか、生者から、愛から、人とのつながりの温もりから、私を遠ざけてしまった。超常現象を執拗に追い求めるあまり、私は人生の本質から自分自身を遠ざけてしまったのだ」。

「今、私は究極の未知の領域に直面し、この世を去ろうとしている。ただそれだけでなく、私が送った人生についても嘆いている。無視してきたつながり、亡霊を追い求めるあまりに捨て去った単純な喜び。私の絶え間ない伴侶であった写真は、今や嵐の中の木の葉のように私の周囲に舞い散り、私の孤独な存在を浮き彫りにしている。私の物語から学ぶべき教訓があるとすれば、それは私が選んだ道を歩む者への警告であろう、死者を熱心に探し求めるあまり、自分自身が生者の中の亡霊になってはならないということである。私の奈落への最後の旅が、私が生前見出せなかった安らぎをもたらし、私の魂が長い間私の心を曇らせていた影から解放されることを祈る。」


心霊調査チームの重要なメンバーである防井直美は、知らず知らずのうちに並行宇宙の謎に深く巻き込まれていた。彼女が手がける最新のプロジェクトは、島貫湊が思念写真術で佐藤陽翔と野添陽奈に送った音声テープに関連していた。家への帰路につきながら、直美はそのテープを再生することに決めた。それは4トラックの録音で、第1と第3トラックには湊の異世界からの報告が収められていた。だが、直美の注意を引いたのは第2と第4トラックの歪んだ音声だった。その中に、かすかに逆回転する声が埋もれているように聞こえた。この不気味な音声の意味を察知した直美は、友人であるオーディオ技術者に連絡した。より明瞭にその声を解析するため、トラックのデジタル化と反転再生を彼女は友人に依頼した。

直美はその不吉なテープを宅配バイク便で友人に送った。これにより、予期せぬ事態が進行し始める。彼女は知らず知らずのうちに、この危険なテープを友人と共有してしまったのだった。数時間後、彼女の携帯電話が不穏な音を立てて鳴り、驚異の事実が明らかになる。録音された音は逆再生だったが、デジタル化すると更に恐るべき発見が明らかになった。テープには遠く離れた並行世界から送られたかのような幽玄な視覚映像が含まれていたのだ。興奮と混乱、そして不安が交錯する中、技術者の友人は、その超自然的な映像を彼女に見せるため、コンピューターを携えて直美の家へと急いだ。

直美と彼女の友人が薄暗い居間に座る中、コンピューターの画面が不気味にチラつき始め、現実を超越したような映像が現れた。それは、ある平行世界の政府からの緊迫した緊急警報で、超常現象の思念波が彼らの世界を越えて我々の世界に侵入していること、そしてそれがもたらす危険性についての不穏な警告だった。この解き放たれた邪悪な力は、人間の生命に対する真実の脅威であり、我々は内に潜む闇を決して誘発してはならないという重大なメッセージが込められていた。

部屋の雰囲気は次第に重苦しさを増し、身の毛もよだつような緊張感に満ちていった。直美は、幽霊が家に忍び込むかのような、かすかな足音を耳にし、恐怖を感じた。この霊は、彼女がこれまでに遭遇したどの霊とも異なる、不気味な存在のように思えた。まるで、その幽霊たちが彼女に自らの苦悩を訴えかけているかのようだった。パソコンの画面では、人間が悪魔的な存在へと変貌し、魂まで病んでいるかのような歪んだ映像が続々と映し出された。

冷たく深い恐怖が直美を襲い、デジタルファイルの映像から滲み出る邪悪なエネルギーによって引き起こされる病的な感覚に苛まれた。混乱と恐怖が彼女の心を渦巻いていた。何故彼女や友人にこのようなことが起こっているのか、理解できずにいた。直美は自暴自棄になり、携帯電話を手に取り、佐藤陽翔に連絡を取った。彼女の声は震えていた。「陽翔、なぜこんなことが起こるのか分からないけれど、別の平行世界の地獄のような現実と何らかの形で繋がってしまったような気がするの。お願い、助けて。」

