まじでやばい。これが自殺の衝動か。

ちょっと物騒だけど書かせてもらう。

もっとひどい人がいるかもしれない。自分が間違っているかもしれない。

そういうのは放置してとにかく書かせてもらう。

どんどん大きくなっていく

自分の旧来のセルフイメージと、変わろうと行動している自分の乖離。

そもそも僕は就活をきっかけに自分の人生の放棄に気づき、それを取り戻すために休学という期間を開始した。

僕は親元を離れ、一人暮らしを始めた。いろんなことに挑戦して、自分を取り戻そうとした。

自分は変化してきている。それは自分がよく知っている。あまり自分を認めるのは得意ではないのだけれど、自分はなんだかんだ変わってきている。その点は認めているつもりだ。

それは、世間的に見たら嬉しい話なのだ。誰もが当たり前のようにやる変化。それも良い変化。

なのに、自分はこれまで以上に自分の内の違和感が大きく飛び出していることに気づいた。恋愛とかでドキドキのあまり心臓が身体を突き破って飛び出るみたいに。深海魚の臓物が気圧の変化でせせりだすように。

じわじわじゃなくて、どっかんどっかん。

まずい。死ぬ。

これは死ぬ。

自分が自分じゃない。自分が自分に耐えきれない。

僕が2019年、死ぬほど苦しかった悩みの最中は、ありゃただ自分を責めていただけだ。よくあるリストカット。心の安寧。生への切望。

でも今の僕は違う。もう一人の自分が自分が殺しに来ている。

殺しに来ている。消そうと潰そうとしている。死んでしまってもいいと思っている。

初めてその自分のうちにある思いを怖いと思った。

だって、昔の僕は自分の死を想像したときに、「ああきっと地面に頭がつく瞬間本当は死にたくなかったって思うんだろうなあ」って思ってだから本当は死にたくないんだなっていう結論に至っていた。

なのに、今の僕はそれを考える余裕すらない。死を思いついた時からその実行までに通る記憶と思考の関はもうない。

この前たばこを買った。吸った。

たばこなんて毒にしかならないのに無性に吸いたかった。

ちなみに覚せい剤はやりたくない。薬は嫌だ。

根性焼きというものがあるのを思い出した。

ヤクザとかがやるやつだ。

僕はためらったがやってしまった。

なぜかとても強く知りたかった。その痛みを。

痛かったけど、やってよかった。根性焼きというものがどういうものか知ることが出来た。

おしまい!

とは行かない。やろうとしてやってしまうことが問題である。

だめになってしまいたい、壊れてしまいたいという欲求が、間違いなく僕には存在している。

だめな自分を再確認したいのだ。

変わってはいけないとそれは僕に言っている。

包丁を見ると腕を切ってみたくなる。

それ系の自傷はしたことがないけど。


何かが脳幹に刻み込まれている。ような気がする。

僕はよく自問自答をするけど、答えが出ない。思い当たらない。本来は流れるエネルギーというものが打ち込まれた楔で流れをせき止められて、何か忘れてやまないものがどこかに閉じ込められているような気がしてならない。

自分が何かをしようとすることを自分は絶対に許さない。

まあこんな感じだけど、どうなるかわからない。

ヤサシイワタシって本当に良い漫画だったなとふと思い出している。


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