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夢を抱きしめてわくわくしたい

毎回、トレンドをつい見にちゃって思うのだけれど、好みじゃないのをいうのは別によいんじゃないかな。

善悪の判断じゃなくてさ。

ファンなら《何でも受け容れないといけない》は極論だし、それはもう好きなのかどうかというよりはもうそれはその人自身をみていない気がする。そういう自分に酔いしれている狂信者みたいな。

狂信者っていうとFF6の狂信者の塔を思い出しますよね。

え、ならない?

おばさん、ジェネレーションギャップを感じるわぁ。

あぁ、そうか。
ゲームに関心がない人もいますしね。

じゃあ、しょうがない。
でも、FF6はほんとよいから!
わたしそれしかプレイしてないけど、ほんと音楽も美しいから!

ってなんの話してましたっけ?

オタクすぐに話ずれる。
いや、オタクという属性のせいにしちゃいけない。
多分、メイビー。


そうそう!
故意に傷つける意図があるのはイヤだけれど、《好みじゃない=全否定》ではないとこう荒れているのを見つけちゃうとこう思うの。

でもって、これは好みの問題でも
《その時代の彼を返してっ!》はあまりにも幼稚だと思うの。

《返してっ》って、あなた自身の過去だって取り戻すことはできないのだから、そこはSNSにつぶやかずに、例えば友人同士の会話だけで済ませたほうがスマートだとは思う。
どうしても書きたいなら、紙の日記帳的ななにかに書いてみるといいと思う。
もう読み返すとびっくりするから!

彼に関しては宗教的な狂信者のようなファンの方が多い気がして、そこはどうなの?ってよく思う。本人がその宗教的な人になりきることをギャグとして変えて昇華いるとこを差し引いても多い気がする。それがかえって助長している気がしなくもない。

しらんけど。

ただ、どういう経緯があって今の状態なのか、あと何故彼自身は戻りたくないのかに想いをはせて想像するのはいいけれど、彼自身のことは理解できたつもりくらいで留めたくらいがいいんじゃないかなぁ〜と思う。
だってほんとの気持ちなんかわかんないし。

ただ、あの時、体調が悪い身体をムリしてがんばったことは美談風に語るのは本人だけじゃなく、周りも気をつけたほうがいいと思う。

受け取り手の気持ちの問題もあるけれど、わたしは彼らがその時の話をする時、気持ち悪さを覚える。

昔はそれが当たり前だったとしても、それって周囲への負担と自分が無理したせいで命をそういう現場で落とす可能性と周囲がトラウマになる可能性を考えられないってことでしょう?

なにより彼が自分自身を大事にしてなかったよね。

むしろ周囲が止めるべきだったよね、と思う。
今だってたまたま生きているだけっていうのわかんないんだなぁ〜と生まれてきたときから病気だった人間は思うのです。

調子悪い時にがんばっても、その一瞬はよくても、後で必ずやムリが来るよ。

わたしはムリをして短大生の時、 高校の後輩を授業中に亡くしたことがあるからなお思うよ。
本人はきっと挑戦できて満足だったろうけれど。

その人と同じ病気をもつ、わたしの友だちが『あのバカッ!』って言って泣き崩れていたの今も覚えてる。
わたしも同じ病気だけど、おバカ!って思ったけど、彼女みたいには泣けなかったから、ただただ安らかにと手を組んで祈ることしかできなかったな。今、思い出しても涙が出てこないわ。

まぁ、これはわたしのある種のトラウマで教訓なんだけど。
わたし自身もあんまり自分の命を大切にしてないことは多いから、ほんと。

自分にも刺さる言葉なのだけど。

だから、そこはもう少し自分の周りのこともそうだけれど、自分自身のことを配慮してくれると嬉しいなぁと思う。
男はムリしてでも動く事がカッコイイは全然カッコよくないから、そういうのはほんとやめてほしい。

そうそう。
わたしは彼のファンじゃないけれど、今も生きていてくれてほんとに、ほんとに嬉しいよ。

命がつながってよかったって思ってる。

でも、その時のことを含め、なんのことでもファン以外は口出ししないで!とかはなんか違う気がするのです。
だって、ファンじゃない人の総数がそもそもどんな人気者でも多いのだからそんなのムリじゃない?

わたくしはそれって応援している人をかばってあげているわたし優しい!ってなんか自分に酔っている気がするの。(2度目)
と、完全に下に見ているよね。
横の上も下もないが理想だけど、愛玩的な香りがプンプンがする。
お人形さん遊びじゃないんだから。

そういえば、わたしお人形さん苦手だわ。
おばあちゃんは人形師だったのに。
わたしだけのための雛人形とかつくってもらったのに!

改めてひどい孫だわ。

そうそう。

わたし、こないだ友人に愚痴ったけれどある二人に関しては怒ってる。
距離感がおかしいファンにも。
謝罪をした彼らにも怒ってる。

なんでも受け容れようとするのよいとこだし、憧れるけれどなんかかなしい。

でも、彼らがこうすると決めたことだから、応援はもちろん続ける。
彼らの音楽を生で聴き続けたいから。

こういうことをここにつぶやくことが、ご本人や周りを傷つけてしまうかもしれないけれど、それでも、ほどほどにファン同士もそうじゃない人たちも仲良く好きだと感じた人を応援できたらと思うので書いてみました。

というか、どんな言葉でも誰も傷つかないことはありえないからむつかしいけれど。

もしかすると、こういうことは有料で書くのがいいかもしれないけれど、なんか違う気がするので、このまま無料公開です。
さて、何人の方が読んでくださるかしら?
タグが悩ましい。
でもなんか、わくわくしちゃう!

そういえばね。

ある人がたしかこんなニュアンスで言っていたらしい。

《おれたちいなくなっても生きていってほしい》って。

そう言ってくれる距離感が好きだな。
わたしはそんな人で在りたいと自分自身に祈りを捧げる。

そんなわけで、途中ズレたきもするのだけれど!

《好み=全肯定》ではないことと《やさしさと甘さ》は違うことをいつも心のど真ん中におきながら、相手に敬意を持って日々オタク活動に勤しみながら、この地球でのpicnicをenjoy joyしたいと思います。

しかし、私の文ってばそうそうの出番が多すぎるわ。

巻き起こせ〜って歌って踊りたくなっちゃう。