想像力の欠如

 某所で非常に気になる発言を見かけたので記事にしたいと思います。概略すれば、

「保健所が1日に1人(1人の職員という意味だと思われる)辺り150人しか対応出来ないとか、いつまで電話対応だけでやっているのか。メールとかLINEとか使えば、いくらでも効率化できるだろうに。」

という発言です。その元となるソースは分かりませんが、取り敢えずこの発言を吟味するに当たってそこまで重要では無いのでひとまず置いておきます。
 私はこの発言は、人って想像力を無くすとここまで酷い発言が出来るんだな、という内容だと思います。逆に、この発言を見て何も思わなかった人は要注意です。
 以下、順番に説明していきます。

1.本当に1日に1人辺り150人は少ないか?

 私が1人の職員で1日辺り150人捌け、という指示を聞いたとしたら、「出来るわけがないだろう。もう少し現実的に考えてくれ。」と思います。
 これは、計算してみれば簡単に分かる事です。
 まず、1日8時間勤務としましょう。
 150人÷8時間=18.25人/時間となり、1時間当り18~19人は捌かないと8時間で150人捌くのは無理な訳です。
 つまり、1人辺りにかけられる時間は3分程度、4分では間に合わない、という計算になります。
 一般的に過労死ラインとされる月60時間ぎりぎりの残業をしたとしても、ざっくり1月辺り20日勤務で1日当たり3時間の残業になりますから、
 150人÷11時間≒13.65人/時間。1時間辺り13~14人となり、それでも1人辺りかけられる時間は4分少々で、5分かかるとアウトです。
 しかもこれは、ひと時たりとも休憩を挟まずに、ぶっ続けで働き続けてという話です。

 さて、もう一度考えましょう、本当に1日辺り150人も1人で捌けると思いますか?
 連絡してくる人は、殆どの場合専門の医学的知識など持ち合わせていません。1度の連絡で全て必要な情報を完備して伝えられる人などいないでしょう。
 ですので、それらを補完するために何度もやり取りを交わす必要があります。
 LINEやメール等だと、その人の住所氏名等の簡単な情報を確認するだけでも、1~2分ではすまないケースは簡単に発生する筈です。全ての人が相手からの質問に対し即座に返答すると考えるなど、非現実的にも程がありますしね。
 相手の氏名、年齢、性別等に始まり、現在の症状の確認、COVID-19に罹患しているかどうかの判断、検査の実施の調整と結果の通知、緊急搬送の必要性の判断とその場合の搬送先の病院の確保、今後の対応方の伝達、濃厚接触者の確認等など。
 しかもこれらは実際に対応するだけでなく、参照できる形できちんと記録も行わなければなりません。

 個人的には、1人で1日当たり30人も捌けばかなり効率的な方ではないかな、と思います(というかこれも現実的ではないレベルかも)。
 この数字だって先ほど同じ様に計算すれば、概ね一人当たり15分程度で完結せねばなりません。
 判断を誤ってしまえば最悪相手を死亡させかねないというリスクもある対応を、です。
 しかも、その人に対して1回の対応だけで終わる筈もなく、その後の経過観察や連絡等も必要になるでしょうしね。

2.文字情報だけで管理する危険性
 そもそもの話、COVID-19に感染した恐れのある人への対応を、文字情報だけで(つまりメールやLINE等だけで)対応できると考えている事自体が、とても危ういです。
 文字情報だと伝えられる情報がかなり一方的で、思っている以上に意図した内容や正確な情報が伝わりません。
 恐らく現場で対応する人たちからすれば論外な話で、出来れば電話対応ですら足りず、直接対面して判断したいというのが本音でしょう。
 電話であればその人の声音、せき込む様子の有無等、直接対面しているならば顔色や姿勢、表情、目線、etc……
 言葉だけではない、非言語的な情報から得られる情報を全て合わせて判断して、ようやくひとまずの対応方針を決められるといのが実際の所ではないでしょうか。
 これを文字情報だけで対応しようとすれば、判断の誤りは爆発的に増えるはずです。

 一つ例を出しますが、やり取りの途中で相手が意識を失ったケースを考えてみましょう。
 直接相対しているか電話ならば、即座に危険性を感知し緊急搬送へ繋げることが可能(あるいはその可能性が高い)でしょう。
 ですがメールやLINE等でやり取りしていたとしたら、果たして正確に判断できる人はどれほどいるでしょうか?
 「ちょっとトイレに行っているのかな」とか、「メールの確認が遅れているのかな」とか思う人も多いのでは無いでしょうか。
 もしこれで正確な判断が出来る人はエスパーか何かです。

 文字情報だけで判断しなければならないとなった場合、安全側に振って判断すればただでさえ足りなくなっているリソースを更に枯渇させるでしょうし、逆側に降れば救えずに命を落とす人が一気に増えることが予想されます。
 しかもここまで書いたことは、情報が分散してしまう(1元管理出来なくなる恐れがある)事の危険性とか、セキュリティ上のリスク(個人情報の漏洩)等を全て脇においています。
 現場の実務を少しでも想像することが出来れば、「論外」の一言で切り捨てられる考えでしょう。

3.まとめ
 私の想像でしかありませんが、この発言のベースにあるのは「保健所の人間は仕事が出来ない」、「保健所は未だに非効率な仕事の仕方をしている」という先入観なのではないかな、と思います。
 因みにこれは保健所だけではなく公務員とも言い換えられるでしょうし、この発言の主だけではなく多くの一般の人が持っている認識だと私は考えています。
 私は地元の市役所で概ね10年程度勤めましたので、そう考えている人がとても多い事は身に染みて知っていますし、直接言われた事も何度もあります。
 ですが、その後短い期間とはいえ民間のそこそこの規模の会社に努めたり、あるいは一緒に仕事をしたり、知人の勤務の現状を聞いたりする限り、公務員も民間の会社も大してレベルの違いはありません。
 と言いますか、私個人の経験に限って言えば、トータルで見れば公務員として働いている人の方が平均レベルは上なんじゃないかな、と思う程です。

 世間の多くの人が思っているほど、各種公的機関で働いている職員は馬鹿でも時代遅れでもありません。
 勿論全ての人が優秀な訳ではなく中には酷い人も居はしますし、一部例外の機関もあるとは思いますが、それはどんな会社や組織だって同じでしょう。

 恐らく大多数の保健所は、全てが全てベストとは言えないまでも、充分にベターな対応をしていると私は考えています。
 じゃあ何で人が足りてない(リソースが足りてない)んだと思う人がいるかもしれませんが、それは世間一般の皆様の選択の結果です。
 有体にいえば、公務員の人件費を減らせ、もっと効率化しろ、という風に叩き続けた結果が人員削減に繋がったという事です。
 何も起こってない日常の時に合わせて物事を考え、非常時の余力を無駄遣いと切り捨てたからこそ非日常の今に対応できない、ただそれだけの話です。

 少しでも想像力を働かせれば、「1日1人辺り150人」なんて言葉が、どれだけとんでもない数字でいかに現実的でないかはすぐわかります。
 それを、あまつさえ「仕事が出来ない組織だ」と言ってしまうのは、想像力も何もなく、ただ見下しているだけだからこそだとしか私には思えません。

 多くの人が我慢を強いられる現状で、政策を司るトップがお世辞にも良い施策を行っているとはいえず、フラストレーションが溜まっているという背景もあるのかもしれません。
 ですが、COVID-19に関して最前線で対応している人たちは、想像を絶するほどの業務量や恐怖と戦っている筈です。
 それらの人々に罵倒ではなく感謝を、蔑みではなく労いをかけてあげて欲しいと願わずにいられません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?