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こたえははじめからでていた。

アインシュタインを挟んで地獄の昨春の話に戻ります。

起き上がりこぼしを自称し、打たれ強さには自信があった私だが今回ばかりはどうしようもない深い穴に落ちたままだった。

思えばここ数年、あまりにも忙しくて色々顧みるゆとりがなかった。

次の仕事を探すにあたってしっかり考えたいと思った。

なにせ転職は3度目になる。

色々考えると私の人生には楽しい要素が多すぎたと反省するに至った。

安心、安全、確実からは程遠い楽天的で無計画な歩みだ。

それでも成り立っていたんだもの、と自分で言い訳をしてみるがこれからまたそれを繰り返すのはごめんである。

自分が得意なことってなんだろう。

自分が好きなことってなんだろう。

色々考えてみたけれど、私は多くの人が嫌でやめていく職場(前職)をこんなにやめたくない気持ちで去っていく人間っているんだろうかと思いながら去ってきた。
そのことから離れられずにいた。

あの職場で私はどれだけの苦労を乗り越えて職務に取り組んできたことか。

具体的に書くことはひかえたいが、年に一度あるいは二度行われることもある任期付職員の試験は、ここ数年、勤務歴が長い人から決め打ちで先に切られるように結果が決められていた。

一昨年、昨年と一人減り、また一人減り。

組織の中でわずか2名しか同じ立場(任期付職員)の人がいないというのは本当に大変で、どう大変なのかわかってもらえないことが大変なのだ。


仕事ぶりや試験内容に関わらず、かたちだけあつらえられた、試験前から採用に関わってもいない職員たちも結果を知っている状態の中で私は試験を受けなくてはならなかった。

なぜそれなのに試験を受けたのかといえば、その仕事を立場に関わらずこだわって続けたいと思っていたからである。

受けなければ0%、受けたら何かこのパッションを伝えられる気もしていた。

シナリオがひっくり返ることはなく、予定通り私は不採用となった。

イメージとそれが現実になることはまるで違い、私は暗転という言葉の意味を知った。

自分のこれまでのすべての歩みを踏みつぶされた気持ちになった。

この組織に入る前からの歩みさえもすべて。

この屈辱と未練を残して生活のためだけにほかの仕事に就くことは、私にとってはもはや”死”同然だった。

私が私であるためにはまずは仕事(前職)を取り戻したい。

やめるなら自分の意思で辞める。

自分でもまずい決断をしていることはわかってはいたが、もう決めてしまった。

そしてこの後は、もう魔がさしたとしか思えない。

退職金をがつーんと自己投資(学費)にあて、秋に行われる採用試験を受けることを決めてしまった。
学業にも自信があるわけでもないのに。


もう引き返せない。


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