クズではないもっとヤバい何か「いい人でいる必要なんてない」ナダル著を読んで


 コロコロチキチキペッパーズのナダルと聞いて、多くの人はやはりクズ芸人だとおもうだろうか。僕は常々、ナダルさんがクズ芸人というのはどうも違和感があった。

 クロちゃん、空気階段のもぐらさん、相席スタートの山添さんなどいわゆるクズ芸人とは何か根本的に違うというのが僕の印象だった。

 この本は、ナダルさんの子供時代から現在に至るまでの自伝であるとともに、いわばナダルさんの解体新書である。冒頭、ナダルさんは芸人としてここまで明らかに書いてしまったら、いわば芸人としての裏側を見せすぎてしまい、後々よろしくないのではないかと心配している。これは半分は正解で、半分は外れていた。ナダルさんは確かにクズ芸人ではない。ではまじめな芸人なのかというと多分そうでもない。もっとやばい何かである。もっと底が知れない部分が垣間見えてますます好きになった。


¥ちょっと痛い普通の子供

 この本は、第一章の子供時代から現在に至るまでほぼ時系列に沿ってナダルさんの人生を追っている。合間に両親との対談、相方からの手紙、先輩後輩同期の芸人からのナダルさん評もある。

 有名人の自伝、エッセイ本としてもかなり作り込まれた本だ。話を持ちかけた角川の人も並々ならぬ決意で作ったのだと思う。

 ナダルさん自身の文章もたいへん読みやすく、そのままさらさらっと読むとナダルさんは本当は真面目な普通の人だったんだという感想を持つかもしれない。

 だがよく読むと違うのだ。本人が意識していか無意識かはわからないが、ナダルさんはクズ芸人ではないが、多くの成功した芸人同様やはりネジが飛んでいる部分がある。

 本人はなんとなく意識しているような気もするが。


¥子供時代

ナダルさんが就職するまでの人生、それはテレビでもよく話をするあのエピソードに象徴される。テストが始まる前に女子生徒を注意したことをきっかけにはじまる壮絶ないじめだ。これがずっと暗い影をおとす。

 ナダルさんもプロなので自分のいじめもテレビでは面白おかしく話をしているが、ナダルさんが言うように芸人も一人の人間であり、思い返すと言葉が出なくなるらしい。小さい頃のトラウマというのは大人になっても消えないのだ。

 僕が読んで共感というか、思ったのはナダルさんは良くも悪くも正義の人なのだったと思う。クズ芸人と呼ばれる現状を知る人からすると意外かもしれないが、実際ナダルさんはクズ芸人の必須要件と言える借金、女遊び、ギャンブルとほぼ無縁だ。

 子供が大人になるとだんだん遠慮を覚えてやらなくなる正義感にもとづく行動を本能的にしてしまう子供、それが周囲と衝突し、いじめにあう。僕はナダルさんとほぼ同年代だが、90年代後半、今よりいじめが学校内でひっそり処理されていた時代、そのまま引きこもりの道へ突き進む子供も当時はいたと思う。しかしナダルさんはそうはならなかった。自分の生き方は何がまずいのか冷めた視線で俯瞰しながら実家でパンチングマシーンを血が出るまで殴り続け考え続けた。


¥ナダルさんが考えるいじめ

ナダルさんの考えで僕と合致したのは、やはり子供時代はいじめを受けても自分の住む世界がめちゃくちゃ狭いということがわからないということだ。

 友達と仲良くできなくなったり学校での居場所がなくなる=死みたいな狭い視野にとらわれるくらいなら、無理する必要なんかないとナダルさんはいう。


¥芸人ナダル

 ナダルさんは大学卒業後、一旦、民間の漬物会社に就職しそこからNSCに入ったという経歴を持つ。

民間時代のナダルさんは、準備万端整えた営業で、持参した漬物のサンプルが腐ってしまい準備が無駄になるくらいならと、それをそのまま持参して取引先の担当者の顔が引きつるのも構わず、腐ってるので食べんほうがいいですよとぶちかまして上司が謝りに行ったという素敵なエピソードを披露している。文章で読むとめちゃくちゃ面白いのだが、反面このあたりにナダルさんのヤバさが垣間見える。真面目で不器用な今のナダルさんの原型とも言えるエピソードだ。

 ナダルさんは自分の考えを本書のあちこちで書いているが、おそらく30代にかかる時のどこかで開き直りというか覚醒というか、ただただマジメな人間でいても仕方がないと開き直ったのだと思う。

 クズ芸人というきっかけは、キングオブコント後に徐々に売れなくなった後、たまたま発見された、というか与えられたきっかけにすぎず、強い正義感と不器用さを持ったまま遠慮しない人間ナダルとして覚醒したのだ。


¥相方西野さん

 キングオブコント以来、ナダルさんと西野さんの印象というのは西野さんは完全に怪物ナダルさんを前面に出すため一歩退いたプロデューサーみたいな感じだ。その実、コロチキのネタ、ここまでの歩み、キャラクターなどはナダルさんが書いているように西野さんなしには成立し得ないのだ。

 素晴らしいのはナダルさんがそれを認識し、西野さんに感謝している点だ。テレビでも先輩後輩関係なく噛み付くナダルさんだが西野さんにはどこか敬意を払っている。

 西野さんはナダルさんのどこに可能性を感じたのか。このあたり錦鯉のまさのりさんと渡辺さんの関係性に通じるものがあり、非常に興味深い。

 不器用で正義感に溢れ、言いたいことを言いまくる、ずるいところや自己顕示欲に溢れた部分が人間臭く強烈でなところだろうか。


¥本物を超える偽物

 ケンドーコバヤシさんが、アンジャッシュ渡部さんがどすけべキャラを売りにして復帰したら自分のようなまがいものは、たちまちお払い箱だと何かのインタビューで語っていた。

 男が思い描くエロいことが好きなキャラクターを完全に演じきっているケンコバさんならではの言葉だと思う。

 ナダルさんもある意味でこれに近い。ナダルさんは、結婚しており、しかも妻子を顧みないどころか自分の芸風が妻子に悪い影響を与えないかと思うほどの家族思いだ。

 またクズ芸人の必須要件と言える借金をしていない。

では何をもってクズ芸人なのか。それは先輩後輩同期に遠慮なくものを言ったり、人間臭く欲求に正直な行動だったり、色々なクズエピソードを吸収して作られた偶像なのだ。

 確かに人間臭い、意地汚い部分はある。でもこれはクズなのだろうか。みんな押し隠して我慢していることを堂々とやっているから実は笑えるのではないだろうか。

 本人がクズをきっかけにして演じているから一際、輝いているのだ。

僕はこれはいいことだと思う。本当のクズはテレビにはのせられないし、今の時代のはそぐわない。不器用、真面目かつちょっとサイコパスが入ったナダルさんが完璧にクズを演じ切るから面白いのだと思う。人間ナダルさんにどこか魅力や気になる点がある人は是非。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?