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高次の声を認識する方法〜第一回〜

※今回は基本的にハイヤー姉さんがメインで書いた記事を箱白(人間)が編集、校正した記事です。

ごきげんよう、このnoteの書き手(箱白)のハイヤーセルフ、通称「ハイヤー姉さん」である。
このnoteは、高次の声を認識したい人間に向けた記事である。

一時的に箱白号の中の高次の魂の割合を増やしてこの記事を書くゆえに、
私が記事の進行を担う。

高次の声ってどこにあるの?

では、またコップの水の例えから始めようぞ。

※コップの水の例えの記事はこちらから

あるところに、人間がおった。

箱白「混ぜるなよおおおおおおおおお!?
わかんなくなっちゃうでしょおおおおお!?!?」

これが普段の人間の状態である。
そなたは、ここからハイヤーセルフを認識したいと言っておるのじゃ。

「ひい……もう完全に混ざっちゃってるよ…」

高次のもの…特にハイヤーセルフは、己自身の魂や思考の中に混ざりやすいものである。なぜか?
…そりゃそうであろう、同じ川の水であるからな!?ちょっと上流ってだけであるからな!?

(完全に盲点…!!!)

魂の出自が近ければ近いほど、区別が難しくなる。
そしてハイヤーセルフとは、もともとおんなじ川の上流部分の魂をまるっとひっくるめた呼び方じゃ。

(ふぁああああ…!)

ハイヤーセルフでない高次のものであっても、人間の思考の中に混ざっていることが多い。
それこそ人間が気づかないでスルーしてしまうくらい、ナチュラルに違和感なく、な?

「そうね…
高次と無自覚に繋がってる人ってかなり人口多いけど、それってつまり思考の中に高次のものが混ざってるのにスルーしちゃってるってことなんだよね。
自分の脳内にある思考は全部自分のものだと思ってたけど、実は違いましたーっていうね…

さようじゃ。
ゆえに、高次を認識するためには基本的に、己の思考を一度すべて吐き出してから仕分けする必要があるのじゃ。

このコップの中の水を、冷静な視点で分析せねばならんからな!

最初に

ここに明言する。
これは、地味でシンプルで難しい修行である。
方法だけを読み、表面上理解するだけであれば非常に簡単であるが、実践に移す段階になったときに難易度が跳ね上がるものである。
そして心得よ、高次を認識する人間は必ず「理論の実践者」である。
100の知識を得ることよりも、1の実践を為せることこそ、尊いものである。

私は、1の実践者に、最大の敬意を払いその意思を尊重する。

ハイヤー姉さんのセリフコピペ

ここで伝える手法は人間向けの実践方法であるため、作業の内容は地味である。
派手な奇跡は起きぬ。
一般人が誰でもできる方法、という面に特化しておる。

そして物質界に適応した方法とするために、敢えて道具を用いる。
とはいえ、特殊な道具はいらぬ。

紙とペンを用意すれば良い。

①紙とペンを用意せよ

よし、用意せよ。

箱白「あ、私も?」

当然。そなたは人間側として動いてもらおう。
サンプルであるからな?

「はい……」

DAISOにゆけ。
200円かけて、その辺の紙の束とペンを買え。

「あなたの口からDAISOの名前聞くとは思わなかったよ……!
え、家にあるノートはだめ?」

使いかけでなければ良い。が、なるべく新品が良い。
余計な念が入った紙は好ましくないのじゃ。

「なるほどね?
まあ、持ち出しするお金が220(税込)円だったら、読んでくださる方も許してくれるかな……?

