「哲学」

近所の百貨店のワンフロアにでっけー書店がある。
ちょうどエスカレーターでその階に上がると書店のど真ん中にたどり着く設計になっており、下の階とは全く違う雰囲気で出迎えてくれる。

これがトラップだ。
全く違う用事で百貨店を訪れたはずなのに、この階に到着した途端この書店に用事が生まれる。
そして30分〜1時間消費してしまう。
全く恐ろしいフロアだ。

最近もこのトラップにまんまと掛かって書店を徘徊していた。
大体いつも小説コーナーのポップや平積みを眺めてふんふんなるほどと大変有意義な時間を過ごしているが、この日はなんとなく「最も人目に付かないコーナー」を目指した。

結果として「哲学」「宗教」の棚の前に辿り着いた。
このフロアの一番奥、角のコーナー。
うん、確かにこのジャンルが巣食うにはピッタリだと思う。

様々な人間の主義主張を背負った表紙を順番に眺め、ひと際珍妙なタイトルの本の奥付を確認する。
驚いた、そこに並べられていたのは第5刷だった。
"初版"の文字が表れるだろうと思い込んでいたので、思わず二度見した。
この本は少なくとも4回、数が足りなくなったのだ。
最初から発行部数が少なかったのかもしれないし、5刷というのは出版界の中では赤ちゃんの数字なのかもしれない。そこはわたしには分からない。
けれど世の中にはこんなタイトルの本を買って読もうと思う人間が一定数いる、という証明にはなった。

いやいや、今回物を書こうと思ったのはこの話がしたかったわけではなくて。

この人が寄り付かない棚のすぐ隣に「保育」「教育」の本が並べられていた。


これが哲学・宗教の棚
そして保育・教育の棚


色の温度差で風邪をひきそうになった。

こんなにも隣合う棚のカラーパレットが違うことがあるんだ。
街へいこうよどうぶつの森のマイデザインカラーパレット01と16を思い出した。


01から16に移動すると原色の鮮やかさにびっくりする


それにしても哲学と保育を並べるとは…この2つを隣り合わせる意味は?と、単純に疑問が浮かんだ。
が、今これを書きながら哲学と保育は密接に関わり合っていることを思い出した。

「こども哲学」「保育哲学理論」「家庭教育論」「幼児心理学」等々、なにかと哲学の絡む単位が必修だった。
心理学者や哲学者の実験内容を暗記したり、実際のこどもの様子を見てどの理論が当てはまるかといった試験も受けた。

めちゃくちゃしっかり関わっとるがな…

子どもの思考ってトンデモ理論で構築されているし、そもそも理屈で説明出来ないこともある。
でも彼らは必死に自分の立てた理論を大人に説明する。
自分の世界で辻褄を合わせて意見する。
ある種の哲学と呼んで差し支えないのかもしれない。

子どもの学問に関しては無限に話ができるしどんどん枝分かれして収拾がつかなくなるので、今回はここで畳んでおく。

子どもの脳内は小宇宙であり、我々成熟した大人には解明出来ない神秘で満ちている。
大人がこねくり回す"哲学"よりも、子どもが直感的に紡いだ"哲学"の方が、わたしには魅力的でならない。

比翼

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