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「稲倉の棚田」の大躍進

 私の「地域おこし協力隊」活動も3年目に入り、同期隊員の4名全員と第2期隊員らが次々と辞任して上田市を去る中で、私の活動は実を結び始めました。

 「稲倉の棚田の保全活動」に着任して間もなくのことですが、私は自らを鼓舞する意味もあって、保全委員会の皆さまに「稲倉の棚田に観光バスが毎日来るようにしましょう!」とデカく述べて、皆さまの爆笑を買ったことがありました。「もしそうなったら、オイの銅像を自治センターに立ててやるわい!(笑)」ってね。

 いや、笑われてもいいんです。自分の目標ですから。

 委員会の皆さまと毎日一緒に棚田で営農し、畦(あぜ)と法面(のりめん)の草刈りで棚田を美しく保全し続けた、3年後の2018年の秋に、その観光バスが「稲倉の棚田」へ訪れ始めたのです。
 3年間に渡る頻繁なFacebook等SNSの更新、Google Mapへの情報や写真の掲載、動画の撮影・制作とホームページの充実など、インターネット情報の発信や旅行会社・観光バス会社への営業などが実った瞬間でした。

https://www.facebook.com/inagura.no.tanada

https://inaguranotanada.jimdofree.com/

 また、猛烈に美味しくて農薬使用量が非常に少ない「稲倉の棚田米(コシヒカリ)」は、私が着任する前年までは全量をJAに供出していたんですが(もったいない!)、1㎏、2㎏、5㎏等のオリジナル米袋を作って詰め、稲倉の里農村交流館で直販し、上田市観光会館さん、ゆきむら夢工房さんでも販売することにしました。
 さらに、川崎市で全国の棚田米を取り扱う「成川米穀店」さんに稲倉米の美味しさを認めていただき大量出荷することで、結果的に棚田米の売上額も120万円から413万円(2018年)に向上しました。

 マスメディアもどんどん呼び込みました。県内のローカル新聞・TV・FMに加えて、次第に東京のTVネットワークキー局やNHK、全国紙にも「稲倉の棚田」が取り上げられるようになりました。最近では、バナナマンの日村さんや日野正平さんが稲倉にロケで訪れて全国放送され、翌日以降は多くのクルマが稲倉の駐車場を埋めていました。

 私が着任した2015年には、ネット検索しても「稲倉の棚田」なんてほぼ皆無でしたが、2017年頃には「長野県&棚田」でググれば稲倉がトップに表示されるようになりました。

 2年目の2016年には、酒米「ひとごこち」納入をご契約下さっている柳町の岡崎酒造さんに、全国の棚田初の「酒米オーナー制」の設立を提案してご快諾いただき、主に首都圏から多くの『信州亀齢ファン』が「柳町」と「稲倉の棚田」に訪れるようになりました。

 そして、私が着任した2015年には24組だった「棚田オーナー」は、今や「棚田米オーナー」と「酒米オーナー」を合わせて毎年100組を超えるようになりました。
 春の田植え時期にはオーナーや保全委員らが早乙女に扮した「お田植えまつり」、秋の稲刈り時期にはオーナーの「稲刈りまつり」を開催するようにし、多くのマスメディアや観光客、カメラマンが集まるようにもなり、情報がさらに拡散して、稲倉の棚田は通年で賑わうようになりました。
 さらに田植えなどの「農作業体験学習」に訪れる首都圏の小中学生も、2015年の280名から、2019年には1,000名を超えるようになりました。

 2016年の秋、「稲倉の棚田」の入口に『保全活動協力金箱』を設置し、地域住民で行う稲倉の棚田保全活動への協力金を募ることにしました。「年間3万円も募金が集まりゃいいなぁオイ」なんて話していたんですが、私の目論見は30万円でした。ところが開けてみると、2018年には40万円、2019年には60万円もの募金が集まり(驚!)、故障するばかりで非効率だった農機一式を、まだ新しい中古農機に一新することができ、農機倉庫まで設置できました。棚田観光にいらっしゃる皆さまの善意が、本当にありがたかったです。

 2017年の夏からは、豊殿の協力隊2代目の大山くんも着任し、2人で棚田の保全活動を支援する事業をどんどん進めました。私は任期3年の後も稲倉や豊殿で活動できるよう、地域の皆さまと「NPO法人」を設立し、退任後も「稲倉の棚田保全委員会」のサポートとして、棚田の広報と渉外、観光バスや観光客の受入れ対応、棚田米の販売、動画による稲倉の棚田の情報拡散、棚田観光事業の開発等を手がけました。

 その結果、退任した2018年の秋から観光バスが稲倉に訪れるようになり、4年目の2019年春からは観光バスが毎日1台から3台も来場し、週末は駐車場が他都県ナンバーで満杯となって車両さばきが必要なほどになり、ついには年間2万人を超える皆さまが訪れる、上田市の新たな観光名所になりました。

 もちろんですが、以上を私一人で達成したわけではありません。熱意と理解ある棚田保全委員会の委員長、事務局長と委員の皆さまが、従来からすれば一見”とんでもない”私の数々の「突飛なアイデア」を皆さまでお聞き入れ、お力添え下さった結果です。皆さまには本当に感謝しています。

 

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