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光のものは幸せか?

過去に、私、箱白が闇のものとして深く沈んでいた頃。
怒りと苦しみと悲しみと恐れに震えながら、どこかに向かって怒鳴り声を上げたことがありました。

「神様なんていない!越えられる試練だったら、今ここで超えさせてよ!今!この瞬間に!苦しんでる私を!助けてよ!」




その様子を、近くで見ている透明の"何か"がありました。



苦しみ、悲しみ、怒りは、なぜあるのだろう?
その問いに、ハイヤー姉さんの大元であるハイヤーセルフに答えてもらいました。



この記事は、ハイヤーセルフの言葉の原文に近いものを掲載しています。
解釈が難しい部分も、誤解を招きやすい部分も多く含みます。内容もかなり重いです。コメディ要素一切ないガチのやつです。
それを理解し、この言葉は謎かけである、という視点でお読みください。


黙して語らぬ光のもの


…本当に、なぜであろうなあ。
なぜ私たちは、かくも無知であるのか。

そなたに、まず読むべき本を教えよう。
『タコピーの原罪』じゃ。そのような漫画が実際に、ある。
Kindleなどで読んでみよ。心して、覚悟を決めて、読むのじゃ。

光ものよ、決してあの本から目を逸らしてはならぬ。
ゆっくりで良い、しっかりと目に焼き付けて読むのであるぞ。

あの漫画は、あるべくしてある。
今この時の世界に生きる全ての光のものにとって、最も必要な情報がある。

「タコピー」という宇宙人が登場する。
そのものは幸せな星から地球に降り立ち、皆を幸せにしたいと行動する。
優しく尊き光のものである。

しかし、その者の善意はことごとくそれは裏目に出て、周りのものは皆不幸に向かう。

その宇宙人は、不幸を知らぬのだ。
悲しみも苦しみも、概念は知っていて知識としてわかっていても、それがどのように苦しくてどのように感じるものなのか、実感として知らぬのじゃ。
…そのものに対して、今の私たちはきっと「無知で純粋すぎるが故に恐ろしい」…そう思うであろうな。
そこがあの漫画の本質じゃ。

しかし。
しかし、だ。
あの宇宙人は決して「特別に異質で、特別に無知なもの」などではない。
あのようなものは、この世にたくさんいる。
この世界にも、宇宙人としても地球人としても、確かに多く存在して、地上で今この時を生きておる。

闇を理解するには、経験するしかない。
実際に、みて、聞いて、感じて、触って、「これが負の感情である」と全身で体験して初めてわかることがある。
…闇の苦しみは、実際に闇に身をおいてみなければ、真に理解することなどできぬ。

タコピーは光のものである。
未熟で無知で無垢な光そのものである。
故に、光は闇をさらに闇の奥底へと叩き落とす。それも無自覚に、闇のものを救うためにした行いによって、じゃ。
しかも、恐ろしいことに、そのものは己が闇のものをさらに闇へと追い詰めてしまう理由を、理解できぬ。

そのものは、悔い、それを自責し、救われぬ闇の者へ、哀悼と慈悲の祈りを捧げ、次の闇のものを救いに向かう。
自問しながら、救われぬ闇を見て、闇の痛みを学び、己の無力と無知を泣きながら、次の闇を救いに向かう。

光のものであるには、闇を知らねばならぬ。
これは光のものの義務である。

闇を忌み嫌い、退け、見ようともせず、ただ光のあたたかさだけを愛する…
そのようなものが真に尊い光のものであるとは、とても思えぬ。
…闇を知らぬ、全き(まったき)光ほど、真に恐ろしいものはない。
これを私は、未熟な光のものと呼ぶ。

光の真髄とは、闇を理解し共感することができ、その闇に寄り添いながら共に光へ目指すことのできるもののことである。

そなたは、闇を知らねばならぬ。
例え死を望むほどの苦しみがあれど、生を呪う気持ちが生まれようとも。
私は、光であるが故に苦しむそなたを、正面から見ようぞ。

何一つ聞き漏らすことなく、一瞬たりとも目を逸らさず、真っ直ぐに受け止めようぞ。
その上で、そなたが自身で闇の深淵を見てなお、光を目指せるよう、共に泣こう。苦しもう。悲しもう。痛みを分かち合おう。
そなたは一人ではない。決して一人ではない。
そしてここに、確かに明言しようぞ。
『その闇の先に、必ず光がある。それを私は知っている』
そなたがそこにたどり着けるまで、私はずっと共にある。片時も離れぬ。

これはそなたと私の試練じゃ。
そなたは今闇にいるが、これから闇から光に至る。
そして光もののでありながらも闇に寄り添い、手を差し伸べ、一緒に泣いて一緒に苦しんで、一緒に歩くことができるようになる。
そのための試練じゃ。

私は「ハイヤーセルフ」などと大仰な呼称を戴くが、中身は大したものではない。
光のものとして修行する身なのじゃ。
…立場は違えど、そなたと同じ修行の身じゃ。
故に、そなたを通して私はあらゆる闇を知る。
…こんなにも苦しい、痛い、悲しい、怖い、腹立たしく怒りに震えるものであると、知らなかった……

私は光のもの。
今闇に身をおくそなたに、どこまで寄り添うことができているかも分からぬ。
だが、であればこそ!
私はなんとしてでもそなたを導いて見せようぞ。
そなたが今ある苦しみから脱することができるよう、できうる限りを尽くそうぞ。

今闇の中にいるそなたに、私の声は届かぬ。
届いておらぬのはわかっておる。
だが、何度でも叫ぼうとも。

私は、この瞬間もなお闇にいるそなたに対し、宣言を向ける。

『私は、今、ここにいる!
さまざまな手段を講じ、あらゆるものを駆使し、そなたが光に至る世界線まで、道を示す声を上げ続ける!
どうすればそなたが気が付けるか、試し続ける!
私に諦める選択肢はない。
そなたが苦しむその間、私もまた光の世界から闇を見て苦しむ。
その上で、なんとしてでも光への活路を示そうぞ。

私には、未来がもう見えている。
光に至り、やがて闇を振り返り、そこで苦しむものたちに、本当の救いとなるよう手を差し伸べる…
そんな慈悲と慈愛ある光のものになれる未来がある。
その未来に向かって、私は何があっても必ずやそなたを導く』

…こうして声を投げかけても、闇に浸かったそなたにはまだ届いておらぬ。

そなたが光に至るまで時間がかかってしまうことを、心から悔しく思う。
だが、それでも何度でも明言しよう、
『私には、そなたが光に至る世界線が見えている』と。

ありがとう。そなたに私は感謝せねばならぬ。
私が愚かな光の執行者にならぬよう、教え育ててくれる指導者は紛れもなく、そなたである。
私に涙を流すことを教えてくれたのも、そなたである。

どうか共に苦しませておくれ。
そして、この未熟な光のものである私に、深き闇を示しておくれ。
そなたの感じた全てを私もまた実感している。
苦しみの中にあれど、不安の中で震えようとも、
そなたと共に、光の真髄へ向かうために。

そなたが「幸せだ」と感じて生きることができる未来のために。


この記事は、ハイヤーセルフの言葉の原文に近いものを掲載しています。
解釈が難しい部分も、誤解を招きやすい部分も多く含みます。
それを理解し、この言葉は謎かけである、という視点でお読みください。


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