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「のめりこまない」思考をやめてみよう

私には怖いものがたくさんあります。
いろいろある中でも、最近特に自覚した怖いことは何か一つのことに気持ちを持っていかれすぎること、のめり込んでしまうこと。

たとえば食べ物。

のめり込むというのとは違うかもしれないけれど、私には放っておくとすぐ同じものばかり食べてしまう偏食傾向があります。

けれど、年をかさねるたびに、山葵やブロッコリーなど、大人になってから、私が避けてきたものの中に、美味しいものがたくさんあると知りました。

先入観を捨てて、嫌いだと思っているものも1度はチャレンジしてみる。それで好きになれたら儲けものだし、やっぱり苦手ならそれはそれです。

また、私は白米が大好きで、家でご飯を炊くとつい際限なく食べすぎてしまいます。
なので家でごはんを炊くことを禁止して、自炊の時は玄米のごはんパックを食べて、お米への執着を必死で手放しました。

おいしいお店の選択肢なんかも同様の考え方です。
どんなにおいしくても、そこだけに通い詰めるのではなくて、新規開拓マインドを大切にしています。

たとえば本。

好きな作家さんはいるけれど、連続して同じ人の作品を読まないように細心の注意を払っています。

一番の理由は、この世界にはたくさんの多様ですばらしいコンテンツがあるので、それを見逃さないようにしたいからです。

また、1人の作家さんからの影響を受けすぎることもリスクがあると思っています。

凝り固まった価値観で他の良いものがわからなくなるかもしれないし、その人の意見と自分の意見を混同してしまうかもしれません。

それに、のめり込んでその人の作品を読み切ってしまったら、未来の楽しみがなくなってしまうのが心配ですし、好みの作品を書いてくれなかったり不調だったりする時に、まぁそういうこともあるよねーって気楽な気持ちで受け止められないのが苦しいんじゃないかと心配です。

たとえばコミュニティ。

働く場所とか趣味で集まる場所とか日頃会う友達とか。

人見知りだからどうしても、新しい場に馴染むのには時間もかかるし、しんどいこともたびたび。
それでも自分に合う場所ができたなーと思えると、それがあればもういいじゃんって新しい場所を求めなくなってきます。けれどそれ一本だけを居場所に思うようなことは、絶対にしてはいけない、新しい場所を探し続けるんだ、と日々自戒しています。

なぜなら、大切な場所がそこだけになると小さいことにもくよくよしてしまうし、エネルギーを持っていかれすぎて他のことが手につかなくなってしまうからです。

たとえば自分以外の人が集まって何かをしていると仲間はずれにされたような疎外感を覚えたり(行って楽しいかどうかは別)、そのコミュニティや大切な相手と一緒に時間を過ごすことを軸にスケジュールを組みすぎて、やりたいことを知らず知らずのうちに我慢してしまったりします。

それに、だいたいにおいて、人が執着心に基づいて行うことは傍からみると理性を欠いていて、不自然だと思っていて、そういう狂った行動に出ないためにも適切な距離感を保ちたい、と思うのです。

心に余裕を持つためには「好き」のバランスが肝要

こうしたことは、私が経験を重ねる中で深まってきた認識で、のめりこまないことは私がごきげんに生きていくためにとても大切なことだと思います。

それでも時々、適切な距離感がわからなくなって、気持ちが不安定になって、のめり込んでしまったものについて考えすぎて、やたらと落ち込んでしまう、負のスパイラルに陥ってしまいます。

つまり、そもそも、のめり込むことの弊害が大きいタイプなんです。

毎日、そこから落ちたら大怪我をするような平均台の上を歩いているような気持ちです。
バランスを崩さないように、次の一歩を探ります。

何かを好きになる比重を高める際には、本当にそれは大丈夫なことなのか慎重に考えます。

でもこの世界にはとてつもなくのめり込んだ後に、すっと熱が冷めて、それをたやすく手放せる人がいます。一つのことに人生を懸けて取り組むことに迷いのない人がいます。

私がのめりこむことを恐れて二の足を踏んでいる間に、距離を詰めることに躊躇している間に、私の何倍も行動してフィードバックを得て、人生が豊かになっているように見えて、とてもうらやましいことだなーと思います。

そういう人にこの気持ちを話すと、それって生きづらそうだねって言われます。

好きな気持ちに正直に生きた方が楽なんじゃない?
好きなものが離れていきそうな時は全力で引き止めたらいいじゃん。
好きになりすぎてポンコツな行動をとってしまう自分を好きになればいいじゃん。

言われるたびに、ああそうなんだよなーと、なんでそういうふうに考えられないんだろうって、もやもやします。

好きなことを制限するのではなく、全部やる

ただ最近は少し考え方と行動を変えようと試行錯誤しています。

のめり込むことにブレーキをかけるのではなく、全部にアクセルを踏むのはどうだろう、と思ったのです。

そもそも私は体力が少ないことを自覚しているので、端的にいうと省エネ思考。
限られた自分の時間をなるべく効率よく配分していきたいと考えているし、体力回復の時間もしっかりとれるように、配慮して予定を立てます。

だけど、別にエネルギー使い果たしてもいいんじゃないかなって。で、使い果たしたら、休めばいい。

食べ物の場合はちょっと話が違うけど、食べすぎたら運動すればいいじゃん、みたいなことはあります。

そうすると、やりたいことを我慢している感覚が薄まり、あれにのめり込んでても、これにものめり込んでる、と思えるから気持ちのバランスは崩れにくいことがわかってきました。

もちろんよろしくないことも起こります。

やるって言ったのにできなくなることがあったり、疲れ果ててポンコツ極まりない自分をさらして印象が悪くなったり。

でも、今のところ、総じて悪くないなーと感じています。

なので、もう少しこのチャレンジを続けようと、またこれがどういうチャレンジなのか言語化しておこう、と今回noteを書いてみました。

そしてまた時が経ったら振り返ってみたいと思います。

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