陽翔は透視能力を駆使して、直美が危険にさらされていることを感じ取り、急を要する対応をとった。「直美、その場にいてくれ。心霊調査チームを連れてすぐに向かう」。直美の居間の空気は、不気味な出来事に呼応するかのように冷たく、重苦しく変わり始めた。目には見えないが、彼らの理解を遥かに超える世界から迫ってくる死神のような存在を感じることができた。直美と彼女の友人は恐怖で身動きが取れずに座り込み、画面に映し出される呪術的な映像に釘付けになっていた。彼らは、陽翔たちの到着をじっと待っていた。

伝染病が感染するこの並行世界は地球と瓜二つの存在だった。そのネバダ州の乾燥した広大な土地に位置するエリア51で、科学者と軍人たちが謎のポータルを囲んでいた。時は2024年、空気は期待と最先端技術の喧騒に包まれていた。プロジェクトを率いる物理学者ジェーン・ブラウン博士は、チームの最終準備を見守っていた。ネバダ国立研究所は陸軍と協力し、地球と「マルチバース002」という2つの宇宙を橋渡しする可能性のある装置のテストをこの日に設定していた。「調整は完璧です」ジェーンはインターホン越しに安定した声で告げた。「Tマイナス10秒後にシーケンスを開始します。カウントダウンが施設内に響き渡り、心臓が高鳴った。鏡と超伝導体の複雑なアレイであるポータル装置は、大きな音を立て始め、そのコアは不気味な紫色に輝いた。ジェーンが人生を捧げた瞬間であった。ゼロの時、ポータルからまばゆい光が放たれ、集まったオブザーバーたちの背後に細長い影を落とした。しかし、何かがおかしかった。濃密な紫色の霧が、広がりつつある次元の隙間から染み出し始めたのだ。「すべてのドアを封鎖しろ!この霧を外に出すな!」ジェーンの命令が混乱の中で鋭く響いた。パニックが起こり、研究チームは事態を収束させようと奔走した。霧はさらに濃くなり、不気味な気配を漂わせていた。「封じ込め違反だ!」霧に包まれながら、技術者が恐怖に満ちた声で叫んだ。数秒後、彼の肌は青ざめ、目は白く濁り、うめき声を上げながらよろめいた。「一体何が起こっているんだ!」兵士が叫び、後ずさりしながら、さらに多くの同僚たちが顔をゆがめ、体を不自然に痙攣させ始めた。ドクター・ブラウンは青ざめながらも落ち着いた表情で、近くにあったインターホンを手に取った。「ブラウンです。レベル5のバイオハザードです。完全ロックダウンを開始します。周囲を全力で守って!」施設がロックダウンに入ると、変異した者たちが密閉されたドアを激しく叩き始めた。外はネバダ州の澄み切った空だったが、エリア51の壁の中では悪夢が繰り広げられていた。鏡のような宇宙とつながるように設計された実験は、代わりに底知れぬ恐怖を解き放った。ポータルを安定させるためのアンブフビナカという合成カンナビノイドが、鏡像次元のエネルギーにさらされて変異し、暴露された人々を急速にゾンビ化させたのだ。サイレンが鳴り響き、施設が暗闇に包まれたとき、ジェーン・ブラウンは自分たちのミスの重大さに気づいた。自分たちは新しい世界への扉を開いたのではなく、自分たちの世界を終わらせる可能性のある疫病を解き放ってしまったのだ。「不要不急の人員は避難させろ!」「防衛措置を準備して!」と彼女は命令し、解決策を必死に探し求めた。しかし、感染者が内部のバリケードを次々と突破していく中で、ジェーンはこの伝染病が簡単には収束しないことを悟っていた。これは間もなく国全体を巻き込み、賑やかな都市を歩く死者で溢れかえる墓地へと変えてしまう危機の始まりに過ぎなかった。
ロックダウンが始まり、世界が大混乱に陥るなか、スミス一家は薄暗いリビングルームで明滅するテレビの周りに身を寄せていた。ゾンビ化ウイルスが国境と海を越えて恐ろしいスピードですべての大陸に広がっていたのだ。「ゾンビ化はアメリカから北米、南米、そしてヨーロッパ、インド、アフリカ、アジア諸国に広がっています」とキャスターは恐怖を隠しきれない声で伝えた。スクリーンは、州境に沿って有刺鉄線の柵を設置し、パニックに陥った市民の群れをスポットライトで照らす軍人の映像に切り替わった。「私たちは危険にさらされている。ゾンビから離れた安全な場所に逃げなきゃ」とトーマス・スミスは妻のミランダにつぶやいた。外では、かつては平穏だった郊外の通りに、サイレンや軍の命令音が遠くまで響いていた。軍のトラックはたびたび通り過ぎ、一軒一軒をチェックするために停車し、わずかでも感染の兆候を示した者を強制的に隔離した。厳しい対策にもかかわらず、ウイルスは封じ込めの努力を上回った。検疫は失敗し、封鎖は破られ、バリケードはことごとく破壊された。病院は圧倒され、検疫所は突破され、市民はパニック状態に陥った。スミス夫妻は自宅で脱出の計画を立てた。「都市部から離れた田舎に行こう。まだ感染が広がっていないかもしれない」とミランダは必需品をバックパックに詰めながら提案した。トーマスはうなずき、カーテンの隙間から顔をのぞかせた。「夜に出発しよう。闇に包まれたほうが安全だ」と彼は緊張した面持ちで言った。夜になると、彼らは動き出した。通りは不気味なほど静かで、静寂を破るのは遠くから聞こえるうめき声と風のざわめきだけだった。突然、スポットライトが彼らを照らし、拡声器が鳴り響いた。「この地域は隔離されています!」。命令を無視し、スミス一家は歩みを速め、路地や車の陰に隠れ、上空を飛び回るドローンの監視の目を逃れた。彼らの心臓は、捕まることへの恐怖だけでなく、自分たちの逃亡が無駄になるかもしれないという恐ろしい予感でドキドキしていた。感染症はあらゆる影、あらゆる角の奥に潜んでいた。しかし、留まるという選択肢はなかった。ウイルスは人類が逃げ出すよりも早く蔓延した。安全が神話であり、生き残ることだけが重要なのだ。エリア51の残骸の奥深くに埋もれた秘密施設で、人類の最後の希望が異次元ポータルを通り抜けようとしていた。最新鋭の抗ウイルススーツに身を包んだ国連軍の専門チームが「マルチバース002」への侵入を準備する中、緊迫した空気が流れていた。ホーキンス軍曹はスーツの封印をもう一度確認し、「入室準備完了」と宣言した。チームはバイザーの下で険しい表情を浮かべながら、光り輝くポータルの前に並んだ。このミッションは単なる回収作業ではなく、容赦ない敵に対して流れを変えるための絶望的な試みだった。一歩足を踏み入れると、向こう側の世界には最悪の恐怖が広がっていた。マルチバース002はゾンビが跋扈する地獄絵図だった。荒れ果て、暗く圧迫感のある空の下、ねじれた金属と崩れ落ちた建物の不気味なシルエットが広がっていた。「自由に撃て!」ホーキンスが叫んだ。

