なぜ手首じゃないのか。

僕は常に手首を、いや、手を輪切りにしたくなる。
手を、指を
自分のこの小さな手を
男性にしては小さくて女性にすら負けるこの手を。

僕は支配から逃げてでも逃げた先はまた違った形の支配。僕は自分が否定した自分を埋めるためのこの支配を好んだ。
何もできなくなった。
ボッジというキャラは、耳と口が不自由だ。
言葉が話せない。

僕は手首を傷つけるのではなく、手首から後に生えた器を切り刻みたくなる。
刻んでシュレッダーにかけるイメージだ。
そうしたら次々に、自分が消えていって、段階を追うごとに僕が有意義なものではなくなって、僕―理想的だからこそ有能なもの―が消えていってしまう。
そうしたら、最高に気持ち良い。
だってこれは僕が嫌いなものだから。
僕が死んだら僕が喜び、天国で開き直る。
完璧な人生だ。

という感じで、これは自己愛神経症の一部だ。

言葉に利用されて、言葉を利用して、自分を取り戻す。


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