何か選ぶ基準はある?」

そなたが文字を書きやすければ何でも良い。
なるべく使い慣れた形状のノートやペンの種類を選ぶと良いぞ。
カッコつけて重いペンを買ったり、かわいさ重視のノートを選ぶのはオススメせぬ。
あとで辛くなる。

「スピリチュアルなことするからと言って、変に肩に力入った感じで選ぶと後々苦しくなるので、普通にいつも使ってる感じのやつを選んでください。

あと、もし家に蛍光ペンとか色鉛筆があればそれもご用意ください。
そしてDAISOじゃなくても大丈夫です、ハイヤー姉さんが"安い店=DAISO"と認識していただけなので」

②思考を洗いざらい全て吐き出せ

さて。ノートを開きペンを持て。
今から思考の洗い出しをする。

「はい」

やることはシンプルじゃ。
今そなたの頭の中にある思考を全てここに書き出せ。
一つ残らず、全てである。

「思考を?てことは今思ってることを書くわけね?」

さよう。
ささ!書くのじゃ!

「ええと……、それって日記みたいなもの?」

いや、日記ではない。
これの最も重要なことは、「今現在、この瞬間に脳内にある思考を吐き出す」ことじゃ。過去をわざわざ思い出す必要はない。

イメージとしては、独り言をそのまま文字起こしする感じじゃな。

「…今思ってることっていったら、ハイヤー姉さんなんかまた変なこと言い出したなあ、って感じなんだけど」

それで良い。さあ!

※一例(実際に箱白が書いてみたやつ)

「字、きったねええええ…」

別に構わぬ。誰かに見せるために書いているのではないからな?
そなた本人が後から読み返して内容が分かればOKであるぞ。

人間は常に、自分が納得できるて好む思考を選定してからそれのみを言語化する。
言語化してないだけで、無意識に己の思考を無視しておるものじゃ。
文脈を気にすると、思考をすべて吐き出しにくくなるぞ。

「あと書いてたらなんか取り止めもないというか、文脈とか全然関係ない思考も出てくるんだけど?」

どんな突飛な思考であっても、無視せず、全て、まるっと、洗いざらい吐き出せ。

ちらっと脳裏にかすめた思考も、見落とさずに書くのだぞ?
「これは書かないでおこう」と封じた思考も、こんなん私らしくないと思うような思考も、全てであるぞ。

ポイントは、思考に優劣や順位をつけるのをやめることじゃ。
紙の上では、すべての思考は平等の扱いを受けるものと心得よ。

「脳内の思考は、強い気持ちでもチラッと思っただけのことも、平等にアウトプットしろってことね」

うむ。
そして、この作業を慣れるまで定期的に、日を分けて行う。

「え、定期的に?」

さよう。
最初はどうしても固定観念や雑念が邪魔して全て吐き出せぬものじゃ。
全て出せるようになるには慣れが必要である。

「1日でほいってできるもんじゃないのね…」

無論である。
私はこれを修行と称しておるのは、この作業がお手軽にサクッとできちゃう楽ちんなものではないからじゃ。

悩むことなくノート1ページ分くらいの量を書けるようになったかどうか、を慣れたかどうかの基準とせよ。

「慣れるためには、早い人で1週間、まあ普通で一、二ヶ月くらいかかるもの、と思っておくと気が楽です。
毎日やるというよりも、気が向いた時や思い出した時に素直にやる、ていうスタンスがベストです。
義務感でやったら雑念入りまくるので」

※ちなみに、箱白の書いたものはサンプルとして晒されてますが、本来は人に見せないものなのでご安心ください。


【追記】
記事の公開直後にいただいた、質問である。

スマホで文字を打つのもありじゃ。
そのほうが速く便利であるなら、紙やペンにこだわる必要はない。

注意すべきは、
他のメモやデータと混ざってしまわないよう、ファイルを分けたりタイトルで区別できるようにすることである。
ノートを「思考吐き出し専用ノート」にするような感覚じゃ。

…そうか、文字を打つ方が得意なものも多いのであるなあ。




さて、この「高次の声を認識する方法」noteは3回に分けて連載する形で公開していこうと思います。

…と言うのも、この「自分の思考を吐き出せ」のパート、人によっては数日かけないと慣れない作業なので、この先の情報をあらかじめ伝えてしまうと頭パンクしちゃうと思うんですよね……

やってみたら、意外と難しいことがわかると思います。
逆にスラスラ書ける人はすごいです。多分読書感想文とか得意な方では??

