「『墓碑銘』」

ごんぎつねを知っていますか。
「ごん、お前だったのか。」の、ごんぎつね。
話の大筋は覚えていなくとも、誰しもの記憶に確かに存在する言葉でしょう。
国語の教材で、あるいは本棚に仕舞われた絵本で、一度は触れたことのある物語かと思います。

あれは1人の男と1匹のきつねが出会い、互いの思いが届くことなく終わる物語です。

そしてわたしはこの作者が綴った、とある詩の話がしたいのです。

作者は新美南吉という人です。
そして彼は21歳の時に「墓碑銘」という詩を書きました。

そして彼は29歳でこの世を去りました。


この石の上を過󠄁(よ)ぎる
小鳥達󠄁よ、
しばしここに翼󠄂(はね)をやすめよ
この石の下に眠つてゐるのは
お前󠄁達󠄁の仲間の一人だ
何かの間違󠄁ひで
人間に生れてしまつたけれど
 (彼は一生それを悔ひてゐた)
魂はお前󠄁達󠄁と
ちつとも異らなかつた
何故なら彼は人間のゐるところより
お前󠄁達󠄁のゐる樹の下を愛した
人間の喋舌(しゃべ)る憎しみと詐りの
言葉より
お前󠄁達󠄁の
よろこびと悲しみの純粹な言葉を愛した
人間達󠄁の
理解しあはないみにくい生活より
お前󠄁達󠄁の
信賴しあつた
つつましい生活ぶりを愛した
けれど何かの間違󠄁ひで
彼は人間の世界に
生れてしまつた
彼には人間達󠄁のやうに
お互を傷(きずつ)けあつて生きる勇氣は
とてもなかつた
彼には人間達󠄁のやうに
現實と鬪つてゆく勇氣は
とてもなかつた
ところが現實の方では
勝󠄁手に彼に挑んで來た
そのため臆󠄂病な彼は
いつも逃󠄁げてばかりゐた
やぶれやすい心に
靑い小さなロマンの灯をともして
あちらの感傷の海へ
またこちらの幻想の谷へと
彼は逃󠄁げてばかりゐた
けれど現實の冷たい風は
ゆく先ゆく先へ追󠄁つかけていつて
彼の靑い灯を消󠄁さうとした
そこでたうたう危くなつたので
自分でそれをふつと吹きけし
彼は或る日死んでしまつた
小鳥達󠄁よ
眞實(しんじつ)彼はお前󠄁達󠄁が好きであつた
たとひ空󠄁氣銃に打たれるにしても
どうしてこの手が
翼󠄂でなかつたらうと
彼は眞實にさう思つてゐた
だからお前󠄁達󠄁は、小鳥よ、
時々ここへ遊󠄁びに來ておくれ
そこで歌つてきかせておくれ
そこで踊つて見せておくれ

彼はこの墓碑銘を
お前󠄁達󠄁の言葉で書けないことを
やゝこしい人間の言葉でしか書けないことを
返󠄁す返󠄁す殘念に思ふ

新美南吉「墓碑銘」

この詩が本当に好きです。
初めてこの詩と出会ったのは20歳と3ヵ月の頃でした。

この詩との出会いは合唱譜としてなのですが、まだこの時、この譜は世の中に存在していないものでした。

委嘱初演、いわゆる書き下ろしの楽譜でした。
この作曲家は「新美南吉とほぼ同じ年齢のあなた達が歌うのだからこの詩にした。」と仰っていました。

もちろんわたしたちはごんぎつねのことなら分かりました。
けれど新美南吉のことは誰もよく分かっていませんでした。

ですので彼がこんな思春期と青年期の狭間にいる、ごく一般的な1人の男として詩を書き残していたことにギャップを感じました。

端的に言うと、不評でした。

ですがわたしは、この詩に良い意味でショックを受けました。
誰もが感じている心の闇を、こんなにも赤裸々に綴っていること。
まるで自分が世界の半端者のような存在であると憂いていること。

こんな感性、青年期にさしかかった人間を叩けばいくらでも溢れて沸いてくるのです。
社会と自らの隔たりを感じ、嘆き悲しむことで自らを慰めようとする幼稚な感性と言いましょうか。

大学生というのは、そういう生き物だとわたしは思っていました。
だからこそ簡単にこの詩に共感し、心を掴まれてしまいました。

当時はこの詩に自分を投影し、なんとなく聞き心地のよいメロディーに身を任せて歌うだけでこれ以上なく幸せでした。
カタルシスを存分に浴びたような心持ちでした。



今となってはどうでしょうか。

さほど変わりはありません。
昨日の記事を読んだ人なら、よっぽどこの人間は「鳥」が登場する詩のことが好きなのだな、と感じたでしょう。

事実そうなのかもしれません。

わたしは鳥でありたいと思います。
広い空を自由に飛び回る鳥でありたいのです。
それこそ、たとえ空気銃で撃たれたとしても、何にも縛られず自分の意思で空を飛び続けて死にゆきたいと思います。

ですがわたしも彼と同様に人間に生まれてしまいました。
言葉を持ち、理性を持ち、
そして翼を持たずに生まれてしまいました。

やはり人間は飛べない生き物なのです。
真に自由を手に入れることは叶わないのです。
空と海を従えて飛び立つ鴎にはなれないように。

この墓碑銘という詩の中で、何度も「彼」は「鳥たち」に語りかけます。

喜びと悲しみを歌うさえずり、言葉がなくとも信頼しあった生き方、それらを真に愛した彼は鳥たちに言うのです。

「時々ここへ遊びに来ておくれ」と。

しかし彼の思いは、鳥たちに届くことはありません。
やはり彼は、憎しみと偽りの人間の言葉しか持ち合わせていないのです。

自由を歌う鳥たちに彼の思いが届くことはなく、
彼らは石の上を飛び去って行くのです。



どうか、次にこの世に生を受けることがあれば、
この手が翼でありますように。

比翼


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