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Ohaupo,1995②
私の高校ではひとつの家庭に二人の学生が滞在するという方式をとっていて、私は高校一年の頃から仲のよかった友達とペアになった。
毎日は楽しいはずだったが、ベッドは別々といえど同じ部屋だったのでひと月も同じ部屋にいるとなんだか微妙になってくる。
次第に違う友人を誘って学校後は遊ぶこともあった。
険悪になる要素がなんだったのかは今となっては思い出せないし、そもそも彼女と私の英語力はこの頃からすでに天と地ほど違った。
(彼女はその後、大学時代に米国単位互換留学、社会人になってからは外国人役員秘書これでベースの違いがわかることでしょう。最近知ったのですがTOEICは900だそうだ。)
書く英語はできるのに英語で話そうとしない彼女にいらだったり、自分の英語力のなさにストレスを感じていたのかもしれない。
険悪になれども家が田舎なので結局は一緒に帰るしかない。
行きは先生が送ってくれていたが、帰りは家族がハミルトン(Hamilton)の街まで迎えに来てくれていた。
Kmart(スーパー)で買い物に狂い、待ち合わせの時間にしばしば遅れる私にホストファーザーはNoisy shopper!と嘲笑的に言ったり、Santa Claus is coming!とあきれ顔だった。
SNSのない時代なので滞在中、英語ができないなりに家族とコミュニケーションとる時間が多かったのがこの時代のゆたかさだ。
時にはホストマザーが大昔に実際に着用したウエディングドレスをみせてもらったり、イチゴジャムを一緒に作ることもあった。
あまりに砂糖を入れているのでたまげたが、なべ底に真っ赤に煮立ついちごを木べらで混ぜたのを覚えてる。
家の裏からすこし木の柵を乗り越えて牛にキャベツを与えにホストブラザーが連れ出してくれたこともある。
牛ってゆっくりなんだけど確実にまっすぐすすむ(当たり前か)からけっこう怖い。大声をだしてはいけないのにきゃーきゃー大騒ぎしてしまった。
家の裏庭は広くて檸檬の木がいくつかあった。日本にはないそこからどこまでも広がっている牧草地の風景や情緒を忘れることがない。
庭の片隅には小さな畑もあって、
日本にはないKumara(サツマイモの仲間)やParsnip(白にんじん)はとってもおいしかった。
そして何より、食後にダウンライトされた広いリビングで見るミスタービーンが(この頃はまだ日本未上陸)私のお気に入りだった。
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