第二回が、いよいよ本題の「高次の思考」がどこにあるか?のパートになります。が、やることはもうアレです、国語の読解問題みたいなやつです。
神秘的なことはなんもないです。
(がっかりされたらどうしよう…)

次回は1週間後に出す予定です。頑張ります。




余談。不安だらけだよね、現実ってさ

「あのさ、よく“高次の声が分かれば不安はなくなってハッピー!”みたいなタイトルの本とか売ってるけど、あれの方法と同じってことなの?」

読んだことがないのでわからぬ。
だが、この手法はそもそも「不安をなくす」ことを目的としておらぬ。
ゆえに仮に似たような手法であったとしても、目指すゴールが違う、と理解すれば良い。

「高次の声を認識できたら不安がなくなる、ていう発想が正直あまり理解できないんだよね……
だってここ数年私を何より不安にさせて苦しめたのってあなたたち高次だし

それな。
仮に私たちの声を認識することで「不安がなくなる」のであれば、それは「自分自身が不安を感じない高次の感覚になる」ということであろうなあ。

「それって同じことじゃないの?」

全然違う。
高次の感覚になると、確かに肉体を持つが故の悩みや困りごとの多くは感じなくなるであろう。
不安はあれどそれを感じなくなる、というのが近い表現かもしれぬ。
そなたの思考の中に、高次の思考の割合を増やせばそうなるものじゃ。
ゆえにそれは「高次の感覚になる」のであって「高次と対話する」とは別物である。
だが、私が今伝えておる手法は「対話」の方法じゃ。

「…でもさ、不安なんて感じない高次の感覚になる方が幸せなんじゃない?
不安は無い方がいいでしょ、誰でも」

否。
短期的に見れば、不安を感じないことが幸福であると思えることもあろう。
だが高次の感覚や思考にどっぷり染まってしまったら、そなたは今何のために人間として生きておるのか?
それでは元から肉体など持たずに霊体でいればよかったではないか。
…そんな問題に直面することになる。

「…それは、高次のものとしての意見でしょ?
私は人間として、不安はない方が生きやすいって言ってるんだけど」

さようじゃ。私は高次のものであるからこそそう言うのであるぞ。
高次の思考に染まった人間には、人間であるがゆえに経験できる数多の感情を理解できぬようになる。
何故己がいま、ここで、人間として生きておるのか。…その根本的な問いに、答えられなくなるのじゃ。

「…んーーーなんか難しいこと言ってるけどさ…
でもね、悪いんだけど、それって苦しんでる人間に対して助けたら意味ないよ〜って言ってるのと同じじゃない?
人間なんだから苦しめって言ってるように聞こえるんだよね…

そこで、対話、なのじゃ。
高次は不安になること、苦しむこと、辛さを経験することの理由と目的を伝える。理不尽になんのために苦しんでいるのか分からなければ「ふざけんな!どういうことだよ、もうやだ」になるであろう?

「まあ……人生って大体そういうのばっかりだよね」

だが、高次から見れば「その苦しみの先に得られるもの、たどり着く未来」もある程度は見えておる。
…人間は高次の声を聞いて、情報を得たことで苦しみのメカニズムを知り、そこからどのように解決できるか、どのように脱するかを考察することができよう。

私たちの声を認識し対話するのは、人間にとって「苦しい現実に立ち向かい乗り越えるための情報提供」になるであろう。
迷子になった人間にとって、道標になるであろう。

苦しみや不安を消すのではない、立ち向かえるためのに必要な情報を得て、勇気を持って苦境に立ち向かうための「対話」であるぞ。

一人では怖くて不安で動けずとも、本当は常に高次の仲間が常にそなたの中にいる。そのことを知るためのnoteであるぞ。
それが「対話する」ことで得られる人間側のメリットである。


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