「怒り」

怒りの感情に慣れていない。

幼い頃から怒らない人間だった。
嫌なことをされてもすぐに許した。
友だちと激しい喧嘩や言い合いをした覚えはない。
いじめられていたことに最初のうちは気付かなかった。

多少イラッとすることはあった。
理不尽に怒られて腹を立てたこともあった。
けれどいつもすぐに切り替えて、イライラしたことを許したり気にしないように出来た。

小学校高学年の頃に自分の「怒り」をこんな風にイメージしていた。
樹齢100年くらいはある大きな木の樹皮が剥がれていく。
イラッとすると1枚剥がれる。
けれどその木の一番中心には到底たどり着かない。
一番中心には「怒り」が眠っていて、一度も触れたことがない。

記憶にないほどの幼い頃はもちろん不服を訴えて日々泣いていただろうが、それはどちらかといえば生物的な反射の動作で、今わたしが話題にしている怒りの感情を表現することとは少し違う。

先の樹木のたとえで言うなら、樹皮がめくれて剥がれ落ちるまでは一瞬だから、イラッとしてもそれが継続しない。
すぐに気持ちが切り替わって、まぁいいか、になりがちだ。

だから、「怒り」の感情をどう扱ってよいのかわからない。

ちょくちょく怒りに近いことを喚き散らしているが、あれはどちらかと言えば「主張」をしたいだけであって、明確な「怒り」ではない。
自分の気を悪くされて腹が立った、ではなく、自分の気を悪くされたのでわたしの意見も聞け、という感じ。

これを一般的には「怒り」と呼ぶのかもしれない。
よくわからない。

わたしのイメージする「怒り」はもっと自己中心的で、主観的で、自己正当化するための感情だ。
わたしの意見も聞け、というのはあくまでもディベート的な印象がある。

喧嘩は下手だが、討論はする。
このニュアンスをうまく言葉に出来ない。

そもそもイライラしていることを表に出すのはかなりコスパが悪い。
相手のコントロールは容易いかもしれないが、後の関係性にデメリットを生じやすい。
それでは元も子もない。


そんな風に考えているのに、ここ数年で「怒る」ことが格段に増えた。

でも怒りの感情をどうしていいかわからない。
扱い方が分からない。

相手に当たったり、物に当たったり、自傷してみたり、泣いてみたり、色々してみるがどれも上手くできない。
怒りを持て余して自分の中で処理も出来ずに暴走する。

感じたままに、思ったことを言えばよいのだろうけれど、いかんせん怒りの表現をしたことがほとんどないからどんな言葉を選ぶべきかがわからない。

まぁそれでもわたし自身が嫌だと感じたことや、不快に思ったこと、そして怒っているということを正しく認知して、なぁなぁにしないでいられるようになったことはある種の成長なのかもしれない。

人に正面切って怒りをぶつけられるのも、ある程度の関係が出来ていないと難しいことだと思う。

性格上めったに人を信じないのだが、わたしが本気で「怒っている」と喚き散らし、泣く姿を見せられる相手がいるのだとしたら、
それはその人に絶大な信頼を置いていると言える、気がする。

怒っても嫌われない相手だから怒れる。
相手を傷付けるかもしれないけれど手加減しない。

そんな人間関係を築くことが出来れば、よかったのに。

比翼

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