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どこにいても

 一緒に島を出る後輩と海を見ながら話していた。
 私は、三年間を島で過ごして、次はまた遠いところに転勤することになった。
 後輩から「次は何年くらいですかね?」と聞かれて、「わからないけど五〜六年くらいじゃないかな?」と何も考えずに答えた。
 後輩はもとから大きな目を真ん丸にして、
「長い! 五年後って……私たち三十歳ですよ」
 何も考えていなかったので、その数字がぐわんぐわん来た。
 三年前に島へ来るときは、年齢のことばかり考えていた。二十代前半がここで終わるのか、と。
 でも、今回は新しい土地で、新しい人間関係と、新しい業務に就くことへの不安、あとは知らない土地を開拓する楽しみでいっぱいで、年齢のことは頭になかった。
 だからこそ、急にデーンと数字を突きつけられて怯んだ。
 そして、怯んだことに「ん?」となった。

 そもそも私は島で過ごした三年間に不満があるのか?
 不満というのは、何か自分の理想があって、その理想が叶わなかったときに抱くものだと思うけど、私には何か思い描いている理想があったのか?

 不便なことも多い三年間だったけど、ここでしか出来ない経験もたくさんあって、全部が最悪なわけじゃなかった。
 楽しいこともたくさんあった。と思う。

 次の転勤先で二十代を終えるかもしれないことに怯んだ私は、じゃあどこだったら怯まずにいられたのか?
 地元なのか、都会なのか。
 どこにいる自分もうまく想像できなくて、それならどこにいてもそんなに大差ないじゃん、と思った。

 私はどこにいても、先輩に怒られながら仕事をするし、美味しいカレー屋さんを探すし、自販機でアイスを食べたりするし、お酒も飲むし、短歌も詠むだろう。

 暮らした場所が増えるのは、帰れる場所が増えるようなものだから、どこにいても生活を続けていきたい。

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