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読書日記#20 「寂しい」と「眠い」を彷徨う年末は本屋で心を整える

12月▲日

彷徨うような数日間。

仕事をして久々に会う友達とごはんを食べて。
それからまた仕事をして、友達とオンラインで話して、仕事をして、ジムに行って、また飲みに行って。

駅の長い通路を歩いている最中、頭の中でMr.Childrenのシーラカンスが流れている。

シーラカンス
君はまだ深い海の底で静かに生きてるの?
シーラカンス
君はまだ七色に光る海を渡る夢見るの?

ある人は言う 君は滅びたのだと
ある人は言う 根拠もなく生きてると
どうしたら僕ら 答えを見つけ出せるの
どんな未来を目指すも 何処に骨を埋めるも
選択肢はいくつだってある
言うなれば自由
そして僕は微かに左脳の片隅で君を待ってる

Mr.Childrenの暗い叫びが詰まっている曲が好き。シーラカンスは、歌の本当の意味はともかくとして、深海の底で一見、無感動なふりしながら、実はわずかな光を探してもがいている切実さが好き。でも今この曲を聴いているのは、歌詞の意味は関係なくてただこの雰囲気が今の気分に馴染むから。

深夜まで飲むと、部屋に着いた途端に時間と空間がぐにゃりとゆがんでいるような感じで、平衡感覚が希薄になる。

そのまま気絶して、起きて、顔を洗わなければと思うのに起き上がれなくてまた気絶して、起きて、やっと顔を洗って薬を飲んで、いつもの時間に一応目覚めるもののまた寝て、起きて少し食べ物を口に入れて、また眠る。

それからなんとか支度して家を出てまたお酒を飲んで、またベッドに倒れ込んで気絶して、起きるけど顔を洗えないままにまた寝て…を繰り返す。
なかなか息継ぎがうまくできないクロールを続けているみたいな、あるいは深海の底で水圧に押しつぶされて動けなくなったみたいな、苦しさ。

その繰り返しの中のどこかの夢の途中でリアルに人が隣で寝てる夢を見た。後ろを向いていて誰なのかはわからない。

あれ、なんでこうなったんだっけと思いながら、こんな数日を過ごした部屋が綺麗なわけないので、どうしようとパニックになり、見なかったことにしてまた寝る。もう一回起きたら、当たり前だけど誰もいなくて夢でよかったと思う。

記憶が飛ばないから起こり得ないけど、酔っ払って記憶がなくなって気付いたら誰かと寝てたみたいなこと、一度くらい起きてもいいのになと不謹慎にも考える。

眠い気持ちを描いた小説のことも思い浮かべる。
ベスト of 眠い文学は吉本ばなな氏の「白河夜船」だと思う。

いつから私はひとりでいる時、こんなに眠るようになったのだろう。
潮が満ちるように眠りは訪れる。もう、どうしようもない。その眠りは果てしなく深く、電話のベルも、外をゆく車の音も、私の耳には響かない。なにもつらくはないし、淋しいわけでもない、そこにはただすとんとした眠りの世界があるだけだ。
白河夜船」冒頭より

生きるパワーがなくなって、ひたすらに眠り続けている冒頭の描写は美しいし、身をもってどういう状態かがよくわかる。私も悲しい時は眠くて眠くて起きられなくなるタイプだから。

昼ごろ目覚めてなんとかガパオライスをつくり、夢でのパニックを反省して少し片付けた後に、今年最後の打ち合わせ。

打ち合わせが終わって、やっと時間がいつも通りに流れ出した感覚が戻ったころには、既に夕方。やることは山ほどあったけど、
こういう時はとにもかくにも本屋に行かなくちゃいけないと決まっている。

家から一駅のところにある大きな本屋さんにいく。

小説は既にけっこう買っているので、食指動いて購入したのはヘリゲルの「弓と禅」だけ。ずっとほしいと思っていたのだけど、ハードカバーの表紙がかっこよくて、文庫よりは断然ハードだと思って、こちらをお迎えすることに。

この年末はマンガをたくさん読むんだと決めていたのでマンガも買った。基本的には電子版でいいのだけど、Kindleでも大して価格が下がらないお高いマンガはハードで買ったほうがコスパがいいように感じる。

一つは言葉が表現するイメージが具現化された空想上のいきものが出てくる「言葉の獣」。

なんで頑張れっていうくせに見てるだけなんだよ
頑張れって言いっ放しにするなら言わないでほしい
私はそんないい加減な気持ちで
他人を応援したくない
自分のことも応援されたくない!!
優しいね
『あなたを助けられない』
から頑張れと言いたくないんだね
君は
面白い言葉の見方をする

こんな感じの、1話目に出てきた「頑張る」の解釈の説明と、そこから生まれた美しく尊い言葉の獣がとってもよかった。

それから、友人におすすめされて買ってみた「星旅少年」。

私やっぱり寂しいです
読み切れないほど本があって
やりたいことがたくさんあって
空にも水にも
溢れるくらい星が光っているのに
たったひとりの手を放しただけで
こんなに空っぽになってしまうんですね
だけど私
この気持ちを消したいとは思わないんです
寂しい分だけ
あの子がここにいたことを
きっと大事に思い出せるから
うん そうですね
寂しさと手を繋ぐことも
きっとできると思いますから

世界設定も登場人物のキャラクター描写もとてつもなくツボで、登場人物たちが語る言葉がたまらなく詩的な儚さで満ち満ちていて、嗚咽するような感情がこみあげてくる。
確かに寂しい。けれど、寂しいことは悲しいことじゃない。寂しいは尊い思い出があるからこそ生じるものだし、寂しいことは自由の証でもある。それが私の思う哲学にも近くて、とても愛おしかった。

お風呂で「すずめの戸締まり」の続きを読む。

映画をみて、すごく感動したけれど、友達と感想を話していたら解決できていない疑問がいくつかあって、ずーっと頭の中に引っかかっていた。

小説を読めばそれが少しわかるんじゃないかと。

例えばこんなことが引っ掛かっていた。

・ダイジンはもともと要石だったのになぜ猫になってしまったのか?
・要石から解放されたがっていたのになぜ要石になることを自ら選んだのか?
・なぜお母さんはあの時、口に出すべきだないことを言ってしまったのか?
・すずめの助けたいという気持ちは恋愛感情なのか?

などなど

けれど読んでいて心が震えたのは本編と何も関係のないフレーズだった。
ここにも「寂しさ」に胸打たれる経験が描かれていた。

私の体はあまりにもちっぽけで、人生の時間は限られていて、一瞬で通り過ぎていく風景のほとんど全ての場所に、実際に立つことは出来ないのだ。そしてほぼすべての人間が、私には関わることの出来ないそういう風景の中で毎日を送っているのだ。それは私にとって驚きと寂しさの入り混じった、どこか胸を打つ発見だった。

小説を読むことで部分的には問題解決したけれど、まだまだ未解決の内容が多く、解説動画を見る。

最終的にはこの動画と出会ってすっきりする。こんなに深く考えてつくられた「すずめの戸締まり」はすばらしい。もう一度、この思いを受け止めた上で最初からみなおしたい。

そんな、不毛だけど、ようやくいつものペースに戻り、心には栄養たっぷりな年末の夜は更ける。

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