機関銃の発射音が荒廃した世界の静寂を引き裂き、壊れたファサードに反響した。「この混乱の中で、どうやって患者ゼロを見つけるんだ?」彼の声にはパニックが混じっていた。彼らが戦っている間にも、地球の状況はますます悲惨になっていった。ポータルは彼らの背後で開いたままだったが、002の恐怖の一方通行ドアとなっていた。パラレルワールドから何百体ものゾンビが復讐の如く地球に押し寄せ、ゲートウェイ周辺に急設された防御を圧倒していった。ホーキンス軍曹は自分たちのミスの重大さに気づき、チームに呼びかけた。「ポータルを閉じるんだ!」しかし、彼が話している間にも、状況が制御不能に陥っているのは明らかだった。彼らが置き去りにした地球は、マルチバース002と同じ運命に陥る寸前だった。執拗な銃撃戦と絶望的な撤退を繰り返しながら、チームはポータルに戻るために戦った。もはや患者ゼロを見つけることだけが目的ではなく、自分たちの世界の完全な消滅を防ぐことが目的だったのだ。最後の抵抗に備え再編成したとき、厳しい現実が迫ってきた。このミッションは彼らの最後かもしれないが、地球の最後の希望でもあった。故郷を救う戦いは始まったばかりであり、失敗は許されなかった。防井直美の家に佐藤晴翔達が駆けつけた時には既に窓硝子が割れていて、直美はそこから出て姿を消してしまったようだった。直美はこの世界の患者ゼロになってしまった。






















#創作大賞2024 #ホラー小説部門

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