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ゲームのリメイクと体験格差・・・書評『体験格差』(今井悠介・講談社現代新書) 

近所のスーパーに買い物に行くと、ついつい子どもの頃に集めていたビックリマンチョコの新作を買ってしまう。

昔は1個30円で買えた記憶があるが、発売から39年経った今では、1個128円まで値上がりしているところに、時代の流れを感じる。

休日になると、マインクラフトやフォートナイトに熱中している子どもたちを尻目に、自分が10代の頃にプレイしていたFF7のリメイク版をコツコツやっている。

ストーリーもエンディングもないゲームが主流になっている今の時代の子どもたちから見ると、RPGというゲーム自体、何が面白いのか全くわからないかもしれないが、この年末に、小学生の頃にハマっていたロマンシングサガ2とドラクエ3、それぞれのリメイク作品がSwitchで発売になると聞いて、それまでに諸々の仕事を終わらせなければ・・・と焦っている。

こうやって日々の生活を改めて振り返ると、大人になってからも熱中できているもの、日々の楽しみになっているものは、子ども時代に体験したことがベースになっている、と強く感じる。

少なくとも我が家には、当時大ブームだったビックリマンチョコや、スーパーファミコンを子どもに買い与える余裕があったわけだ。

もしも、こうした子ども時代の体験の蓄積がなかったら、「子どもの頃から買っているお菓子を楽しむ」「過去にプレイしたゲームのリメイク作品を楽しむ」という行為自体が成立しない。今の生活は、かなりつまらないものになっていただろう。いや、正確に言えば、「つまらない生活を送っていること自体にも気付けなかった」はずだ。

本書は、これまで見過ごされてきた子どもたちの「体験格差」について、日本初の全国調査のデータや当事者の声をベースに、体験格差の実態、及びそれに抗う方法を解説した一冊である。

子ども時代の体験格差があると、「できる・できない」「やれる・やりたくない」以前の問題として、「選択肢の存在自体が頭に浮かばない」という状況になる。

自分が窮地にあること、理不尽な状況に置かれていること、我慢しなくてもいいことを我慢していること、支援の対象になること自体に、気づくことができないのだ。

体験の有無は、子どもの社会情動的スキル(非認知能力)、そして想像力の幅や選択肢の幅にも強い影響を及ぼすため、経済的格差の再生産の一因になっている。

風テラスの活動の中で、夜職で働く女性の支援に携わっていると、体験格差の深刻さを肌で感じることが多い。「母親も未婚で子どもを産んでいるから、未婚で産むのが当たり前」「男性から殴られるのが当たり前」「身体を提供するのが当たり前」・・・。親の体験格差が、子どもに連鎖しているのだ。

体験格差を埋めるために必要になるのは、「出会いの格差」を埋めることだ。

自分のことを騙し、利用し、搾取しようとする「奪う大人」ではなく、無条件で存在を認め、褒め、受容してくれる「与える大人」との出会いである。見返りを求めずに自分のことを気にかけ、助けてくれる大人がいることを知ることができれば、そこから他者への信頼、そして出会いへの興味関心が喚起され、体験へと踏み出すモチベーションが湧いてくる。

風テラスも、そうした出会いのきっかけの一つをつくることを目指して、日々の相談対応やつなぎ支援を行っている。

本書の中でも述べられている通り、子ども時代の楽しかった思い出は、「生きるうえでの心のよりどころ」「つらいことに直面したときの心の支え」になる。体験格差の問題を1ミリでも解決に近づけるために、本書が多くの人に読まれてほしい。


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