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できあがり。

ルパンの、カリオストロの城を思い出して書きます。
映画も見たし、感動のシーンで、銭形のおっちゃん?とっつぁん?が、クラリスに、盗んだのはあなたの心ですって言うシーンが、名作で、よく挙げられているのも、テレビで見たことがあります。

お話から、何かを読み取るのって、私にはとても難しくて、感動したことを、スパスパ楽しく共有しずらいのが、人とずれているところかもしれません。何十回も見ても、「かっこよかった」しかなかったりもよくあります。何十回も見るかどうか、どうやって無意識に選んでいるのでしょうか。
とにかく、面白かった、悲しかった、と言う言葉ぐらいでしか、初めは繋がらないです。何十回も見ても、初めのさらっと表面的です。カラフルで綺麗!とかを思ったりしています。

解釈というか、感想になる前の、そのシーンをそのままの映像で思い出して、リピートして、巻き戻して何回も見る感じで、自動的にして、味わっているみたいな感じをしています。
恐怖映像とか、衝撃的なシーンとかの方がこびりついて、他の事が考えられない!という感じです。「怖い」「怖い」「怖い」「怖い」で、また映像だけ思い出す感じで、また「怖い」ってだけ思って、また思い出す、と言う感じです。

けれど、ごく稀に、自分の生活の中の映像と、なんかのシーンがピタッと、これだ〜!って、思う時があって、そんな時、心は大騒ぎです。

ルパンの映画の、クラリスは、最後に、連れてってほしいが、叶わなくって、銭形のとっつぁんに、心を盗んでいきましたねっていう、かっこいい言葉を言われる感じで、そんな感じの、気持ちになったのが、わたしにも最近あって、書きたくなりました。

それが、何かに、なぜか、どうしようもないくらい心を奪われた時、頑張って頑張って頑張っても、足りないくらい、届かないくらいのもので、
ルパンとか、次元とか、ごえもん、銭形のおっちゃん、峰不二子さんとか、の、登場人物に似た感じの、そう言う感じの雰囲気の経験に対して、
そう言う、かっこいい人たちのかっこよさに、いつでも心を奪われて、頑張っても、
私が頑張り続けて、ルパンみたいなかっこいい人たちが、頑張るのをやめ続けて待っていてくれたとしても、
何十年それを続けても、届かないんだろうなって、言うくらいのかけ離れた雰囲気のかっこよさに、憧れ続けて、
頑張ったり、諦めたり、挫けたり、ひねくれたり、間違えたり、色々しながら考え続けていたけれど、そこまでの考えしかずーっとできなかったけれど、

「連れてってもらえなかった」を、考えて、ルパンたちのようにかっこいい雰囲気のものたちは、どんな種類?の、何かでも、「連れてってもらって」って言うところがあったら、「さらっと表面的サラサラ〜」の、感想から進むことはないのかもしれないのですね!!って、実感して、心が動かされています。私がいつも、通常、受ける指摘、注意は、この「サラッと表面的」に対して、受けていたことも、あったのかい!と、思いました。ただの「怖い」「怖い」「怖い」「怖い」の、感想の、その先に「憧れる」のならば、「自分でついていくというアイディア」など、も、考えましょうよ!って、言うことで、「指摘」「注意」の、向かう矢印の先は、これに向いていたのかしら?!、!、!、と、思いました。

「教えてくれる」のような感じのものの矢印が、「人格否定」に向いている、?、「そんなはずはない」、「人格否定じゃない」けれど、何に向かっているの?、と、「わからないけど信じていた」けど、「その矢印の先ってなんだ?」、「?」を、繰り返していて、「私は人生をかけてもわからないままなんだろうなぁ」と、思っていたけれど、「矢印が少しだけでも動いた」なぁ〜と、今でも大体のことはわからないけれど、「少しだけ動いたなぁ〜、?、?」と言う感じを、感じたような気がしました。

その後のクラリスって、アニメに出てきてたかもしれなくて、楽しく暮らしていてくれた気がして、好きです。
ルパンには心を盗まれちゃうし、次元が的確に撃ってくるのがハートを射抜かれちゃうし、銭形のとっつぁんには安心の心になって離れられなくなっちゃうし、不二子ちゃんは永遠の憧れだし、みんな魅力的で、きっと、いつまでも憧れていると思いますけれども。
憧れ続ける楽しさとか苦しさって、「てんてこ舞い」って言う感じがします。大変だ。

