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読書日記#19 「道徳的な者はおとった人間である」と気付く半端な偽善者
12月★日
言葉が溢れてくる。
感情が揺れ動くとそれに伴って水飛沫のように体の中に言葉の断片が飛び散る。
誰にも必要とされない、需要のない言葉たち。
でもこのまま弾けてしまうのはもったいなくて、ここ最近はとにかく書き綴り続けた。少なくとも私自身には需要ある文章に仕上げていく。
その分と言うのは変だけれども、ここ最近は、目の前で起きていることに現実味がなかった。いろいろ行動はしてるし、充実しているはずなのに。あんまり寝てないからかな。
そんなこんなで、土曜日の朝は眠い。
ハイになっていた状態から一気に力が抜けて身体に力が入らない。
布団の中で、もうすぐ発売する知人の本の原稿をいただいたので読み始めたら、読み終えてしまう。
まだ発売してないからこの感想はまた今度。
今日はピラティスはないけれど、昼過ぎに法事がある。
義理の祖母の十七回忌。
誕生日、法事、母の日、法事、誕生日…
みたいな感じで今年は家族に会う日が多い。
別に家族が嫌いではないしたまにはいいんだけど、最近ちょっと機会が多すぎて息苦しいと思う時がある。
喪服になりそうな冬用スーツのスカートが見つからなくて乗るはずだった電車に間に合わない。
行きの電車では「ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣」をAudibleできく。ベスト・オブ・2022の6位になっていた。
導入部でいきなり死の淵を彷徨うシーンになり、アメリカらしくドラマチックな展開に引きこまれる。
Audibleベスト・オブ・2022ベスト5のうち3つは実際、Audibleで私も聞いていて面白かったので、このランキングは期待できるのでは?と思った。
1位に入っている「同志少女よ、敵を撃て」は、音声だからこその良さもあって最高だった。
Audibleをききながらてくてくと歩いて、駅から少し遠いお寺に着く。
とにかく、素人目にみてもお経が下手で、ありがたい話は一切せず自分がラジオ局に勤めていた頃の落ちのない思い出話ばかりする住職さん。今回も相変わらずだった。
そして案の定、母とうまく話せない。
私が唯一、がんばっても、ご機嫌でいることができなくて、傷つけないようにしてるのに傷つけてしまうし、傷つかないようにしてるのに傷ついてしまう、そんな関係の人。
帰りの電車で、混んでる様子に乗じて敢えて離れたところに1人で移動したのに、それなら私も、と隣にくるのだけれども、うまく反応できない。
頭ではわかってるんだ。母は大好きな娘と親友みたいにとりとめないおしゃべりがしたい。お父さんにいらいらさせられたこと、最近友達と会って盛り上がったこと、病院で言われたちょっと心配なこと、テレビで見て面白かったこと。
「他のお家の娘さんは、お母さんとランチしたりしてるって。もうちょっと誘ってよ」
と1ヶ月前に言われたことを思い出す。全然普通でない家で育てたくせに、すぐ他の家を持ち出されるのがすごく嫌。母はなぜかすぐ他と比べた普通を持ち出して私を苦しめる。大人になったんだから、大目に見たいのに、気にしてしまう。そして、その普通感覚が私の中にも巣食うのではと思うと、それが何より恐ろしい。
母と別れて最寄り駅についた時、安堵しつつも、冷たくしてしまった自分の不甲斐なさで、泣きそうになる。
こんな気持ちになるなら優しくしてあげたらいいのになー。なんでうまくできないんだろう。
気持ちを落ち着かせるために入ったスタバで読書。
「人はなぜ物語を求めるのか」がいよいよ読み終わりそう。小説を紹介する本ではなくて人間がついつい物語的解釈をしてしまうことのメリットとデメリット。それを乗り越えるにはどうすればいいかなどが書いてある。
「ふつうはこう」みたいなのも根拠のない物語の1つなんだろうな、と思った。気持ちがすーっと鎮まっていく。コーヒーと読書は偉大だ。
気持ちが落ち着きすぎて、また一週間の疲れが急にどっと出てきて、とてつもなく眠くなる。何回も気絶しかけて、これはいけないと立ち上がって外に出た。
このまま家に帰ったら、寒くて買い物には行けないだろう。
在宅勤務だった昨日の昼も夜も今日の午前中もUBER eatsしてしまっていた。冬はもこもこした格好を家でしているから、外に出るのが何重にも億劫になる。
そう思って、そのまま家に帰りたい気持ちをぐっとこらえて、スーパーに寄る。温かいものが食べたくて鍋の具材を買った。
鍋野菜セットに小松菜と、舞茸と、豚肉と、くずきりと、お餅を足す。
ぐつぐつする鍋の横でひたすらごぼうをピーラーで剥いてつくったささがきを水につけて、できあがった鍋をいただく。おいしくてポカポカ。
食べ終わってから、ごぼうとベーコンを炒めてタッパーへ。一品つくったらお腹がすいて我慢できなくて、2品目は食べ終わってからつくるか、断念してしまうことが多い。
寝ないといけないのだけれど、ベッドから起き上がれなくて、支度が進まない。ねむいねむいねむい。金縛りみたいに身体が動かないまま、気づけば深夜だ。
なんとか寝る支度をして、寝る前にちょっとだけいただきもののニーチェの言葉を集めた本をパッと開いてかいてある言葉を読んだ。
道徳的な者はおとった人間である。一個の「人格」ではなく、いったん決められた型にはまり込み、それを自分の価値の対象としているからだ。独立した自分の価値はもっていない。比較の対象にはなるし、同等の人物を見つけることもできるだろうが、決して独立した個人とは言えない。
もっと自分の欲というか、湧き上がる気持ちに忠実に生きてもいいのかもしれない。いい人でありたいって思っていたけれど、そうなれないときはそういう自分を見つめながらも、それでいいんだって思うしかないのかもしれない。
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