あとは、クラリスは、「連れてってもらえない、付いていかない、ついていけない、とにかく行かないのですね」と言うことをした、と言う事が、自分事として味わうことができました。そして、それが、すごく楽しかったです。


締め付けの強めの下着を着ていると、着物を着た時や、おめかしした時の事が思い出されてきます。ご飯をいっぱい食べなくてもお腹いっぱいになって、いつも食べていた量を食べれなくて、何を食べるかをいつもより少し多く考えるような感じがします。それでもたくさん食べてしまうチョコチップクッキーと、緑茶は、好きな食べ物なんだと思いました。よく味わって食べるのが楽しいかもしれないです。呼吸も、過呼吸の時は、私は、無闇にたくさん吸い込んで、吐く息が少なくなってしまうのですが、締め付けの強い下着が、吸い込む息をセーブしてくれて、吐く息を手伝ってくれて、苦しい瞬間が減った感じがするだけで、良い感じです。


なんとなく私は、ラプンツェルの怖い魔女の感じを、強く受け取るみたいです。「あなたのことが大切よ」のようなメッセージを使ったすれ違いって、すごく怖いですよね。

それなら、どうやってそう言う魔女と対峙した時みたいな気持ちと戦うのかな、と、考えた時は、移動するお城のジブリの映画の、ハウルの動く城?の、ソフィーのように戦うなら、嫌じゃないかもしれないと、思いました。
これからどんなふうに過ごすかな?と、考えると、そんな感じに、自分の気持ちの進み方を、変えていきたいかもしれないと思っているみたいです。

アニメの「あたしんち」を見た時、心が今まで経験したことを思い浮かべて、たくさん思い出します。心の動き方を、そのままリピートして、「怖い」「怖い」「怖い」「怖い」を、していますが、「サラッと表面的」から変化しそうな、今の心の動き方に、「歴史探検隊」!。もう、言葉がどう使ったらいいかよくわかりません。

心の動き方、心の動いたことのある感じの動き方を、なぞってみて、学習?を、してみようって、思って、なんなんでしょう。

今日は、ニット素材の長ズボンと、Tシャツを作りました。自分の体型を測って、型紙を製図して、やっと、出来上がりました。アップリケも貼りました。
そして、「修正したい」と、思う場所があって、
初めから、生地の時点から、ぎりぎり足りないことはわかってしまっていて、片足の裾の後ろ側だけがあと1センチと縫い代分が足りなくて、
つぎはぎをして作って、それでも出来上がって、最低限、着用可能だな〜という服が出来上がって、
そして、「ここが気になる」と言うところがあって、「直す」のが「怖い」って思って、
前は、「作る」のが怖くて、それでも作っていたら、
今度は「作る」を、続けられるようになって、
それで、「作り方の手順の最後まで作る」のが、怖くなって、
「使用できない出来上がり」のままにして放り出しておいて、
次は、「使用できるぎりぎりの状態」までできるようになって、
「だけどここが直したい」って言うところができて、
今は、多分それを直すのが怖いって言うところにいるみたいです。!。

私はもっと伝わることを書きたいのに!。とにかくは、今は、「!。」と言う感じでいます。

私は今日作ったスボンとTシャツを着て、今までの心の動きを考えたり、なぞったり、観察?したり、一緒に経験したり、誰かとぶつかったり、壁にぶつかったり、そんな感じをして過ごして、生きていく?のかしら、と、思いました。

私は壁にぶつかったり、壁に閉じ込められたりした時、「ひとりぼっち」でも、戦わなくちゃ、「虚しくても」なんかしなきゃ、みたいな感じを、思ったことがあるけど、
そしてそんな時、すごく「裸ですっぽんぽん!」と、思うことがあったけれど、
そう言う時は、何かがあるって、そうやっている時も、「ひとりぼっち」プラス「なんか産出した、なんとなくキラキラのなんかわからないけど大切、可愛い、そばにいる」が、ある、って、とっても心強いんじゃないかなぁ〜。と、想像して妄想して、
夢にひたひたとひたってしみじみ、一緒に戦ってくれる仲間になっていくって言うことは、なんとなく感動する気がして、
家族って尊いって思って、、、、?、う〜ん??。??。?。

例えば、私は私の「親」みたいな何か達の、のそういう仲間と思ってもらえるような何かかもしれない、と、思える日はくるのでしょうか、来たらいいですね、どうでしょうね、と、思いました。

たくさん文章にしてみて、ラプンツェルの魔女が、ほんとうに怖いなぁと思いました。私も魔女にならないように気をつけようと思いました。

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